白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/12/26(日)   CATEGORY: 未分類
ミスターの無量寿灌頂
22日は新宿常圓寺様においてミスター『入中論』による密教入門の講義が、翌日はミスターを導師に迎えた阿弥陀仏(無量寿仏)の灌頂が行われた。

 ミスターはゲルク派の教学・実践のトップがつとめるギュメの101代目僧院長。短命家系のサラブレットである私は目の色変えて「長寿灌頂」授与に走ったことは言うまでもない。

 初日は顕教にはない密教の特質についてお話があり、密教の修業は金剛阿闍梨についてやらねばならないので、まず日本ではむりというお話がある。密教はトレーナーが選手を鍛え上げていく関係にもにて、阿闍梨が一人一人の心と体の状態をチェックしながら行うものなので、日本ではそもそも本格的な実践を行うことはムリだし、またその必要はない。

 心の病を解決するために密教を志したいという人もいるかもしれないが、それは違う。密教の修業とはすでに自分が理解した人としての理想的なあり方を、自分の上に実現していくテクニックなのであり、ヒーリングではないのだ。

 だからといって「自分の心の病に対して何も力がないなら、密教なんて仏教なんて役立たず」と思うのはとても寂しいこと。

 チベット人は密教修業までいっていない、普通の一般人でも、敬虔な仏教徒ほど心は安定している。チベット難民でももっとも地獄をみた第一世代に心の病が少ないことが、仏教の力をよく物語っている。

 魔法の一言、魔法の一撫でで、状況が一変するようなことはないけど、まずできる前行からはじめたら、今の状況を変えていく一歩にはなる。実際自分も本当に毎年ちょっとずつ何かが変わっていくみたいなカンジでやってきて、十年前と比べるとずいぶん変わっていることに気づくみたいなカンジだし。

23日の灌頂について、本体儀式の解説はヒ・ミ・ツなので、前行の部分のミスターの説法を以下に公開。

お釈迦様は法を盲信するのではなく、論理によって分析して納得しなさいといった。こういう宗教は他にないのではないか。
今、みなが唱えた般若心経は大乗仏教の心髄だ。この般若心経が日本に伝わっており、みなが唱える習慣があるだけでもすばらしい。しかし、その内容を理解するともっとよいだろう。

今からあなた方は長寿の灌頂を授かる。その動機がただ「自分が長生きしたいから、健康になりたいから」というのではいけない。ろくでもない人生が長くても仕方ない。灌頂を受けるための動機とは「仏法を学び実践するために、長寿と健康を得よう」と思う事である。

悪いことばかりする人が長い人生を生きると、悪いことをたくさんしてしまうのでよくない。ネパールに動物をたくさん殺す人がいて、その人が短命であるように祈ったという話しがあるが、それはその罪深い人が長く生きれば生きるほど悪行を積んでしまうからである。悪いことする人が長寿と健康を得ても仕方ない。だから正しい法を求めるために長寿を得ようという動機をもってこの灌頂を受けねばならない。

そして、金剛阿闍梨(密教の先生)に「灌頂を授けて下さい」とマンダラを捧げてお願いするのだ。

 マンダラを奉献する際には自分の財産、善行、などすべてのよいもの、それから自分のものでなくとも、たとえば昨日東京の夜景がとても美しいと感動したが、その感動でもいい、自分のもっているもっともよいものをマンダラの形に観想して阿闍梨に捧げるのだ。

 そして、輪廻の中で動物や地獄に生まれず、人の体(人身)を得たことを感謝する。
 そして、仏法にこうして出会えた事を感謝する。
 そして、阿闍梨にであえたことに感謝する。
 さらに、仏法の理解力がるあことを感謝する。
 
我々の生きるこの贍部州(世界)はいつ死が訪れるかわからない世界。だから、仏法の実践をはじめることを「明日」にまわしてはいけない。

 こんな話しがある。ある人がお金を借り「明日返す」といった。しかし次の日になっても返さないので催促すると「明日返す」という。しかし、いつになっても返さないので、とうとう役所に訴えると、その法廷の席でまたこの男「明日返す」といったので、差し戻しになったとな。「明日~する」というのは結局やらないことと同じ。
仏法の実践は「明日」にまわしてはいけない。今すぐにやらねばならない。

 命あるものは死ねば善趣(天・人・阿修羅)か悪趣(地獄・餓鬼・畜生)に生まれ変わるが、輪廻の中にいる限り生は苦しい。だからこの輪廻から脱出(解脱)したくなるが、すべての命あるものは無限回の輪廻転生の中で、母であったことがある。お母さんをほったらかして輪廻からでるわけにいかない。

