白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
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DATE: 2011/11/28(月)   CATEGORY: 未分類
この人生をムダにするな
 土曜日は護国寺さまでbTibet秋講座があった。講演者は去年、早大生をして「僧兵のような」と言わしめた威厳あふれるゲン・ロサン先生。そのあと、ダライラマ法王事務所から、ルントクさんの講演があり、さらに、ゴマン学堂のアボ(ロサン・プンツォ師)による砂マンダラワークショップも開かれた。

 ゲン・ロサン先生はフレーズごとのお話が長いので、通訳の方はメモがおいつかず大変。前回通訳をつとめた野村くんは途中から体が傾いて死兆星が見えているようだった。彼が何かの発作を起こさなかったのは奇跡である。今回の通訳は根本くん。やはりゲン・ロサン先生の長いフレーズにメモが追いつかず苦労されていた。

 以下、書記によるbTibetの報告ですが長いので、ゲン・ロサン先生の講義と、ルントクさんのお話と砂マンダラの話を、二回にわけてアップすることとします。

 では、ゲン・ロサン先生のお話内容。

●人間の身は得難い

 生は一度きりではない。生は始まりのない昔から無限回の転生を続けている(無始輪廻)。悪い転生先としては地獄・餓鬼・畜生、比較的良い転生先としては阿修羅・人・天などがある。生き物はこの6つの生存領域(六道)を無限回転生をづつけており、これからも続けていく。

 この六道の中で、考察力をもち、煩悩を滅ぼすことが可能なのは唯一人間だけである。ところが、この輪廻の生において、人身を得ることは極めて稀なことである。

 依怙尊龍樹(ナーガールジュナ)は『王への手紙』(bshes sprin)という著作の中で、「広い海の中に穴の開いた木片をおとして、その穴にたまたま浮上してきた魚の首がひっかかる」くらい、人間に生まれる確率は低いと王様に説いている。

 このような得難い人の身を得たのは、あなたたちが前世において数々の善行を行った結果である。

 チャンドラキールティは『入中論』の中で、「人に生まれるためには最低でも十善戒を守って、自分の心を律することが必要である。そうでなければ人間として生まれることはできない。」と説いている。

 十善戒(十の良い行い)とはあまり詳しく説明しないが、体と言葉と心を通じて行う十種類の行いを律することである。

 身体を通じて行う3つの行いは、命を奪わないこと(不殺生)。他人のものをとらないこと(不偸盗)。邪な性行為を行わないこと(不邪淫)。

 言葉を通じて行う4つの行いは、嘘をつかないこと(不妄語)。不和を招くような発言をしないこと(不両舌)、意味のある言葉をいうこと(不綺語)、人を傷つける言葉を言わないこと(不悪口)。

 心を通じて行う3つの行いとは、怒らない、貪らない、邪見(来世がないとか、仏法が間違っているなどの間違った思想)をもたないこと。

 以上の十種類について、体・言葉・心を律して行動することが人間として生まれる元となるのである。

 ナーガールジュナは、『ラトナーヴァリー』で、「宝は何によって得られるか、それは布施によって得られる。」と説いている。これは六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵)という究極の行いが良い結果をもたらすことを述べているのである。

 まず、自分が与えることができるものを、他者に与えたいという気持ち(布施)を持てばそれによって自然と宝が自分自身にまわってくる。

 戒律によって自分の心を律すれば、安楽が得られる。

 怒りに身を任せず、忍耐をすれば、美しい容姿に生まれることができる。

 さらに善行にいそしみ(精進)、瞑想(禅定)によって、心の安定をつくりだすことを通じて、人ははじめて考察力をもつことができる。

 その結果、人間は空を理解する智慧をもつことができる。人はこの智慧をもって真実を見抜き、何が正しいのか、何が本質的なのかを、常に考えることができる。
 
●すぐに失われるこの生

 こうしてやっと人の身を得ても、その身は簡単に失われる。

 シャーンティデーヴァは『入菩提行論』で、「空にきらめく稲妻のように、人生は一瞬に過ぎ去っていく」と述べている。それほど人間の人生は短く、〔病気や事故などの〕様々な原因によって失われやすいと説いている。

●人生の目的は仏(人格者)になること

 輪廻は海に、生の目的はこの海原をわたりきって彼岸にいたることに例えられる。人生の目的とは、煩悩を滅っして人格者となって、この輪廻の世から解脱することである。それが行えるのは人の身だけである。

