白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/03/06(火)   CATEGORY: 未分類
チベットゼミ in 琉球(後半)
三月二日

 三日目は琉球村経由で那覇に戻る。琉球村は沖縄の古民家を移築してつくったテーマパークで、それぞれの民家でサトウキビジュース飲んだり、三線聞ぃたり、琉球舞踊見たりとかの体験ができるようになっている。

 まず、幹事キジムナー0の計らいによってタダでついている琉球伝統衣装着付け写真撮影を行う。赤ちゃんの衣装まで用意してあり、アホみたいな集合写真がとれた。

 沖縄にいくと、自動販売機はシークワーサー・ジュースとさんぴん茶ばかりが入っているが、暑かったので私はあえてゴーヤビールを飲む。
a自販機

 ユタB「センセー、シーサー(獅子)の絵付け体験は最低四十分とかいっているので、もう行かなきゃ時間がなくなります」

 ライオンの餌付け体験? そりゃ楽しそう」とオヤジ・ギャグをかます。

 シーサー絵付け体験とは、無地のシーサーにアクリル絵の具で色付けをするのだが、ユタたちはスマホで画像検索してシーサーの色を確認してオレンジにぬった。しかし、私は写真のようなオカメインコ・カラーで色分けした(写真をクリックして大きくしてみてね 笑)。
aシーサー

 そして、那覇について国際通り入り口にあるホテルにチェックインして、そのまますぐに世界遺産、斎場御嶽(セーファ・ウタキ)に向かう。ここは沖縄の神女たちを統括する聞得大君(きこえのおおきみ)の即位式が行われた場。かつてこの霊場には神女しか入れず、とくに久高島を遙拝する最奥部は聞得大君しか足を踏み入れることができなかった。しかし今は世界遺産になったため、男の観光客までどかどか入れるようになっている。

 敷地内に入ると完全な熱帯雨林。キジムナーbが「森も拝所も熊野古道とそっくり」と言うように、古層の日本の文化がここには保存されている。ここ数日間あれる一方だった私のお肌がみるみる潤っていく。これはすごい。

 キジムナーa「センセー、あの池からすごい霊気を感じます」

 「解説をよく読め。沖縄戦の艦砲射撃であいた穴に水がたまっているだけだっ」

 キジムナーa「センセ-、今日のスタイル白なので教祖様みたいです。教祖様、足下気をつけて」

 「教祖様言うな」

 などの小芝居をしながら、聖地のもっとも奥に入る。キジムナーeはiPhnoneを羅針盤にし、この拝所が東を向いていることを確認する。とにかく荘厳な霊気である。

aセーファ

 拝所で真剣に、ダライラマ法王のご長寿と、チベットの平和を祈願する。もっとも古い自然霊につながっている聖地だから、自然を大切にするチベット文化はきっと加護がいただけるはず。て、アバターか。

 斎場御嶽を出た直後から海が見えないほどの濃い霧がたちこめてくる。景色を見るために御嶽の近くの岬公園にいったが、一面乳白色で海はおろか、自分たちが立っている緑地以外何も見えない。まるで龍の巣の中にある天空の城ラピュタである。

 景色がみえないので、仕方ないので四つ葉のクローバーを探す。ユタDが五つ葉、キジムナーdが四つ葉のクローバーを短時間で探し当てる。

 ユタB「センセーこんなところに花束があります。誰かここから飛び込んだのかな」

 「たぶん最近でないよ。沖縄戦の時に追い詰められて集団自決をした場所じゃないかな。」

 といったら、やはりそう。ここは多くの人が飛び込んだ断崖だった。

 私たちが岬公園からでる時には不思議に霧が晴れてきた。しかし、那覇市内に入るやスコールが降り出し、ワイパーもきかない洗車状態に。じつは昨日謎のオジサンとともにドライブしていた時、舗装されていない泥道を走って車がめちゃめちゃに汚れたので、「返す時に洗車しなきゃねー」といっていたのが、このスコールで「ま、洗車しなくてもいっか」というレベルにまで綺麗になった。御嶽のご加護である。

 夜はステーキとロブスターの食べ放題。最初にでてきたトマト・スープがネパールやインドでのむトマト・スープに激しくにていたので、キジムナーaに「これ、インドカレー屋ででるスープににているよね」というと、ユタDが「私今朝の夢で先生とaさんがこのトマトスープで会話している夢見ました。私時々予知夢を見るんです」。

