白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
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DATE: 2011/02/27(日)   CATEGORY: 未分類
辛亥革命百年
  今年は中華民国暦100年、つまり辛亥革命から100年。
 今年はやはり臺灣でしょ、ということで、卒業旅行は臺灣へ。
 初日は台北の発祥の地、万華地区の龍山寺からはじめる。

 臺灣といえば中国共産党に追われて大陸から移り住んだ国民党の国と思う人が多いだろうが、そんな単純なもんでない。万華(ばんか)の語源が臺灣の先住民ケダガラン族のつかう丸木舟「モンガ」にあることが示しているように、臺灣はじつはついこの間までケダガラン族のようなマライポリネシア系の人々が住んでいた。
chusei

 しかし、300年間続いた、とくに1949年以後の漢人の大量移民の結果(日本の統治期もあった)、いまやケダガラン族はどこかにいっちゃって、その文化がどんなもんかもわからなくなっちゃった。おとろしや。

 で、このようなマライポリネシアの先住民や、初期の大陸からの移民「内省人」、1949年以後大量移住してきた中国人である「外省人」をはじめとし、中国共産党の圧政を逃れて逃げてきた、ロシア人、チベット人、満洲人、仏教僧などの様々なグループが台湾には存在する。

 そこで、せっかく台湾きたので、院生Mの手引きで国民党とともに台湾に亡命したチベット僧たちの旧跡をめぐることとする(ちなみに、近代中国で活躍したチベット僧については、コロンビア大学のGrey Tuttle著Tibetan Buddhism in the making of modern Chinaが詳しいよ)。

 不思議な話なのだが、まだ院生Mがチベットを研究しようなんて微塵も思っていなかったバックパッカーとしてふらふらしていた19の時(今でもフラフラしているか)台湾で定宿にしてい台北ホステルの真横に、善導寺なるビル寺があった。

 彼がチベットに興味をもった後に、この寺には昔中国仏教会があり、台湾に亡命したチャンキャ・フトクト(歴代転生者が清朝皇帝の師僧をつとめていた)が国民党を施主にして法要したりしていたことを知った。そこで面白くなった彼は台湾とチャンキャの旧跡とかを歩きまわっていたおかげで、今回、ヒジョーに効率よく台北のチベットめぐりができた。

ありがとう、院生M。
 
 まず、歴代の転生者が康煕帝や乾隆帝といった清朝皇帝に仕えたチャンキャ=フトクト(lcang skya > 章嘉)が蒋介石のために法要を開催した善導寺にいく。チャンキャは臺灣にきてまもなく入寂したが、カンギュルワ=フトクト(bka' 'gyur ba > 甘珠爾)などはもう少し長生きして日本本土にも来ている。しかし、夜だったので善導寺はまっくら。大きな寺なのに修行僧一人いないのか。

 翌日午前は故宮博物院にもいくが、全部見ている時間なんてないので中華文明の遺産をガン無視して、ダライラマ五世に時代の宝石マンダラや、ダライラマ三世と四世の手元にあった金剛杵と金剛鈴とか、チベット大蔵経(龍蔵)の期間展示を見る。

 そして、午後は北投にあるチベットゆかりの地をまわる。まず、カンギュルワ・フトクトが滞在していたという普済寺にいく。この寺、どっからみても日本の寺。もとは真言宗だったという。院生Mによると、日本人がでていった後、ぬけがらになった日本寺に、大陸からきた僧侶たちがすっぽりおさまったのではないかという。寺を護るおばさんはカンギュルワを生きているうちに見たことがあるという。

 次に、学生たちを台北の熱海、北投温泉につけこんで、Mと私は北投郊外にある中和禅寺にあるチャンキャの遺骸を納めたチベット仏塔にいく。チャンキャは台湾にきてまもなく台湾医院で入寂し、この山の中にあるチベット式仏塔に納められた。仏塔には一人のおじさんがいて、掃除をしたり、香華をたむけたりしていた。彼によると奇しくも今年はチャンキャが入寂して55年で、来週法要だという。
lcangkya