 人は自分の好きな人、嫌いな人をわけて偏った感情を持つが、そんなことは意味はない。
こんな話しがある。

ある女が赤子を抱いて、家の裏手にある池からつった魚を食べていた。そして、近づいてくる犬を石を持って追っていた。それをみていたラマが
「ああ、あさましいことよ。あの女が食べている魚は前世の彼女の父だ。彼女が追い払っている犬は彼女の前世の母だ。そして、彼女が慈しんでいる赤子は前世に彼女を殺した男だ」

 とかくも輪廻はお笑いぐさなのである。だから、一切の命あるものをかつての自分の母として慈しまねばならない。しかし、一切の命あるものを慈しむにはこの自分さえちゃんとできない凡夫の身ではどうにもらない、そこで一切の命あるものを救うことのできる仏になろうと決心するのだ(発心)。

 菩薩戒をとる時は、左膝をついて合掌して、とても美しい姿勢になる。この時の阿闍梨のお言葉。

懺悔は三人で間違って毒のあるものを食べていて、一人が死に、一人が死にかけていて、三人目が自分だったら、何をおいてもその毒をはきだそうとするだろう。その勢いで今まで犯した罪をはき出して二度と食べないと誓う。
 そして随喜とは、人のした良いことをほめること。
 自分より偉い人をほめるのは簡単だろうが、自分と同等、もしくは目下をほめる功徳はさらに大きい。これは嫉妬と慢心を押さえてくれる。多くのマチガイは嫉妬と慢心から起きるので、これを押さえるのはいいことだ。

 菩薩戒をはじめて受けた人、すでに受けたけどほってあった人、毎日まもっていた人、それぞれに功徳がある。

そして、灌頂がさずけられ、最後に今行ったこの善行を他人にまわす回向の儀式が行われる。

この時、自分のつんだ前行を以下のように他の人々にまわしなさい。

(1) 仏法が存続しますように
(2) ダライ・ラマをはじめとする高僧たちが元気でいますように
(3) 戦争などで苦しんでいる人が苦しまなくて住むようになりますように
(4) 命あるものが仏の位をえるように

 人格を変える力をもつのは仏法だけである。権力や金の力では人格を変えることはできない。かくも仏教は素晴らしいけど、他宗教を非難するのはいかん。なぜならその宗教で救われ・善行をしている人がいるからである。みな日本の仏教の存続のためにがんばりなさい(チベット仏教を護れといわないところがすごい)。

 なんかジョン・レノンのハッピークリスマス~あなたがのぞめば戦争は終わる~が流れてきたラストであった(この曲はここでどうぞhttp://www.youtube.com/watch?v=s8jw-ifqwkM)。

 このあと、元ゼミ生四人が来ていたので、灌頂の解説をすべくカフェにはいる。千年かわらぬ仏教儀礼が彼らにちゃんと理解できたかはわからんが、何らかの形では心の片隅にのこるだろう。話しが終わる頃に日が完全に沈み、カフェからみる外の景色はクリスマス・イルミ一色になった。

 それを見ているうちに、どんなに長い時がながれてもこの瞬間を思い出すのじゃないかな、と思える不思議な気持ちになった。あるいはずっと前にもこれと似たことがあったのではないか、みたいなかんじ。

そこで、こういった。

私「これで我々も金剛兄弟だ。戒によると、金剛阿闍梨の悪口と金剛兄弟の悪口は禁止されている。従ってこれから、先生の悪口は言わないように」

学生たち「じゃあ先生もぼくたちとのことを悪く言わないで下さいね」

私「くっ・・・」

金剛兄弟の道は険しい。

※ 灌頂の最後に突然のご指名で話しをさせられることになり、東京で無上ヨーガが行われるのは始めてと申しましたが、ポタラカレッジでナムゲル僧院などの阿闍梨様がお見えになって灌頂を行われていたとのこと。ここに訂正します。

※この他阿闍梨様の冗談はこのサイトのトップ、その日の院生Mのオワライ発言はツイッターで公開しています。 
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COMMENT

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Hisano | URL | 2011/01/06(木) 16:03 [EDIT]
アップして下さってどうもありがとうございます。
大変シンプルで丁寧な灌頂で参加させて頂けて良かったです。
先生が以前のブログで書かれていらしたように軽妙なお話もとてもお上手な方でしたが、軽妙さの中にとても厳しい事をおっしゃっておられ、笑った後で身が引き締まる思いがしました。

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