白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/11/02(水)   CATEGORY: 未分類
11年ダライラマ法王大阪講演(後半)
 遅くなりましたが、30日日曜日の午後の法輪の梗概をあげます。

 午後の演題は「人生の困難を強く生きる」みたいな演題がついていたが、内容は『ダライ・ラマ幸福論』などで述べられている「利他の心を育む重要性」であった。
 
 午前の部はダライラマは僧侶として仏教を説いたので、ソファには僧衣と同じ色のえんじ色のカバーがかけてあったが、午後は一人の人の立場から倫理を説くのでソファは白色になっている。ポタラ宮において赤宮と白宮がぬりわけられているのも、赤宮はダライラマを顕彰する諸堂すなわち宗教的な場であり、白宮は俗世の政務にかかわる部分だからである。
 
 さて以下お話の内容。〔〕内は私の補足。※は私のコメントなので間違えないでね。

 世俗の倫理と道徳において、他者に対する愛と思いやりの気持ちは尊ばれている。また、〔世俗と対照的な関係にある〕すべての宗教においても他者に対する愛と思いやりの気持ちは尊ばれている。
 みなが素晴らしいというこの「他者に対する愛」を育むためには、以下の三種類の方法がある。

1 一神教(イスラーム教・キリスト教)の方法論
2 因果の法を尊ぶ教え(仏教・ジャイナ教・サーンキヤ学派)の方法論
3 世俗の倫理観に基づく方法論。

 このうち三番の世俗の倫理感に基づいて行う実践が、一番重要である。なぜなら〔最初の二つは自分はその宗教の信者じゃないから知らん、と言われたらそれまでだが、世俗の倫理ならマルキシストなどの〕無神論者にも訴えかけることができるからである。

 三番目の世俗の倫理・道徳・良識の立場から「他者を思いやる心」が必要な理由を三つ述べよう。

(1) 生き物は生まれたばかりの時は弱々しくて、母親の愛なくしては生きていけない。鳥であれば母親がせっせとごはんを運んできて育てるし、ほ乳類であれば母親は赤ん坊に乳を与えて育てる。このようにして生き物は人生の最初に母の愛を受けることによって生きることができる。

 これは愛が生き物にとって生来必要なものであることを意味している。科学者によっても、母親の愛を十分に受けた子供は情緒が安定し、人を信じ、恐怖感や不安感も少ないが、母親の愛を十分に受けることができなかった人はその逆となる。このことも、「他者を思う愛」が生き物にとって不可欠であることを示している。

 ※この話を法王がすると必ず、「私は親の愛を受けなかった。どうすればいいのか」という質問がでるが、法王の答えはきまって同じ。「あなたが人を信じ愛することが自然にできるようになるのは時間がかかるだろうが、毎日その努力をしていればいつか自然にできるようになる」。

(2) 愛情溢れる環境は人を幸せにし、逆に不和が充ちた環境は人を不幸にする。心が不安であると、たとえ体は横になっていても、完全にリラックスすることはできず、寝ても寝返りばかりうって深く眠れない。自分から他人を愛さない人は、他人からも愛されない。動物だって、優しくする人には信頼をよせるけど、殴ったりけったりする人にはなつかない。良識の範囲内でも、愛情が生き物にとって必要不可欠なものであることは明らかだ。

(3) 最近科学者たちも他者を思いやる心が大切であることを認めはじめている。
 わたしは過去三十年にわたり科学者たちと対話をしてきた。宇宙学・神経生物学・物理学・量子力学の科学者たちが仏教に興味をもってくれた。仏教には科学的な側面と哲学的な側面と実践修行の三つの側面がある。科学の「現象の本質を真理によって探求しようとする姿勢」は仏教にも共通するものだ。

 仏教の修行において、他者を思いやる心を育む瞑想を行うと、脳細胞が実際に変化していくことはアメリカのウィスコンシン大学、エモリー大学、スタンフォード大学の科学者たちにによって確認されている。従来は脳細胞が意識に影響を与えるとされてきたのだが、意識が脳細胞を変えていくという研究が認められつつある。

 現在の教育は知識や教養を増やすことばかりに重点をおくが、わたしは教育を通じて「他者を愛する心を育む訓練」を広めることが重要だと思っている。他者を思う気持ちをもつ者はよい人間関係を築くことができるし、何より一人一人の心の平安は世界平和へとつながっていく。学生たちに自らの心をみつめること、他者を思う気持ちを育むトレーニングを行わせ、それがどのような結果を生むかを実験してみてください。