 このおじさん、私たちがチャンキャに詳しいとみるや、いろいろ親切にしてくれ、チャンキャのプロマイドをくれたりして、果ては、写真を撮りたいというわたしたちのために、ベストショットがとれるように脚立まで準備してくれた。

 せっかくなので、私はチャンキャのブロマイドを掲げ、院生Mは故宮でかったカタログの表紙の乾隆帝を掲げ「施主と応供」というベタな記念撮影をする(チャンキャ三世と乾隆帝は歴史的に有名な施主と応供僧)。で、チャンキャの仏塔を七回マントラ唱えてコルラしながら、そういえば、去年は乾隆帝のお墓の上をこうしてマントラ唱えてコルラしたなと思いだす。

 さらに、三日目は清朝の皇族クンガ老人のミイラを本尊にまつる永花寺にいく。院生Mによると、クンガ老人は太虚法師の命でカムにいってリメーのチベット佛教を学んで台湾にもどり、その教えを伝えたため、台湾のチベット佛教は今もリメーが強いのだという。カルマパ17(ウルケゲンテインレー)世のプロマイドがおいてあったのでありがたく頂戴する。

 永花寺で理藩院の後継組織、蒙蔵委員会の住所を聞いたので、次は蒙蔵委員会にいく。現代の理藩院は奇しくもチャンキャが生を終えた台湾医院隣のビルの四階にあり、近代的な組織になっていた。蔵事部にはインド出身のチベットの方もいたりして、いいカンジである(何が)。で、その足で財団法人仏教教育基金にいく。ここは先にもいったように、佛教の普及のための機関で、仏典を印刷して無料で配布している。

 院生Mが、入り口のところで警備のおじさんに呼び止められ「三階の図書館にいきまーす」とか答えているが、二階の無料本の倉庫につれていかれる。

 院生M「ほとんど漢文の経典なんですが、チベット語の経典もあるんですよ」と院生Mが指さす先にはたしかに棚三つ分くらい、チベット語の本がおいてある。みると、これがデプン大僧院の歴史だったり、サムエ大僧院の目録であったり、タルマリンチェンの論理学書であったり、なかなかつかえる。中共支配下の本土チベットだったら一冊ン千円とられるような本が無料でどかどか置いてある。

 私がほいほい棚から本をとって積み上げていくと、あきれた院生Mが「先生、午後から九分(観光地)いくのに、それもっていくんですか」というので

 私「郵便局から日本へ送るから大丈夫」

 そして、辞去する際にタダだから本をたくさんもっていく恥ずかしい人と思われているような気がして、小さい声で「ありがとうございまーす」といって出て行こうとすると、そこにいた女性に呼び止められる。
 
やっぱ欲張りすぎ?と、ビクっと立ち止まると、その女性、「手にもつのは大変だろう」と、ダンボール箱をくれた。

 すばらしすぎるぜ台湾。

 台湾のお寺にいくと、このように無料でお経や仏様のご真影がおいてあるコーナーがある。また、台湾はテレビのチャンネルが百以上あり、そのうち六つくらいで常時どこかのお坊さんが佛教を説いている。
 
 本土中国は共産党が佛教を徹底的にぶちこわし、現在も徹底的に管理しているため、出家僧の修行も在家の信仰もどこか殺伐としたものになっているが、台湾には昔ながらの漢人の信心の伝統が残っている。

 台北の中心部に残る歴史的建造物や、市場をみると、そこには日本の戦中・戦後直後の古い姿がそこはかとなく残っていて、何か懐かしいような、すすけた悪い夢をみているような気持ちになる。台湾人のこの佛教に対する在家と出家の真摯な姿勢を見ていても、何か戦後日本人が失った信仰心みたいなものを感じた。日本はいろいろなものを敗戦ともに捨ててきたんだな。

