白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/02/26(日)   CATEGORY: 未分類
チベットのお正月
 チベット暦は閏月の置き方が旧暦とは異なるため、チベットのお正月は旧暦の正月とは一日から一ヶ月くらい毎年ずれる。チベット暦はラサ・ダラムサラ両方にあるチベット医学・暦学センター(メンツィーカン)から、毎年発行され、これによってチベットの新年(ロサル)や祭日が西暦の何日にあたるのか、吉日・凶日は何日にあたるのかを知ることができる。

 2008年にチベット暦について一文を書いた時、どうせなら具体例があった方がいいだろうとその年のチベット暦をとりよせてみてみると、四川大地震(チベット人の住むアバ自治州が震源)が起きた時期に「地震が起きやすい期間」と書かれていたのを見つけて本当にびっくりした。チベット文化はなんか奥深い。

 今年のチベット暦の新年は二月二十二日、つまり先週の水曜日だった。今年の旧暦正月は一月二十二日だったので、旧暦よりほぼ一ヶ月遅いお正月である。

 日本では正月がもっとも「日本」が表出する期間であるように、チベットでも新年最初の三週間は、もっともチベットらしさが凝縮する時間である。チベットの社会は、仏教が重要な位置をしめ、世俗の上にたつため、この期間は、目に見える形で、僧院社会が俗世間の上に立つことになる。
 
 伝統的なチベットのロサルではまず、新年第一日目は高僧に対し、二日目は国王に対して拝礼が行われる。国王より高僧に対する拝礼が先に行われることがチベットの俗事に対する精神性の優位を表している。

 ところで、ダライラマは政教一致のトップにいるため、初日は仏教界のトップとしてのダライラマに、二日目は国王としてのダライラマにたいして拝礼が行われ、ようは二日間続けてダライラマを拝礼するのである(去年法王は政治のトップの座から降りたので今年どうしたかは分からない)。

 そして新年四日からラサの中心にたつチョカン(釈迦牟尼殿)に僧侶が集結し、祈願会(ムンラム)が開始される。それから続く三週間の間、ラサの司法は俗人ではなく僧侶の手にとどめられる。これもまたチベットを支配するものは仏の教えであることを示すものである。

 一大集会イベントである祈願会(モンラム)は、政府によって主催され、仏教の興隆、国家の安泰、ダライラマ法王の長寿、五穀の豊穣など祈願される。元は14世紀にチベットの最大宗派ゲルク派の開祖ツォンカパが開始したものである。

 祈願会の行われる舞台となるチョカンは、チベットの国土を人に喩えた場合の心臓にあたり、7世紀にチベットを開国したソンツェンガムポ王の妃がたてた由緒ある古刹である。祭りがもっとも盛り上がるチベット暦十五日の満月の日、普段人前に姿を現さないダライラマは人々の前にでて、仏の前世譚を講義する。チョカンの回廊壁画には釈尊の本生譚が描かれているので、場所もぴったり。

 さらにこの法要の期間、僧侶の最高学位を決める試験も行われるため、かつてラサには多くの僧侶と巡礼が雲集した。チョカンの本尊である釈迦牟尼仏の前には人々が行列をなした。

 つまり、お正月の元旦から三週間、ラサの町は僧侶の支配する神聖都市になったのである。
ちなみに、一般人のロサルの過ごし方については法王事務所のこのページとか参考になる。

 このようなフルセット形での伝統的なロサルは、もちろんダライラマがチベットを離れた1959年以後、本土チベットで行われたことはない。しかし、祈願会自体は現在も難民社会、また本土チベットの僧院内で続いている。

 では、中国共産党治下のチベットにおいてロサルはどうなったかというと、まず文革の際、本土チベットのお寺はすべて破壊されるか、社会主義中国の施設に転用されてなくなった。お坊さんはものすごく山奥の洞窟で修行している行者とかを除けば、もちろんまったく存在を許されなくなった。ちなみに、チョカンは事務所と家畜小屋に転用されたことは、ウーセルさんの『殺劫』に詳しい。

