白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/09/28(火)   CATEGORY: 未分類
10年ゼミ合宿顛末
9月24日

ゼミ合宿は恒例七月末だったが、大学の授業が年年八月に食い込むので、思い切って九月の末にしてみた。で、秋だと海よりは山ということで、今年は甲府の石和温泉。

まず石和温泉駅で昼ご飯時となるので、甲府といえば「ほうとう」だろうということで、私のグルーブは駅からちょっと離れた噂の店にいく。

この店はテーマパーク化が進んでいて、客席は映画館のように暗く、店の舞台には大画面で甲府の映像が流れていた。 で、みなで食事をしていると、武田信玄の扮装したオジサンが現れて、「〔武田信玄の軍師〕山本勘助です。」という。

しかし、あなたの着ている鎧、武田信玄のですから。山本勘助ならせめて隻眼で、足を不自由にしないとリアリティがありませんから。

〔自称〕山本勘助「みなさん、一人暮らしですか」
みなが答えに窮していたので、自分学者の本能で、事の白黒をはっきさせようと
「え?それはどういう意味できいていらっしゃるんですか」と聞くと
〔自称〕山本勘助「いや、私も学生の頃は一人暮らしだったので、食事とか外食が多くなって大変だなと思って」

と素の答えが返ってきた。どうつっこんでいいか分からず沈黙していると、勘助別のテーブルにいってしまった。

「山本勘助のコスプレしているのなら中身まで勘助になりきらないとだめじゃない。プロ意識がなさすぎる」というと、
学生たち「先生、あんなふうに問い詰めるから勘助いっちゃったじゃないですか」と責められる。

そして、午後は武田信玄の菩提寺である臨済宗恵林寺に行く。増上寺からもってきた徳川灯籠が一杯あるため、西武グループによる二大将軍廟の破壊の歴史や、二代将軍秀忠の呪いまで解説する。どういう歴史だ。
えりんじ

武田信玄の顔をうつしたという不動明王はなかなかいいお姿で、お庭も禅寺なのでとても美しい。参道の彼岸花がきれい。みな信玄のお墓の小ささにびっくりしていた。宝物殿に入ると話し相手に飢えていた管理人のオジサンの餌食になる。

で、帰り道一日ご本しかない最終バスをまっていると、みな携帯でニュースをチェックして、
Aくん「先生、例の中国人船長処分保留で解放されたそうですよ。」と教えてくれる。
国際社会に対して自分たちの立場を何一つ明らかにすることなく、ただ無法者に成功体験を与えただけの最悪のタインミングでの最悪の決断である。

そのあと日本政府の外交下手にもあきれ果てた私が荒れていると、 四年生から
「ボクたちは慣れていますが、三年生と宿の人の前では自重してください。」と言われる。

まるで松の廊下における浅野長矩の扱いである。

宿のテレビはCCTV(×国国営放送)と日本の情報を中国語で流すちゃんねるがあり(ちなみに日本の衛星放送は見られない)、温泉も外人観光客にあわせてお湯の温度が低いので、まんま温水プールである。日本の観光業が外国人頼みなことがひしひしと伝わってきて、ますます陰鬱な気分になる。

9月25日

二日目、まずは甲斐善光寺様と東光院に行く。

信州の善光寺が戦火にまきこまれて焼失するのを畏れた武田信玄が、善光寺のご本尊と僧侶たちをまるごと甲斐にうつしてたてた由緒のあるもので、しかし、その後、ご本尊様は京都などを点点として今は信州にもどっているので、お前立ちの阿弥陀様が今は甲斐の善光寺のご本尊となっている。 本家と同じく戒壇めぐりができるようになっているので、みなで一度死んで仏様の子供になって生まれ変わりましょうと戒壇めぐりをする。
kofuzenkoji.jpg

私「これでみんなは仏様の子、兄弟になりました」
Cくん「その言い方やめてくれませんか」

そのあと、●×▲のワイナリーで明治時代からのラインセラーとワインの作り方を見せて戴く。

地下のワインセラーは秘密基地のようで、とくに一番広い倉庫は自動ドアがあくとみな
「バイオハザードだー」と喜んでいる。
その倉庫には彼らの畑をうるおすという薬師観音様が祀られていた。像の形は普通に観音様である。
私「この像は薬師仏の要素はないのですが、それぞれがそれぞれの信仰に基づいていろいろ名前をつけるのはいいと思います」というと 、学生からワイナリーのオジサンを威圧していると批判された。私はありのままを言うただけなのに。