 お祈りするだけでは心はなかなか変わりません。また、技術の進歩だけでは世界平和は実現できません。日本は技術立国で体の中を透視するX線はあるが、心の中を透視する技術はないだろう。

 〔先に述べたようにキリスト教や仏教などの〕宗教にも他者を思う気持ちを育む方法論はあるが、それらはその宗教の信徒以外には実践は難しいものだ。しかし、私が今述べているのは世俗の倫理なので、教育を通してこの心を広めることができる。

 世界中で人の心は堕落し、貧富の差が広がり、腐敗が蔓延している。この背後に倫理観の欠如が根本にあるのではないか(ごもっとも)

 ここでダライラマのお話は終わり、質問を受け付けはじめる。質問時間は講演の前にもあったのですが、両方の質問ともにこっちにまとめました。

 質問 今回の震災で多くのものが失われました。無常観(すべてのものは変化し、永遠のものはないこと)について語ってください。

 答え 無常にも目に見えてはっきりわかる無常と、目に見えない微細な無常がある。人が死んでいなくなる、などの無常は。目に見えてはっきりわかる無常である。三苦のうち壊苦とは「変化によって生じる苦しみ」です(これ通訳のマリアさんがヘンゲといったもの。マリアさんインド生活が長いからか、漢字の読みが仏教漢字の読み方と時たま混在)。変化によって起きる苦にとらわれず、煩悩を断滅しなさい。〔そうすれば微細なレベルでの無常によって、心は徐々に平安に変化していきます。〕

 質問 チベット語訳の般若心経の冒頭には、「女尊(仏母)の般若波羅蜜に帰命します」という言葉がありますが、なぜ女尊というのでしょうか。

 答え 仏になるための二つの元手(二資糧)は、方便(愛や慈悲など他者を思う心)と智慧(空の理解)です。このうち方便は父にたとえられ、智慧は母に喩えられます。母に喩えられる理由は、この智慧から覚りの境地が生まれるからです。従って、般若波羅蜜(究極の智慧)は女尊(仏母)と表現されるのです。


 質問 私は三人の子供を育てる母親です。やさくしありたいと思っていても、つい子供をしかってしまいます。家庭内で簡単にできる慈悲の実践法があるでしょうか。

 答え 子供を叱る場合、その動機が何であるかが重要です。その子のためになるように、愛をもって叱ることはいいですが、怒りにまかせて叱ることはいけません。知性をはたらかせて、その場その場の状況を見て、子供にとって何か一番いいかを考えて子供と接しなさい。そのようなことをせずに我を忘れて怒れば、あなたは愚かな母親です(笑)。

 質問 精神科医です。昨今いじめや自殺が社会問題になっているのは輪廻が日本人の心から失われたことが原因ではないでしょうか。

 答え 前世を覚えている子供がいることは前世の存在を示しています。私は少なくとも十人のチベットの子供が自らの前世を覚えているのを知っています。また、すべてのものにはそれが生まれる原因があります。あるものが生まれるためには同じ種類のものがその前になくてはなりません。従って意識が生まれるには、同じ性質の意識がその前に存在しなければなりません。意識には粗いレベルと微細なレベルがあり、微細なレベルの意識は始まりのない昔からこの世にあり、終わりのない未来に輪廻して続いていきます。※ 輪廻の不在が社会問題の原因となっているという質問といまいちかみあっていない。

 質問 業(カルマ)とは何か。体と言葉と心の三つの門を通じてなされる行為のことです。良い行いには良い報いがあり、悪い行いには悪い報いがあります。

 ※ここで次の質問者となる韓国人の女性がまとまらない話を長々と英語で質問。しかも質問内容は、法王の話しの中にすでに言われていたこと。彼女がダライラマと直接話しをしたかっただけに見えた。でもかつて宇宙人について質問した人がいたのであれに比べればましか。

 で次の日本人女性の質問者も、これまた、前の韓国女性どうよう前置きが長い。一言でいえば「頭では怒りは悪いと思っていても、日常生活ではつい怒ってしまう。どうしたらいいのか」という簡単なことなのに。

