白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/12/08(木)   CATEGORY: 未分類
砂マンダラ・トークショー
 bTibet完結編。第三部は砂マンダラワークショップ。

 チベット仏教といえば、しぶい日本仏教とは対照的に、原色のカラフルなタンカ(仏画)や華やかな荘厳で知られる。なかでも灌頂儀礼の際に作られる砂マンダラの華やかで精緻な美しさは日本人に人気で、儀式と切り離してこのマンダラだけをほしがる人も多く、かつては現代美術のワタリウムとか、池袋のオリエント博物館とかにおいて、儀式ぬきで砂マンダラだけを作るイベントがあった。

 本格嗜好のbTibetでマンダラかいたら儀礼をしなければいけないので、今回はアボ(mmba)が皆の前でマンダラのなかに描かれる白傘盖(gdugs)を実演で描き、その間みなの質問を野村君が受け付けるというゆるいカタチで進行した。

  野村君「宮島でダライラマ法王が金剛界と胎蔵界の灌頂を行われた際に描かれた砂マンダラは、固めて保存してあります。これをアウトソーシングでかためると500万かかると言われたので、専用の接着剤を手に入れて、アボと二人で試行錯誤して固めました。ちょっとの砂をいろいろな濃さの接着剤でかためてみて、何日で固まるかどれくらいのかたさになるか、がんばって調べました。そうして固めた砂マンダラは、今は宮島の大聖院のチベット堂の中に立てかけてあります。

 真言宗のお寺ではたしかに本尊をはさんで両側に両界マンダラをたてるが、砂マンダラを垂直に立ててしまうとは、まさに接着剤の驚異!

 野村君「砂マンダラを描くさいの砂は、昔は宝石の粉を用いていましたが、今は岩石の粉にアクリル絵の具で色づけしたものを用いています。

 砂で精密な模様をかくためには、細い管から数粒ずつの砂をおとしていくような繊細なワザが必要となる。その細い管はチベット語でツァプル(tsabs ru)といい、この管の側面についた刻みを別のツァプルで細かくこすって震動をつくることにより、砂を数粒ずつだすのだ。

 「絵柄をしくじった時、あるいは、こぼれた砂を回収する時にはこのツァプルの入り口にガーゼをあてて吸い込んで砂を集めます。

 「こうして時間をかけて作り上げた砂マンダラも儀式が終わると壊されます。これを日本人はよく『無常を示すため』と解説しますがあれはガセです」(もう少し品のいい表現はないものか)

 「ジャマだから壊すのです。チベットではいろいろな本尊で儀式をやりますから、そのたびに固定した材料でマンダラを作ってそれが残ったらジャマだから、すぐ壊せるように砂で作るのです」 

そこで私、質問者のマイクを奪って質問「ええ、でも野村君、去年胎蔵界の砂マンダラを作った際に、その解説で、マンダラを砂で作るのは、マンダラの構造は部外者に対してはヒミツなので、侵入者がきた時にすぐ壊せるように砂で描くって書いてなかった?

 野村君「それもそうです。すぐ壊せるという意味で同じことです。」(でもジャマだからとヒミツを守るではずいぶんニュアンスが違うよ!)

 というところで、清風学園校長先生平岡センセから一言

 「昔、ギュメで砂マンダラを作った僧侶に、マンダラを壊す時の気持ちを聴いた時、悔しさなど、複雑な感情が湧いてくる、と言っていました。作った者にとっては無常を観想する大切な機会として伝承されていることは事実です。」


 私「儀式が終わって砂マンダラを壊した後、砂を川とか湖とかに流しにいきますよね。あれは水の生き物に対する供養だと聞きましたが、あれもガセですか」(←コラコラ)

 野村君「それは本当です。

 私「でも儀式の終わりに、砂マンダラの砂からは本尊の智サッタは抜きますよね。ただの岩石の粉が水の生き物の供養になるんですか

 野村君「お加持の力は残っているからなります

 ここで護国寺のIさん、護国寺で砂マンダラ作った際の写真をみなさんに披露。写真はiPadに入っている。作務衣姿のIさんがiPadを操っている姿をみているうちに、これは禅が好きだったというジョブスの供養になるなと思ったが、ちょと違うか(笑)。

 護国寺で砂マンダラをつくった際には近い川ということで、神田川に流しにいった。この時のトルマ(供養のはったい粉とバターをこねてつくる供養の品)には、ヘビがまきついたカタチになっている。不思議なことにこの日、大雨がふったそうである。

