白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/08/15(日)   CATEGORY: 未分類
「名を与える」ということ
 最近、小石川植物園において、世界最大の花で、かつその香りが死体臭に似ているとかで有名なスマトラオオコンニャクが花開き見物人がつめかけた。ゼミ生Aちゃんもその一人で、炎天下三時間行列つくってまったそうだが、15秒くらいしか見られなかったので臭いもよく分からなかったそうな。

 死体臭〔に似たもの〕をかぐために炎天下三時間まつ人々の気持ちって、あれか、心霊スポットにあつまる若者みたいな、普段体験できないものを体験したいという平和だからこそ、安定しているからこそおきる気持ちだろう。パキスタンとか、甘粛省のチベット自治県の人はわざわざスマトラオオコンニャクをかぎにいこうとは思わないだろう。そこいらで死体臭しているから。
 
 で、小石川植物園といえば、その前身は暴れん坊将軍のつくった薬草園であるが、明治三〇(一八九七)年から昭和九(一九三四)年までの三七年間、東京大学理学部植物学教室があり、日本が帝国主義やっていた時代、探検家や学者さんたちがアジアの各地からあつめた植物標本が集められたりしていたのであった。

まずはこれ。↓
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Koishikawa300/02/0200.html
植物園移転前後の、国としての大事件は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦であるが、この結果わが国の勢力圏となった朝鮮、台湾、樺太、南洋諸島など、国外の植物の調査研究も始まり、日本のフロラや周辺地域との関係の解明も進められるようになった。早田文藏の『台湾植物図譜』、中井猛之進の『朝鮮森林植物編』などはその成果の大なるものである。それどころか、明治三七(一九〇四)年に、仏典探究のためチベットへ潜入しようとする河口慧海師に、圭介の孫、伊藤篤太郎は植物標本の採集を依頼しているほどである。彼はすでに、ヒマラヤと日本の植物の類似性について認識していたのである。河口は困難な隠密旅行にもかかわらず、多数の標本を持ち帰ったが、研究者側が遠隔のチベット地域の植物研究まで手を伸ばすにいたらず、あまり利用されなかった。第二次大戦後、ヒマラヤ植物の調査研究が始まると、河口標本の重要性が再認識されるようになった。この標本の多くは国立科学博物館に所蔵されているが、植物自然誌の標本を利用可能な状態で保存管理する標本室の役割を認識させるものである。また第一次世界大戦では多くの研究者の留学先であった先進ドイツとの連絡が途切れた結果、かえって日本の研究の自立をうながしたといわれる(上記サイトより)。

慧海の標本は今は筑波の実験植物園に保存されている(→http://www.tbg.kahaku.go.jp/)。

 この慧海の標本を見学しにいった時、筑波の研究員のAさんがしてくれた話は、生物学やっている人、というか、たぶん教養ある人なら誰でもしっているのであろうが、私にとっては耳新しい興味深いものだった。

 それは、分類学全盛の時代、新種の動植物が見つかると、その基準となる標本をイギリスの王立植物園に送り、そこで本当に既存の種とかぶっていないことが確認されると学名がつけられて、新種と認定されたということ。もし、似たような種のものがみつかった場合、この基準標本と比べることによって新種か否かを決定するため、基準標本が一箇所に集められ、それがロンドンにあったのだ。

 つまり、あらゆる植物の種の基本情報がイギリスに集中していたのだ。その理由は当然のことながら、当時イギリスがもっとも広大な地域を支配下にいれていて、もっとも多量の新種を手に入れられる環境にあったからであろう。
 で、うろ覚えだけど、そのあとドイツもイギリスに向こうをはって、基準標本をおさめる研究所をつくった。日本も勢力下にいれたアジアの植物を収集保存するために、小石川植物園が大活躍したわけだ。

 自分歴史をやっいてるので、中国皇帝の冊封や、ダライ・ラマによるモンゴルハンの称号授与、イギリスの爵位などの例をあげるまでもなく、「名前をつける者」がいて、それを受け取るものがたくさんいる場合、名づける者にはおのずと現世の権威が備わっていくことがよくわかる。当時のイギリスは植物学のみならず、地理学上の発見に対しても、イギリスの王立地理学協会がもっとも権威ある賞をだしていたので、大英帝国は世界中のあらゆる事象の智を総覧する神のごとき権威をもっていたのだろう(ちなみに現在は国際植物命名規約にのっとってやっているみたい)。

