白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/05/27(日)   CATEGORY: 未分類
カルチェ・ラタンを歩く
 日本に帰って愛鳥の顔をみたらかなり機嫌がなおったので、読者のみなさんが楽しい気持ちになる日記を書いてみました。題して、パリの学生街点描。どっちがパリの真の姿なのかは、自分の目で確かめてね! 笑)

 往復ともに、JALとエールフランスが共同運行するパリ直行便。飛行時間は12時間。行きの機体はエールフランスの二階建てのエアバスで、帰りはJALだった。エールフランスの最後尾にはドリンクバーがあり、乗客は立ち話をしながらお菓子を食べたりジュースを飲んだりできる。エコノミー症候群をふせぐため? トイレの設備も気が利いておしゃれ。さすがわおフランスね!

 さてパリについてタクシーでホテルに入る。学会が準備したホテルはカルチェラタンのはずれにあり、サルトルとボーボワールが同棲していたホテルみたいな古い建物をそのまま使ったいかにもフランスなかんじのホテル。

 ホテルの近くには有名なマルシェ(市場)がたくさんあり、学会会場に向かう途中とおるムフタール通りには、数多くのカフェやブラッスリーが軒を連ね、その間にチーズや野菜や魚やいろいろなものをうる店がとりどり店を広げている。どの店も非常に視覚的に美しくしつらえられており、テーブルの配置一つとってもしゃれている。
ワンコ猫パリカフェ
 ↑カルチェラタンの食堂。わんこやにゃんこが普通に店にいる。

 カルチェ・ラタンは、パリ五区にある学生街。中心をなすパリ大学は、1275年に神学者ソルボンヌによって建てられた小さな神学校を起源としている。その後、日大のように巨大化を続け現在13校からなる。伝統的な教育を行っているのはその13校のうち四つくらいらしい。

 地域の中心にはパンテオンがあり、この建物はもともとパリの守護聖人を祀る聖ジュヌビエーブ教会の付属施設であったが、フランス革命後には、キリスト教とは関係ない偉人の墓となった。
聖ジュヌビエーブ
↑聖ジュヌビエーブ教会。

 パンテオンには、ジャン=ジャック・ルソー、ヴォルテール、ヴィクトル・ユーゴー、モネ、アンリ・ベルクソン、マリ・キュリー、アンドレ・マルローなどが埋まっている。

 カルチェ・ラタン一帯には研究・教育機関の建物があちこちにちらばっており、キュリー夫人にちなんだ研究所などもある。
きゅりー

 通りの名前もしゃれていて、エラスムス通り、また、パスカル通り(人間は考える葦である)を南にくだるとポールロワイヤル修道院がある。パスカルはポールロワイヤル文法の創始者であり、この名は修道院につどった学者サークルの思想から生まれたものであるため(ポールロワイヤルは女子修道院だよ)。

 我々の学会が行われたのはコレージュド・フランス(Collège de France)。主宰者はProject ANR SINETOMB。コレージュ・ド・フランスは市民大学みたいなもので、ロマン・ロラン、ベルグソン、メルロ・ポンティ、ミシェル・フーコー、レヴィストロースなど日本にも知られる有名な思想家が教授をつとめている。

 会場となる建物はパンテオンを囲む広場に面した施設。
会場

 パンテオンの向かって右にはここに埋葬されている偉人のうちの一人、教育哲学者ルソー(1712-1778)の像がある。向かって左には有名なソルボンヌ大学所属のジュヌビエーブ図書館が見える(ルソー、ソルボンヌからは批判されてたけどね 笑)。この図書館は19世紀の建築家アンリ・ラブルスト(Henri Labrouste)の傑作として知られる。
パンテオンルソー
↑パンテオンと、向かって右のルソー像

 学会の聴衆はギメ美術館(パリ屈指の東洋美術館)のヒマラヤ部門のキュレーターや、セナレスの先生方、また、ブータンの歴史を研究されている今枝由朗先生など、一言で言えば濃い。

 プロジェクトの主宰者であるフランソワは、3D部隊と中国のおえらいさんたちと協力し、4年にわたり乾隆帝の墓を調査した。乾隆帝の墓は全面にマントラがほりこまれているが、この3D部隊がこれら全壁面のマントラを全アングルから撮影・3D化して、それをフランソワが読み取ってどの壁面にどのマントラがあるかなどの結果を報告していた。彼女の結論は、マントラの配置から、乾隆帝の墓はバーチャルな仏塔であるというものであった。理系と文系のすばらしいコラボである。余談だけど、3D部隊の助手のジュリちゃんはちょっとアラブの入った風貌で、ハードコアなファッションが目を引いた。

 初日の夕食はカルチェ・ラタン北の楽園という名の中華料理屋。ここは100年以上前からパリのシノロジスト(中国学者)のたまり場となっていたという。

 では、時間の合間に周辺を散策してとった写真を披露いたしましょう。

 まず、フランス革命期の1794年に創立した高等師範学校(École Normale Supérieure)。現代フランスの知識人を輩出した。サルトル、メルロ・ポンティ、ミシェル・フーコー、デリダはみなここの卒業生である。
高等師範学校

 学生街の名画座。このすぐ並びにサルトルとボーボワール、カミュが通い倒した食堂、ブラッスリー・バルザール(Brasserie Balzar)がある。
名画座jpg

 本屋さん。ただ本が並んでいるだけなのに本の装丁が美しいので目をひく。
本屋

 ソルボンヌ大学正面。向かいにはルネサンス気のモラリスト、モンテーニュ(1533-1592)の座像があった。
ソルボンヌ

 コレージュ・ド・フランスの正門。工事中な上に創立者?らしき人に空き缶が供えられていた。
コレージュドフランス

 ソルボンヌのすぐ北にはクリュニー修道院の遺構がある。フランス革命でブチ壊され、今は中世美術館になっている。
クリュニー

 カルチェラタン側からみたノートルダム聖堂。バラ窓が美しい。
ノートルダム

 日本人は本当にパリがすき。日本の知識人はフランス現代思想を翻訳し紹介すれば一躍人気者。日本の一般人も、知らず知らずのうちにパリにかぶれている。 行き帰りの直行便もフランス人なんて数えるほどしかおらず、ほとんどすべて日本人の中高年の観光客。

 彼らの大半は美術館とか買い物とか町歩きを楽しみにきているのだろうが、サルトルやレヴィ=ストロースやジャック・デリダが学んだカルチェ・ラタンで、彼らがかよったカフェで、彼らの著作を読みながら、エスプレッソを飲むのもパリの楽しみ方の一つとしてお勧めである。
机jpg
[ TB*0 | CO*0 ] page top

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