 文革がようやく終わって僧院の再建が許され、出家が限定的に許され始めた後も、「人が集まると抗議行動が始まる」という理由から、僧侶たちの集会は制限を受け続け、「人の集まる正月の祈願会は論外」ということになり、正月になると高僧たちはラサから退去するように命令じられた。

 しかし、庶民が個々の家でお正月を祝うことは許されているため、庶民はロサルになるとお寺に詣で、チョカンの釈迦牟尼にお供えものをし、ごちそうをつくって食べるなどして新年を祝ってきた。

そして今年のロサルである。
このページには今年のチベットにおいても各大僧院でロサルが行われていること、人々がお寺に詣で、ツァンパ(主食の麦焦がし)を天に向かって供養していることが記されているが、写真をみても分かるように、チョカンの釈迦牟尼仏の人出が激しくしょぼい。

 それもそのはず、亡命政府のセンゲ首相は2011年に焼身抗議者があいついだことを受けて、「今年のロサルはみなで静かに祈ろう。お寺に参ることなどは今までどおりに」と呼びかけたからである。

 BBCも普段のお正月と今年のお正月の違いを報道。チベットnowルンタに報道の和訳がある。 

 情報を遮断され、愛国教育をおしつけられ、自分の文化を否定するように強要されている本土チベットの人々も、犠牲者の哀悼を通じて、難民社会と強くつながっていることがこれによっても明らかである。

 で、お正月の日において、お祝いの代わりに欧米・日本などの主立った国々の首都において、難民チベット人たちが断食を行い国連に対して「中国の政策を改めさせるよう国連が圧力を」とアピールした(日本の一日はここ)。

 日本でも15人のチベット難民の方が、国連大学前で焼身抗議者の写真を並べて断食座り込み、さらに国連大学は要望書も受け取ってくれた。

 声明文を読みあげたドルマさんは「〔焼身した人々は〕中国人誰一人の命も奪っていない。それにも関わらず、中国政府は『焼身自殺はチベット人を本物のテロ行為に向かわせる破滅的なテロ行為に他ならない』と強弁している。国際社会が平和を望むのなら非暴力で自由を訴える人たちにこそ関心を向けるべきだ。」

 続いて「中国はチベット人を殺すのをやめろー」と英語でシュプレヒコール。富士には月見草がよく似合うように、フリーチベットには間延びした日本語よりも、英語シュプレヒコールがよく似合う

 本土チベットではチベット人のナショナリズムは法の取り締まりの対象となるものの、漢人の大漢族主義は野放しである。つまり、「チベット人を同化政策でいずれ漢人にしてしまおう」という中国政府の姿勢は明白なのであるが、この政策はもちろんチベット人にとって受け入れられるものではない。ここで叫んでいる若者たちは亡国の時から三世代目である。親の代は1959年に、子の代は1988年から89年に、孫の代は2008年に蜂起した。中国によるチベットの解放が、彼らの言うようにチベットに幸せをもたらしているのなら、チベットの若者が何世代にもわたって、こうして叫び続けることはないだろう。

 ロサルの日、ロンドンにある中国大使館で、チベット人が抗議を行っていると、大使館関係者が大使館を警備するイギリスの警察に「あいつらを黙らせろ」といったところ、イギリスの警官は「彼らには叫ぶ権利がある。あなたの国とは違うんです」と答えた。さすが言論の自由と人権の揺籃の地である。警察官も何を守るべきなのかちゃんと分かっている。

 日本の「知識人」たちが欧米の論理を批判しつつも、欧米がかちとってきた人権や言論の自由の論理にあぐらをかいて、善も悪もないんですよ、とかのたまっているのに比べて、明快である。また、日本の政治家が「中国に配慮して=恐れて」、チベット問題をなかったかのように扱うこととも異なって、明快である。

 新年のお祝いをしているはずのこの日、チベット人は寒空の中座り込んで断食をした。チベット人の目を直視できる人は日本には本当に少ないだろうなあと思う。
[ TB*0 | CO*0 ] page top

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