白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/10/07(木)   CATEGORY: 未分類
闇鍋から生まれる「友愛」
 『スーパー・ナチュラル』のファイブ・シーズンがリリースされている。もともとX-fileと『ミレニアム』をパロったかのようなこのシリーズは、今シーズンさらに開き直った笑いに満ちている。

 このスーパーナチュラルの面白いところは、キリスト教の世界観に則っているものの、天使も悪魔もそこいらのおじさんに取り憑いてこの世で活動していて、預言者もそこいらの変なおじさんである。

 セラフィムのカスティエル(通称キャス)はなんか会計士みたいな人にとりついているし、大天使ラファエロは田舎の黒人の整備士だったり、ザカリエルは白人のパワハラ上司みたいなのにとりついている。「器」にされた人間は天使にさんざん体を酷使されたあげく、廃人とかになっちゃう。

 で主人公のイケメン兄弟はそれぞれ魔王ルシファーと大天使ミカエルの「器」なのだが、両者ともに兄弟で最終戦争するのがイヤなので、とりつかれることを許諾していない。キリスト教社会は契約社会だから、いかに魔王といえども大天使といえども「イヤ」という人にはとりつけないのである。

 で、業を煮やしたパワハラ上司もとい、天使ザカリエルは、ミカエルの器になるはずのイケメン兄ディーンを五年後の世界におくりこむ。ディーンがミカエルを拒み続けたらどのような破滅がくるのかを見せるためだ。

 そこは、絶望の世界。大都市は殺し合いで荒廃しており、アメリカ大統領ペイリン(笑)が暴動をおさえるために自国を爆撃している。トイレットペーパーもない。

 で、笑えるのが、天界を裏切ってこのイケメン兄弟のサポートにまわっている税理士もとい、セラフィムのキャスティエルが、ヒッピーになっちゃって二十四時間薬でらりって、女の子を集めてフリー・セックスを説いているのである(笑)。

 で、主人公のディーンは何に一番衝撃を受けたかって、このキャスティエルの転身に一番驚愕して、未来をかえるために、縁を切った弟を呼び戻すのである。

 日本人はキリスト教世界になじみがないので、このドラマのツボはたぶん大部分の人には理解できないだろう。薬とかやっている人は天使や神様が見えたりするので、日本人には天使とヒッピー(ヤク中・愛の伝道師)に区別のつかない人もいるかもしれないが、この二つはまったく別物である。

 この二つは、前者は伝統の中にあるが、後者はそれ否定したアナーキーなものであるという根本的な違いを持つ。
 天使とか菩薩とかは、前者はキリスト教、後者は仏教の言説の中で、それぞれ清らかで道徳的な存在とされ、人々のもっとも近くにあってある時は救済し、ある時は教え導くものとなる。天使が無性であることからも分かるように、彼らは感情に淡泊である。

 一方のヒッピーはあらゆる伝統と権威、ある時は道徳までを否定する、ある意味業の深い存在なのである。つまり、天使がヒッピーになるというのは、悲しいことであり、ものすごーく安くなった感じなのである。

 以下、どのような文化も伝統もハンパにしか理解しない結果、乱暴にもあるゆる文化・宗教の根源は一つ、人類はみな兄弟、友愛、とかいっちゃう人々の記号としてヒッピーを用いよう。

 レッテルを貼る意識の愚を指摘し、主義主張や国家や肌の色の違いからくる争いの無意味をとくダライ・ラマの教えは、これらの「人類はみな兄弟」「友愛人士」たちと似ていると思われる向きもあるかもしれない。

 しかし、ダライラマの主張は伝統的なチベット仏教哲学の中から導き出された論理に基づいて、平和や人格の陶冶をといているのであり、「あるゆる宗教が一つである」とも、「文化が一つになるべきだ」とも行っていない