 自分が今得難いチャンスを手にしていることを自覚しなければならない。

 人間のみが何が大事かを論理的に考察することができる。

 シャーンティデーヴァは『入菩提行論』において、「今人間に生まれたことがどんなに素晴らしいことなのか、今何ができるのか、とんな能力があるのか考えなさい。」と言っている。

 人間の価値と人生の意味を考えなさい。何が本当にあなたにとって得なことなのか、何が損なのかを考えなさい。あなたは善行を自分にとって意味のないこと、難しいことと思うかもしれない。だけど、よく考察すれば、慈悲の心をもって善行にはげむことは、自分にとっても他者にとっても究極的な利益であることがわかるはずである。

 究極的にいって何がいちばん自分のためになるのか、何が損なのかを考えなさい。

●仏もかつては凡夫であった

 わたしたちは始まりのない昔から、自我意識に囚われて生きてきた。わたしたちはこの愚かさ(無明)によって、自我意識に囚われた結果、数々の苦しみを得ている。しかし自分は愚かだ、この人生は苦しみだ、と嘆いていてはいけない。

 マイトレーヤの『究竟一乗宝性論』には「わたしたちはすべて仏になる可能性(如来蔵・佛性)が備わっている」と説かれている。

 仏には無限の活動力が備わっている。それはすべての衆生に働きかけている。したがって、すでに覚りを開いた仏の能力、活動力の助けをえて、誰もがいつかは仏の境地に至ることができるのである。

 心は空(実体をもたない)である。仏には一切を知る智慧が備わっている。仏の一切智は空である。そしてわれわれの心も空である。普通の人間(凡夫)の心と仏の心は別々のものであるが、同じ本質をもっている。つまり、わたしたちは今の心を糧としていつかは仏になる可能性を秘めているのだ。

 よく考えてみると、過去・現在・未来(三世)の諸佛は最初から仏であったわけではない。最初は普通の人間であり、それが長大な時間をかけた(三阿僧祇劫)修行の結果、覚りを得たのだ。

 インドの学者ディグナーガはその著作『プラマーナ・サムッチャヤ』の冒頭で

「量(欺かない人)となられた釈尊に私は敬礼します。」と述べているが、この一文は仏は最初から覚っていたのではなく、ある特定の瞬間に仏となったことを示している。仏になるための原因はわたしたちにも備わっているのである。

 われわれは仏の家系(種姓)に属し、仏になる可能性(如来蔵)が備わっているのである。

●自分の幸せは自分で作れ

 人生は短く、失うと再び得難いものである。だから今のこの短い人生に執着して怠けたりして悪業を積むのではなく、来世のことを考えて行動する必要がある。

 誰の助けもない。一人一人が努力しなければならない。来世も人と生まれ、仏教にめぐりあい、幸せになるためにはたくさんの善行を積まなければならない。

 死ぬ時には財産はすべて手放していかねばならない。家族も財産も来世にもっていくことはできない。来世にもってくことができるのは、自分が今までに行った行為の結果(業)だけである。自分の行った良い行い(白業)、悪い行い(黒業)、その行いの結果だけをもっていくことになる。

 インドの学者シャーンティデーヴァはこういっている。

「生きている内は医者や兄弟や友達が助けてくれるが、死神がわたしたちの前に現れた時には誰一人として救ってくれるものはいない。」

 死に瀕して、わたしたちはどこに救いを求めればいいか。それは自分自身の心である。自分がそれまでに行なってきた行為である。たくさんの福徳(善行の結果)をつみ、良い心がけをもつことが死に際してあなたを救ってくれる。

 シャーンティデーヴァは「この短い人生をあてにしてはいけない。富や尊敬を得るために悪行に励んではいけない。」といっている。来世のことを考えて行動しなさい。目にも見えず、耳に聞こえない、推理するしかない対象である来世をあてにすることは難しいかもしれないが、よい行いをしなさい。人生は夢のように儚いもの。その時に救いになるのは仏の教えだけである。

●仏教の修行法

 仏教の学習は3つの段階をへて深化していく。まず、今生きているこの世界を苦しみであると正しく理解し、この輪廻から解脱したいという出離の心をもつ。次に、この苦しみの世から一切の生き物を救おうと菩提心(自分の幸せではなく、一切の生き物の幸せのために仏の境地にいたろうとする心)を起こす。そして最後に、正しい見解(智慧)を得る。

