白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/07/07(土)   CATEGORY: 未分類
王丹の孤独
 木曜日、王丹(天安門事件の学生リーダー、アメリカ亡命、台湾在住)が初来日するということで中野にいく。駅を降りたら高齢の女性が「反原発官邸前デモ」のビラ配りをしていた。ちなみに、この日の王丹公演のチラシ、中央線沿線の映画館や本屋など随所におかれていた。我が家のある城南地域ではそのような現象は観測されていないので、反体制文化圏・中央線特有の現象であろう(笑)。500名定員の会場は、若干リベラル臭のする様々な年齢層の聴衆で一杯。フリチベさんたちも幾人かお見えであった。

 まず、ダイジェスト版『亡命』(監督 翰光 2008)の上映。監督は別名班忠義といい、この別名で前年に中国人従軍慰安婦の映画をとっている(http://www.pauline.or.jp/cinemas/cinemas200703-3.php/)。なぜ名前を変えているのかは分からない。「日本にきて二〇年」というが、日本語がたどたどしいし、ジョークも感性が違うのか笑えない。
 
 ドキュメンタリーは天安門事件を契機に欧米に亡命した三人の今の心情をつづるもの。その三人とは
 作家で元中国ペンクラブ会長、鄭義(1947-)。
 画家で後に小説書いて2000年に漢人初のノーベル文学賞を射止めた高行健(1940-)。
 天安門事件の学生リーダーであった王丹(1969-)。

 王丹は今回のメイン・スピーカーなのでちょっと詳しく説明する。王丹は天安門事件の後、逮捕され収監されるも、1998年に国際的な圧力で解放され、アメリカに亡命。2008年にハーバートで歴史の博士号をとり、現在は台湾で活動中。2011年、元中華民国総統・陳水扁から機密費40万ドルを受け取ったことを台湾メディアに報道され認める。

 この三人のモノローグとともに、1989年の6月4日の事件までの流れと、祖国を捨てねばならなかった苦衷が語られる。

 この三人のうち、鄭義に一番心を動かされた。この人の語る言葉には他の二人にない精神性と道徳性が感じられ(他の二人にもあるかもしれないけど、このドキュメントでは少なくとも読み取れなかった)、漢人によく見られる功利主義などと無縁であった。これは彼がキリスト教徒であることと無縁ではないだろう。

 彼の言葉を以下に引用する。

●鄭義 「文天祥の漢詩「旅懐」のように、夢の中でも祖国に帰りたい。本当の私は中国にいる。〔今彼が実際に暮らしている〕ワシントンには机があるだけ。中国政府は私の読者をすべて奪ってしまった。読者がいなくなった今、私はなぜ売れない文章を書きつづけるのだろうか。読者の有無や原稿料の有無はもはや関係ない。私の執筆は神に対するモノローグなのだ。それは祈りであり、私の意識の奥底に隠されたものをさらけだし、神と魂の交流をすることにある。

 作家として私に価値があるなら、それは精神的な価値だ。聞けば、転向して、罪を認めれば中国に帰れるらしい。しかしそんなことをすれば私には存在価値すらなくなる。89年に死んだ人たちに顔向けできない。先人に申し訳ない。世界中に祖国に帰れない亡命作家がいる。困難により人格は磨かれていく。人格こそが何よりも重要なのだ。」


 とある中国人留学生は私にこういった。「中国には『貧は笑っても、娼は笑うな』という言葉があります。たとえ道徳的に問題があっても、自助努力をして生きている人はえらいです。体を売らないで飢えている人の方が笑われます」。そして彼によると競争を勝ち抜いて出世する目的とは「お金を稼いで、国にいる母を喜ばせること」。中国人の多くにとって、何よりも大事なのは父母・友人・金なのだ。国が強くなれば自分たちにとってもメリットがあるので、共産党も愛国もありありなのである。

 しかし、13億人の中国人がみな、自分と父母のことしか考えず、ルールも道徳も無視して好き放題し続けたら、リヴァイアサンの影響は国内のみならず国際社会もまきこむ。彼らのたくましさは尊敬するが、道徳観の欠如をけろっとした顔で自慢する姿にはいつも違和感を覚える。だから、金よりも人格の向上を是とする鄭義の言葉には心なごむものがあった。

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さて、ダイジェスト上映が終わると、壇上に王丹と監督が現れ、王丹が挨拶をし司会と会場の質問を受け付けた。以下メモ書きに基づく一問一答。