 そして、かの台北ホステル横、元浄土真宗の寺、善導寺にいく。院生Mは台北ホステルに長く何度も滞在していたにものの、門前払いをくらわされ続け、本堂内部に入ったことはなかったいう。しかし、今回はたまたま翌日の行事を控えて本堂が開いていたのでずいずい入る。チャンキャがいた頃とは建物も組織も変わっているが、かつてチャンキャが立っていた同じ場所にたつ感慨は深い。中身のチベット関連のものは高雄にうつって今はないそうな。
 
 以上の台北チベットめぐりは他の学生たちを野放し、もとい自由時間にして行ったが、学生たちと行動する時は、台湾史をできるだけ体感できる場所をまわった。蒋介石の巨像をまつる台北の天安門、中正紀念堂、日本総督府の建物をそのまま使っている総統府、今は博物館になっている旧NHKなどをまわり、要所で専門じゃないけど台湾の近代史を説いた。

 院生Mは食事の場所にまで気を配ってくれ、ミャンマーから独裁をきらって逃げてきたミャンマー華僑によるミャンマー街、台北駅近くの亡命ロシア人がたてたロシア料理屋アトスリア、日本語をしゃべる内省人おばあさんが日本家屋で経営する中正祈念堂近くの杭州小籠包、国父記念館近くの新疆のムスリムの老舗「清真中国牛肉館」、などに学生たちをつれていってくれる。しかし、せっかくの歴史の生き証人を前にしても、一部を除いてほとんどの学生は食事とショッピングとマッサージにうつつをぬかし興味をもたない。子供だから仕方ないか。

 そして、一泊地方という時には、228事件を描いた映画「悲情城市」のロケ地にして、千と千尋の神隠しの世界観のモデルとなったといわれる九份にいく。
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 ここは日本統治時代に金鉱として栄えた町で、金が掘り尽くされた跡、急速に衰退していたが、千と千尋と悲情で観光都市としてよみがえったものである。

 で、今回のメインイベントは二つ。

(1)革命百周年なので、蒋介石を顕彰する中正紀念堂の階段下では、孫文先生のご遺言

 「革命尚未成功」(革命いまだならず)

を一文字ずつA4にうちだしたのを学生にもたせて記念撮影した。そしたら我々をみて爆笑するアジア系の観光客がいたので、私が「we are Japanese」といったら、彼らは「我々は香港だ」といって、「革命尚未成功」を貸してくれというので、彼らに貸してあげたら彼らもゲラゲラ笑いながら写真をとってぃた。

 真実は民族と国をこえて共感をよぶね。

 (2) 九分では有名な旧正月の天灯とばしをやる。

提灯に私は、「Free Tibet」「Long Live Dalai Lama」「世界平和」と大書したが、その周囲に学生たちが、巨人のスタメンとか、煩悩とかを書き込むので、なんか意味不明な提灯となった。

 しかし、その提灯は他のどの提灯よりも高速に空にあがった。これはとても縁起良い。学生の煩悩はどうでもいいが、Free Tibetとダライラマのご長寿だけは速やかに実現してほしい。

 大学生だから自分の身は自分で守れるし、自分たちで遊んでくれるので楽だが、常時一緒にいると一部の男子学生の幼さが鼻につき、最後はへとへとに疲れた。世の親御さんのご苦労が忍ばれた。

 まあ、調査がとどこおりなく進み、学生に死人怪我人病人がでなかったので贅沢いわずこれでよしとしよう。
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COMMENT

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● お疲れ様でした!
ケロリンとおの | URL | 2011/02/28(月) 13:35 [EDIT]
先生、お疲れ様でした。
私たちは普通に(子供並?)花博と北投温泉を楽しんできました。
普通でないのが、地方を走るSLにわざわざ乗りに行ったこと。この日だけは引率する教師の気分(!)でした。

シラユキ | URL | 2011/03/04(金) 15:35 [EDIT]
>ケロリンさん
台湾って何か昭和の香がしますよね。そいで、本土中国よりずっと人間が穏やかで、多種多様なグループが平和に共存している。なかなかいいところでした。私は調査をしていて温泉につからなかったので、うらやましいです。

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