白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/12/13(月)   CATEGORY: 未分類
ミスターの説法
 日曜日はミスター『入中論』を導師に迎えてのチッタマニターラー尊の灌頂を授かりにいく。今はなきガワン先生の最後の灌頂を受けたのが2008年の11月。清風学園に行くのも二年ぶり。二年もたっているのにあまり時間の流れを感じないのは、年をとったせい?

 参列者のほとんどは関西圏の方であるが、このブログで書いたことが多少は影響しているのか、東京からの参加者の顔もみえる。灌頂儀礼は密教の修行をはじめるための入門儀礼であるため、チベットでも高僧が地域にこられて灌頂を行うと周辺の農民や遊牧民が雲集してくる。

 伝統的な世界では施主がドバーンとお金を払って主宰して、貧しい人々は無料参加することができるが、貧富の差がなくなった現代日本においては、大金持ちの施主が何から何まで持つなんて非現実的なので、参加費にして広く薄く集めることになる。主催者に伺ってみると学園の先生方も含めて250人の参加者だそうである。ぶっちゃけ参加費はギュメの僧侶たちの生活費になるので、仏法存続のためにも参加者は一人でも多い方がいい。

 平岡さんは出不精の私を巣からおびきだすために、いろいろな策をとるが、今回はすごかった。私のカパーラ(髑髏杯といっても金属製)をこの式典でミスター『入中論』に使ってもらってはどうかというのである。私は最初何を彼がいっているのか分からなかったのだが、よく聞いてみると、カパーラの中にあるお供えもののお酒が正統な阿闍梨の力で形式的でない本格的な甘露水となるらしい。

 式が終わった後、甘露水入りカパーラを返してくださったので、私が「こぼさないようにこれずっと手に捧げ持って帰るんですか」と聞いたら、「口をつけていないきれいなペットボトルのなかみを開けてそこに入れていけ」というので、わたしは甘露水いりのエビアンとともに帰宅することとなった(笑)。
 
 私は今回はじめてミスターにお目もじしたのだが、ずっと末期がんのガワン先生を見ていたので、第一印象は「元気なラマ」。アシスタントに任せずに200人全員に甘露水を配っている。あと、威厳はあるのに、不思議に軽いお話がうまい。

 たとえば、「三宝(仏・法・僧)に帰依すると人や魔が自ずとジャマをしなくなる」という例にこんな話しをされた。

 ある農民が収穫物を泥棒にとられて困っていた。ある日、その農民は泥棒を捕まえて「おれも鬼じゃないので、お前がくださいと言えばやらないことはない」というと、泥棒は「じゃあ、収穫物をください」とお願いすると、農民は「お願いするならそれなりの格好というものがあるだろう、合掌しろ」というので、泥棒が合掌すると、農民はその手をぐるぐるにしばって泥棒をとらえ、「仏に帰依するか、法に帰依するか、僧伽に帰依するかと三度どなって、こらしめのために三度、泥棒をひっぱたいた。

 泥棒はほうほうの体で逃げて、オバケのでる橋の上にきた。泥棒はそこで「三つ以上に帰依させられたら〔三回以上殴られるから〕体がもたないところだった」といった。つまりこの泥棒は結果として「仏教徒(三帰依すると仏教徒)以外にならない」ことを口にしたことになるので、その橋のオバケは泥棒を襲わなかったという。
 かくも三帰依の威力はすごいのである(笑)。

 また、懺悔によって過去に自分のおかした罪をはきだしなさい、というたとえもケッサクだった。三人で食事をしていて知らずにうっかり毒のるものを口にしてしまった。一人死に、二人目が死に、そしたら残る一人は口に入っているものも胃に入っているものも何とかして外にだし、助かった後は二度と口にすまいと思うだろう。そのくらい真剣に今までの悪行の罪を全力で外に出し、二度としないと誓いなさい、とのこと(笑)。

 そして、随喜についての説明もわかりやすかった。「人のやった良いことを顕彰すること(随喜)はじつはもっとも簡単にできる修行である。」そりゃそうだ。善行を率先してやるのは難しいけど、それをやった人をほめるのは簡単だもの。で、この随喜をやると嫉妬や慢心といった自分の中にある煩悩を鎮めることができるという。

