白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/07/15(日)   CATEGORY: 未分類
テンジンのチャリティライブ
 14日テンジン・チューゲル(bstan 'dzin chos rgyal)のSFTチャリティ・コンサートに行ってきた。

 SFTはチベット問題を訴え、啓蒙するフリチベ組織。ニューヨークをはじめとして主要都市にSFTの支部があり、ゆるくネットワークしている。アースデーに出店したり、今回のようなチャリティ・コンサートやったりとか。ちなみに、日本のSFTは平均30代から40代か?

会場は金沢文庫の浅羽アートスクエア。ふだんアートを教えている教室が会場となり、そこに入りきれない人は中庭に面したカフェでビールやチャイを片手に、外で聞き、人の隙間を誰に属するか分からない裸足の幼女やミニチュア・ダックスがぺたぺた歩きまわっているという、ヒッピー臭のする集まりであった。

 この日は、梅雨の晴れ間で、やや風があり、その風が遮光のために中庭にはられた白い絵柄のはいった布をあおり、セミの鳴き声がするという、小学生の夏休みを思い出させる懐かしい感じの空間だった。
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 まずはじめに、SFTのツェリンドルジェの挨拶。以下、ツェリンドルジェは赤、テンジン・チューゲルは緑、地の文は黒で行きたいと思います。

 ツェリンドルジェ「2008年のオリンピックの年にチベットが蜂起し、その年日本のSFTは再起動しました*(一度休眠している 笑)。その後、日本には大きな地震がおき、津波がきて、チベットをサポートしてくださった多くの方が震災支援にうつっていかれました。日本も大変だと思います。そんな中、このチャリティ・ライブに集まってくださり本当にありがとうございました。面白い話をしましょう。実は、私たち何も打ち合わせをしていません(オイ)。じつは私とテンジン・チューゲルは昔なじみなのです。」

 テンジン・チューゲル「私はミュージシャンなので音楽でコミニュケーションすることは得意ですが、話すのは苦手です。しかし、2008年のことがあり、私もチベットのために何かできないかと日本でライブをはじめました。しかし、お話をするのはこれが初めてです。私はムスタンとチベットの間にある地で生まれました。ツェリンドルジェもムスタンに生まれていて、お互いの母親同士は知り合いです。」

 ツェリンドルジェ「60年代、ムスタンはCIAの支援を受けたチベットゲリラ*の本拠地となっていました。私の父はこのチベットゲリラの一員でした。母は遊牧民です。だからわたしたちは生まれた場所もとても近いのです。

 説明しよう。「CIAとチベット」というドキュメンタリーによると、チベット人ゲリラはムスタンを本拠地としていた。ゲリラは中国人と戦いたかったのだが、彼らの任務の中心は、チベット内を走る郵便トラックなどをおそって当時外にほとんど知られることなかった中国内部の情報を得ることにあった。しかもダライラマ法王にはナイショの隠密行動。理由はもちろん猊下に知られたら絶対反対されるから。中国の国連加盟とともにゲリラは解散させられた。

 ネットで調べてもテンジン・チューゲルの年が分からなかった。なので、テンジンを招聘した寺原百合子さんに伺ってみた。

 私「難民はいろいろな事情で年を正確に言えない場合が多いですが、実際のところテンジンさん、おいくつなんですか」

 寺原百合子さん「テンジンの父母は遊牧民だったので、月や星の位置は覚えていても、何年何月何日に生まれたという記憶はないらしいです。亡命して、学校に入る時、テンジンの弟の方がテンジンより背が高かったので、弟の方がちょっと年上ということになったらしいです」