●王丹 
 天安門から二〇年以上の時がたったのに、みなが覚えていて、こんなにたくさんの人が来てくださったことには感謝したい。取材を受けた2008年は私にとって特別な年であった。天安門20周年であり、ハーバートを卒業したした年でもある。ハーバートでドキュメンタリーをみて討論するという機会に、監督の前の映画(従軍慰安婦の映画)をみた。なので彼の取材を受けることとした。天安門を過去の歴史とみてはならない。近い将来政変が起きたらこの事件の再評価は避けては通れない道だ。将来中国の民主化が実現すれば、この十数年の空白は重要になる。監督はこの空白の期間をフィルムに記録したのだ。

●司会 事件当日の現場はどうでしたか。
●王丹 当時、学生代表と会議をもつために北京大学にいたので、事件の起きた四日の夜には、天安門にはいなかった。現場からかえってきた同級生から長安街で沢山の人が死んでいると聞いた。後に毎年この日を思い出して涙がでたが、その時は涙も出なかった。驚愕して、感想も感情もわかない状態が48時間続いた。〔発砲されるという〕覚悟もしていなかったから、反応もできなかった。
●監督 共産党の洗脳教育を受けていたから、自分にとって共産党は父母と思っていた。親は子供を殺したりしない。親じゃないから子供を殺した。共産党の本質は権力にしがみつく歴史。林彪は「政権があればすべてある」といったがその通り。人を信じすぎていた。

●司会 祖国への思いは
●王丹 昔の犯罪者は悪いところに流されるものであったが、今はいいところに流される。追い出されなくてもアメリカに行っただろう。共産党は私たちの影響力を弱めるために外国に追い出したが、80年代以後に生まれた人はインターネットをやっている。我々の影響力は増している。民主化に身を捧げるのだから、監獄とか亡命とかは通らないと卒業できない民主大学のカリキュラムだ。つらいけど得られるものもある。亡命生活もまあまあだ。

●司会 中国国内で軟禁状態にある人たちをどう感じるか。
●王丹 陳の亡命は家族にとっていいことだった。私は彼に亡命をすすめた。「活動家は後から後からでてくるが、家族にとってあなたは一人だ。」政治よりも家族が大切だ

●司会 劉暁波は投獄されても国内にいます。
●王丹 私は劉暁波も亡命した方がいいと思う。彼は影響力を失うことを考えているのだろうが、ノーベル平和賞もらったって仕方ない。家族のためには彼も欧米に亡命した方がいいと思う。

●司会 王丹さんはノーベル平和賞に三度ノミネートされていますが、劉暁波さんに先を越されたという気持ちはありますか?
●王丹 私は1998年に中国政府から「監獄に残るか、アメリカに亡命するか」の選択させられ、亡命を選択した。あの時残っていればノーベル賞は私だった。しかし、70近い年老いた母が私にあうために遠路はるばる監獄に通ってきていることを思うと、監獄にはいられなかった。

●質問 あなたのその自信はどこからくるのか。
王丹 80-90年大に生まれた若者に期待する。それは若い人には体力があるからだ。1989年当時、私は北京大学、天安門、北京大学と何度も徒歩で往復した。当時は若かったからできたけど、今は20歩あるいたら冷房のある部屋に入りたくなる。民主化には体力がいる(笑)。

●質問 去年から王立軍はアメリカ大使館、陳光誠はアメリカと亡命者がふえていますよね。
●王丹 ミニブログでひろまったジョークに、「最近高級不動産の広告に、アメリカ大使館に近いです」というのがある。政争に負けた人間がアメリカ大使館にいくということは、国内のもめ事が100%内政ではなく国際社会も絡んでいることを示している。〔王立軍の逃げ込み事件は〕人権ではなく政治問題が裏にある。
●監督 ミニブログにはこういうジョークがはやっている。「今やアメリカに亡命するのは一つのファッション。金持ち、農民、その犬までアメリカ大使館に亡命する。大使館員が金持ちの犬に亡命の理由を聞いた。ゴハンがまずいのか? 犬は違うという。家がないのか?と聞くと犬は3階建ての家があるという。じゃあどうして亡命するのかと館員が聞くと、「犬だから吠えたい」。〔つまり、このジョークは言論の自由がないことを訴えている。犬は共産党によってよい生活をしている階層を示している。〕中国では本当のことをいうと命にかかわる。

●質問 天安門事件をおこすにあたって影響を受けた西洋の思想、人物はあるか。
●王丹 多くの人が私にその質問をするが、実際は西洋の影響は大して受けていない。中国はずっと外国の情報を遮断していて、1988年にいたってはじめて外が見えはじめてきたような状態であった。外人に会う機会もなかった。私に影響を与えたのは西洋の思想よりも士大夫の生き方である。匹夫は天に責任がある。社会に対する責任感がある。あえていえば五四〔愛国〕運動の影響を受けている。

