白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/10/04(火)   CATEGORY: 未分類
転生を政治利用させないために
2011年9月24日、ダライラマ法王が自らの後継者問題について公式見解を出した。これは歴史的な意味を持つ重要な文書であるが、この重要性は一部のチベオタにしか理解できないと思われるので(とほほ)、少しでも一般人が分かるようにちょっと解説してみる。

 全文は広島の〔体格が〕ロバート・サーマン野村君がチベット語から和訳しているので、そちらを参照して戴くとして、全体像をつかみやすくするために、各節の梗概をあげておく。節の番号は便宜上つけたもので原文にはないので注意。まず、

1. はじめに

 持金剛仏ダライ・ラマの第14世、釈尊の比丘、説法師テンジン・ギャンツォと呼ばれる者の勅。内外のチベット人をはじめとするチベット仏教徒たるすべての僧俗、およびチベットとチベット人に関係する全世界の人々に告げる。

 この部分は伝統的な書式に則って記されており、その形式をとるということはローマ教会でいったら教皇の回勅みたいなものであることを示している。

 まず、出だしの文章はつきつめると
Aの勅(gtam)。
Bに対して告げる(zlo ba)。

という構造になっている。これは「至高の地位にあるAさんが、目下にあるものに対して命令する」書簡の伝統的な書き出し方である。もし、逆にこれが目下が目上に対して述べる時には
Aさんの御前に
Bが申し上げる

という形式になる。
つまり、本勅書は、至高の立場にあるダライラマ法王(Aさん)から、目下の我々(Bさん)に向けて言葉が発されている。

 ダライラマ法王のことをあの笑顔とユーモアから気さくな方だと思われている方も多いが、それは外国人に対してだけ。チベット人や、仏教徒の前では伝統的な(超弩級の 笑)「高僧」の姿に戻り、このように権威ある語りをする。このような伝統と現代が併存しているところが、チベットの魅力である。

 次に、この文書を書く目的として、ダライラマの転生が政治利用されないために、転生とはどういう理論の下に説明され、どういう歴史があり、高僧の転生はどのような目的をもってなされるのかを明らかにした上で、政治利用が不可能であると示すため、と説く。

2. 前世と来世

 この節においては、仏教の伝統の中において「転生」がどのように定義づけられているかを説明する。現代科学は転生を否定するが、(順世外道以外の)インド・チベットにおいては、すべての学派でみられる普遍的な思想である。仏教論理学の大家ダルマキールティなども、「あらゆるものには必ず決まった原因がある。原因なくして生じるもの、あるいは無関係なものから生じるものはない。物質と精神は本質的に全く異なった働きをもった存在である。物質は広がりがあり抵抗があるものであるが、精神は広がりを持たず対象を照らし出して認識する働きをする。物質からは物質しか生じず、精神が生じることはありえない。赤ん坊が生まれたときに、その肉体は物質的な原因から生じるが、赤ん坊にやどる精神は、肉体からは生じず、前世からの精神から同種のものとして生じているとしか考えられない」という旨の輪廻論を展開している。また、過去生を覚えている人がいることを鑑みても前世が存在することは否定できないと説く。

3. 転生思想について

 一般人(凡夫)は自らのなした行いと煩悩によって、自らの意志とは関係なしに転生先が決まってしまう。しかし、聖者は「一切の心あるものを救いたい」という広大な慈悲の力によって、意志をもって転生先を選ぶことができる。

※たしか、これ般若経の教え。これを自分、大学で説明する時に、総合商社の場合、新入社員だと会社の意志でアフリカのルワンダや南米のボリビアに転勤になるかもしれないが、役員(善行の結果菩薩)になったら自分の勤務地は自分の意志で決められる、と俗っぽい説明をしてみた 笑。

4. 「化身」の語釈
 ここでは「仏の四身(三身)説」が説かれている。仏様には大きくわけて法身(真理そのもの)と色身(人々を救うための形ある体)の二つの存在様態があり、さらにそれが二つずつ分かれて四身となる。ダライラマの転生はこのうち(変)化身=肉体である。化身はダライラマ以外にもたくさんいる。

法身 → 智慧法身・自性法身
色身 → 受用身・化身

5. インド文献における輪廻転生

 釈尊は仏になる前の菩薩の期間、何度も他者のために命を捨てた前世があった。これはジャータカ(本生譚)などに詳しく記されている。このようにインドでも菩薩が転生することは広く知られていたけれど、ある高僧がなくなった後、その転生者を探し出して、なくなった高僧の座を引き継がせるという「制度としての転生」はインドにはなかった。
 
6. チベット文献における転生相続制の誕生

 で、転生相続制はチベットではじまった。まず、チベットにおいて師弟や親子がともに転生して仏教を広めていくことを記した文献群(『カダム子法』『マニカンブム』)が列挙される。ついで、13世紀にカルマ・カギュ派の創始者ドゥスム・ケンパの転生者をカルマ=パクシと認定したことに制度としての転生がはじまるとし、そのあとも古い順から転生相続の例を挙げる。

 そして、ダライラマの転生譜は、ツォンカパの直弟子ゲンドゥンドゥプがなくなった後、ゲンドゥンギャツォがその転生者が認定されたことに始まったことを説く。

7. 転生者認定の方法

 転生を間違いなく認定するために、先代の遺言、先代の持ち物を選ばせる試験、候補者となる幼児の言動、シャーマンのお告げ、神前の占い、ウルカにある女神の湖にうつるビジョンなどが検討される。

