白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/03/16(金)   CATEGORY: 未分類
第53回チベット蜂起記念日
 3月9日は早稲田エクステンションセンターの講義(チベット仏教)の最終日であった。私の講義(現代史)パターンは、その時々の心に触れるニュースを導入とし、季節のメニューとして1月は中東革命、3月はチベット蜂起、6月は天安門、10月は1989年の東欧革命、11月はノーベル平和賞、12月はクリスマスといった具合に色をだす。

 今回の講義はチベット仏教がテーマであるが、仏教は人の心のあり方の哲学なので、現代史上の人々の行動を例に引くことが可能であること、かつ、翌日が3月10日のチベット蜂起記念日、3月11日が震災の日ということもあり、当然ウザい感じに仕上がった(笑)。

 「去年の震災に際してはダライラマは個人で一千万の寄付を行いました。ダライラマは難民ですよ? もし日本で、たとえば9.11の時に天皇陛下が「アメリカに一千万だす」といったらどうでしょう。きっと「日本人も困っているのに豊かなアメリカにお金だすことはない」とか言う人がでてくるでしょう。だけど何とチベット人はダライラマにならって、みなでなけなしのお金を集めて日本に送ってきました。これ一つとってみても社会の隅々にまで行き渡ったチベット人の利他性は明かです。

 そのチベット人にお手本を示しているチベットの高僧は、どのようなつらい状況に直面しても、無気力や恨みや憎しみや不安にとらわれることはありません。ダライラマを見ても分かるように、究極の逆境にあってもいきいきと人のために生きています。一方、先進国には物質的には充たされているのに心を病んだ人があふれています。このことが示すことは、わたしたちを幸せにするのは外からやってくるものではなく、我々の内側にある心の平安であるということです。

 短期的な快楽の充足は本質的な意味で人を幸福にすることはありません。長い目で見た幸せは心を安定させてはじめて得られるものです。そして心の安定とは自分と自分の延長にあるものにとらわれることから脱し、他者を愛することによって得られます。

 チベットの仏教哲学によれば、一切のもの、すなわち現象にも自我にも、確固とした本質はありません。従って、人の性質も、良く変わることもできれば、悪く変わることもできると考えます。ところが、心の平安とは、何かの魔法で一足とびに手に入るものではなく、昨日よりは今日、今日よりは明日と、毎日性格を良い方に改変する努力を積み重ねた末に達成されていくものです。

 たとえば、歯磨きの習慣をいったん身につけると、歯を磨かなければ朝がはじまらなくなるように、チベット人も毎日心のチェックを行い、それを毎日続けていることを習慣にした結果、自然とあのような利他的な行いができるようになったのです。だからチベット仏教の修行は結構地味です。

 性格を良くすることを通じて心の平安を得るには天文学的な時間がかかります。なので、いろいろな言い訳(親が悪い、仕事が忙しい、聖人になるのはムリ)を並べ立てて良くなる努力を先延ばしすることは許されません。チベットの高僧の法話の定番は「いますぐ心のチェックをはじめなさい、死はすぐにやってくる」です。

 講義の終了後、一人の年輩の学生さんがやってきて「先生、今日の『朝日』の朝刊みましたか? チベットが一面でしたよ。」と話しかけてきた。

私「二年前、柄谷行人が朝日に書いた『西洋における仏教受容の歴史』の書評があまりにひどかったので(もしあの書評が真っ当だという意見があるならいつでも議論を受けて立つ!!)、以来購読をやめて見てません。」というと、

 学生さん「ダライラマが外国人から選ばれるって書いてました」

 私「それは本土チベットでなくて、難民社会に生まれるという意味じゃないですか。確認してみます」

 そこで帰宅して、朝日新聞のデータサイトにいって紙面のpdfを見てみると確かに一面と三面にチベットでの焼身抗議や当局による情報統制の記事が載っている。奥寺淳という記者が、チベット人居住域に潜入取材を試みて途中で警察に捕まって脅されて送り返されている。中国当局は「外国人はどこでも好きなところにいける」といってたらしいが(爆笑)。

 余談だがこの奥寺淳さん、それから四日後の13日にジャーナリストに与えられるボーン・上田賞を受賞した。受賞理由は、去年の中国高速鉄道の事故の現場取材やチベットやウイグルの報道を中国当局の圧力に屈せず行ったからという。ちなみに、経歴を読むとこの人元産経記者(笑)。私が購読をやめる最後のあたりからチベット報道が劇的に改善したのはこういう人がいたからか。

 朝日新聞、あともう少し頑張って、社会面とか文化面とかでとりあげる「知識人」のラインナップを刷新しない? 戦後ずっと金太郎飴状態で、少なくとも私はもうあきた(笑)。

 話を戻すと9日、講義を終えた自分は、よく講義を聴きに来てくださる5名の聴講生さんとともにビルマの少数民族カチンの料理屋に入った。なぜカチンかというと、カチンの人たちの住む地域はカカボラジ山を越えればチベットだし、彼らも国がない難民なのでできるだけお金おとしたいし、何より安くておいしいし、「チベサポでーす」と言うと、サービスが良くなるからである(笑)。