 答え シャーンティデーヴァを読みなさい。私は昔からこの書を座右の銘としている(会場失笑)。※通訳の方、せめてシャーンティデーヴァの日本語訳の存在くらい教えてあげたらいいのに。にしてもこの質問者二人、もう少し頭整理して質問してくれ。ちなみにシャーティデーヴァの本は『悟りへの道(入菩提行論)』です。ポタラカレッジから出ているものと、金倉円照訳の古い本(平楽寺書店のサイトの「目次I」のサーラ叢書にあります。)があります(手に入るかどうかは分からない。)。いずれもアマゾンでは出て来ません。

 質問 また女性(笑)。法王の言葉の中に他人を許すことは自分を許すことだ、とありましたが、自分を許す許し方を教えてください。

 答え ある人が悪行をなしたら、その人はゆるしても、悪行を許してはならない。人は許しても罪はゆるしてはならない。※この質問者がどの本で「自分をゆるす」という概念を得たのかわからんがおそらくは写真家の野町和嘉さんのベストセラー『ゆるす言葉』が典拠かと。しかし、この本読み直してみたけど、自分を許すってなかったような。法王の答えにあるように、チベットに悪行をなした人に対して、悪行自体が悪いことはおさえても、悪行を行った人に対して怒りを持つことはいかんと繰り返し述べている。しかし、「自分を許す」なんて話につながっただろうか。まあ自分を愛せる人は人にも寛容だ、くらいはおっしゃっているけど。

 ところでこの質疑応答が始まると同時に多くの人が席を立って帰りはじめた。それらの人々は失礼な人たちというよりは、帰りのバスがめちゃめちゃにこむことを避けるために早く席を立ったように思われる。バラバラにあつまってくる開場時でもあの混乱であったわけだから、いっきに人が外にでる閉場時の混乱はそれに輪をかけると思ったのだろう。

 この舞洲アリーナ交通の便が悪い上、トイレは行列、レストランはちっさいのが一個だけ。まさに陸の孤島。もう少し交通の便のよいところで行えば、聴衆も猊下の法話の途中で大量に帰りだすなんてしなかったと思う。借り賃の問題とかあるんだろうな。
 
 法話が終わって外にでると土砂降り。わたしも合流したKさんも傘がなく、土砂降りの中いつくるか、いつ乗れるか分からないタクシーや路線バスを待つのかと困り果てる。Kさんはフードをかぶり、わたしは今朝ホテルでもらった朝刊で頭を覆い仕方なく外にでる。みるみるうちに新聞が雨をすって重くなっていく。


 すると停留所でも何でもないところに一台バスがとまっていた。どこにいくか分からないバスだが、すくなともこの何もない埋め立て地で濡れ続けるよりは屋根があるだけいい。ここが始発なら終点はどこかの駅だろうと、考えた瞬間に、わたしは何も考えずにそのバスにむかって突進していた(またかよ 笑)。すると、運良く朝と同じ駅にもどる増発バスだった! 延髄反射またも勝利。そいえば崩壊直前のソ連では、行列があるととりあえずみな並んでいたというが、終了間際のソ連かよ。

 ところで、このような途中退場者がたくさんいることにあきれ果てたのか、質問者がすべて終わった時点で法王は最後にしみじみと

 ダライラマ「落ち着いた環境で時間を気にすることなく、二~三日かけて中観思想を講義したい。わたしは先月ダラムサラで25回目の科学者との対話を行った(mind and life conference)。日本でも同じような科学者との会議を行いたい。倫理的・道徳的な向上が人にどのようなよい影響を与えるのか、研究してほしい。

 わたしは西洋に呼ばれて話しをするけど、彼らは仏教徒ではないのでわたしも話していてもどこか落ち着かない。日本人は仏教徒なので、やはり腰を据えてゆっくりと仏教のお話をしたい。日本仏教は坐禅で有名であり、坐禅では考えるよりも、ただ座れというが、仏の言葉を研究することは重要である。般若心経もただ唱えるだけでなく、この経典がとく空の意味について考えながら唱えなさい。」

 法王の「時間を気にせずゆっくり法を説きたい」という言葉には本当に感情がこもっていた。

 今までチベットの高僧のお話をいろいろなところで聞いてきたが、どの高僧も興がのってくる話がとまらない。

 たとえば主宰者が「修道(『ラムリム』)について話してください。」とお願いしてテクストを準備すると、高僧はもちろんそのテクストにのっとって話すのだが、その場のノリでしゃべるのでテクストの最初の数行を解説して時間切れなんてザラ。