聞けばこのワイナリーは戦時中は潜水艦のソナーにつかう酒石酸を作っていたため、終戦の年の七月十日の甲府大空襲の際にやまほど爆弾を落とされて、焼けたのだそう。 そしてこのワイナリーでもっとも最高の出来は私の生まれた年だという。そこで、私は記念日にでも開けようと三万円もする生まれ年のヴィンテージ・ワインを買って

・・・・ 悲劇に見舞われることとなる。

甲府駅前の「小作」でほうとう鍋を食した後、甲府城跡にみなで登り甲府盆地を一望しながら、フリーチベット旗で記念撮影して、柳澤吉保や江戸をしのぶ。

すると、その城の一角にオベリスク状の構造物がある。戦没者慰霊碑かと思ってみてみると、維新の元勲で陸軍の創設者山県有朋が揮毫した明治天皇の顕彰碑だった。 みな、グーグル先生とかにいろいろ質問していたが、なぜ甲府のこの顕彰碑がエジプトのオベリスクの形をしているかは誰もつきとめられなかった。

そして城を下ろうとして、自分、さっきかったばかりの自分の生まれ年ワインをもっていないことに気づく。さっき記念撮影し本丸跡に忘れてきたに違いない。 AくんとBくんが走ってとりにいってくれる。しかし、彼らが見つけたのは・・・・。

外袋だけ。

見事に置き引きにあっていた。本丸跡の上から空の袋をふるBくんの姿をみて、四年のEが、文字通り腹を抱えて笑い転げていた。関係ないけど、文字通り腹を抱えて笑い転げる人を始めてみた。

みなの哀れむような視線を浴びつつ、駅前の交番にいき、も一度現場にもどって実況見分をし、「ここでとられました」と自分で現場を指さす記念写真を警察にとられ、五十代後半のオジサン刑事が私になりきって書いてくれた被害調書に吹き出しながら、その日一日が終わる。

学生たちは口々に「先生楽しいです」「面白かったです」と声を掛けてくれるのが唯一の救い。まあ誰かが笑ってくれるなら、サービス業としては成功である。しかし、大学の先生ってサービス業だったっけ?

そして夕飯の時間、幹事の五年生Dくんが「先生、みんなからのプレゼントです」といい、例のワイナリーの袋を渡してくれる。私が「気い遣わなくていいよ。みんなで呑んで」というと、「でも、ごろうちゃん(わたくしの溺愛鳥)の生まれた年1997年のワインですよ」と言われ、しかも、Fさんが切り紙でつくってくれたごろうちゃんラベルまでついている。

「やっぱもらっとくわ」

この子たちを育てた親御さんたちはさぞや人間的に立派な方たちであるに違いない。すばらしすぎる。
oberisc.jpg

そのあとの宴会は推して知るべし。 Gくんが「消えるワイン、謎のオベリスク、呪われた甲府城」とか「名探偵コナンだったら、あの場で城の降り口をすべて封鎖してすぐに犯人みぬきましたよ」とか、ものすごくへんな盛り上がり方をしていた。


7月28日

そして最終日、近くのぶどう園で、ぶどうがりをする。

園のおばさんが、いろいろシステムを説明するが、何言っているのかぜんぜん分からないので、私が「選択肢を整理していってください」というと、また学生から 「先生」 と怒られる。

しかし、このおばさんも「いちご狩りと同じです」とか説明にもなっていない返事をするのである。 初日の山本勘助といい、このぶどう園のおばさんといい、自分が今何をなすべきなのか、この状況ではどう伝えるべきなのか、という工夫がたりない。つまり、鎧をきて山本勘助を名乗る以上、その状況にあわせてやるべきことがあるし、果物狩りの客に対して、自分の園のシステムをフローチャート式に整理して説明する能力が要求されよう 。

地場産業の振興とかいうのはまずこういうところの意識改革からやらないと、いくらお金をつぎ込んでも効果があがらないのではないかと思う。

最後に一言。

単なる自動販売機置き場を、ハッピー・ドリンク・ショップというのは、ちょっとないと思う。
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COMMENT

