白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/03/05(月)   CATEGORY: 未分類
チベットゼミ in 沖縄(前半)
 今年は、沖縄がアメリカから日本に返還されて40周年。また、もめまくっている普天間移設問題などもあるため、卒業旅行は沖縄に行くこととした。

※以下、個人情報保護のため、男子学生はキジムナーabcde、女子学生はユタABCDと表記する。キジムナーはガジュマルの木に住むいたずら精霊、ユタは沖縄の民間でひろく活躍するシャーマンである(笑)。

二月二十九日

 ※ すべての写真はクリックすると大きくなります。

 出発の朝は四年に一度しか出現しない日。二日前、幹事のキジムナー〇が体調を理由に旅行不参加を決定した上、当日は大雪で、交通網は乱れあまつさえ蒲田・川崎間の京浜東北線が人身事故でストップ。なんかいやな感じの出だしである。女の子は規定の時間にそろったが男共はキジムナーdをのぞいて誰も来ない。最後のキジムナーaが現れたのは予定離陸時間の十五分前、もう見捨てて荷物検査に入ろうとした矢先であった。この後も時間を守れないキジムナーたちとユタたちの間の溝は広がっていく・・・。

 飛行機は除雪作業のため滑走路で一時間以上を過ごし、遅れに遅れて出発。那覇についたら夕方になるというのに国内線なので昼食もでない。サンドウイッチ(有料)を注文したら「売り切れ」。「何でもいいから食べるものありませんか」と聴くと、ハーゲンダッツしかないというので、それを食べる。かつてANAの国内線は当たり前のように機内食がでて、音楽プログラムや英会話教材のサービスまであったことを思うと隔世の感。貧乏になったな日本。

 やっと那覇空港に着陸すると滑走路には航空自衛隊の戦闘機や軍用ヘリがずらっと並び、爆音をたてて戦闘機が空を舞う。うちのゼミはアレでコレなので(笑)、「これが台湾と東シナ海の平和を〔中国から〕守っているんだ。沖縄だなあ」と感心。空港内のヌイグルミキャッチャーでキジムナーdにぴよりーな一号をとってもらい、レンタカー屋の送迎でレンタカー屋に向かう。

空港周辺には自衛隊の基地があり、古い航空機などが展示されている。レンタカー屋の運転手さんは我々の反応をみて自衛隊に好意的と判断したのか、「あそこでとんでいるのはジミー二号です」「そこのシバの生えた山の下にはジェット燃料が入っています」「あそこの森の中には迎撃ミサイル(パトリオット)がしこまれています」とやたら詳しく説明してくれる。聴けばもと航空自衛隊の管制官でかつては、四機をいっぺんに誘導し、北は北海道から日本列島全体をレーダーで監視していた方であった。

 私「東日本大震災の時、混乱に乗じて中国が東シナ海を制圧しないように、米軍とともにここ沖縄の自衛隊が発進して警戒にあたったんですよね。」と震災一年をしみじみ振り返る。

 さてそれからレンタカーを借りて初日の宿かりゆしビーチリゾートに向かう。男車はキジムナーcが運転し、女の子車はユタBが運転し、わたしは席にゆとりのある男車にのった。女の子車は安定した運転なのに、男車の運転は荒く、そのうえ「オレはナビの言う通りに動くのはイヤだ。高速のる」とかいう姿勢であるため、とばすわりには男車は目的地につくのが遅い。男と女の人生に対する対処の仕方の違いを象徴的に見たようで笑えた。

 途中女の子車は嘉手納基地で休憩、男車は普天間の見える嘉数(かかず)高台公園で休憩。普天間のある宜野湾市は市の四分の一が基地。この基地移設問題が混迷する中、つい半月前移設を主張しつつも国と話合うという保守系の市長さんが誕生したばかり。

 キジムナーたちと展望台に上ると普天間基地が見える。この日ヘリコプターは一台もとまっておらず、静かであった。この公園は実は太平洋戦争中日本軍の第一防衛戦の中核陣地であった。
a普天間jpg

 以下平和教育によく用いられる『沖縄修学旅行』からこの高台をめぐる攻防を引用しよう。

 〔沖縄〕上陸後のアメリカ軍は、細長い沖縄本島の中央部を突っ切って島を南北に分断、海兵隊の部隊はそこから北部へ向かい、主力の陸軍部隊は日本軍指令部のある首里をめざして南へ向かった。・・・一週間後の四月九日、アメリカ軍は嘉数高地に対する攻撃を開始した。・・アメリカ軍は激しい砲撃を加え、戦車を先頭に猛攻を繰り返したが、嘉数高地はびくともしなかった。高地には網の目状のトンネルで結ばれたトーチカが要所に構築されており、日本軍はそこから迫撃砲や機関銃で的確に反撃したからだ。

