白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/09/09(金)   CATEGORY: 未分類
漢文史料の取説
 昨日・今日と、謎の着信があると思ったら海外にいる院生からの電話であった。

 彼は夏休みを利用してインドの某僧院に灌頂を受けにいったが、現地についたらその灌頂は一ヶ月先に行われることが判明し(チベット暦の新暦への換算を間違えた)、どうするのかと思ったら、今は僧院のゲストハウスに泊まっているそうで。

「狭いコミニュティなのでボクは人気ものです(注: 自称)。僧院長もそこいらのカフェでお茶してるんですよ~。僧院生活があまりに快適なので、昨日、町におりたらとても疲れました。ところで、かくかくしかじかの本があるんですけど、先生いりますか?」という。

 灌頂を授かることによって、その本尊について調べるスピリチュアルな許可を得て、その宗派の坊さんから聞き取り調査を行う、坊さんも伝統的なアプローチ法をとる彼に好意を持ち、宗派の伝統を詳しく教えてあげる、みたいな構図を描いていたのに、何やってんだか。

 次の日にきたメールを見ると「明日、僧院長がタントンゲルポ(チベットオペラの祖)の法話をしくれるそうです」とか、いよいよ修論から離れてく(笑)。

 とはいえ、こうやって現地の僧院にいって全身でチベットを体験してくれる学生がでていることは非常に嬉しいこと。

 チベット史の学徒がチベットの僧院に滞在することは、たとえて言うなら、オペラを学ぶ音大生が、オペラの本場であるイタリアに留学して、技術ばかりか、オペラ文化を育んだ町並みや歴史や聴衆から吸収することにも似ている。

 過去に記された文章を当時の文脈で理解するためには、その時代の人々の価値観、空気感、常識などをできる限り把握してからでなければ不可能。それを行わないで我流に読んでも現代の価値観を過去に投影した底のあさーい研究しかできない。

 たとえば、経済や軍事力の力関係で政治史を読み解く人が多いのは、現代がそういう時代だからである。また、清朝の多民族統合とかいう枠組みでチベットを語る研究者が多いのは、EUなどが結成されて多民族が統合していく現代の価値観が反映しているのである。

 しかし、仏の教えが人々に共有され、人格者が尊敬され、僧院文化が社会をリードしていた時代のチベットを理解しようと思えばそれだけでは不十分である。そして、史料に描かれている世界に肉薄するもっとも簡単な方法は、該当する文化を保持する僧院にいって取材をするのが一番。本土チベットの僧院文化は中国の監視下にあり、とても伝統そのままとは言えないので、やはりインドに再建された僧院にいくのがのぞましい。

 にもかかわらず、チベット史に言及する研究者の多くはチベット文化を理解する努力をせず、漢語史料だけを用いて、政治史を中国側の視点からなぞることで満足して終わるので、この院生の行動はじつに先進的と言える(成果でてないけど 笑)。

 多くの研究者はチベット史に言及する際に、チベット文化を知ろうともしないし、チベット語史料も用いない。なぜかというと、ぶっちゃけ多くの人にとって、チベット語史料の内容は仏教色が強すぎて読めないから。そこで彼らは、仏教と関係ない政治史や中国とチベットの関係史とかをやりはじめ、すると中国語文献の方が情報量が豊かなので、チベット語史料は読めなくてもいい気になってくる。

 しかし、史料が読めないのなら読めるように努力するのがまっとうなアプローチ法であろう。それもしないで、チベットについて安易に語るのは、とくにチベットと中国の関係について語るのは、無責任としかいいようがない。

 漢文史料に記されたチベット的な事象は当然のことながら現実の一部・一側面でしかなく、現実をそのままうつすものではない。それは一般的な意味での史料のもつ限界という甘い話ではなく、漢語史料は、チベット文化を扱う時点で最初からバイアスが入っているという特徴があるのである。

 たとえば、横浜市立大学の乙坂智子さんが最近だした2本の論文「楊真伽の発陵をめぐる元代漢文文書--チベット仏教に対する認知と言論形成の一側面--」(横浜市大学論叢)『元之天下、半亡於僧』の原像--国家仏事に関する元代漢民族史官の記事採録様態--」(社会文化史学)なんかを見るとよく分かる。

 これらの論文は、モンゴル人が中国を征服して元朝をたてチベット仏教が栄えていた13世紀、チベット僧がかかわった事件がどのように漢文文献の中で記され、受け継がれきたかを明らかにしたもの。具体的には、儒教をモットーとする漢人の記録官は、意図的に情報を取捨選択し、チベット仏教的な事象をことさらにおとしめる作業を繰り返し、チベット僧の行動に悪のレッテルを貼り、はては元朝滅亡の原因をチベット僧に帰してきたというものだ。

 また、満洲人が中国を征服して清朝をたてた時代、これまたチベット仏教が栄えていたので、清朝皇帝はパンチェンラマに叩頭したり、清朝からチベットの送られた官僚はダライラマに叩頭していた。しかし、その様子はほとんど清代の公文書に現れることはない。それがなぜかといえば、最近発表されたばかりの村上信明氏の「駐藏大臣の『瞻礼』問題に見る18世紀後半の清朝・チベット関係」(アジア・アフリカ言語文化研究)を見ると分かる。