●質問 投獄されても、命をかけても活動を続けるその情熱はどこからくるのか、日本にも原発とか路上生活者の排除問題とか問題がある。
●王丹 私は日本でデモをしたらどうなるのかなんて情報はない。当時の私は自分がどんなに危険なことをしているのか分からなかった。だから私に勇気はない。今、私を動かしているのは「一度決めたらやりとげること」という気持ち。もし、危険ならやめなさい。

●質問 今、四川の徳陽市のシーファンで市民暴動が起きています。だけど、遠い出来事のようです。
●王丹 このデモには高校生が参加している。90年代生まれに〔中国の民主化を実現する力があるのではないかと〕希望を持っている。中国は広大なので簡単にデモは全国規模にならない。民主化には忍耐が必要。各地に暴動が頻発して、それが全国に及ぶ時、頑張ると希望がある。あきらめてはならない。

●質問 中国が民主化する場合、ビルマのように政府が上からの民主化をはかるでしょうか、それともアラブの春のように民衆が立ち上がって政府を倒すでしょうか。
●王丹 中国は後者の道をたどるだろう。統治者は権力を自分から手放さないから。私たちは失敗したが、失敗=過ちではない。やりとげればいい。武力による鎮圧は23年前よりやりづらくなっている。インターネットは当時よりも大人数を動員しやすくなっている。しかも、今全軍を掌握する強い指導者がいないから、昔のように思い切った軍事行動はできない。また、人数が多くなれば鎮圧できなくなる。私は楽観的だ。

●質問 日本人は中国の民主化に具体的にどのように関わることができますか。
●王丹 また私を扇動罪で有罪にするつもりですか(笑)。個人によってできることは違う。同じ意見の人は少なく、民主化運動は孤独だ。それができていたらとっくに成功している。理想主義は失敗するが、功利主義はいけない。覚悟がなければ運動をやってはならない。

以上の王丹の一問一答と『亡命』の中での台詞を見ていて、わたしはこう考えた。

 王丹は自分の行動の動機を、同じ年におきている東欧の民主化の流れとは無縁であると断言し、70年も昔の五四愛国運動(日本の植民地主義に抗した中国人の最初の愛国運動)、または、中国の伝統である士大夫思想を持ち出した。 しかし、あの天安門事件がおきた1989年は、ポーランドで自由選挙が実現し、ベルリンの壁がくずれ、チェコスロバキア、ルーマニアが民主化した年で、ソ連の終わりの始まりの年だった。この年は、彼自身が『亡命』の中で述べていたように、大学では西洋人の教師をたくさん招聘し多くの講座が開かれていた、また、ソ連の改革を唱えるゴルバチョフも来中していた。そのような当時の欧米の怒濤のような流れを全否定して、70年前の五四愛国運動をもちだすのは何かへん。

 また、『亡命』の中で同じく亡命者の楊建利が、中国共産党の命令によって、軍隊が丸腰の学生に発砲する様を「日本軍が中国の村を焼きはらう映画を思い出した」と表現し、直接の実行者である共産党は父母のようなものだった持ち上げる。彼の怒りは共産党に向いているはずなのに、どうしてここでとってつけたように自分が見たわけでもない日本の話をもちだすのか。

さらに、王丹はその日の朝まで「共産党は発砲しない」と思っていたと繰り返しいうが、Uさんによると三ヶ月前にも共産党はばんばん発砲しているし、前年ビルマの88888蜂起でも政府軍ばんばん市民に発砲している。だいたいチベットで解放軍は占領直後の51年から現在に至るまでばんばん丸腰のデモに発砲している。その共産党をその日の朝まで信じていたなんて本当だろうか。

 以上のことは、もちろん後になってすべての情報を総合した結果言えることであり、ひよっとしたら彼の言うとおり本当に彼はそう思っていたのかもしれない。しかし、現在のことはどうだろうか。

 彼は大義を示すためにあえて監獄にとどまっている人々を否定し「家族」を大事にして亡命しろ、ノーベル平和賞なんかいらないという。これは意識的に欧米が評価する非暴力的抵抗を批判して、漢人の価値観を宣揚しているように見える。

 マンデラも、スーチーさん、劉暁波さんも、ノーベル平和賞をとった人々は、家族と分断されることがわかっていてもあえて長期間にわたる監獄・軟禁状態を選んだ。彼らは外部から連絡を絶たれた場所で孤独に過ごし、世間が自分を忘れ去っていく恐怖と日々戦った。その国に住む人々が異常な状態に置かれていることを、国際社会に告発するためにである。彼らは自分のためではなく、多くの人々のために自己を犠牲にしたからこそ多くの人の共感を得られた。

