白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/05/25(水)   CATEGORY: 未分類
チベット・モンゴル学の東西格差
先週の金曜日の午前、ドイツの有名なモンゴル文献学者ザガスターが東方学会にきhttp://blog51.fc2.com/control.php?mode=editor&process=load&eno=550#て、ヨーロッパのモンゴル学の話をした。

 モンゴル文献学の昨今の業績について触れた後、今後のモンゴル学の展望を述べたのだが、それが興味深かったのでちょっとここにメモっておきたくなった。彼によると、アメリカでもヨーロッパでも、そしてドイツでもモンゴル学が消滅しかかっているという。

 以下青字の部分は、ザガスター師の英文レジュメをテキトーに訳したものです。文中にでてくる学者の名前はモンゴル学者なら誰でも知っている有名な人です。

文語モンゴル語史料の研究には語学、文献学、歴史・文学・宗教・社会に対する知識が必要である。最近にいたるまで、ヨーロッパとアメリカの大学にはこれらの要求にこたえる教育が提供できていた。いわゆる「小さな分野」の状況が許す限りの、一名か二名の先生くらいはいた。しかし不幸なことにこの数十年に状況は変った。古典モンゴル学を提供する大学の数が、アメリカと同様ヨーロッパでも激減したのだ。

 私の知る限りでは、ニコラス・ポッペと岡田英弘をうんだバークレーにあるカリフォルニア大学にはもうモンゴル学者はいない。また、ハーバード大学もクリーブスの伝統は絶えた。ヨーロッパではボーデンが教鞭を執ったロンドン大学がモンゴル学を廃した。
幸いなことにケンブリッジ大学では人類学の範疇でモンゴル学者は存続している。パリも状況は同じだ。・・・(以下東欧・北欧は少しましという話し)・・・

 ドイツではモンゴル学はもう地盤を失った。かつて我々はベルリンとボンの二カ所にモンゴル学のポストをもっていた。ボンの座はモンゴル学とチベット学を合体させた中央アジア学と呼ばれており、このポストはモンゴル学者のウォルター・ハイシッヒがしめていた。彼の引退後、それでもモンゴルを教える四人の教授がいた。ハイシッヒの後継者である私もモンゴルとチベットを教えてきた。

 しかし、私が引退したあとは、チベット学者がついだ。チベットとモンゴルの両分野を扱える学者をみつけられなかったのだ。四人の教授のうちの最後の一人、ヴェロニカ・ヴァイトが引退した後モンゴル学が消滅する危険がある。幸いなことに、モンゴルの学の教授の新しい枠が認められたが、五年の期限付きであった。五年後に何がおきるかは天のみぞ知る(天とはモンゴル人が権威の根源とする崇拝の対象。だから、西洋人でいうところの神のみぞ知るという意味 笑)。

 中央アジア研究所は新しく設立された東洋アジア学研究所に統合された。かつての中央アジア研究所は今は「モンゴル・チベット学部」と名前を変えた。・・・・

 つまり、モンゴル学者をしっかり訓練することのできる保障はもはやどこにもなくなってしまったのである。これは文語史料の研究全般における危機でもある。

 語学・文献学・歴史・文学などのきちんとした教育はもはや別の理由から困難となっている。少なくともヨーロッパでは。何年か前に導入された、ヨーロッパの大半の国に適用されるいわゆる「ボローニャ・プロセス」により、大学教育の構造は基礎から変わった。
私はこのプロセスの長所と短所について論じるつもりはない。みんなも興味がないだろうし、私は引退した人間であり、この改革と戦う痛みから逃げることができたゆえによく知らないということもある。しかし、重要な点を言えば、基礎研究コースの短縮と構造上の変革が東洋學とこのモンゴル学の分野における教育を阻んでいるということである。・・・


つまり、モンゴル学は欧米でひん死の状態で、しかしなにげにチベット学はがんばっている。で、師はこのあと、例の新制度によると、時間をかけないと身につかない学問、とくに「古典」が軽視され、「実学」が重視されている結果「現代」を研究する学問にお金が落ちているとのこと。たぶん西洋文献学は生き延びるけど、東洋文献学はまあ厳しいだろう、とのこと。

 そいえばシンガポールでであった例の現代中国政治の研究者も、中国が台頭してくれたおかげで、教職を得ることができた、といってたっけ。彼は見事に現代中国政治の研究者である。

 実は、アメリカに関して言えば、チベット学はチョー栄えている。ハーバートにもコロンビアなどの名門大学のあそこにもここにもわんさかチベットの仏教学者がいる。仏教学に比べると数はへるけど歴史学者もまあいる。人類学者もわんさかいる。だから、モンゴル学もそこそこがんばっているかなーと思っていたら、そうでなかったことが意外だった。

 ケッサクなのが、日本ではこの状況が全部逆であること。

 日本は、かつて大陸に進出しようとしていた黒歴史のせいかどうか知らないけど、モンゴル学は非常に盛んである。先生がいれば生徒は育つから、日本にはたくさんのモンゴル学の学者がいる。かくいう私の師匠もモンゴル学者である。

 一方、純粋チベット学者の数は本当に少ない。
 チベット文献を用いるのはインド仏教研究のついでだったりして、チベット仏教本体の研究者はほとんどいない。ダライラマの本は一般には売れているけど、その一般の興味に比して、アカデミックな世界におけるプレザンスは無に等しい。山のようにある日本の仏教大学で、じゃあ何を教えているかというと、まずその大学を設立した宗派の教学が重視され、次に日本仏教全般が続く。チベット仏教なんてかすりもしない。

 講座がないということはチベットを教える先生がいないのだから、生徒が沸いてくることもない。

 私が今いるポジションもプロのチベット学者を育てられる環境ではない。 日本のチベット学者はみなチベットとは関係ない部署で就職し、チベット学については手弁当でほそぼそと勉強会やって文献購読したり、果てはチベットのお坊さんに直接ついて文献を読む手ほどきを受けたりして何とかしのいでいるのである。

 つまり、チベット学を志す者は、日本ではたどる道もなく、教えてくれる師もなく、講座なんてさらになく、切磋琢磨する学友もなく、孤独な環境の中で研究をしているのだ。だから、モンゴルが「講座がなくなった」なんて嘆いている時点でゼータクにしか見えない。

 さらに言えば、モンゴル文献学といっても、モンゴル人は遊牧民であるため文字史料には極めて乏しい。一方、チベット語には膨大な文字史料が仏教・歴史・文学のジャンルに残っている。また、チベットの文化は満洲人・モンゴル人に直輸入されてその精神世界の一部を構成しているため、モンゴルや満洲の文化を知るためにもチベット仏教の教養は必須である。

 にもかかわらず、日本には満洲史、モンゴル史はあってもチベット史の講座なんてありゃーしない。モンゴルや満洲をやる人がチベット文化を身につけるという例もほとんどない。

 私の目から見ると、日本では研究すべき文字史料の極小にひしてモンゴル研究者の数は大杉。一方、チベット語の文献は某大なのに、研究者は少なすぎ。日本のバランスは悪すぎる。

 日本の東洋學の状況がかくもバランスが悪いのは、モンゴルや満洲がかつて支配の対象として研究対象とされた時代があったのに比し、チベットの歴史や仏教は日本の歴史にかかわる程度が比較的少なかったからである。つまり、現在の研究者の数の偏りは過去の惰性にすぎない。

 欧米は東洋の精神文明をいいとこどりして効率よく東洋学を構成できたため、チベット学は正当な評価を受けてきた。日本もジャンルの重要度を鑑みて、アカデミズムの世界でもチベットに対し正当な扱いをしてもらいたいなあ。
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