白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/06/26(日)   CATEGORY: 未分類
ソローの名言
 最近、優秀で、まじめで、性格もよく、容姿も人並みかそれ以上な学生が、おしなべて暗い。自分に自信がもてず、鬱々として、始める前からもう「勝てる気がしない」みたいな表情をして全般に無気力であるなんてことが多い。

 複数の学生がこう言うのを聞いた。

 「自分たちは生まれた時にはすでに日本は景気後退期に入っており、幼少のみぎりには阪神大震災で、大學に入ったらリーマンショック、そしてあまつさえ今年は東日本大震災まできて未曾有の就職難。自分たちの世代はそれ以前の世代にくらべて割をくっている。
 昔は才能があろうがなかろうが時代の波にのって誰でも社長になれたが、自分たちの時代は才能があっても不景気でチャンスがこない」

 また、ある青年も「こんな世界を作っておいて、このような事態になるとオトナは『若者に期待する』とかいうが、無責任。若者がそこに至ることができるように、大人は具体的にサポートせよ」みたいな、ことを言い出す。

 これら若者の主張からは、若さゆえのパワーも、きらめきも、さわやかさも、そして愚かさも、なにも感じられない。むしろ、人生にゆきづまったオッサンの加齢臭がする(笑)。そしてなぜか若者は「昭和」を『オールウェイズ三丁目の夕日』に描かれていたような、貧しいけど、互いが互いを思いやり合い、未来への希望に満ちた時代のように思っている。

 おそらくは大人の皆様方は、先ほどの若者の主張に対して、青筋たててこうおっしゃることだろう。

 「何でもかんでも回りのせいにするんじゃない。我々は米ソ中の大気中水爆実験で今よりもっと高い放射能をあびまくり、河川も海もヘドロでどろどろ、残留農薬食品食べまくり、排ガス規制もなく、禁煙車もなく、女性専用車もなく、石油ショック、ジャパンバッシング、円高不況の最中も身を粉にして働き続けた(バブルは棚上げ 笑)。社会にはあらゆる差別が当然のことのように蔓延していた。なにが楽園だ、甘えてんじゃねえ」と。

 しかし、新旧の世代間で「へたれ!」「上から目線!」と言い合っていても仕方ない。まあ、かつての人々には、貧しさ、過酷な自然、とか、差別とか、階級格差とか、戦うべき不条理があった。人はそれを乗り越える過程で、智慧をしぼってテクノロジーを発展させ、他人と協調するすべを身につけ、精神的にもタフになり、自然と大人になっていった(一部なれないまま社会のお荷物になっている年だけオトナもいるけど)。

 しかし、今の子供たちは生まれた頃からすべてを手にしている。彼らは生来、平等、平和、共生、などの反論をゆるさない正義の産湯につかり、ものわかりの良い親、しからない先生などに囲まれて育つため、基本苦労を知らない。うたれ弱い。

 そして、頭のいい子は、早くから周囲に因縁を付けるべき対象がないことに気づき、本当の問題は「正義を実行できない自分の無力」「自分の未熟」であることに気づく。すると、失敗に対して極端に臆病となり、失敗とも言えないような躓きで心が折れてしまう。

 一方、もう少し未熟な子は、自分が理想を実現できないことを天災・人災・時代のせいにして、自分の欠点の直視を避ける。でもいずれの場合も、問題の根本的解決にはなってないため、そこからは成長も発展も生まれてこない。

 適度の不幸・不条理は(適度の基準はその人の耐性によっって大きくも小さくもなる 笑)、かえって生長を促す。しかし、今の子は、そういうものが何もないぬるま湯の中で育つから、頭はでっかち、肉体は快楽追求という、外見的には怠惰で無気力な悩める個体となる。今時の精密機器と同じく、多機能で精巧だが簡単に壊れるので、ソユーズのように単機能で頑丈なオッサンたちには理解不能。

 かくして、院生Mが嬉しげに「今はシンガポール人の方が国民一人頭がGNP稼いでるんですよー」ということになる。そりゃそうだろう、現にあんたも働いてないしな。

 このような悩める若者たちに福音となるのは、当たり前のことである。
 「無力な自分」を克服するためには「あるべき自分」を実現することである。「あるべき自分」とは、自他に恥じない普遍的な人格である。
 一方、それを実現するためには、能力が必要である。なので、子供はまずはスキル(ワザ)を身につけるために、そのワザを保持する世間と交わり、失敗や成功を繰り返す中で、時間をかけてそのワザを身につけ、それに伴って自分を成長させていかねばならない。

 これについて19世紀のアメリカの思想家ディビッド・ソローは『森の生活』の結びの中で、このような美しい文章を書いている。

われわれアメリカ人、つまり現代人は、古代人、いやエリザベス朝の人々と比較しても知的に子供である。だからどうだというのだ?・・・自分が子供であるという理由で、自分で首をつって死んでしまえば、なれる可能性があったかもしれない、最も立派な子供になることもできなくなると思わないか?
 どんな人間にも自分に与えられた仕事がある。己が人間としての人格を身につける努力をしようではないか。

 なぜ、そんなに死にもの狂いになって成功を急ぎ、死にもの狂いになって事業に成功したいのか? ・・

 クールーの町に一人の工匠がいて、完璧な仕事を目指して努力していた。ある日のこと、杖を作ることを思い立った。不完全な仕事をするなら時間が気になるが、完璧な仕事をしよう七思えば、時間など気にする事はない、と彼は考えていたので、自分の生涯で他に何も作ることがないとしても、この杖だけは、あらゆる点で完璧なものに仕上げよう、と自分に言い聞かせた。