 菩提心こそがありとあらゆる人生の不幸せを取り除く最も重要なものである。人生の苦しみ・孤独・惨めさはすべて菩提心が取り除いてくれる。菩提心という馬にのって幸せから幸せに渡り歩きなさい。菩提心こそがわれわれを価値ある者にする力である。人生がつまらないと絶望せずに、希望をもっていきなさい 

 仏の教えは聞・思・修3つの段階を経て見に付けていくものである。

 「聞」は仏の教えを聞くこと、「思」はその聞いた内容を自分の頭で考えること、「修」はその内容を何度も自分の心になじませて(修習して)、自分のものにしていくことである。これを繰り返すと、一度得た見解は仮のものではなく、確信へと変わっていく。

 仏教徒は三宝(仏と仏の教えと仏の教えを奉じるもの)に帰依した者をさすが、仏に単純にすがりつくのではなく、それぞれの内容を考察し、理解し、その効能を考えながら帰依をすることが重要である。このように帰依を行うことができるようになった時、本当の意味で仏教徒になったといえる。何もしないでただ単に仏教徒と称する資格はない。

 人の身は得難く、人生は短い。この輪廻を正しく苦しみと認識し、良い動機をもって仏の教えを実践し、智慧を育んでください。

以上です。
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 私的にまとめますと、「覚りの境地(究極の幸せ)は仏様に与えてもらうものではない、自分で自分の心を律することを通じて得られるものだ。そしてそれができるのは人間だけである。だから、人に生まれたあなたは今、類まれなるチャンスを手にしている。その幸せを自覚しなさい。無駄につかってはなりませぬよ。

 人生は短いのだから、今すぐに人格者となるべく心を律する修行をはじめなさい。誰しも仏になる可能性は備わっている。だから、前向きに取り組んでいけば来世はオッケー!」とこのようなところでしょうか。

 先生が引用されている『入菩提行論』『ラトナーヴァリー』などは非常に有名な大乗仏教の聖典です。ただし、引用元にまでもどって確認しておりませんので、ひょっとしていろいろ間違いがあるかもしれません。その際は許してたもれ。
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COMMENT

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| | 2011/11/29(火) 10:10 [EDIT]
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eri | URL | 2011/11/29(火) 22:16 [EDIT]
いつも分りやすい内容にまとめていただいてありがとうございます。
読ませていただいてる間も、ロサン先生のお声が聞こえてきます。

Maco | URL | 2011/12/01(木) 15:29 [EDIT]
先生、早速アップして下さってありがとうございます。
この日はルントクさんのお話途中からの参加となってしまいましたので、ロサン先生のお話内容を読ませて頂けて嬉しいです。



嶺のシラユキ | URL | 2011/12/04(日) 11:19 [EDIT]
>Mさん
そういう声を届けてくださると、非常に励みになります。

>eriさん
ありがとうございます。会場に来られない方にもせっかくなのでお裾分けです。

>Macoさん
チベットのお坊さんは位に関係無しにみな同じ僧衣を着ていますが、高僧はやはり存在感がちがいます。こう考えると現代人は本当に存在感ないですよね・・・
● ブラックジョークの意味が わかりません。
村石太スカイ&多重人格者 | URL | 2012/04/26(木) 16:59 [EDIT]
ウェーブで 戒律を 検索して 八斎戒を 見て プログで 不邪淫で 検索しています。
仏教には いろいろな戒律があるんですね。
暖かくなってきましたので 防虫 殺虫を しています。
今 ウェーブで 5戒を 見ています。
現代における仏教とは~ 仏教における力とは~
宗教研究会(名前検討
不邪淫について 昔 不倫ブームというか そんなドラマ流行していた時 世の中は バブルで 愛人とか 不倫とか していた人いたみたいだけれど、嫉妬とか 憎しみとか いろいろな感情で 喧嘩とかなかったのかなぁ?どうして 愛を 裏切るのかなぁ?
この世には 愛はあるの?
● 恥という行為 大人物とは
村石太キッド&橋下 | URL | 2012/11/07(水) 19:03 [EDIT]
十善戒 で プログ検索中です。
5逆罪とかもあるのかなぁ
人間とは どう生きるか。
人は 美しいのかなぁ?
BATⅠというのはあるのかなぁ?
神仏とは どんな能力を 持つのかナァ
能力では ないのかなぁ 悟りの中で 
宗教研究会(名前検討中

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