白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/01/29(日)   CATEGORY: 未分類
黒太郎一家の10年
午後のテレビでナベヅルをテーマにした感動のドキュメンタリーを見た。

「黒太郎一家の10年」(FNSドキュメンタリー大賞)である。涙ちょちょぎれました。

感動した私の話は長いが、ご損はさせません。最後まで読んでね。

かつて幕府はツルの捕獲を禁じていたため、ナベヅルは日本全国に飛来地した。しかし、明治維新以後、効率一辺倒の社会はツルを乱獲したあげく、ツルは激減し、いまや本土の飛来地は山口県の八代村一箇所になった。

なぜ、八代村だけにツルが飛来し続けているのだろうか。それは、明治20年代にさかのぼる。当時、この地域の領主がツルをとろうとしたところ、住民がそれに反対して、その対立を聞きつけた県知事が、ツルの捕獲を禁止する条例を出していたからである(なんとこれは日本初の自然保護条例らしい)。

そのような自然に対する意識の高い村であるため、「ツルの住めないようなところには、人も住めない」、と現在も村を挙げてツルをあたたかく見守っている。

ツルが飛来する冬の間は、ツルの食事場である棚田に人の出入りを禁止する。そして、監視小屋には必ず誰かががつめて毎日ツルたちの無事を一羽一羽確認する。近くの八代小学校の子供達も学校が終わるとこの監視小屋にきてツル日誌をかきつぐ。3月にはいってツルがシベリアに帰る時分になると、村中はかたずをのんでその出発の日を待つ。やがて、彼らはシベリアにむけて飛び立つ。その時、ツルたちは上昇気流にのるために輪を描きながら、しだいに高度をあげていく。それが村人に別れをつげているように見えるので、村中は歓声をあげてツルたちを見送る。感動的なシーンである。

 で、黒太郎というのは、このツルたちのボス。編隊を組んでシベリアに帰る時、先頭に立つリーダー鳥である。物語の主人公はこの一羽の雄のナベヅルである。

 ある年彼は妻と二羽の雛とともに八代村に舞い降りた。そしてあけてシベリアに向けてテイクオフの日、19羽のツルたちが飛び立った後も、黒太郎一家はとびたたなかった。上昇気流が弱く、飛行テクニックのあまい、彼の子供が上れないことがわかっていたからである。村人たちは残った四羽の黒太郎一家を心配そうに見守った。

 するとである。子供たち(人間の方)が歓声をあげた。

 彼らが指さす空の彼方を見ると、そこには先にとびたった19羽の姿があった。黒太郎一家を心配して、もどってきたのである(一度出発した群れが戻ることは普通ない)。翌日、黒太郎一家四羽を含めて総勢23羽になった群れは今度はいっせいにシベリアにむけてとびたった。
 またある年、黒太郎は一人で戻ってきた。そして数日遅れることして、彼の妻も舞い降りたが、様子がおかしい。妻は足を怪我していたのである。八代の村人は心配するが、足を引きずりながらも黒太郎の妻は必死で生き、二羽の雛とともに冬越しに成功する。そして、よく3月、群れはその黒太郎の妻にペースをあわせて彼女を先頭にしてシベリヤに旅立っていった。

 すばらしい。

 村人たち(+観光客)はこのようなエピソードごとににウルウル感動。ツルと毎日をともにしている八代の小学生たちは、とくに、ツルのこのような姿から「仲間を見捨てない。弱者のペースにあわせる」このような倫理観を自然と身につけていくことだろう。

 そして、まだまだ泣かせてくれます。
 黒太郎は半年後、再び八代にもどってきたが、足の悪い妻ツルの容態は悪化しており、しかもその冬は雪の多い極寒の日がつづく。座り込んで吹雪にたえる妻のそばで、黒太郎は心配そうにたちつくす。そしてよく3月、シベリアへの帰還が近づいたある日、妻は忽然と姿を消す。長い帰還旅行に耐えられないことを自覚した妻は、群れのお荷物にならないように自分から姿を消したのだ。

 黒太郎が悲しい声で妻を捜し続ける姿には、見る人誰もが涙ぐんだ。群れがシベリアにとびたっても、黒太郎と二羽の雛は妻であり母であるそのツルをさがして三羽で八代の森を探してまわる。何日もそれを繰り返した後、観測史上もっとも遅くに黒太郎はシベリアに飛び立った。
 泣けるではないか。
 これを見て育った八代小の小学生が、長じて後、配偶者を殴ったり、子供を虐待するようなド外道に育つことはまずないだろう。
 八代の村人たちは、ツルを保護しているのではなく、ツルに逆に支えられているのである。
これはまるでリチャードギアの名言「わたしがチベットを救おうとするとき、われわれが救っているのは人類が敵・味方なくむつみあう可能性を救っているのです」といった言葉に通じる。

 これいっちゃおしまいだけど、私は先生と言われる身分だが、ぜんぜん子供たちのお手本たりうるような人格者ではない。おそらく親とか言われている人も、こういうご時世なので、子供の手本となるような立派な生き方をしている人は少ないだろう。
 親であれ、教師であれ、僧侶であれ、本来人格者でなければならず、また、権威あるべきものたが、みな「らしく」なくなっている今、人間界に子供の倫理性を育てることのできる手本はもはやほとんど存在しない。

 で、こんな大人がいくら口で「弱者を大切に」「いじめはいけません」とか言っても、言ってる当人が喧嘩したり、毒づいたり、てかがみもって女子高生のスカートの中のぞいていたりしては、その言葉は誰の心も動かさないどころか、逆に反感を買うだけである。

 こう考えてみると、へたな倫理教育やるよりも、日本全国の小学校で野生のツルを餌付けした方がよほどましだということが分かる。
 ツルの生き方を目の当たりにすることによって、生きることの厳しさ、その中での家族愛などを学ぶのである。自然界の子別れの儀式とかを見てそだったら、はたち越えても親元でひきこもるような子供も、それを認めるような親も存在しなくなるだろう。ナベヅルを誘致するために、環境に気を遣うようになるから、環境政策にも利す。

 ダブルにオトクである。誰か、文部省に提言してくれ。 

 余談であるが、この黒太郎のドキュメンタリーとったディレクターに対して、ノンフィクション作家の吉岡忍が「ドキュメンタリーは社会性があると評価が高いから、ツルを背景において、村人の生活に焦点をあてた作りもできたのではないか」ととうた。

 すると、このディレクター、十年の間、もちろん、ツルと共生する村人の映像もずいぶんとった。しかし、作品をつくるためにはそのほとんどを削って、黒太郎一家に話の筋を絞ったといういう。

 削ることを知る監督だったから、良品をつくれ.るのだ。キング・コングの監督に是非、見習ってもらいたいものである(昨日の記事参照)。
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