「東京直下型地震を予知夢で見たら教えてね」と頼んでおく。

三月三日

沖縄最後の朝である。間違えて一時間早く起きたので、ホテル近くの牧志御嶽にお参りにいく。国際通り近くの繁華街の中にある御嶽なのに。小さいながら聖所には森がくっついている。

 今日はいよいよ世界遺産首里城の参観である。首里城前では沖縄戦時代の不発弾処理をしていて、道が封鎖されている。少し上がると有名な守礼門がある。

 ユタB「昨日コンビニのATMでお金おろしたら、2000円札がでてきました。沖縄で流通していたんですね」といって、2000円札に描かれた守礼門を掲げて実物の守礼門を写真撮影。
守礼門

 次に、琉球王と王族の墓、玉陵(たまうどん)を参観。かつて国王の死体はここで腐らせた後に洗骨し、王族の骨は左、王の骨は右の墓室に納めた。ぱっと見マヤの天文台のようで、本当に迫力がある。境内にはガジュマルの木がある。昨日斎場御嶽でガイドさんが
たまうどん

「ガジュマルの木は枝から気根が下にのび、地面に着地するとものすごい勢いで成長をはじめます。その気根が周囲の木にまきついて枯らしていくことから、"絞め殺しの木"と呼ばれています」というのを聴いていたユタDは

「ガジュマルの側にたっていたらいつか木に巻き取られて死ねるのかな」
とアブナイ発言をする。そこでみな「どんだけ長く立ってるつもり?」とフォローする(え? フォローになってない?)。

 それから、首里城コンプレックスの一部弁天堂、円覚寺址をめぐる。弁天堂にも円覚寺跡にもお経を読んだり、瞑想したりしている人がいて、ここはいまなお沖縄の霊的な中心であることが分かる。実際に拝んでいる人を見たのは首里城のこの二カ所だけだが、どの拝所も線香の灰などがおちていて今もなお人々が頻繁に拝みに来ていることが分かる。

 その後、いよいよ首里城城壁内に入場する。じつは首里城は沖縄戦の際日本軍司令部が置かれたため、アメリカ軍に徹底的に砲撃されて破壊しつくされた。いわゆる「鉄の暴風」によって城はおろか、城内の御嶽も、熱帯雨林もすべて丸焼けになったのである。

 「なんでわざわざ歴史的建造物に司令部なんて作るんだよ。おかげで何も残らなかったじゃん」というと

 キジムナーbが「当時は世界遺産なんて概念もないですし、琉球処分の後は廃城ですから。それにここは首里全体が見渡せる岡なので戦略的にここに司令部つくるのはありでしょう」と冷静な意見。

 まず入り口には清朝からきた冊封使の揮毫が碑文に刻まれている。当然元号は乾隆とか嘉慶とか中国風である。そして復元された味気ない鉄筋御殿に入ると、かつての王朝時代の遺物が展示されている。清朝から琉球国王に送られた勅書や、清朝が琉球国王を任命してだす国王印などである。
aはんこ

 清朝であるからハンコの文面とかは当然満洲語と漢語が合壁になっている。キジムナーaと私が「満洲語だー liu ciu gurun i wang ni durun(琉球国の王の印)」と二人で満洲語を声をあげて読み始めると他の学生は他人のふりをする。

 正殿の一階の床にはガラスがはまっており、首里城の土台がよく見える。今帰仁城のガイドさんは「首里城はみんなニセモンですわ。正殿の床にガラスがはまっていて縁の下が見えるようになっていますが、そこから見える石壁の残骸だけが本物の首里城です。そこだけは必ず見なさいよ」と言っていたそれである。
a土台

  そして琉球国王の玉座の間である。ここはさらに清朝臭い。何しろ、玉座の真後ろに、頭上に康煕帝、向かって右には雍正帝、向かって左は乾隆帝の揮毫がかかっている。どこからみても清朝の朝貢国である。
a王座

  しかし、清朝時代、琉球は薩摩の実効統治下にあった。ではなぜ、薩摩が、琉球が清朝の朝貢国としてふるまうことを許していたのかといえば、清朝の冊封体制下に入ることを拒否した日本は、中国と直接貿易ができなかったため、沖縄を中国貿易の窓口として必要としていたからである。

