白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/09/20(火)   CATEGORY: 未分類
大になるには中下を飛ばすな
 日曜日は護国寺様でゲシェー(博士)・チャンパ先生の『ラムリム』りの講義を聞く。
 最初、チベット医学の研究会とぶつかっていると思ったら、よくみたら来週だった。これでは院生Mが「灌頂受けにインドにいきまーす」いって、着いたら「灌頂、一ヶ月後でした」と言うのと変わらない。しかし、わたしは現場に行く前に気づいたので、院生Mよりは廃人度が下がる。

 で、「すいませーん」と腰を低くして遅刻して会場に入ると、広島の〔体格が〕ロバート・サーマン野村君が来ていない。通訳やっているのは根元君だ。彼はインドのゴマン学堂で二年ほど勉強していたので、テクスト訳も通訳ももちろんレベルが高い。

 『ラムリム』は覚りにいたる修行階梯を示したテクストのことで10世紀のアティシャに始まって、数多くの仏教者が修道階梯文献を記してきた。今回用いるのは、14世紀のツォンカパが記した三つのラムリムのうちの中ラムリムである。

 で途中からで恐縮だけど、法話スタート! 

 仏教を志す人には、上中下三種類の資質の人がいる。この三種類の分け方はチベットで始まったわけでなくバスバンドゥ、アサンガなどインドの祖師たちも言ってる。で、三種類とは

上士 自分のためではなく人のために覚りの境地をめざす修行者。いわゆる菩薩。
中士 輪廻から解脱することを求めて修行する人。いわゆる声聞・独覚。
下士 輪廻の中の幸せ(良い来世とか、今生の幸せ)を求めて修行する人。いわゆる凡夫。

 中士と下士は自分の幸せを求めているが、大士は人の幸せのために覚りの境地を求めている。この点で、上士は下ふたつの修行者と根本的に違う。大士は大乗の修行者である。

 で人の幸せのために覚りの境地を目指す心を菩提心という。そして、勉強するよりも、瞑想修行するよりも、この菩提心を備えているのが一番大事である。

 この菩提心を備えている人を菩薩といい、喩えれば仏陀は母、菩薩は仏(善逝)の子である。

 六波羅蜜(六つの最高の行い)の最初に「布施波羅蜜」(最高の布施)があるが、ただ人に何かを与えても、布施で波羅蜜ではない。そこに菩提心があると布施波羅蜜となる。
何をいっているかというと、来世によい生を受けたいから善行しようと、自分の幸せのために人にものを与えても、それはただ与えているだけ。しかし、人のために自分の財産や知識を与えたらそれは「布施波羅蜜」である。

 戒律もただ自分が幸せになりたいから戒律を守るのは、ただの持戒である。しかし、人のために仏の境地をめざそうと、そのために戒律を護ろうとすれば、それは持戒波羅蜜である。

 この菩提心がないと真の大乗仏教徒にはなれない。

 では、この菩提心をおこすメリットについて考えてみよう。たとえば、学校に通って勉強することはつらいことだ。しかし、勉強をすることの利徳(人の役に立てる。自己実現できる)を考えると、学ぶ苦しみは喜びに変わっていく。それを何度も心に思い浮かべてその考えを自分のものとしていくと、勉強することは苦痛でも困難でもなくなり、学習効果も増大していく。

 だから、仏教の菩提心や、空性について「これを理解したらどういう利徳があるのか」と常に最初に考えることが大事である。

 菩提心の起こし方には七つの段階(七支分)があるが、これは前回やりました。
 で、上中下三種類の人のうち、下士の幸せは一時的なものであり、中士・上士の幸せが究極のものである。
 中士の目的は輪廻からの解脱であるが、これは声聞と独覚の小乗の解脱である。しかし、上士の目的は煩悩障(煩悩という障害)と所知障(煩悩の残した潜在力)を断じた後に得られる一切智、すなわち仏陀の智慧(世俗と勝義をみわたす智慧)である。

 下士が求める生は天人や金持ちの人などよりよい生(増上生)であるが、これは一時的な幸せである。一方、上士の生は一切智をめざし、中士と下士の生のようにふらふらしていないので、決定生 (けつじょうしょう)という。

 菩提心を起こす(発心)には慈悲を持たねばならない。「慈」とは人の幸せを願うこと、「悲」は人の苦しみを取り除こうと思うこと。

 これを起こすためには、自分がその苦しみを受けたらどれだけつらいかを考えてみよう。そうすれば、この苦しみが他の生き物に与えられることもたえられないはずだ。自分が苦しみから逃れたいと思うように、人もそう思うと考えるはずだ。

 シャーンティデーヴァもうこう言うておる。「自分の幸せをのぞまず、自分の不幸せを避けたいと思わないような鈍感なやつは、他者の幸せを望んだり、他者の不幸せを望まない気持ちを起こさないだろう」と(斜に構えたいいかたやな。)。

 さあ、今日のお話のポイントはこれです。
 上士が素晴らしいからといって、中士と下士の修行をとばしてはならない。小士の修行である三宝に帰依し、十善戒を護り、中士の修行である四聖諦・三学を行い、その上で上士の修行である菩薩の修行である六波羅蜜を行うのだ。

 そして、終わりのスピーチ。

 仏教は「縁起」(すべてのものは何かに縁って生じている)という思想を重視する。原因や条件(因)なくして結果(果)はうまれない、と考える。一神教の宗教のように神の思し召しで苦しみや幸せがあるとは考えない。すべての苦しみには苦しみをもたらした原因があり、すべての幸せは幸せをもたらす原因がある。幸せをもたらす者も、不幸せをもたらす者も、神ではなく、自分の心である。自分の将来を幸せにできるのは自分しかいない。自分の心の支配者は自分自身だからだ。