 私「龍神様が感応してますねー。さすがチベット。日本の神様まで動くなんてすごいっすねー。ところで、砂マンダラをつくっているさなかにくしゃみしたりとかして砂がふきとんだら、それってやはり『魔が入った』とか言うんですか」

 野村君「そういうかどうか知りませんが、折角作ったものが壊れるとみな疲れます。広島で砂マンダラを作った時には、夏で虫が多くて、ある朝、砂曼荼羅の上を虫が歩いた後があり、脱力したことがありました。完成したところをロープを落として壊したこともあり、その時も全員脱力しました

 男性A「砂マンダラを作る時お坊さんはマントラを唱えながら、作るのですか」

 野村君「それは日本にゲイシャさんがいるといった類の話ですね。外人はそういうところ(神秘的・敬虔な側面)ばかり取り上げたがりますが、そればかりではないです。

 これに対しても平岡センセからメッセージ
「灌頂の際に、弟子や阿闍梨が普通の姿でマンダラに入ることが無いように、砂マンダラを描く者も、灌頂を授ける阿闍梨の観想内容と同じことをしてマンダラ作成を行うことになっています。この観想無しに砂マンダラを描くなら密教の戒律違反となります。 」

 そして、アボに話かけるが、白傘盖を描くのに集中していてアボは答えない。すると野村君は「お坊さんは砂マンダラを作り始めると何時間でも集中して、周りの雑音は耳に入らなくなります。アボはこうやって砂マンダラをつくるのがうまいですが、ゲンギャウはいくら練習してもうまくできないと言っていました。やはり向き不向きはあるみたいです。」

 ふむふむ。やはり最後は職人芸というわけね。

 このあと希望者がお坊さんと同じ道具をつかって砂で絵を描いたりする体験もさせてもらえた。なかなかおもしろかった。

 最後にお知らせです。『旅行人チベット』『知識ゼロからのダライラマ入門』(幻冬社)など、チベット関連の啓蒙書の数多い出版で知られる長田幸康さんが、『心の安らぎに出会える仏教の教え』という新刊を出されました。

 長年にわたるチベット人とのおつきあいの中で得た仏教の実践の仕方を、長田さんのわかりやすい文体で説いてくれます。軽い読み物のようでいて、「四聖諦」「縁起と空」「六波羅蜜」「六道輪廻」など基本的な思想はすべて押さえた、伝統を大事にした構成になっています。

 「チベット語の辞書には「頑張る」という言葉はない。」
 「日本人が頑張るのは自分のため。チベット人が頑張るとしたら一切の他の生き物のため。」
とかいったなかなか示唆にとんだエピソードがてんこもりです。

 東日本大震災・原発事故などで不安にかられる人に特化して書かれたものであることは文章のの端々から明らかで、どの説明にも一貫して、必殺シャーンティデーヴァの

「対処のしようがあるのなら全力で対処せよ。対処のしようがないのならくよくよ思い悩むな」あるいは

「足の裏が傷つかないように世界中に虎の皮をしきつめることができないのなら、靴を履いた方がはやい」→「不幸は起きるのだから、不幸を避ける努力よりも、自分の心を強くする方が手っ取り早い」などのチベット仏教の精神が貫かれております。

 こういう手頃な仏教書って本当に少ないのでみなさん手にとってみてください
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COMMENT

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Koichi | URL | 2011/12/09(金) 18:55 [EDIT]
野村さんらしい合理的解釈ですね。
かつてギュメで砂マンダラを作った僧侶に壊す時の気持ちを聴いた時、悔しさなど、複雑な感情が湧いてくると言っていました。作った者にとっては無常を観想する大切な機会として伝承されていることは事実です。

Koichi | URL | 2011/12/10(土) 08:53 [EDIT]
続いてのメールで恐縮ですが、砂マンダラを描く際にマントラを唱えながらするか否かですが、マントラを唱えながらすることは無いと思います。
しかし砂マンダラを描く際には灌頂をする際の阿闍梨の観想内容と同じことをして臨むことが必要とされています。普通の人が凡俗な姿でマンダラに入ることが無いのは灌頂を受けた人なら皆さんご存知だと思いますが、それと似ています。灌頂の阿闍梨の観想無しに砂マンダラを描くなら越三三昧耶(戒律違反)になります。

嶺のシラユキ | URL | 2011/12/11(日) 18:47 [EDIT]
>koichiセンセ
やはり、野村君の解釈にはビミョウに野村君が入っていたのですね。センセのコメントを上にあげさしていただきます。

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