 前進を阻まれたアメリカ軍は四月十九日、戦線を立て直して総攻撃を開始した。地上軍の火砲のほか、船艦以下18隻の軍艦からの艦砲射撃、それに戦闘機650機による爆弾やナパーム弾投下まで加わったこの総攻撃はこれまでの太平洋での戦闘の中でも最大規模の砲爆撃だったという。打ち込まれた砲弾は176万発にも及んだ。

 しかしそれでも嘉数高地は落ちなかった。日本軍は地下にもぐって砲爆撃を避け、アメリカ軍の戦車が迫ってくると対戦車砲で撃退、さらには地下から飛び出して急造爆雷を戦車の下に投げ込んだ。破壊されたアメリカ軍の戦車は総数60台にも達した。・・・こうして嘉数高地は、アメリカ軍に多大な出血を強いながら四月二十四日まで持ちこたえた。


 何というかもう壮絶である。このどろどろの殺戮戦をへたのち、まだアメリカ軍の基地が沖縄には残ったわけだから沖縄の人も複雑な気持ちであろう。しかし、だからといって、米軍がいなくなって中国に占領されて大躍進政策や文革を経験するのもいやだったろうから、沖縄の地政学上の位置は本当に悲惨である。

 展望台下には当時のトーチカが保存され、慰霊碑が並んでいる。高台の上なのに妙に暗く空気がよどんでいる。こういうところにチベットの高僧つれてくるといきなりお経をあげだしたりして怖いんだよな。今枝由郎先生が自分のラマ(ブータン人)をアメリカ連れて行った時、いきなり車をとめろといって、お経を唱えだして、あとで調べたらそこは先住民が虐殺された地だった、という(もちろんブータンの先生はそれを知らずにやっている)。

三月一日

 明けて三月一日。男共はほとんど概日リズムが崩れた昼夜逆転人ばかりで、誰も時間通りに起きてこない。起きてきてもすごく機嫌が悪い。そして、今日は九時に、大学によって四年生の単位発表が行われる。つまり、卒業できるかどうかが決まる。男共はみなスマホで大学のページに接続し、卒業確認を行い始めた。この時、キジムナーcのスマホを持つ手は覚醒剤の禁断症状のように震えていた(笑)。ていうか、なんでみんな卒業にこんなに自信がないんだ(笑)。

 しばらくして卒業を確認したキジムナーcはケダモノのような雄叫びをあげはじめた(面白いので動画にとった)。もちろん女子は何の問題もなく確定。今日は沖縄三山時代の北山の王城の地、今帰仁城(ナキジングスク)に行く。むろん、世界遺産であーる。

 現地ガイドのオジサンがまず城の構造を模型で説明してくれて、この石垣が沖縄の他の城とは異なり固い岩で作られていること、外郭まで含めると首里より大きい城廓であることを説明してくれる。
aナキジンjpg

 ガイドさん「この木は沖縄を代表するデイゴの木です。成長が早くこの大木もまだン十年しかたっていません」

 キジムナーa「先生とほぼ同じ年ですね」
 
 aを無視して城に入るとガイドさん(八年前に沖縄に北海道から移住してきた人)は米軍がつけたジープ道をきらい石畳の旧道に我々を導く。折しも雨がふりはじめ、この地域独特の毛の生えたかたつむりを手にとってくれる。城のてっぺんにつくと城全体が見渡せて、マチュピチュにいるようなエキゾチックな感じがする。
 これから何度も見ることになる火之神をまつった祠、そこにささげられるお線香、紙銭、御嶽(うたき=自然霊の拝所)などの概念をここで教え込まれる。勉強になるう。

 この城の上には乾隆14年の碑文があり、沖縄が薩摩の実効統治下にありつつも公式には中国元号を用いていたことがわかる。以後清朝の臭いを至るところにかぎわける私であった。この城の近くには子供の産み分けまでできるというすごいウタキがあり、秋篠宮もここで拝んで悠仁親王を授かったという。

 三山(北山・中山・南山)はそれぞれ明朝に朝貢使をおくって自らの沖縄支配権をアピールしたが、最終的には中山が勝利して三山は第一尚氏王朝に統一される。
a水族館

 このあと美ら海水族館にいき、その前に広がるエメラルドビーチでフリー・チベット記念撮影。折しも太陽が顔をだし、海は文字通りエメラルド色に。この後も不思議なことにウタキに行く時は雨で、そこからでると雨は上がった。女の子たちが結構カワイイ子揃いなので、ユタ認定されて自然霊がお喜びになったのかもしれない。