 私「なんて大ざっぱな。じゃあせめて10年刻みで何十代くらいは分かりませんか」。

 寺原百合子さん「三十代後半らしいですよ」

 というわけで、30代後半のテンジン・チューゲル「父がなくなったあと、母は道路工事の仕事をしながら、われわれ兄弟を育てました。やがてチベット子供村(TCV)の寮母の仕事を見つけてそこに就職しました。わたしもTCVに入りましたが、母の勤めていたTCVではなかったため、1年に二か月とれる休みの期間にしか、母と暮らせませんでした。ツェリンドルジェは二歳で母のつとめるTCVに入寮したので、母と1年のうち10ヶ月は一緒にいました。だから、母は私より、ツェリンドルジェのことをよく知っているばずです。」

TCVとはダライラマ法王が困難をきわめる難民の家庭から、ご存じ子供たちだけを集めてはじめた学校。英語・ヒンドゥー語・チベット文化が教えられるため、ここに入ったチベット人はチベット人性を保ちつつ、新しい環境で生き延びる教養を身につけることができた。

 こうやって家族がバラバラになることは、チベット難民の世界ではよくあることでした。何も特別な話ではありません。三つの国で生きるこの難民としての体験は、みなさんは想像することはできないと思います。体験してみないと分からないと思います。」


 「体験してみないとこれは分からない」同じことをアキャリンポチェもおっしゃっていた。中国に残ったものも、亡命したものもどちらも大変だったのだ。

 ツェリンドルジェ「テンジンチューゲルのお母さんは私の第二のお母さんです。当時のTCVの状況は日本の戦中・戦後直後の混乱した貧しい時代を想像していただけると近いです。当事、教室はなく木の下で授業をしていました。テンジンチューゲルのお母さんも一人で54人の小さな子供たちの面倒をみていました。今から思えば大変だったろうと思います。毎日怒っていましたが、やさしかったです。愛をもって私たちを叱ってくれていました。」

 「テンジンの兄はTIPA(ダライラマ法王がチベット音楽・舞踊の伝統を保存すべく設立した機関)の出身で、今はサンフランシスコにいます。テンジンはお兄さんの影響を受けた?」


テンジン・チューゲル「私と兄は別の施設で育ちましたから、兄の影響はありません。小さい頃から音楽が好きでした。TCVで日記をつけるという課題があったのですが、その日記にインドのボリウッドで歌手になりたいとつけたことを覚えています。音楽は私の人生です。」
 それにしても、兄はサンフランシスコで舞踊をし、ツェリンドルジェは日本でSFTの活動をしていて、私はオーストラリアで音楽活動をし、そして今、日本で兄のことをツェリン・ドルジェと話ながらコンサートをやるなんて、思ってもみませんでした。」

 ツェリンドルジェ「ナクマという音楽はどういう意味ですか。テンジンの歌と楽器の奏法にはすごくアラブなというか、古いものを感じるのだけど」

 テンジン「ナクマとはカシミールのイスラーム教徒の音楽です。昔は多くのイスラーム商人がカシミールからラサに商売で訪れていました。そのような人達を介してチベットに入った旋律です。私は馬が軽快に走るリズムを思わせる遊牧民の音楽とか、ナクマのようなイスラーム商人の音楽とか、アムドとか、カムとか、あらゆる地域の音楽を取り入れています。だからどこの旋律とかいうことはありません。テンジンの音楽です(bstan 'dzin's sound)。」

 チベットで今起きている問題は、チベットだけの問題ではありません、日本の問題でもあるし、世界の問題でもあります。私たちは非暴力で戦ってきました。世界中で起きる問題はすべてその根底は自分の欲望を通すために障害となるものに対してふるう暴力があります。我々の非暴力の戦いにはみなさんのサポートが必要です。みなさんのサポートがこの暴力に満ちた世界に変化をもたらすことかできます。


 ツェリンドルジェ「世界はお金のあるところや(中国のことか?)、〔石〕油のでるところばかりに関心が向いていますが、非暴力の戦いは顧みられることはありません。今チベットでは中国政府の政策に抗議して焼身自殺が相次いで起きています。ラサで焼身自殺が起きた時は、中国政府が電話もインターネットもすべて切断してそれを外部に知らせまいとしました。
 日本も地震とか津波とかで大変なことは重々承知しています。手紙一通を日本の政治家に出して戴けるだけでもいいのです。ご協力をお願いいたします」


