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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/07/16(土)   CATEGORY: 未分類
マニマニ森川さんの思い出
 16日の土曜日、マニマニの店長さん森川さんの追悼会が自由が丘の某イタリアンのお店で開かれた。参加者の大半は私の知らない方たちであったが、どなたもステキで、こういう方たちが回りに集まってくるという意味でも森川さんの遺徳がしのばれた。

 森川さんの最期の様子について知りたい方もいらっしゃると思うので、簡単にご報告いたします。最初に断っておきますが、森川さんには本当に近くで彼女を支えていたたくさんのお友達がいらっしゃって、私の以下のお話なぞは外野中の外野であることをお含み置き下さい。

 昨年、8/21 四年の学生が「話がある」というので自由が丘であう。聞けば、彼女子供がてきて、卒業前に子供が生まれるけれど、大学は休学しないで卒業したいという報告であった。

 まあ、おめでとうということで、そのあと、その子にマニマニを連れて行くと、森川さんが「話がある」という。聞けば「国島店長が重病で、入院中である、この猛暑で自分も体調が悪く、一人ではもう仕事がまわせなくなっている。バイトを雇いたいと思うが、こんな状態なのであまり多額のお給料も払えない」とのこと。

 私は癌で母親を亡くしているので、その時の森川さんの様子を一目みただけで、かなりまずいことが分かった。
癌は休養が第一なので、何とか力になれないかと、私のブログでチベットマニアに訴えかけてみた。もし誰も応じなかったら、自分がパートに出ようかと思っていた矢先、9月5日に森川さんからメールがあり、「すごい会社につとめていた、有能な方がバイトにきてくれた。チベットにも興味をもってくれていて、話も合う。これで心も体も少しはラクになった」との連絡があった。

 この時バイトにきてくれたFさんは、まさに守護天使のような方であった。
 イギリス帰り、仕事万能、滑舌良し。何より、精神的に強くて明るい。これ以後、1/17日にマニマニが閉店するまで、このFさんは次元の違うパワーで病で沈みがちな森川さんの心と体を支えてくれた。
 こういう方が彼女の回りにたくさんいることが、彼女の人徳なのだと思う。

 11月2日、ついに国島店長が逝去。森川さんはものすごくショックをうけてお通夜の席では支えられないと歩けないほどの状態だったという。Fさんはこの時まで彼女の真の病名を知らなかったのだが、「本当のことを言ってください」と問い、はじめて真の病名を知った。

 12月15日にゼミのクリパでくばるプレゼントをかいにマニマニ行く。どうも定休日であったらしいが、気づかずにずいずい入っていったら、森川さんは仲間達と福袋の製作中であった。彼女は、私に気づくといきなりだきついて泣き出した。国島店長がなくなり、お店のしまい支度をしなければいけない、何となく彼女の気持ちがよく分かった。

 病気の具合は見るからに進んでいて、そもそも閉店まで体が持つのか心配。
 遠回しにご家族について伺うと、実家は千葉にあり、お姉さんもお母さんも健在だという。なので、お店が閉店したら実家でゆっくりされてはどうかと勧めてみる。不思議なことに、この日、森川さんの病気をはじめて知った日にマニマニに連れてきていたあの妊娠中の学生が愛でたく身二つになった。生まれてくるもの、去りゆくもの、これはたぶん同じことなんだ。

 明けて、2011年。正月十五日に閉店するマニマニの最期にたちあうため、森川さんは酸素を連日、すいながら長年の顧客を接客し続けた。そして、マニマニは1月15日の最後の日を迎えた。Fさんが森川さんのところにきた時点では、柑橘類しか口に入らなくなっており、1月17日の森川さんの誕生日の日は、もう食べられるものがないので、ゼリーをプレゼントに贈ったという。

 マニマニの閉店して一ヶ月ちょっとたったチベット暦正月(3月5日)、森川さんとFさんと、二人のお友達とともに、自由が丘でチベット正月ランチ。この頃もう森川さんは、休み休みでないと歩けない状態であった。お友達二人のうち、一人は某新聞社におつとめのAさん、もう一人は輸入会社をやってらっしゃるEさんで二人ともとても聡明でステキな女性。

 そして、三月十一日の震災勃発。東京は電力不足に陥り、駅のエスカレーターは止まり、地下鉄を使って病院に通っていた森川さんは、階段をのぼることを強いられ、体力がつきていく。その後、彼女は近くのO病院に通いモルヒネをだしてもらうこととなる。

 5月23日になり、お姉様のところに森川さんより「今日どうしてもO病院に入院する」という電話があり、お姉様、入院手続きのために急遽上京。森川さんの愛猫プーちゃんは、プーちゃんの兄弟がひきとられたおうちに預けられることとなる(プーちゃんは現在もこのお宅で兄弟猫とともに元気にしています!)。しかし、程なくして病院での検査や処置をいやがるようになり、どうしても家に帰りたいというので、6月4日に病院近くの彼女の部屋に戻る。家に戻ったとたんに表情はとても穏やかなものに変わったという。

 翌6月5日 ご実家から、ご両親、叔母様、など多くの人がお見舞いに訪れる中、みなが集まるのを見届けたかのように、上半身を起こしたままで静かに逝去。直前まで、呼びかけると手を握り返すなどの反応があって、意識があることは確かであったという。