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● オベリスク
元甲府市民 | URL | 2010/09/28(火) 12:56 [EDIT]
石濱先生こんにちは。いつもblogを楽しみに拝見しております。
さて、甲府城址(舞鶴城公園)に聳える尖塔(慰霊塔)は何故あの形なのかは、かつて甲府市北部で採れていた水晶に因んであの形になっております。甲府はこの水晶の研磨の技術を応用した結果、今でも宝石類の加工業者を営む方が多くいらっしゃいます。甲斐善光寺の近くにある地場産業センターでそんな甲府の一面を伺い知ることも出来ますので、また甲府に行かれることがありましたらどうぞ。
因みにオベリスクと言えば甲府盆地の西に屏風のように連なる鳳凰三山(薬師岳、観音岳、地蔵岳)の地蔵岳に天然のオベリスクがあって、信仰の対象になっています。山梨は他にも富士山、甲斐駒ヶ岳等、“信仰の山”が数多くあり、なかなか興味深いところではないでしょうか?
以上、参考までに。
● 謎がとけました
シラユキ | URL | 2010/09/28(火) 14:04 [EDIT]
>元甲府市民さん
ありがとうございます。さっそく学生にメーリスで流しておきます。水晶の結晶の形だったんですね。ワシントンやパリやローマと同じく、オリエンタリズムかと思っていました。やはりちゃんと調べないとだめですね。
● 元甲府市民さん
シラユキ | URL | 2010/09/28(火) 19:03 [EDIT]
今手元にある水晶の結晶をみたら六面体でした。よく覚えていないのですが、甲府のオベリスクは四面体ではなかったでしょうか。
山県有朋揮毫のあの碑が水晶をうつしたというのは、当時の記録にそうあるのでしょうか。もし典拠が分かるようでしたらご教示いただけないでしょうか。

元甲府市民 | URL | 2010/09/28(火) 22:08 [EDIT]
石濱先生こんにちは。
メッセージありがとうございます。そして、真実を追究されようとする姿勢にさすが研究者さんだなと感銘を受けました。
さて、ご質問の件ですが、はっきり申し上げて典拠らしい典拠を指し示すことは出来ません。私が15年ほど前に甲府市に住んでいた頃、TV等で見た記憶で書いたものですので。
メッセージを拝見してから、ネットや山梨出身の知り合いに聞いてみましたが、あの舞鶴城公園の尖塔(オベリスク)は「恩賜林謝恩碑」で、山梨県内にあった皇室の恩賜林が県に明治時代末期に御下賜されたことを記念して,大正年間に立てられたもののようです。

山梨県ホームページ
http://www.pref.yamanashi.jp/sinkan-som/25107832296.html

峡陽文庫
http://kaz794889.exblog.jp/11652628

やまかいの四季 山梨高校編№89
http://www.ypec.ed.jp/yamakai/yamakai%2089.html

以上のことから、尖塔は古代エジプトのオベリスク、台座はやはり古代エジプトのバイロンを形どったものみたいですが、では何故古代エジプトのものを形どったのかまでは今のところ分かりません。それこそ、水晶や、鳳凰山地蔵岳のオベリスクに因んだのかも知れませんが、何とも…。

地蔵岳(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B3%E5%87%B0%E5%B1%B1

>やはりちゃんと調べないとだめですね。

全く、この私のことです。昼休みにロクに調べもしないで書くもんじゃありませんね(苦笑)。

シラユキ | URL | 2010/09/29(水) 00:00 [EDIT]
>元甲府市民さん

いろいろご教示いただきましてありがとうございました。この構造物が明治天皇の顕彰碑だという部分、本文書き直しておきました。設計がかの有名な伊東忠太なので、彼の事績を追えばオベリスク型になった理由がわかるかもしれません。直前にワシントンに行ったとか(笑)。伊東さんの本は研究でも用いていたので何か奇縁を感じます。ありがとうございました。

あるく | URL | 2010/09/30(木) 08:46 [EDIT]
「今がわかる時代がわかる・日本地図」(2009年版)を見ると、可処分所得のトップスリーは富山、石川、福井。

すぐ右に目を移すと、わが群馬と山梨は下位争い。
これをもっつて一概に全てを論ずるのは無理があると思いますが、今回の記事を読んで、なんとなく納得しました。

オベリスクの件、水晶の形を模したのだが、作る人が六面体は面倒なので四面体にしたと聞きました。

先生、その悲劇のワインのことを詳しく教えていただけませんか。
それだけ古いと(失礼)飲み頃を過ぎているかもしれませんが、気に入ったら飲んでみたいと思います。

シラユキ | URL | 2010/10/03(日) 15:08 [EDIT]
>あるくさん
こんなかんじです。
http://www.sadoya.co.jp/winery.html

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