 質問者「チベット人は〔中国によってひきおこされた〕怒りや憎しみをどのようにコントロールしてこの非暴力の戦いに変えているのでしょうか」

 テンジン「我々は子供の頃から〔仏になるための修行として〕慈悲と智慧をはぐくむように教えられています。これは非常に良い文化で、世界に対して貢献できる思想です。」

 ツェリン「たとえば、三十年間中国の監獄に入れられていたパルデンギャムツォというお坊さんがいます。ダライラマ法王が彼に『監獄の中で何が一番つらかったか』と下問された際、パルデンギャムツォは『中国人に対して慈悲の心を失っていくのが一番怖かった』と言いました。自分を拷問しているような相手に対してもチベット人は慈悲をもちます。それが我々の文化なのです。世界に裨益できる思想でしょう。私たちの文化はあなたたちの心の中にも種としてあるものです。TCVでは虫も殺さないようにと教えられます。夏の暑い道の上でミミズが苦しんでいたら、日陰につれていってあげる、私達はそのようにしつけられてきました。そうでないチベット人もいますが(笑)。」

 質問者「オーストラリアのフリーチベットと日本のフリー・チベットはどのように違いますか?」

 ツェリン「SFTは世界組織ですので、もちろんオーストラリアにもあります。しかし、テンジンはそこで直接は活動していないので、たぶん事情をよくしらないと思います。日本は諸外国に比べるとよりチベット人によりそった活動をしています。日本には今チベット人が百人ほどいますが、前にでることができるのは、インドで生まれた難民二世だけです。中国本土に家族が残っている本土生まれのチベット人は、家族に累が及ぶことを畏れて、こういう席には顔を出せません。もちろんインド生まれの我々にも本土に親戚はいますが、半世紀以上バラバラなのでもう連絡もとれません。」

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 それから寺原太郎さんのバンスリーとともにテンジン・チューゲルのコンサート開始。 テンジン曰く「自分は音楽をしている時でもチベット人であることから逃げことはできない。だからどんな歌を歌っていても、チベット人の心を感じ取ってほしい」。一曲目はHeart Sutraそう『般若心経』である。『般若心経』の最後のあの有名なマントラ、ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー・ハラソー・ギャーテー・ボージー・ソワカをメロデイにしちゃうのである。

 二曲目はジクテン ('jig rten)。ジクテンは「宇宙」という意味で、仏教でこの宇宙を構成するという四つの元素(四大)、日月、ターラー菩薩などによびかける壮大な曲である。
 
 テンジンが弾くダムニェンは日本の三味線と同じく三線。楽器の胴体は美しい女性のようくびれていて、そのくびれの部分を足に固定して、演奏する。中央チベットの楽器だという。

 それから鳥の歌。

 寺原太郎さん「テンジンは鳥の歌が好きだよね。「次は何の歌?」と聞くと、『鳥の歌』。「次は何の曲」と聞くと『大きい鳥の歌』。「次は?」『黒い鳥の歌』という具合に、とにかく鳥の歌が好き。
 鳥は国境なんて関係なく飛んでいきます。国境なんてものをひいたのは人間たちです。それはヒマラヤを隔てて二つに分断されたチベット人社会をも、鳥は軽々と越えていきます。本土のチベット人はインドのダライラマを思い、海外にでたチベット人たちは故郷のチベットを思い、鳥になって飛んでいきたいと思っています。」

「鳥の歌」が終わると次は「もう一つの鳥の歌(笑)」若い鳥の歌。

 鳥の歌を歌うテンジンは本当に楽しそう。たぶん、テンジンはオーストラリアの鳥たちをみていて、これらの曲のインスピレーションを受けたのだと思う。オーストラリア大陸には肉食獣はいないため、固有種の鳥は性格が穏やかで優しい。かくいうマイ・バードごろう様(オカメインコ)もオーストラリア出身であるが、テンジンのように毎日楽しく歌っている。