 彼があらゆる宗教、文明に触れた今でもなお、還俗せずにチベット社会の伝統を護っていることからも分かるように、彼は他人の文化をも尊重するが、それ以上に自分の属する社会の伝統をきちんと体現している。

 権威と伝統と道徳とオトナ(笑)を拒否し、何も信じることができず、従って、特定のパートナーももたず、何になることもできずに、ただ自分探しを続けながら、思考停止して「平和」や「愛」を説く人々とは格が違うのである。

 あらゆる伝統への同化を拒否するくせに、逆にあらゆる伝統を根は一つなどといってザッパに世界を受け入れようとする人は、結局はどこにも属さない根無し草となり不安な自我に苦しむこととなる。

 彼らの闇鍋のような頭は「平和」と「友愛」を説く。しかし、どの文化にも伝統にも参与できなかったひとは結局は自意識すら統合することなく、世界平和どころか自分の心の平和すら保てなくなる

 過去から続いてきたものはそれなりに人々に安定と幸福をもたらしてきたか存続しているという側面がある。たとえばカソリックも仏教も欲望の節制を説くが、このように人の本能に反しても、教えが続いているということは、エゴや欲望を野放図にすることが結局は本人に不幸をもたらすことが真理であるからである。

 自分の属する社会のよい伝統を受け継ごうと努力し(言うまでもないけど、自分のエゴにとって利用しやすい伝統を形だけ信じることじゃなくてよ)、伴侶を信じ、友を信じ、何より自分を信じている人たちから構成される社会にそうそう不安や争いはおきない。ときどき小さな変革を繰り返しつつ若返る力も自らの内にもちながら、伝統には全体としては安定を生み出す働きがあるからだ。

 一方、不安な心が生み出す百万大言は何も生み出さない。今、他人を批判する言葉は満ちあふれているけど、自分が何をしているか、ということに無批判な人が多い。しかし、こういう人が集まった社会は不安が不安を増幅し、いくら平和を説こうとも、結局はカオスがやってくる。

 今いる場所にある文化をきちんと体現し、同時に相手を尊重するという姿勢と、「何もかも一緒なんだから、みんな仲良くしようよ」というのは全く違う。

 天使とヒッピーが象徴するものはまったく別ものなのである。
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COMMENT

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Hisano | URL | 2010/10/07(木) 11:28 [EDIT]
先生、細かい事ですが、「予言者」ではなく、神の言葉を預かった者の意味ですので「預言者」ではないかと…
セラフィムのカスティエルというのは、本来はキリスト教に存在しない天使ですよね?
存在しない天使をヒッピーにする当たり、似非天使の象徴なのでしょうか?
このドラマ観た事がないので、面白そうですので観てみます。










白雪 | URL | 2010/10/07(木) 11:44 [EDIT]
>hisanoさん
ご指摘ありがとうございます。このドラマ本当にアホですので、時間の無駄とか怒らないでくださいね。
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| | 2010/10/07(木) 16:36 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● 伝統宗教と現代思想
セン | URL | 2010/10/07(木) 23:40 [EDIT]
かなりの程度で僕は先生の仰る通りだと思います。諸宗教の調和を説く時にダライラマの用いる高度な論理にはいつも唸らされます。ただ、近代以降には、ヒッピーではなく、伝統宗教の中からも超宗派の思想が出てくることがあります。チベット仏教にはニンマ派のリメ運動があり、ヒンドゥー教にはラーマクリシュナの万教同根思想があります。これら伝統の中から出てくる超宗派的な動きをどう理解するかということを僕はよく考えます。これら伝統宗教の中からの超宗派的な動きは、近代化の要請に従って出てきたものだとするならば、その中にカウンターカルチャーと共振するものがあり得るというのは単なる偶然なのか、そうではないのか。ここで僕の立場を述べておきますと、基本的に伝統支持者であり、アンチ・ヒッピーです。しかし今の僕は特定の宗教に対する信仰がなく、精神性を探求する時にはリベラルに諸々の思想宗教を参照します。僕のこのような方法論がヒッピーと皮一枚隔てたものであり、知的ディレッタンティズムであることを自覚しつつです。伝統にも帰依できずヒッピーにも馴染めないこのような状況が私個人に限らず日本人全体の中にあると思います。さて、現代思想は今、どのような方向へ向かおうとしているのでしょうか?
● ちなみに
セン | URL | 2010/10/07(木) 23:52 [EDIT]
これだけは言っておきたいのは、伝統宗教の中から現代人が分かりやすいものだけを換骨奪胎して伝統的文脈から切り離し、かつ心理学化したり折衷したりするヒッピー・ニューエイジ・精神世界・スピリチュアル文化の人々のやり方には僕は賛成できません。ですが伝統宗教の中にも一宗一派的で、他宗教を邪教と攻撃し、自分の宗派だけが絶対性を持つという結論に信者を導こうとする人々もたくさんいます。これもまたいただけません。精神性であるとか真理であるとか神であるとかブッダであるとかいった絶対性をめぐって、事態は混迷を極めているようにも思われるのですが先生はその辺についてはどうお考えですか?