※18世紀初頭にチベットに布教にやってきた宣教師イポリット・デジデリもこれとほぼ同様の方法を揚げている。その中で、このような選び方をすると、ローマ教皇を選ぶ時みたいにもめない、と一種尊敬するような記述を残している。また、『前世を記憶する子供たち』という本においても、前世を確認するためには、幼児の記憶をためすのが一番確かと結論しており、チベットの転生者の認定法が非常に洗練されていることを示している。

8. 生前に認定される化身

 先代の体がまだ存命中に、その精神の流れが別の肉体に化身することもある。これはダライラマ14世が在世中に、自分のやり残した仕事を果たすべく成人した別の高僧を指名する可能性を示している。

9. 金瓶掣籤

 現在、中国共産党が化身(転生者)を選ぶさいには、金瓶に候補者の名前を書いた籤を入れて、一本ひいてそこに書いてあった名前の童子を転生者としている。この金瓶の由来についてここで述べる。実は、これ18世紀末、グルカ戦争を契機に清朝皇帝が一つの有力な家系に高僧の転生者が集中することを避けさせるために、押しつけてきたもの。しかし、歴史の中ではほとんど利用されてこなかったことが述べられる。

10. 転生を謀略に利用するのは不可能である

 これまで、欲に目のくらんだチベット人の政治家や、満洲やモンゴルの王侯や現在の中華人民共和国の政治家たちは、転生を自己の目的のために利用してきた。とくに、現在、中国は高僧の化身を中国共産党が管理する法律を作ったり、ダライラマ15世をお手盛りで選んでチベット人をコントロールしようとしている。

11. 次代の勝者王(ダライラマ)について

 しかし、このようなチベットの伝統を傷つける行為は断じてやめてもらいたい。これまで述べてきたように、ある高僧の化身(転生者)がどこにいつ生まれるのかは転生する本体(この場合はダライラマ14世)が決めることである。チベットの伝統に従わずに選ばれた化身は、国際社会の誰も認めるものではない。


 ※適当にまとめてみましたが、いかがでしょうか。詳しくは全文をみてください。私個人としては転生に関する基本的な文献や歴史認識がダライラマ14世の口からはっきりきけて非常に面白い史料だと思いました。

 現代史的にいうと、「ダライラマの政治利用に釘をさした」ということにもなります。いずれにせよ、ダライラマ13世の死の年に発した有名な詔勅もそうだけど、ダライラマの言葉って、ずっと時間がたってから「あの時、このことを言っていたのか」とい思い出されることが多いので、この文章も間違いなく、そんな風に未来に思い出され「さすがわ一切智者」とチベット人を感嘆させるかもしれません。
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COMMENT

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名無しさん | URL | 2011/10/04(火) 19:37 [EDIT]
有益な解説ありがとうございます
ところでダライ・ラマは一切智者とされるのですか?

嶺のシラユキ | URL | 2011/10/04(火) 20:04 [EDIT]
少なくともチベット人の多くはそう思っています。ボンプの私に証明しろといわれてもムリなので、チベットの仏教博士に質問してください。

セン | URL | 2011/10/05(水) 18:36 [EDIT]
先生、解説ありがとうございます。チベット仏教の転生論と言えば、映画『リトル・ブッダ』で(以下ネタバレ)、高僧の身口意の三業が三人の子供にそれぞれ分かれて転生した、との結末だったと記憶しております。10年以上前に観た映画なので、記憶違いだったらすみません。しかしその時は、「そんなパターンがあるのか!」と思ったものです。これはあの映画の創作でなく、実際にチベット仏教の伝統としてあるものなのでしょうか?

シラユキ | URL | 2011/10/05(水) 19:02 [EDIT]
>センさん
歴史的にみると時たまある。ダライラマも制度となる一世以前の前世では五人の前世者がでたということになっている。ただしその五人をそうとみとめるのは後世になってからだけど。現代的に考えると複数でてきた時になごやかに解決する方法としてはいいよね。

セン | URL | 2011/10/05(水) 20:03 [EDIT]
ありがとうございます。
● 行ってきました
セン | URL | 2011/10/16(日) 21:13 [EDIT]
先生! こんばんは。

今日、護国寺での公開説明会「化身ラマ制度とその教育」を拝聴して参りました。
http://www.mmba.jp/archives/4714

実は僕も先生のブログを読んで、上の「名無しさん」と同じようなことを思いました。ただ、ここは突っ込むところではないのだろうな、と思い、遠慮していたのです。

というわけで、今日、思い切ってゲン・ゲレク師に質問してみました。

「ダライ・ラマのこの勅書にしばしば出る『一切智者』という言葉は、『ブッダと同格』の意味ですか?」

ゲン・ゲレク師の回答はこうでした(以下、私が取ったノートより)。

「弟子が師に対して敬意を込めてそう称する。本当にブッダと同格かどうかは、われわれ凡夫には計り知れない。」

私はこのように聞きました!

信じる信じないの問題ではなく、チベット仏教の伝統の言葉に触れると、いつも不思議な発見があります。

それは生命と心と言葉についての本質的な何かだと思います。

(野村さん、いつもありがとうございます。)

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