 伝統的な社会であれば、高僧の法話は時間で区切られるなんてことはない。ある僧院で高僧が法話をするといえば、聴衆は何日もかけて徒歩で会場となる僧院に集結し、何日にもわたって高僧の講義を聴いた。もしテクストを全て解説してもらおうと思えば、それこそ高僧に弟子入りして何ヶ月にもわたりテクストの読み方を教わらねばならない。

 しかし、現代の法話会と来た日には会場のホールが時間貸しで、会場設営会社との契約もあるため、無制限に話し続けることはできない。かのダライラマ法王ですら時間がくれば法話をやめなければならないのである。せちがらい時代である。

 招請側は大体イベントの一環として法王をお呼びしているので、その後の交流につながらないのも残念な話。いままでたくさんの仏教集団が法王を日本にお呼びしたけど、そのあと、自派の僧侶をチベットの僧院に送ってチベット仏教を学ばせたとか、恒常的にチベットのお坊さんを日本に招いて講義してもらうなどの継続的な試みをした伝統宗派があるか少なくとも私は寡聞にして知らない。

 ちなみに、みなさん気がついていると思いますが、今回の大阪講演は高野山で行われる金剛界灌頂の加行(準備行)です。だから、とくに午前の部はダライラマ法王が密教に意識して触れているのが分かりました。高野山大学の学長もおっしゃっていたように高野山大学は密教を教える大学で、チベット密教と共通する部分も多いので、今後大学にチベット仏教の講座とかが開かれるといいなあ。で、インドのチベット仏教界から直接お坊さんがてき授業をもたれるような時代がきたらいいなと思う。
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COMMENT

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● 勝手に
ヌーhiron | URL | 2011/11/02(水) 12:31 [EDIT]
リンクはらせて頂きました。
ご寛容のほどお願いいたしますです。

嶺のシラユキ | URL | 2011/11/02(水) 12:40 [EDIT]
>ヌーさん
リンクありがとうございます!ちょこちょこなおしてます。
● 同感!でした
Takako | URL | 2011/11/03(木) 12:40 [EDIT]
初めまして。わたしも、ブログに転載させて頂きました。事後承諾の形となってしまい、申し訳ありませんe-305
何卒、ご了解頂けますよう、お願い致します。

嶺のシラユキ | URL | 2011/11/03(木) 16:58 [EDIT]
>Takakoさん
転載してくださってありがとうございます。あの講演会のロケーションはとにかくすごかったですよね。質問者はもちろんまともな場合もあるのですが、今回は例年にくらべればマシな方でしたよ。
● お願い
YUZUおやじ | URL | 2011/11/04(金) 19:28 [EDIT]
リンク貼らせていただくか、転写させていただこうかと考えます。
よろしくお願い致します

シラユキ | URL | 2011/11/04(金) 20:55 [EDIT]
>YUZuさん
法王のお話ですから、どんどん転載してください。功徳になりますよ 笑。

mimaco | URL | 2011/11/11(金) 21:48 [EDIT]
>ダライラマ「落ち着いた環境で時間を気にすることなく、二~三日かけて中観思想を講義したい。
>伝統的な社会であれば、高僧の法話は時間で区切られるなんてことはない。ある僧院で高僧が法話をするといえば、聴衆は何日もかけて徒歩で会場となる僧院に集結し、何日にもわたって高僧の講義を聴いた。

あぁ、そんなところへ行かまほし、聞かまほし…
そんな機会を得てしがな、見てしがな…

今回も解説ありがとうございます。
ありがたく読ませて頂きました。

嶺のシラユキ | URL | 2011/11/12(土) 10:50 [EDIT]
>mimacoさん
わたしもそのような席があったら行きたいです。ダライラマ法王はお忙しいだろうので、座主クラス、いや、ラプジャムパ、ゲシェーでもいいので、ちんたら法話を聞いてみたいです。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2011/11/22(火) 18:55 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます

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● ダライ・ラマ14世法王猊下・2011.10.30大阪特別講演に参加・2
川口英俊の日記 2011/11/03(木) 08:15
さて、少し遅くなってしまいましたが、ダライ・ラマ14世法王猊下・2011.10.30大阪特別講演の拙感想でございます。 第一部「ダライ・ラマ法王 般若心経を語る-空から慈悲へ-」の内容に関しましては、基本的には、「ダライ・ラマ 般若心経入門」春秋社の内容をベースと?...  [続きを読む]
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