 間に、ゲニェン・テンジンとプンツォク・タシがテチュンの「平和のスノー・ライオン」をデュエット。スノー・ライオンとはチベット国旗にも描かれるチベットの象徴。プンツォクが歌詞をスマホで確認しながら歌っているのが笑えた。歌詞覚えてから出てこい(笑)。この二人もTCV出身。

雪の国チベットにはライオンがいる。
他の国にはいないスノー・ライオン(雪獅子)である。
〔ダライラマ〕法王、平和のスノー・ライオンである。
み心には慈悲という、獅子の青いたてがみ。
お言葉には真実という、獅子の咆哮
行動には、獅子奮迅の勇気。
この方こそ、平和のスノーライオン。世界の飾り。
この飾りが世界で勝利しますように。

雪の国チベットには大軍勢がいる。
他の国にはない聖なる軍隊がいる。
黄色い帽子をかぶった聖なる軍隊である。
体にまとった法衣は平和の鎧である。
手にもつ経帙は人々に利益をもたらす武器である。
非暴力が軍の戦略である。
これが平和の聖なる軍隊、世界の飾り。
この飾りが世界で勝利しますように。

 最後から二曲目は観音のマントラ「オン・マ・ニ・ペ・メ・フン」。歌詞の内容は、「体は地上にあっても、心は天上にある。自分は今どこにいるかわからない」というもので、体は亡命先にあっても、心は本土チベットを思うよるべなさを歌ったものである。マントラなのでわれわれ観客も唱和する。サビを客席と共有するのは西洋音楽の手法だが、内容がなにしろマントラだから、ちょっと法会のような雰囲気になっていく。

 最後のアンコールの曲は、つい最近にできた新曲。コンサートでサウンドチェックをしている中でできたものという。

 テンジン「サウンドチェックというのは始める前に行うものだが、この曲を最後に歌うということは、終わるけど、これから新しく始まるという意味合いがあります。みなさんが協力してくれないとこの曲は歌えません。みなさん、『コルワ(輪廻)・カプ(針)キ(の)ツェモ(先)』と唱和してください。意味は、この煩悩うずまく現象世界は、針の先にのったように不安定なもの」というものです。


 そしてテンジンがサビの弾き語りをはじめると、観客は「コルワ・カプキ・ツェモ」と通奏低音のように繰り返すという、これもまた、客観的にいえば念仏会のよう。しかし、テンジンの曲が伝統を押さえていてもどこかモダンなので、抹香臭くならない。

 洋楽のようなフォークのような、しかし、法会のような不思議なコンサートであった。

 演奏の合間に、主催者の寺原百合子さんから、テンジンの現住所であるオーストラリアの音楽事情について伺った。
 寺原百合子さん「テンジンはオーストラリアで成功しています。オーストラリアは音楽が盛んで、全国でミュージック・フェスタが行われており、テンジンはひっぱりだこです。
 中でも12月に行われるウッドフォード・フォーク・フェスティバル(woodford folk festival)は有名で、参加希望者が多数にのぼるため、同じミュージシャンは2年に一度しか参加できない規定になっていますが、テンジンは有名なので、特別に毎年参加しています。
 民族音楽テントで、アボリジニの方たちなどと一緒に演奏しています。
 ウッドフォードはテンジン・チューゲルの住むブリスベーンの郊外です。ブリズベンはゴールドコーストの北のちょっと南国なカンジのヒッピー臭いまちなんです。
 2008年にチベットが蜂起した時、テンジンは自分もチベットのために何かしたい、と、ここブリスベーンでもチベット音楽祭り(Festival of Tibet)を組織しました。以来今年で四回目になります。結構大規模なチャリティ・コンサートです。今は、自分たちの作った曲にTCVのこどもたちのコーラスをつけてCD化するという、スクールプロジェクトを行っています。


 コンサートの後は中庭でみなで歓談。なんか精神的にBBCをやったような、リア充体験だった。
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