 誰かが良いことをしても、「オレならもっとすばらしいことができる」「あいつなんてたいしたことなんかない」なんていう人の気持ちのウラには、嫉妬や慢心がこもっている。口にすれば悪業となろう。しかし、誰かの良いことをほめたら、それだけで嫉妬や慢心が乗り越えられる。

 しかも、ミスターがいうには「自分よりクラスの上の人が行った善行をほめるとその半分の徳が得られる」という。ええええ、だとするとダライ・ラマ法王をほめると法王の半分の徳が・・・・。と、慢心と嫉妬は鎮まっても貪欲が刺激されるのであったった(笑)。
 
 そして、ミスターは最後に、あなた方はここで仏法に出会い、チッタマニの法を授かった。チッタマニは仏の救済活動の象徴なので、まわりの人を救済せよ。いくら良いものを得た後も、そのあとほったらかしていたら、悪行である。仏教を学び実践できる人間の身を得て、さらに仏教に出会っても何もしなかったら、畜生と同じだとツォンカパはいうておる。

 みな三四年先を考えて仕事や生活をしているだろうが、来世の用意もせなあかん。だって死はすぐ明日にもきて三~四年先はないかもしれない。目先のことばかりに気をとられるな。自分のなすべきことをなせ。死が迫った時、財産もこの体も来世にはもっていけないが、修行の結果はもっていける。

 日本は古くから仏教のある国。この仏教をここで終わらせず次の世代に受け渡してつないで行かなあかん。今日得たものを意味のあるものにするか否かはあなたたちの心がけ次第や。

 そして最後に行う「回向」(自分の善行を善行を行う能力のない人に回すこと。大乗仏教の大きな特徴)についてのお話も秀逸であった。自分の善行を他人にまわすことは他人のためじやない、自分にとってもいい結果がでるのだ。自分のところにためこんでいても、ちょっとの悪行とかで瞬滅するが、他人にまわしておけば、それはムダにならない。

 この時思った。自分の手元にあるお金をお寺にお布施したら、その場で確実に何人かのお坊さんが何日かお茶が飲める。しかし、そのお金を自分の手元において株とか債権に投資しても、サブプライム・ショックとかあったら一瞬のうちに消えてしまう。消えたお金は誰の何の役に立つこともない。

 だから善行はただちに今他人にむけて行うのがいいのである。ある意味合理的思考。というわけで、ミスターはお話が上手な方でした。
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COMMENT

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● みな三四年先を考えて仕事や生活をしているだろうが、来世の用意もせなあかん。だって死はすぐ明日にもきて三~四年先はないかもしれない
あくび母 | URL | 2010/12/13(月) 12:39 [EDIT]
お疲れさまでした。なんか、ピーンと張った厳しさの中に、ユーモアが混じってずっと目が離せませんでした
3.年4年先をみているだろうが、来世は明日にもやってくる・・・
一瞬ハハハと笑ってから、ウ~ン・・・あらためて、身がひきしまりました
● ミスターの手法
Koichi | URL | 2010/12/13(月) 21:07 [EDIT]
先生、お疲れ様でした。ミスター入中論が不思議に軽い話がお得意なのはギュメでも有名で、弟子達が疲れてくると軽い話でリラックスさせ、また集中力を取り戻させる手法だと、かつてギュメのお坊さんから聞いたことがあります。
今日、師匠のロサン・ワンチュク師がそうであったとおっしゃっていましたので、師匠譲りなのでしょう。
カパーラは御加持がされていますので、ご修行がきっと捗るはずです。
しかし徳相応の修行をする意味では、前半も省略なしでやる必要があります。もうその段階に来てらっしゃるのではないでしょうか。

案内状が来なかった・・・ | URL | 2010/12/17(金) 22:35 [EDIT]
引っ越し族のうちなのでそっちの方に案内が行ってしまったようです。
灌頂会が行われることを知りませんでした…
あったらぜひ行きたかったのに~残念無念。
厚かましいお願いですが、
今度こういう機会があったらぜひ紹介してください。
● 残念でしたね
シラユキ | URL | 2010/12/18(土) 13:44 [EDIT]
ミスターはお話の面白い方ですよ。お元気なのでまた来日されることもあると思います。その時までお楽しみはとっておきましょう。
● あくび母さま
シラユキ | URL | 2010/12/18(土) 13:47 [EDIT]
なかたにのお土産ありがとうございました。美味しく戴いています。

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