 というわけでカチン食堂に入ると、なぜかチベサポの重鎮AさんとBさんがいた(笑)。このカチン食堂、すでにチベサポのたまり場に(笑)。

私「明日(3/10)の打ち合わせですか」

A「違います。もっと中長期的なチベット支援についての秘密会談です」

とはいいつつも、狭い店で隣の机にいるAさんのしゃべりはダダモレで、秘密会談になってない。そもそも日本国内で隠すことなんてないけど。

 で翌、3月10日はチベット蜂起記念日である。

 53年前の1959年のこの日、チベット人が自然にダライラマを守るべくノルブリンカ離宮のまわりに集結した。この日からチベットの群衆と中国軍のにらみ合いがはじまり、両者衝突の危険を避けるためダライラマはインドに亡命するにいたったのである。

 以後、この日には、世界中でチベット難民が先頭に立ち平和行進が行われている。具体的にはあのド派手なチベット旗を翻らせて街頭を練り歩いてチベットの現状を訴える。たとえば今年なら、「中国国内のチベット人は声をあげることすらできません。なので自らの身を燃やして抗議しています」と焼身抗議を人々に訴えるのである。この行進はチベット人に「チベット問題は忘れられてませんよ」というメッセージを送る意味もあるので、きっちり撮影されYoutubeに挙げられる。

以下は、Youtubeにアップされた各国の平和行進の模様。ニューヨークでは国連前でチベット人が無期限ハンストに入っている。


ちなみに、ドイツでは1200の都市でチベット旗が翻った。

 翻るド派手なチベット旗に、途切れない人の波。横断幕を見ると中国の民主化を求める集団とかいろいろ加わっている。探せばカチンの人とかいそう(笑)。
 
 そしてこれが今年の東京

 ツイッターに「諸外国に比べて人数少ない」と嘆いていた人がいたけど、僧侶と同じで数を増やせばいいってもんじゃない。やはり質である。私は2008年からミクシやツイッターでチベサポをウォッチングをしてきたけど、チベサポの中核にいる人たちは、本当にただの個人だけど、タダモノでない人たちばかり。

 まずチベットは票にもお金にも力にも結びつかないから、彼らにはそういう意味でのスポイルがない。本当に個人である。なのに、去年震災が起きた時、しめしあわせたようにチベサポの中核メンバーは被災地に入って物資を届けたり、東京で支援品を集めて送ったり、あるいは写真を洗ったりなどの体を動かすボランティアを行っていた。つまり、この人たちはとにかく、つらい状態にある人(&動物)たちを見捨てられないのだ。

 チベットのために歩いている動機も、「すぐ隣の国で行われている不当な出来事に対し、その国と深く関わっている日本人が知らないふりはできない」あるいは、「チベットの利他の文化は人類共通の遺産。この文化と言語をまもらねば」などの「良心」である。

 見て見ぬふりができない人たち。世に満ちあふれている「何かを要求しても何かに反対しても、それを実現するための行動はまったくとらない、権利は主張しても義務は果たさない活動家」とは真逆なのだ。簡単にいうと、チベサポは菩薩(修行中)である。

 それに見れば意外に数も集まっている。だって、日本人にとって3月10日は1945年の東京大空襲の日だし、さらに去年からは東日本大震災勃発の前日になった。このイヤガラセかとしか思えない巡り合わせにもかかわらず、よく集まっているよ。

 それに9日の朝日の一面を飾ったチベット記事も、明らかにチベット蜂起記念日の10日を意識したものである。つい最近まで、朝日は新華社の報じる「西蔵解放記念日」の報道はしてもチベット蜂起記念日はガン無視だったことを考えると、日本のチベット・サポート環境も改善したものである(しみじみ)。

 南アでアパルトヘイトが行われていた20世紀の後半、黒人の権利を求めた人たちは治安維持法で拘置所にひっぱられ、相次いで不審な死に方をした。たとえばスティーブ・ビコが死んだ時、時の法務大臣クルーガーは平然と「ハンストで死んだ」と発表したが、ビコの死体は全身に殴られた痕があり死因は頭部打撲であり、明らかに拘置所内でのリンチが原因であった。白人と共存しつつ黒人の権利を求めるというANCの憲章は、当時の南ア政府によって禁書にされ、国民に読ませないようにした。憲章を読めばそこに書いてある内容があまりに真っ当でみながANCに共感してしまうからだ。そして、南ア政府はANCはテロリスト集団だ、と国民に教え込んだ。

 この過去の南ア政府の行動って今の中国のチベット政策と激しくかぶっている。中国当局はまず情報統制によって相次ぐ抗議の焼身をなかったことにして、何か発表せねばならない場合にも〔焼身した人は〕「犯罪者だった」「個人的に問題を抱えていた」「テロリストだ」などと死者に原因があるかのような声明をだしている。しかし、焼身する人は死ぬ前に死の動機を録画しているので、これがウソであることは報道の自由のある国の人は知っている。

 中国がいくら経済的に強くなったと言っても軍事費は毎年二桁まし、、国際ルールは守れない、チベット問題に関しても文革時と変わらないプロパガンダを繰り返しウソまでつく、さらには日本以上の格差社会を実現しているのを見ると、この国の発展を手放しで暖かく見守る人は少ないと思う。

 一方 国がなくなって53年もたつのに、チベット人は文化を守り続け、かつ、運動の品格も失わず、世界中の心ある人のサポートを受けてがんばり続けている。

 これを見ていると、この人たちが負けるような気がしないから不思議である。
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| | 2012/03/18(日) 20:18 [EDIT]
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