 そして、清朝皇帝も琉球が日本の統治下にあったことを知っていた。清朝皇帝はロシアやタイの王様も臣下として遇さず、対等におつきあいしていたのだが、国内向けの宣伝ではロシアやタイも朝貢国、すなわち臣下扱いしていた。彼らにとって朝貢儀礼は、統治下の人々に清朝が偉大であることを信じさせるための装置であり、内政問題であり、実態はある意味どうでもよかったのである。

 思えば、現代中国やロシアの指導者は今もこの種の政策をそのまま採用しているといえる。国内の情報を統制し「我が国は世界の中心である」と国民に信じさせ、ナショナリズムをあおることを通じて(言い換えれば愚民扱いすることにより)、支配の強化につなげている。

 つまり、今の中国が過去の琉球と清朝との間に形成していた形式的な上下関係を、現代的な領土主張にすり替える危険は常にあるのである。反日デモが起きるたびに「沖縄は中国の領土だ」というプラカードが書かれること、あの台湾ですら沖縄は内地扱いしていることなどがそれを証明している。

 沖縄の人が中国の占領下に喜んで入ると言うのなら私は何もいわない。しかし、普通に考えても、ここまで平和教育が浸透している沖縄の人が、「権力は銃口によって作られる」という中国共産党の治下で幸せになれるとも思えない。沖縄の人が基地がいやでしょうがなくとも、自衛隊や米軍が一人残らず島からでていけ、と思っている人は少ないと思う。この島は中国の目と鼻の先にある。丸裸になったら何がおきるかは一目瞭然だからである。

 沖縄からアメリカ軍基地がなくなる日がくればいいと私も思う。だけどその前にまず、中国に大人の国になってもらわねばならない。

 首里城を出た後は、ユタAとキジムナーabとともに金城石畳(首里から島尻に向かう街道)をくだってみる。この道の途中にはアメリカの艦砲射撃を生き延びた熱帯雨林とその中にある京内御嶽がある。それはもう荘厳な御嶽である。ここで心をこめて、ダライラマ法王のご長寿とチベットの平和を祈る。

  チベットは中国に道徳的な目覚めをもたらそうとしている。中国が紳士な国になることは、日本の安全保障にとっても良いことなのは言うまでもない。日本人にはもはや中国を教育できるだけの道徳性がないことを考えると、チベットの存在は希有である。

 つまり、サヨク・ウヨクともに、平和を守りたいなら、国を守りたいなら、チベットを支援しない理由はないのである。今の中国のあり方が世界のスタンダードになったら、信教の自由も言論の自由も思想の自由もなくなり、金儲けの自由しか残らない世界になる。それでいいのかと。

ウタキで祈っていると雨が強くなっていく。祈りが聞き届けられたのだと思いたい。
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| | 2012/03/07(水) 10:10 [EDIT]
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峰のシラユキ | URL | 2012/03/07(水) 13:50 [EDIT]
>Mさん
お加減いかがですか。駄文をよんでくださってありがとうございます。沖縄はじつははじめての訪問だっので、いろいろ発見があって面白かったです。新聞にのる時は基地問題ばかりですが、あそこに保存されている古い日本文化はすごいものでした。
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| | 2012/03/08(木) 23:40 [EDIT]
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嶺のシラユキ | URL | 2012/03/09(金) 00:22 [EDIT]
>Hisanoさん
歴史的にいってさまざまな民族が●人化すると、大勢としてこうなってきたのは歴史的な事実ですが、気になるなら表現かえておきますね~。

嶺のシラユキ | URL | 2012/03/13(火) 08:41 [EDIT]
>ひめちゃんさん
確かにネットで調べた限りではノロは女性で公務員で、ユタは男も名乗る人もいるようで、いろいろですね。よく分からないので無難な表現に改めておきました。ご指摘ありがとうございました。

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● 2000円札「製造ゼロ」9年目 「見かけない」「沖縄にはあるぞ」
ヤフコメログ - Yahoo!ニュースコメント 2012/04/09(月) 00:14
 最近、2000円札を見かけない――そんな感想を持つ人が少なくない。それもそのはず、製造枚数ゼロは9年目に突入する。需要は伸びず、流通枚数も減っている。 一方、「2000円札が珍しいという話を聞いて、びっ...  [続きを読む]
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