白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/08/25(土)   CATEGORY: 未分類
モンゴロイドがインドで危険
● 講座「中国を揺るがすチベットの祈り」
 暑い中、熱いチベット現代史のお話をいたします。遊びに来てね!
  日時 9月 8日(土) 午後1時〜14:30
  会場 ルミネ横浜8F(朝日カルチャーセンター横浜)
  詳細はここをクリック


●  ビッグイシュー197号は 法王インタビューがトップです


 今を遡ること二年前の2010年4月14日、東チベットのギグド(青海省玉樹)にM6.9の大地震が起きた(青海大地震)。漢人の流入が続くチベットでもギクドはチベット人人口が優勢な地域であったが、地震によって街は瓦礫となり、多くのチベット人が死んだ(ちなみに今は中国の街が再建されている 怒)。この時、掘り出されたチベット人の遺体を、キグドの寺のお坊さんたちは積み上げて火葬にした。この時の、死体の山の間でマスクをしたチベット僧が立っている写真は、当時インターネットで広く回覧された。

 この胸の痛む写真が、意図的か、あるいはどこぞの情弱によってか「仏教徒がイスラーム教徒を大量虐殺した証拠写真」としてSNSででまわった。で、なんだか法王についての悪意をもった合成写真もでまわっているそうな。


 チベットの地震写真が虐殺の写真と誤解された背景には、インドとビルマで起きている二つの事件(いずれもモンゴロイド対イスラーム教徒)がある。

 一つは、インドの北東部のアッサム州で起きた、ヒンドゥー教徒のボド人とイスラーム教徒の衝突であり、二つ目は、6月にビルマのラカイン州で起きた、仏教徒のラカイン人とイスラーム教徒のロヒンギャ人の衝突である。

 仏教徒といえば、世界三大宗教の中でも屈指の「おとなしい歴史」で知られるが、近代に入り、国民国家がグローバル・スタンダードになると、スリランカやビルマで、両国の多数派をしめる仏教徒が少数派との間で衝突するようになった。スリランカ内戦(仏教徒のシンハラ人対ヒンドゥーのタミル人)なんてこの間終わったばかり。国民国家というシロモノができたことにより、仏教徒ですら主権と国境を守るために戦わねばならない時代なのである。
 
 州政府によると、衝突の発端は、7月6日にコクラジハル近郊でイスラーム教徒二人が殺害された事件である。ボドとは関係ない過激派の犯行であったが、イスラームはボドの仕業と思い込み、ボドの四人を殺したため衝突は一気に拡大した。8月22日時点で84人が死亡、68人が負傷者し、一時48万人の難民がでた。

 二つ目の、ビルマのロヒンギャ対ラカインの衝突もまったく似たような構図である。直近の衝突の発端は、5月28日にラカイン人の女性がロヒンギャと見られる男三人にレイプされ殺された事件である。6月10日には軍は非常事態宣言を出し、情報を統制したが間に合わず、6月24日時点でこの件における死者は78人、負傷者は87人。ロヒンギャによると死傷者数はさらに多数にのぼるという。

 両者の対立の背景には一つには一目で分かる人種の違いがある。

 ボドの人はわれわれと同じ顔立ちのモンゴロイドである一方、ムスリムはバングラデシュ系の容貌。彼らによると問題をおこしたイスラーム教徒はバングラデシュからの不法移民であるという。

 ビルマのラカイン人もわれわれと同じモンゴロイド系の顔立ちで仏教徒だが、ロヒンギャ人はバングラデシュの人々のような色黒アーリア系の顔立ちでイスラーム教徒である。そしてラカイン人もロヒンギャ人をバングラデシュからの不法移民と認識している
banglaesh_assam_maps.png

 地図を見ていただくと分かるが(ダンナに協力してつくってもらいました)、インドのアッサム州はチベットの南側に隣接し、アッサム州もラカイン州もバングラデシュとも地続きである。事件がおきた地も二つともバングラより。

 アッサムやラカインにもともと住んでいたモンゴロイド系の人々にすれば、バングラデシュからムスリムが移入し続ければ、そうでなくとも自国でマイノリティなのに、主権が脅かされると考える。なので、いったん事があると容易に殺し合いが始まる。

 しかし、先住民のモンゴロイドが「出て行け」と言っても、対するイスラーム教徒は戻る場所もない極貧の人々。出て行く先がないため、より悲惨な人権状況となり、さらに対立は深まる。

 この愚かしい憎悪の再生産の結果、南インドでイスラーム教徒の襲撃を恐れてモンゴロイド系のインド住民が、争って都市部から故郷に向かって逃げだした。また、8月14日、マイソールで、二人のインド人が、チベット人テンジン・プンツォクを刺した事件があったため(ソース ttp://www.rfa.org/english/news/tibet/muslim-08162012175423.html)、チベット人まで都会から田舎のチベット居留地に逃げることとなった(この事件にいわゆる宗教対立がかかわっているかは不明)。