 で、何でこんな話するのかといえば、いま私はチベット医学でもちいる薬草の学名をエクセルに入力するというフモーな作業をしているからである。

 チベット医学といえば、その聖典はご存じ『四部医典』(ギュシ)この第二部の十九~二十一章に様々な薬材の名前が挙がっている。これらの薬材が調合されてさまざまなチベット薬が作られるのだが、これらの薬材がその伝統的な名のもとに具体的に何使っているのかは、地域とか、人とか、時代とかによって異なっている。そのため、新しく本草書がでるごとに1つの薬材名の下に異なる学名がゾロゾロでてくることになる。

 なので、これら複数の学名情報を1つのチベット名のもとに蓄積していけば、チベット医学の伝統の保存の一端にも役立つことができるだろうと、自分の属するとてもちっちゃなチベット医学サークルでこの作業をやっているのである。

 ※最初はこのグループで助成金もらって入力は人にまかせようと思ったのだけど、見事にはずれたので、自分たちで入力するハメになった。ははは。

 植物の学名は輪廻、もといリンネがラテン語表記で、「属名+種小名+発見者の名前」の順で表記することをお決めになった。この発見者が、チベットの植物だとフッカーとか、キングドンウォードとか、プルジェワルスキーとかいう超有名な探検家やプラント・ハンターの名前が続くので、歴史を学ぶものとしては若干嬉しい感じがする。まあ、入力する際は名前の部分はとばすのだが(笑)。

 で、わけわかんないラテン語を、とくに中国からでた本草書はラテン語のミスタイプが多いため、オンラインで確認しなきゃいけないし、だるいこときわまりなし。しかも、この作業を通常の研究の気晴らしに合間にやっているのであるが、よく考えたら全然気張らしになっていないことに今気づいた。
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| | 2010/08/16(月) 10:27 [EDIT]
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Hisano | URL | 2010/08/17(火) 16:41 [EDIT]
猛暑が続く中、全然気晴らしにならない作業、お疲れ様です。
昨年秋から、ダラムサラのチベット医学・暦法学研究所(メンツィ・カン)のハーブ・ティーを飲み始めたのですが、すこぶる体調が良くなりました。
お陰様で、冬はインフルエンザや風邪を引くことなく、この夏の暑さでも夏バテする事無く過ごせています。
日本でも、もっとチベット医学への認識が広まって、援助が増えて欲しいものですね。
一般向けの本も出版されてはいますが、とても少ないですし…
是非是非、「チベット・ハーブ入門」みたいな本を出版して下さい。

シラユキ | URL | 2010/08/19(木) 12:46 [EDIT]
>あくび母さん
『ユトク伝』は寓話的なお話が多いので今の人がよむと難しいんですよね。西洋の笑い話オイレンシュピーゲルが今よんで笑えないようなもの

>Hisanoさん
チベット医学におけるハーブティーかあ。オモシロそうですね。ティーバッグでもけっこう美味しいものは美味しいですよね。チベット薬については昔、呑んだらオオ●リしたので、自信をもってすすめられない。もちろん効くという話は一杯きくけど。

Penba Yakdu | URL | 2010/08/20(金) 21:35 [EDIT]
そういえば、青蓮華=ウトパラ(Utpala)=ブルーポピーの件ですが、
先日、シュク・ラという5300mの峠で、メコノプシス・ホリドゥラを指差し、チベット友人に「これ何て言う?」てたずねたら、「メト」だと無関心。それで、ギャンツェ・クンブムに連れて入って、ターラー菩薩(ドルカル)像のウトパラを指差し「これはペマにあらず、ブルーポピーなのだ」と教示したところ、「そう、これはウッパだ!」というではないですか。ブルーポピーをウッパと言うのは前から聞いていましたが、サンスクリット語のウトパラがチベットではウッパと訛ることに初めて気付いたのです。ウッパですよ!ウッパ!すっきりしました。長生きはするものです。

シラユキ | URL | 2010/08/21(土) 21:08 [EDIT]
>Penbaさん
メコノプシスをみてウッパだ!といってくれたら、一番ビンゴなんですけど。何ぶんわたしのソースは西蔵薬草みたいなそんなものなので、現地のチベットのかたが、メコノプシスみてウッパというのを聞いてみたいです。

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