 不適当な素材で作るべきでけないと決心して、早速、材料の木を求めて森林に 入り、一本ずつ木を吟味しては捨てていくと、一緒にいた友人たちは徐々に彼を見捨てていった。というのは、友人たちが森で仕事中に年を取って死んで行ったからである。

 ところが彼は瞬時たりとも年を取ることはなかったからだ。この工匠が一心不乱に仕事をし、そして、彼の気高い敬虔さのゆえに、知らず識らず、永遠の青春が彼に与えられた。彼は(時間》と妥協しなかったので、《時間》の方が遠慮し、離れた所から溜息をもらした。

・・・〔そしてこの職人は永劫の時をかけて一つの美しい細工の杖をつくる〕・・・彼が杖の石突きと頭部に宝石で飾りを付ける時までに、ブラフマンは何度も目を覚したり、微睡を繰り返していた。ところで、最後の仕上の一彫りを完了した時、その作品は突然、驚ろきうろたえる工匠の眼前で膨張し、ブラフマンが創造したあらゆる作品の中で、最も素晴らしい作品となった。こうして、彼は杖を作るうえで、新しい体系、完全で、見事な均整をもつ世界を作り出したのである。古い都も、王朝もすでに消滅していたけれども、それ以上に栄光に輝く都と王朝がこの場所に取って代わっていたのだった。

・・・われわれが物事のひょうめんだけをうまく繕っても、結局、真実に値するほど役立つものではない。永続するのは、ただ真実だけである。
 

 今の若者は数々の問題を解決した時代に育っているため、飢えないためとか、お金儲けのため、名誉のためなどの、表層的な動機から仕事を選んでも、「望む成功を手に入れましたが、結果、思ったように幸せでありませんでした」などというオチがつくことをちゃんと分かっている。

 しかし、時間を忘れるほど没頭できるような仕事を手に入れるのは難しいことである。なぜなら、そのような境地になるためには仕事をする主体に、気高い動機と、謙虚さと、勤勉さと、根気が要求されるからである。

 このような美徳は今の若者にはもっとも欠けているものだから、こっからが悲劇である。若者はいろいろ手を出しては、結果がでないとみると、「~をやらない理由」「~をやめる理由」ばかりを考え始め、途中で投げ出す。しかし、そのような繰り返しの人生からは、真の意味の満足感も幸福感も得られることはない。

天職とは選ぶものではなく、天から授かるものなのである。
 自分で選んだり、投げ出したりできると考えることがそもそもおこがましい。
 より高いものと自らをシンクロさせつつ、己をむなしうして、まず目の前の小さなことに、取り組んでみる。
 それを毎日続けているウチに、気がつくと、かつて、手が届かないと思っていたあるべき自分の姿が自然と手の届くものとなっていく。
  従って重要なのは、できることを今日から始めること、そして続けることなのである。
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COMMENT

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eri | URL | 2011/06/28(火) 23:23 [EDIT]
パソコンから離れない大学4年の、まだ目標の定まっていない息子に読ませます。

Hisano | URL | 2011/06/30(木) 17:08 [EDIT]
仕事は、地味な事の積み重ねが9割以上だと思います。

| URL | 2011/07/01(金) 14:09 [EDIT]
石濱センセイ、すてきっ!

良案 | URL | 2011/07/01(金) 23:23 [EDIT]
このような精神を自家薬籠中にしたいです。

シラユキ | URL | 2011/07/02(土) 12:21 [EDIT]
>eriさん
愛をもって、導いてあげてください。

>Hisanoさん
私の場合は研究なのですが、ほんと地味な努力の積み上げの果てに、最後の一瞬にきらめきを得るってかんじです。

>どなたさん
ありがとうございます。


>良案さん
僧院にいるチベットの御坊さんがおおむね明るいのはそういう精神をもっているからでしょうか。

mimaco | URL | 2011/07/04(月) 14:12 [EDIT]
ちょっと観点違うかも知れないですけど…、仕事の貴賎や優劣を言う人って、その人自身たいして何もできないことが多いように思います。
>手を出しては、結果がでないとみると、「~をやらない理由」「~をやめる理由」ばかりを考え始め、途中で投げ出す。
こういうタイプの人からよく「あんな(小さな)仕事には自分がやるべき内容は見出せない」みたいな話を聞きますが、そんな飛び級的に大きな仕事がこなせるなんてことあまりないですよね。
まだ自分が学生の頃、ある学会開催のお手伝いをしたことがあります。(失礼ながら)よれっとした人のよさそうなご高齢の方がみえ、帰り際に受付をしていた私たち一人ひとりに深々とお礼をして行かれました。私はもの知らずな学生でしたので物好きなおじいさんかな~ぐらいにしか思わなかったのですが、そのご老人は当時某有名大学の名誉教授をしておられた方で、その学会の重鎮でいらっしゃいました。
素晴らしい功績を残す方って、地道な積み重ねの大切さを知っているからこそ、偉そうなそぶりってないんだな~と知った出来事です。

シラユキ | URL | 2011/07/07(木) 23:34 [EDIT]
>mimacoさん
まさに、同じことを私も感じています。自分が何もかも選択できると思っていて、だから最初から尊大。でも、尊大に構えている内は、何も外界から学べないんですよね。エライ人ほど謙虚であるというのはまさにそうです。そいえば自分エラソーとよく言われるので反省しなきゃ 笑

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