 衝突が拡大したもう一つの原因として、SNSで衝突の際に焼かれた家、殺された人の遺体などのショッキングな画像がでまわり、両集団の憎悪を煽りたてたことが挙げられる。ビルマの軍事政権が最近軟化してインターネット検閲を弱めたのもまずかった(いや本来いいことなんだけど)。チベットの地震写真もそのような文脈でインターネットで回覧され、チベット人まで襲撃の危険にさらされてしまった。

 情報弱者何とかして。

 ちょっと考えれば、モンゴロイドの仏教僧が、モンゴロイドを火葬する写真が、アッサムやビルマの衝突と関係ないことくらい分かるはず。それにそもそも、衝突の現場でおこる襲撃なら愚かななりにも理解できるが、遠く離れた南インドに住むイスラーム教徒が、南インドに住むモンゴロイド系の人々を襲撃する正当性なんて何ひとつもない。聞いているか?何一つない。

 このような事態を受けて、8月23日付けのパユル(phayul)記事によると、チベット亡命政府のセンゲ首相とダライラマ法王の特使がこの写真を携えて、イスラームの友愛伝導NPO団体、ジャーミー・マスジット統一フォーラム(Jama Masjid United Forum )を訪れ、この写真についてのムスリム社会の誤解を解くようにと要請し、また、デリーのビルマ大使館を訪れてスーチーさんに親書を送り「貴国で起きているロヒンギャに対する暴力についての憂慮」を表明された。

  法王はかねてより、宗教の本質とは愛と思いやりであり、人の幸せに資するものであること。あらゆる宗教は「尊敬されるべき心のありかた」を達成することに役立ち、その宗教の信徒を幸せにすることに寄与しているが故に、それぞれに存在価値があるとして、他宗教を排斥することを許さなかった。

 興味深いのは、ダライ・ラマは、マルクス主義のような無宗教も、宗教の一つと考えており、マルクス主義ですら人々の幸せに寄与するがゆえに存在価値があると認めていることである。
  一方、自らの信奉する宗教こそが唯一の正しいものであると主張して、他者を批判するようなことは、それがどのような教えであっても本来の趣旨からはずれているので、批判されるべきであるとする。

 法王はもちろん宗教間のことだけでなく、人種、思想、主張などが異なるもの同士が、互いがレッテルを張り合って憎しみ合うことも、やめなさいと言い続けている。
 
 最近、人種や民族や主義主張の違いで人にレッテルをはり、対立する者に対してはどのようなことをいってもいい、何をしてもいいと考えるレイシストが各国に増殖中であるが、他者を排斥する主張はその時点で自分が他者に排斥されていも文句をいえない地平に自分を置いていることを知らねばならない。

 以下は2000年のミレニアム世界宗教会議にあわせて法王が発表した声明の抜粋である。様々な宗教や思想はさまざまな人々を幸せにすることに寄与している。それであるがゆえに尊重さるべきである、という趣旨であり心温まる。私は、これはいいかえれば、さまざまな宗教や主張は、その支持者たちを人に迷惑をかけないように教育する義務がある、と受け取っている。それができない宗教はその宗教本来の趣旨からも人の道からもはずれている。

 世界の主な宗教を見回してみると、仏教も、キリスト教も、ヒンドゥー教も、イスラーム教も、ユダヤ教も、シーク教も、ゾロアスター教も、全て例外なく人間が永続する幸せをつかめるようにすることを目的にしているとわかります。私の見たところ、これらの宗教はいずれも十分その役に立っています。そう考えると様々な宗教があることは、良いことで有益であると言えましょう。

 ・・・そんなことを言って結局は仏教を宣伝したいのだろうと思う人もいるかもしれません。・・・ほんとうにそうではないのです。 私は宗教と精神性ははっきりと区別されるべきだと思っています。宗教というのは、そこで約束されている救済を信じることだと私は考えます。そうであるからには、一種の非現実的なもの、超自然的なもの、たとえば〔キリスト教の〕天国や〔仏教の〕涅槃のような概念を信じなければなりません。それを前提として宗教の教理、儀式、祈りなどは成り立っています。

 それに対して、私の考える精神性とは「称えられるべき心のあり方」を示しています。愛情や思いやり、忍耐、寛容、許す心、満足する心、責任感、協調性といった、自分だけでなく他人にも幸せをもたらすものです。儀式や祈りは特定の宗教に結びついており、たとえば仏教を信じていなければ仏教の説く涅槃も救済もありえませんが、こうした心のあり方は特定の宗教や抽象的な信仰に頼らなくても、人は十分にこうした心を育てられるはずです。宗教は人になくてはならないものではありません。ほんとうに人になければならないのは、こうした基本的な精神性だと思うのです(『ダライ・ラマ 幸福論』)




 ※ ちなみに、チベット人が刺された件についてRFAは最初は「僧侶」と一報が流れたものの、現在は「学生」となり、その刺された原因もよくわからんというので、とりあえず改まった方のソースをつけておきました。。
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