 エメラルド・ビーチで女の子たちのジャンプを撮影していると、謎のオジサンが現れた。

 謎のオジサン「この岬の先端には自然のタイドプールがあって熱帯魚が自然の状態で見られるよ。あと、ここの備瀬(びせ)という集落は琉球村みたいな作り物じゃなくて、今も人が住んでいる昔ながらの本物の集落だよ。
 集落は台風から集落を護るフク木並木に囲まれていてきれいだよ。昔、この地域は本当に閉鎖的で青年団の人が外から入ってきた人をボコボコニにしていたんだ」というので、俄然興味がわいてきて、お昼ご飯の後にこの岬に行こうということになる。しかし、ここで問題が。
a砂浜

 今までの卒業旅行は主要な観光地はみなで訪問しても二日目からは自由行動にして、歴史が好きな人は歴史遺跡へ、町歩きしたい人は町歩きと別れて行動していた。しかし、沖縄はレンタカーでないと移動できないため、どうしても集団行動が多くなる。

 そのため、集団行動は小学校以来初めてというキジムナーcがオリの中の猛獣のようにいらだち、さらに、バイト戦士で今回はその骨休めでリゾートにきたものの、無神経なキジムナーaの発言に、職場で部下にきれるようにキれてしまうキジムナーdがヤバイ感じに(キジムナーaが一番年上なのに全く尊敬されていないのが笑える。それをいうなら私もかW)。

 そこで、私が「車が二台しかないから誰かは我慢してもらわないといけない。ここは沖縄だ。女の子の意見を尊重しよう(琉球国王は女性シャーマン聞得大君(きこえのおおきみ)の託宣を聞いて政治していた)。午後だが、男性陣でホテルに帰りたい人は一台使って帰ってください。明日は那覇に早めにいき、そのあと自由に行動にするから今日は我慢して」と恫喝・懐柔半々で話す。

 すると、キジムナーcが「女の意見を通すって、じゃあ福島●穂の意見を沖縄で通していいんですか」というアブナイ発言をするが、無視する。そして気まずい中結局、みなで岬に行くことにする。岬につくとなぜかさっきの謎のオジサンがそこにいた(笑)。

 オジサンは我々を導いてタイドプールに連れて行く。そこにはハデなブルーな魚がたしかに自然の状態で泳いでいるのが見えた。

 キジムナーa「東京湾とちがーう」

 謎のオジサン「比べるな」

 そして、オジサンが「星の砂があるよ」というので、みなでビーチに座り込んで星の砂を探す。そして「どこから来たのか」と聞かれたので、東京の人民大学のチベットゼミの卒業旅行だというと、

 オジサン「チベットが中国の支配下にあるのはおかしいね」

 今だかつてゼミ旅行に行った先でチベット問題について的確な発言を聞けた事があったろうか。さすが沖縄である。感涙にむせぶ。そこでチベット旗を掲げてまた記念撮影(こればっかりやW)。オジサンによると沖縄に原発がないのは、原発が事故るとアメリカ軍が無力化し東アジアがえらいことになるからだという。

 私達がチベットなことがわかったせいかどうか知らないが、オジサンは観光客絶対いけないところにつれていってくれるという。彼に連れて行かれたそのビーチは、ナビにもでない道なき道をいったところにあり、先ほどの岬よりもさらに俗化が進んでいなかった。ここの方がさらに星の砂が見つかりやすいというので、みなでまた座り込んで星の砂を探す。沖縄のビーチは珊瑚の死骸が多いので、写真にとると白くぬける。

 そのあと、謎のオジサンはさらに我々を某ゴルフコースの所有になる「癒しの展望台」なるところにつれていってくれる。ここは岬をほぼ一望できる場所にあり、見晴らしがいい。みな、社会人になったあと休暇とってさっきのプライベートビーチに行くんだ、としきりにいっている。

 一触即発の我々の前に現れ、空気をなごませ、チベットに理解を示してくれたあの謎のオジサンはおそらくは何かの化身であろう。その夜、キジムナーcdを除くみなで、沖縄バンドの入っている海風というレストランで食事をする。もりあがってくると、沖縄の民族衣装をきたカワイイ娘さんのあとを、客の若者たちがおどりながらついていく。

 ユタCD「先生、何かの宗教みたいですね」
 私「動画とってあげるから、あなたたちも一緒に踊ってきたら」
 ユタABCD「いいです」

 こうして人間関係に若干の問題をはらみながらも二日目の夜もくれていったのである(続く)。
[ TB*0 | CO*2 ] page top

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2012/03/06(火) 09:18 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2012/03/13(火) 02:05 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