白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/08/04(土)   CATEGORY: 未分類
日本人は潜在的な仏教徒
 清風学園の平岡先生がお仕事で上京していらしたので、渋谷でお茶する。4月末に開業したばかりのヒカリエにいくが、土曜日なこともあって殺人的な混みようで、外に行列ができている。どの店も行列してまで入る情熱はないため、早々にヒカリエを後にしてセルリアン・タワーのカフェに入る。ここはうってかわって静かなたたずまい。

 コーヒー一杯1300円だから(爆笑)。

 今年も平岡さんは恒例のギュメ学堂訪問を行うとのこと。初日はガンデン大僧院を訪れて亡きガワン先生に手を合わせ、そこで一泊したら今度はギュメ密教学堂にいき、最後はセラ大僧院の管長に就任したロサン・テレ先生をお訪ねして、チッタマニ・ターラーの灌頂を授かりにいくそう。毎年通っているわけだからこのツアー「ギュメ講」ね。

 平岡さん「今の時代を悪く言おうと思えばいろいろ言えますが、昔は絶対に会うことができなかったような高僧に、こうやって飛行機にのれば会いに行けるし、昔は手にできなかったような希少な経典を簡単に読めるようになっているわけでから、いい時代ですわ。」

 たしかに、チベットの亡国とともにはじまったチベット仏教のグローバル化によって、私なんか、インドにいくどころか日本にいながらにしてダライラマ法王の法話をほぼ毎年聞いている。ちなみに、アジアで法王にビザがだせる国力があるのは日本と時々台湾くらい。だから、良い時代というよりは良い国に生まれたというべきか。

 本来法王のお話をもっとも優先して受ける権利のあるチベット人は、本土に生まれたら法王にお会いすることはできない。今年の正月インドのブッダガヤ(釈尊が悟りを開かれた地)でダライラマ法王がカーラチャクラ灌頂を執行した。すると、本土チベット人は普通に出国して法要に参加することができた。ある人はこれをみて「中国はチベットにフェアな対応をしている」などといっていたが、お花畑な発言で、巡礼が終わってインドから本土に帰ると、みな拘束されて再教育施設に送られた。

 このような「チベット本土に言論・信教の自由がない」という話の流れで、平岡さんがインドのチベット僧院でであったチベット僧Aの話をしてくれた。

 Aは20代の本土出身のチベット人であり、十代の頃インドに亡命した。父親は本土でそれなりに高い地位の役人で、Aは三人兄弟の末っ子であった。Aの二人の兄弟は二人とも中国の有名大学に入っていたが、Aの父親は三番目の息子Aを仏教を勉強するようにとインドに送った。Aはインドに来ていらい、「父親や兄弟に迷惑がかかるから」と電話も手紙も一切しなかった。

 じつはAが国境を越える際に同じ亡命者のグループから二人の死者がでていた。Aの母親はAから手紙も電話も来ないので、それが自分の息子ではないかと思い悩み、Aをインドに送った夫を責め立てた。そこで、父母は息子Aを探すために一人の代理人をインドに送りこんだ。代理人は●×僧院にいるAを探し当て、二人は抱き合って再会を祝した。Aの母親は代理人に、息子Aの写真をA単独ではなく、代理人と一緒にうつった写真をとるようにとリクエストしていた。母親は息子が生きている確証がほしかったのである。

 この逸話から分かることは、中国支配下のチベットでそこそこ高い地位にいる役人であっても、自分たちの文化をまもるためにかわいい子供をヒマラヤの向こうへ送り込んでいるということである。一度送れば、親子であっても生死を確かめることも、再びあうことも難しくなる。中国がチベットの僧院文化をきちんと尊重していたら、この親子は生木を裂くような別れを経験せずともすんだのである。

 平岡さん「ここからが不思議な話ですわ。Aは亡命して●×僧院に入門するためにその事務所を訪れると、事務所のドアノブに手をかけた瞬間に『ここに来たことがある』と思ったそうです。彼は『前世の因縁があるから三人兄弟のうち私一人がインドに来ることになったのだろう』いうてましたわ」

 もう一つのエピソードは、やはりインドの僧院でであった僧侶Bのお話。Bの父親もそこそこ偉い役人だったのだが、当局が「インドにいったお前の息子を本土に連れ戻すことができたならば、お前をもっと高い地位につけよう」といったので、Bの両親は息子に帰国を勧めるためにインドにきた。

 インドにきて父親が息子に帰国を促すと、Bの母親は『Bよ、このままインドで勉強を続けなさい』といい、夫に対しては「今まで黙っていましたが、あなたとは離婚します。」と三行半を突きつけて、夫はすごすご本土に一人でもどったという (当然出世話はフイになったろうな 笑)。

 これらのエピソードが『既得権層のチベット人は共産党の支配を喜んで受け入れている』という、中国の宣伝と、それを信じたい日本人の洗脳解除に役に立つといいのだが。

 このように苦労してヒマラヤをこえても、本土チベットから来た人間は『スパイじゃないか』と疑惑の目を向けられる。実際にスパイはいるらしく、法王の法話を聞くためにインドに一時滞在しているチベット人たちは、一様に「幸せである」といい、本音を言わない。それはどこにスパイが聞き耳をたてて、当局に告げ口をするか分からないからである。それを察してインドのチベット難民たちも本土チベット人に本音を聞くようなことはしない。