 王丹の戦い方をチベット人と比べるとその差ははっきりする。チベット人は普遍的な価値である人権や自由、チベット文化のもつ高度な哲学をアピールして、世界中の人に助けを求めている。一方、王丹は世界にではなく、特定の集団に向けて繰り返し訴えていることに気づく。それは80年代以後に生まれた本土中国の若者たちだ。

 彼らは天安門事件を契機にはじまった反日愛国教育を受け、経済発展の恩恵を受けた結果、強い共産党を受け入れている。このような若者たちに訴えかけようという場合、欧米で支援を受けていると思われること、欧米の思想の影響下にあると思われることは、売国のレっテルをはられて終わる可能性は高い。

 以上をまとめると、王丹はを今の愛国青年たちの共感を得るために、ことさらに欧米の影響を消し「家族」や「反日」という現代中国的な価値観を前面にだそうとしているようにも見えた(もちろん推測 笑)。

 彼はこれまで二度日本から招聘を受けているが、二度とも向こうの都合で話を流したそうだ。台湾という飛行機ですぐのところにいるにも関わらずである(在学中であるという理由かららしい)。これはうがった見方をすれば、中国本土の若者から「日本にたよっている」と見られるのを嫌ったからとも考えられる。

 しかも、もっと悲しい話をすると、彼がラブコールを送っている中国本土の若者たちは、王丹にチョー厳しい。私は講演にいく前に某中国人留学生に「今から王丹の講演いってくるね」と言ったら、留学生「知ってはいるけど、興味ありませんね。中国共産党はいろいろ問題もありますが、強いし、いろいろよくしてくれています。天安門のようなことをやっても殺されて戸籍を剥奪されるだけですから、デモなんてやってもムダですよ」と。これが一般的な中国人の感想だろう。

 王丹の言説は、チベットの文化を護りたい人々にもなにげに反感をかっている。天安門事件の時、知り合いが北京にある少数民族の幹部養成学校、中央民族学院(当時は大学でなかった)に留学していた。彼曰く、漢人以外の民族は天安門での王丹等の行動を「漢人の内輪もめ」と冷めた目で見ていたという。

 実際、愛国中国青年の目線で民主化を語る今の王丹を見ていると、もし誰であれ愛国青年が民主化を実現した場合、日本を仮想敵にして自国を美化する愛国教育も、チベット人を見下すダーウィニズムも、家族を大事とし公をないがしろにする中国のメンタリティも変わらない気がする。つまり今と何がどう変わるのか分からない。

 ちなみに、会場入り口で手渡されたビラ束の中には「社会主義理論学会」の案内があり、二人の報告者一人がかの×西広。2008年のチベット蜂起の時に中国型社会主義マンセーを唱え、チベット人を見下したあのお方。ちなみにWIKIにはこの人こう書かれていた。

 六四天安門事件における中国政府の対応を、「小平の決断によるあの弾圧がなければ現在の中国の経済発展はない」と手放しで礼賛する発言を行っている。・・・少数民族の問題に関しても当該民族の自助努力の欠如に原因を求める風が強く、民族や出自など本人の努力をもってしても変えることの不可能な要素にまで自己責任論を持ち込んでいる。

 王丹はチベット文化、チベット語、チベットの歴史を知っているのだろうか。アメリカが独立宣言を発した時、自由・平等はWASPのみに保証されるもので、ネイティブ・アメリカンと黒人奴隷には適用されなかった。王丹の話を聞いてこのことを思い出した。天安門事件の時、チベット人たちがこの運動に無関心であった理由がやっと分かった。「フリー・チャイナからフリー・チベット」が実現するとは限らないということ。

 でも王丹が最後に述べた「理想を追求することは孤独である」という言葉には共感した。しかしよく考えると、彼の方がより孤独かもしれない。

 フリチベは世界中の国々に多国籍の支援者がいるし、中国本土のチベット人もほとんどがダライラマ法王を尊敬している。しかし王丹は、漢人意識を前面にだしているために欧米の支援はおもてだって受けにくいし、彼がラブ・コールを送り続けている本土の若者たちも必ずしも彼に共鳴していない。彼は「孤独」である。

 最後に一言。彼は、ドキュメンタリーの中でもハーバートでもらった博士号をバックに語っていたので、それが誇らしいのであろう。彼は未来について多くを語るが、歴史学者は未来を語るべきではない。歴史学者は過去を客観的に研究する学問であり、未来を語るのは予言者の仕事である。

 というわけで、日本人の聴衆の大半は例によって心酔して聞いていたけど(このニブさ何とかならんか)、歴史学者の上にフリチベであるが故に、なんかいろいろ王丹のアラが見えて、すっきりしない後味をいだきつつ帰路についたのであった。
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