シラユキ | URL | 2010/10/08(金) 11:07 [EDIT]
>モモさん
特定の大物からはじまって国民全体がですよ。何もかも問題を自分の外においている。

>センくん
伝統の中からでてくる革新はかなりいい感じのものがあると思いますよ。問題はリメーとかはチベットの伝統の中からでてきた運動であり、センくんのような日本に生きる伝統を失った現代人の苦しみの救いには即ならないことですね。日本文化をきちんと吸収した人が革新を起こすと救われる人も多少は増えるのですが。センくんが危惧している何もかもテキトーに折衷する向きには私もどうかと思います。アニメの世界観じゃあるまいし、あそこまで節操なくいろいろな宗教つなぎあわせて、お茶の間ショッピングの付加価値商法みたいでみていて情けなくなります。しかし、それで救われているひとがもしかしたら一人くらいはいるかもしれないので、名前を挙げるのは今のところはやめときます。
● ノーベル平和賞
まなか | URL | 2010/10/08(金) 19:14 [EDIT]
劉暁波氏が受賞しましたね‼
現代史の授業楽しみにしています。
● 先ほどは
まな | URL | 2010/10/08(金) 22:07 [EDIT]
大した挨拶もなく失礼しました。
あまりにもタイムリー過ぎたため、慌てて書き込んでしまいました。
ノーベル平和賞をきっかけにしないと興味関心がない日本について考えなけれはならないことはたくさんあるとは思いますが、それでも知らないよりは知っている人を増やした方が、雑な言い方にはなってしまいますが、よいのだと思います。
様々な問題を抱えた社会、国家、私たちですが、たくさんのことを学びたいと思います。現代史の授業はそのポイントとなりました。
あと半期で出来る限り吸収し、考えたいと思います。
では、失礼します。
現代史の一受講生でした。

シラユキ | URL | 2010/10/08(金) 22:11 [EDIT]
>まなさん
ありがとう。あなたの一報でわたしもニュースをつけました。おかげでみんなにみせるニュース映像が録画できました。ありがとう。

Hisano | URL | 2010/10/09(土) 00:50 [EDIT]
こちらを拝見して、歌舞伎役者の方(お名前を忘れてしまいました)が、おっしゃられた言葉を思い出しました。
『型破りっていうのは、歌舞伎の基本の型を全て極めてから初めて出来るもの。歌舞伎の基本の型を極めていないのに好き勝手にやったら、それは破れかぶれだよ』

シラユキ | URL | 2010/10/10(日) 12:42 [EDIT]
>Hisanoさん
型破りと破れかぶれのその例とてもいいですね。何か一つの伝統をきちんと身につけてはじめて、何か新しいものができるのだと思います。職人の技巧の伝承や伝統芸能何かはまさにその例にもれないて思います。

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