 公文書に記録がないのは、清朝の高官がチベット僧に叩頭していたという事実がなかったからではなく、満洲人皇帝の命令でことさらに記録を残さないようにしていたからである。なぜ皇帝がそのような判断をしたかというと、記録が残ることによって、それが漢人官僚の目に触れて皇帝や官僚の行動が彼らに問題視されないように予防線を張るためである。

 まあぶっちゃけ、自国を中心とみなして他民族を見下す漢人の文化は、それ以外のあらゆる文化とは共存しえないのだ。そのため、その両方とつきあわなければいけない清朝皇帝は、排他的で、数の多い漢人と対立しないために、支配者であるとはいえキクバリせざるをえなかったんですね。

 従って、漢文史料だけ用いて当時のチベット・モンゴルの実情や清皇帝とこれらの民族の関係を正確に理解するのはどだい無理な話。しかし、多くの研究者はただアクセスしやすい、理解しやすいという理由から漢文献ばかりを使って、あげく現代的な価値観から過去を解釈してきた。現代中国の研究者や政治学者の記す清朝史なんてまさにそれ。

 そいえば、つい最近の産経新聞の記事に、こういうものがあった。東アジアの伝統的な衝突回避法のワザが炸裂していたので大笑いしたよ。

総連系歌劇団が政治色もみ消し パンフレットの訳文から日本非難と北礼賛を抹消
2011.8.13 20:32
 民主党北海道総支部連合会(北海道連)が在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の金剛山歌 劇団公演に税金が原資の政党交付金を使って広告を出していた問題に絡み、6月に別の地域であった公演のパンフレットに朝鮮総連側が日本を非難し、北朝鮮を 礼賛する文章をハングルで記しながら日本語訳からは削除していたことが13日、分かった。歌劇団の政治性の強さに対する批判を受け、日本人向けにだけ政治 色をもみ消そうとした可能性が高い。
 パンフレットに日本の批判や北朝鮮礼賛が記されていたのは、6月14日に名古屋市であった「金剛山歌劇団愛知公演」。産経新聞が入手したパンフレットには、公演実行委員長となっている朝鮮総連愛知県本部委員長名で主催者あいさつが記されていた。
  ハングルのあいさつでは、東日本大震災の被災者を見舞う言葉の後に《震災で甚大な人的、物的被害に遭った同胞に対して日本政府は共和国(北朝鮮)への経済 制裁を延長し、高校無償化から朝鮮学校を除外している》と日本の政策を非難。続けて《しかし、いつもわれわれを勝利に導いてくださる領導者と栄光の祖国が ある》と金正日総書記と北朝鮮をたたえている。
 併記した日本語文では、被災者へのお見舞いや公演協力への感謝だけが訳され、日本非難や北朝鮮礼賛は抜け落ちていた。
  金剛山歌劇団公演をめぐっては、舞台での政治的発言が問題視され、北朝鮮による日本人拉致事件やミサイル発射をきっかけに後援を辞退する自治体が相次い だ。愛知公演でも愛知県が平成19年から後援をとりやめている。こうした流れの中、朝鮮総連関係者向けには政治的メッセージを発信する一方、日本人向けに は政治色がないことをアピールする“二枚舌”が使われたとみられる。
 北海道連の広告問題では、政治性を巧みに隠しながら維持し続けている公演を、民主党側が税金で支援していたことになり、改めて批判を集めそうだ。
 金剛山歌劇団は「担当者が不在でよく分からない」としている。


 史料といものは、読者の興味によってその記される内容も自ずと制限をうける。この記事は一つの媒体の上で一つのことを表す場合も読み手によってその内容を変えているという点で、史料の宿業の特徴がよくでている。

 史料はこのように読み手の価値観にひっぱられるという宿業をもつのであるから、チベット史を明らかにしようとする場合にも、漢文史料を用いる場合は、史料の中に読み手である漢人のバイアスが存在しないかどうかを確認することは必須だし、さらにチベット側の事情にも通じていることは必要十分条件である。

 そしてかりに政治の細かな動きを扱うような研究であつても、両者が交流する際の文化的基盤がどのようなものであったのかくらいの前提は明らかにした上で行ってほしい。

 史料は読み手の世界観にひっぱられるのだから、チベット史料にだってバイアスはあるだろう、という意見もあろう。チベット史料にももちろん書かれないこと、誇張されること、などがある。しかし、だからといって「おたがいさま」とまとめられないのは、元朝・清朝時代のチベットと漢人の場合、漢人の史書記録官の方が、産経新聞のニュースの場合は、朝鮮総連の方が、明らかに他者の存在を認めない自分中心な論理を展開しているからである。

 東アジア共同体とかを主張される方は、彼らの夢見る東アジアの友好がなぜ実現しないのか、その原因はどこにあるのか、清皇帝の立場に自分の身をおいて考えてみると分かると思います。
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