 今わたしたちは仏教という素晴らしいものを手にした。仏教を素晴らしいと口でいうだけでなく、一体何がいいのか、どういう特徴があるのか、それを正しく説明できるようにならなくてはならない。仏教徒である以上、〔こういう法話の時とか、灌頂の時とかだけでなく〕常に仏教の本質は何なのか考えなさい。仏教に感心を持ち、勉強を続け、日常生活の中で役立てていきなさい。

 仏教は釈尊によって説かれた教えである。私たちが幸せになるための手段であり、とるべきものは何なのか、捨てるべきものは何なのかを教えてくれる。

 仏教を意味するchos(法 dharma)というチベット語は「改善する」「なおす」「改良する」という動詞と同じ語源である。みなで自分の心を仏教によって毎日改善していきましょう。

 以上、聞き間違えていたら、許してたもれ。

 チャンパ先生はこれからインドでツァム(期限をきった隠遁修行)に入る。
 この後皆はお別れの食事会にいったが、わたしは護国寺初体験でダラムサラ帰りのお二方を見つけたので、三人でお茶を飲みに行く。

 二人ともインドでチベット語で仏教の勉強をしてきたので、チベット語の口語がぺらぺら。「日本でゲシェ(博士)が『ラムリム』をとく場があるなんて、是非こなければと思いました」

『ラムリム』の理屈っぽい、論理的なところがいい」と、長年にわたり私が、聴衆から聞きたいと思っていた通な感想を述べてくれる。
 この二人いずれ日本でチベット仏教を説いてくれたり、チベットの高僧の通訳してくれたりしたらいいな。
 
 本当にシアワセになりたいなら、自分が「ありのまま」ではいかにヤバイかを直視し、心のゆがみを直し(チュウ)すこと。そのやり方が仏の教え。
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COMMENT

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K | URL | 2011/09/21(水) 01:49 [EDIT]
チャンパ先生のラムリムチェンモ、何回か、つまみ食いのように聞かせていただいたまま行けなかったので、先生のブログで拝見できて、とても嬉しいです♡ฺ

この半年だけ学んだチベット仏教の基礎講座でも、ラムリムのさわりや、今回のお話のようなことを学びました。
来月からラムリムのコースに行こうか悩み中です。

チャンパ先生と根元先生の法話会は好きだったのですが、研究者の方の目から見ても素晴らしいものなんですね。
私達はなんて恵まれた環境にいるんでしょう!

> 本当にシアワセになりたいなら、自分が「ありのまま」ではいかにヤバイかを直視し、心のゆがみを直し(チュウ)すこと。そのやり方が仏の教え。

↑ズキュン!ときました。考えさせられます。。。

嶺のシラユキ | URL | 2011/09/21(水) 09:57 [EDIT]
>Kさん
ありがとうございます。
また、ボランティアお疲れ様です。ゲン・ロサン先生がまた10月にお見えになるそうです。チベッと仏教って論理重視なので日本人にはなかなか難しいかな、とおもうのですが、「それがいい」という人が少しでもでてくれるといいと思います。

mimaco | URL | 2011/09/22(木) 12:07 [EDIT]
諸事情で護国寺様にはすっかり足が遠のいてしまいましたので、こうして要旨をアップして頂き、とてもありがたいです。
>上士が素晴らしいからといって、中士と下士の修行をとばしてはならない。
そうか、何事も小さなことからコツコツと!!(西川きよし・・・)ですね~。ためになります。
以前ラムリムのほんの概要を学んだだけですが、それからは常に自分を見つめ他者を思い、周囲を冷静に判断するようになったと思います。(あくまでも"自分比"ですけど)かつてに比べ些細なことでイライラしたり、怒ったりすることは少なくなったような…まるで認知行動療法?!ですね。
癒しとか、パワーとか、一方的に享受するするのではなくて、論理思考が身につくからこそ、どんな状況になってもゆるがないものになる気がします。

Maco | URL | 2011/09/22(木) 12:59 [EDIT]
先生、先日の法話会をアップして下さってありがとうございます。
本へのサインも気軽に応じて下さってありがとうございました。
本当にチャンパ先生のお話も、根本先生の訳もいつも仏教初心者にも分かりやすく行なって下さるので有難い限りです。
どこまで毎日正しい方向に自分を直して慣らして行けるか…難しいですが、直視するしかありませんね。
ゲン・ロサン先生の法話会も楽しみです。



● ????(cho\':s)
Noriko | URL | 2011/09/23(金) 21:16 [EDIT]
先生、サイトへのUP、ありがとうございます。正直ウトウトしてしまった時もあり、読み直して余韻に浸っております。最低Levelの私、勉強を続ける事は大変ですが、やはり今のままの自分ではアカンので細く長く続けて行きたいと思いました(サインして頂いた本は、家宝にいたします)。

シラユキ | URL | 2011/09/26(月) 01:23 [EDIT]
>mimacoさん
法話会って、お話の内容もさることながら、修行をされている方と接することによって、俗世間でにごった心がリセットされる効果があると思います。伝統的な社会では戒律を守る集団、僧伽があって、俗世の自分たちができないことを代わりにやってくれる人たちを尊ぶことによって、俗世のものも安心を得ることがありました。だから現代日本では貴重な機会だと思いますよ。

>Norikoさん

こちらこそ、ありがとうございました。そして、お坊様のお話を聞きに来て下さってありがとうございました。あんな汚い字を家宝にすると家運にひびきませんか(笑)?

>Macoさん
論理的に筋道だった話しを理解できる方は、チベット仏教は分かりやすいとおっしゃってくださるんですよね。だから、Macoさんは正道いってらっしゃいますよ。

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