 今日、追悼会の席には森川さんの小さな分骨用の骨壺が置かれていた。この御骨はお友達の手によって、彼女がなくなる直前まで、「元気になったらブッダガヤにもう一度いく」といっていた、ブッダガヤに散骨されるという。

 この言葉からも分かるように、森川さんはなくなる直前まで自分がもうすぐ死ぬという意識がなく、本当に亡くなる直前にはじめて死を前提にした「国島店長のお母様にお世話になったのでよろしく」という言葉を口にされたという。私は目の前で母が衰弱していく過程を五年もかけて見ていたので、森川さんの場合も今、大体どのステージにあるかは分かったが、森川家は長命の家系なので、本人もご家族もまさかこんなに早く彼女がいってしまうとは思っていなかったようである。だから、まわりのお友達はみな気をもんで、「入院しようよ」「実家に戻ったら」と言い続けたが、彼女は自分に死に向かっているという意識がなかったため、まったくそのアドバイスを受け付けなかった。でも、彼女のこの最期を今日聞いて、彼女は行くべき時に行ったのだな、となんとなく思った。あのマニマニのあった自由が丘でマニマニのお友達のいるところで、彼女は生を終えたかったのだろう。

 プーちゃん愛し、チベットを愛し、マニマニを愛し、マニマニにくるたくさんのお客さんたち愛した。
 もうすぐ49日。森川さん、安らかにお休みください。
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COMMENT

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あくび母 | URL | 2011/07/17(日) 12:10 [EDIT]
昨年末こちらのブログでマニマニさんのことを知り閉店整理のためバーゲンをされていることを知りました。マニマニさんに電話でTシャツ、タンカをお願いしたところ、こころよく受けてくださいました。
 荷造りの手間も大変だったのでしょうけど、丁寧な梱包でした。 お任せで送っていたいたタンカはどれもすばらしく、額に入れてかざっています。
 応対して下さった、たぶんFさんに感謝、森川オーナーのご冥福を心から祈ります。 命のバトンを継いだ教え子さんの赤ちゃんに多くの幸が訪れることを祈念します。
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| | 2011/07/17(日) 14:31 [EDIT]
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| | 2011/07/18(月) 01:05 [EDIT]
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シラユキ | URL | 2011/07/23(土) 19:14 [EDIT]
>あくび母さん
 その節はありがとうございました。マニマニをネットショップでも続けようと最後まで奮闘してらっしゃいました。マニマニのタンカ、マニマニの思い出に大切にしてください。ありがとうございました。

>淵脇くん
大丈夫。相手の方は社会人で先輩で祝福されての結婚です。
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| | 2011/08/14(日) 23:28 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● マニマニ森川さんについて
えあじん | URL | 2011/08/28(日) 16:44 [EDIT]
初めまして。えあじんと申します。
マニマニ森川さんがお亡くなりになったことをいま知りました。
森川さんとは北京オリンピック時のフリーチベット運動が起きたとき、雪山獅子旗を買いに行ったおり知り合いました。
その後何回か『プー猫』名の彼女とメールのヤリトリしたのですが、昨秋くらいだったか店を訪ねると閉店していたので、それっきりとなっていました。
本日ふと「プー猫さんどうしてるだろう?」と思い『自由が丘 マニマニ』で検索したところ、その後の森川さんのことを知ったわけです。
個人的なことはまったく知らない方ですが、あの穏やかな話し方には惹かれていました。
いまとなってはご冥福をお祈りするしかありません。

  えあじん

嶺のシラユキ | URL | 2011/08/28(日) 21:47 [EDIT]
>mikomihoko
マニマニの閉店は本当に残念なことでした。

>えあじんさん
わたしも2008年フリチベTシャツとかを買いに行きました。マニマニへ。よくイベントでもお会いしました。あの空間がなくなってのは本当に寂しいです。
● こんにちわ
えあじん | URL | 2011/08/31(水) 17:54 [EDIT]
石濱さま
フリーチベット運動が全世界に吹き荒れたとき胡 錦濤主席が来日し早稲田大学で講演しました。その折りに雪山獅子旗を掲げたデモ隊が大挙押し掛け警官隊とやりあったのですが、そのとき!大学の窓から雪山獅子旗が翻っているのをテレビニュースで見て拍手しました・・・。なにか溜飲を下げたような気がして愉快でした。

アレって、、、、もしかすると、あなたの意思表示でしたか?

えあじん

| URL | 2011/08/31(水) 19:34 [EDIT]
>えあじんさん
私の研究室はドーナツビルのまん中なので、旗は表にむけてふれません(笑)。商学部だが、政経だかの先生がやったとのことでしたが、当時の記録がいま手元にないので正確な名前を思い出せません。

僧侶三宅 | URL | 2018/02/14(水) 21:34 [EDIT]
ありがとうございました。ご供養させて戴いてます。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2020/11/07(土) 21:26 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● 森川さんの思い出
シラユキ | URL | 2020/11/07(土) 23:03 [EDIT]
>僧侶三宅さま
ご供養してくださってありがとうございます。このマニマニの話は今までつながっている不思議な話があります。お時間のある折にでも以下のURlのお話しをご覧いただければと思います。

http://ishihama.tibetan-studies.net/okamenomori2/gallery-menu/refrain-of-soul/

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