 独裁政治とは、こうやって人々を恐怖によって縛りあげ、隣の人と腹を割って話もできない状態にする非人道的なシステムなのである。

 そして、もうすぐお盆ということで二人の話題は先祖供養に及ぶ。

 私「日本仏教は『輪廻思想は差別思想を生む』と封印しちゃって、どの宗派も先祖供養を表看板に掲げてお寺の経営をしているけど、これって絶対おかしいよね。大乗仏教は『一切の命あるものは始まりのない昔から無限の転生を繰り返している。この輪廻の中で、あらゆる命あるものは過去に必ず父母兄弟の関係になったことがあるものなので、すべての命あるものを母のように愛し哀れみなさい』と教えるのだから、輪廻をなくしたら大乗仏教特有の博愛思想がなくなってしまう。日本仏教の祖師たちもみな輪廻を前提にして教えを説いているのだから、輪廻を否定している日本仏教は祖師の教えに背いていることにもなる。

 だいたい輪廻は差別思想を生むっていうけど、チベット社会は輪廻思想が根付いていても、博愛思想の方が優勢でしょうが。仏教思想をまじめに奉じていれば、差別なんて起こりようがないでしょ。不幸な状態にある人に「あんたそれ前世で悪いことした結果だよ」なんていったらその悪行でこっちが地獄に落ちるから。

 だから、日本仏教が輪廻を封印した本当の理由は、先祖供養で経営をしている今のお寺のあり方に都合がいいからじゃないかな。ご先祖が輪廻して別のステージにいってしまったとなれば、誰も先祖を供養しなくなるし、お墓も買わなくなる(事実仏教が力をもった東南アジアでは一般の人はお墓をつくらない。墓があるなら、それは儒教による先祖供養を行う華僑のつくったものである)。お寺の経営のために祖師の教えを封印するなんて本末転倒じゃない?」

 平岡さん「誠にもってそうですなあ。お供養も『先祖の供養』とかいう名目ではなくて、『他者のために祈る』という風にできませんかね。私昔ね、お葬式に行こうとしたら、ガワン先生がね、『この砂マンダラの砂をもっていってご遺体にかけて、お経をあげてあげなさい』とおっしゃるんですわ。私がね『輪廻しちゃうんだから、お経とか意味なくないですか』といったら、ガワン先生『他者のために祈ることに意味のないことはない。生まれ変わった先でもその人が楽になることができる』とおっしゃるんですわ。

 私「ええ話ですねえ」

 突然ですが、我々二人の会話は、しょうもない人について話したあとは

私「そりゃ地獄に落ちますね」
平岡さん「落ちますわ」、

立派な人について話すときは、

私は「エエ話ですねえ」
平岡さん「エエ話なんですわ」とパターン化されていることに今気がついた(笑)。

 最後に「ええ話」を一つ。

 平岡さん「ロサン・テレ先生が難波駅で切符の買い方が分からなくて困っていたら、誰彼となく手を貸してくれたそうですわ。先生は『世界中いろいろなところにいったけど、手助けをしてくれたのは日本人だけ。ローマでもソウルでもアメリカでも助けてくれる人はいないし、僧衣を着ている私たちを嘲笑する人がいた。日本では私たちが道を歩いていると、人々は避けているのとは違う感じで道を自然と譲ってくれる。もちろん嘲笑するような人はいない。日本はすばらしい国だ』とおっしゃってました。先生、あの難波ですよ? あの大阪のるつぼみたいな難波ですよ? 日本だってまだまだ捨てたもんではないでしょう」

 そういえばダライラマ法王も震災法要の際に『日本人には仏教徒の習気が残っている』とおっしゃられていた。習気とは業が意識下に残すものだから、少なくとも我々は潜在的な仏教徒には認定して頂けたことになる(ははは)。

 潜在的に仏教徒というと思い出すのが、最近池上彰がだした『池上彰と考える、仏教って何ですか』。

私たち日本人は、現実に仏教的な世界観の中で生きて、死んでいくのです。その世界観を知ることは、自らのアイデンティティを再確認し、心穏やかに生きるための大きな力になるのではないでしょうか」といい、

 第一章の末尾で「このように私が仏教に期待しているのは、実際に期待に応えてくれる人物がいるからです。残念ながら日本仏教ではありません。今のところ私に仏教への希望を抱かせてくれるのは、チベット仏教を代表する最高指導者であるダライ・ラマ十四世です。」というわけで、第二章以後のダラムサラのナムゲル僧院管長インタビュー、ならびにメインの法王インタビューが続くのである。

 たしかに日本仏教のどんな人のお話を聞いても仏教が何かについてはついぞ理解できなかったが、ダライラマの講演を一冊訳しただけで、「仏教とは心の中の悪い性質(煩悩)を消し、完成された人格(仏)をめざすための修行の体系」であることが自然とわかった。なので、「仏教について知るためには、チベット仏教によれ」という池上彰のこの点については賛同したい。
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