白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/09/16(日)   CATEGORY: 未分類
死者の数(上)
 前回の若手チベット学者会議で、Erhar, Franz Xzverという人類学者が、「アムドの歴史を記憶にとどめる」という題名で、大躍進や文革の時期の、アムド(東北チベット)における被害を明らかにした証言集や伝記などが近年あいついで出版されていることなどを発表した。発表のあと若手の人類学者が集まって、その伝記の著者であるナクツァン・ヌブロの話でもりあがっていた。

 折しも、インディアナ大学でチベットと中国の関係史を教えているエリオット・スパーリンクが、このナクツァンの伝記も含めた記事をRangzen Allianceにあげた。文章は、今年の五月、アムドのナンチェンの工事現場から、人骨がごろごろでてきた事件をもとに、中国の占領によってひきおこされたチベット人の死者(飢餓と戦闘・処刑)数について論じるものである。 全文を翻訳しようと思ったが、長い。そこで前後編にわけました。原文はここ。時間がなくてかなり適当に訳したので、英語力のある人は原文にあたってください。

「死者の数」

エリオット・スパーリンク 2012年 9月14日 

 ティモシー・スナイデル(Timothy Snyder)の『血塗られた大地』(Bloodlands)の結びの一文〔「死者を数字にとどめるのてはなく、人間に戻すのだ」という主張〕は、記憶する価値がある。

 というのも、こういった文章は大量殺戮について「一人の人間の死は悲劇だが、数十万人の死は単なる統計上の数字だ」(怪しいがスターリンの言葉と言われている)と、悲劇を斜めから見下ろすような発言を控えさせることに役立つからだ。

 皮肉にもこういった意見は時折、チベット現代史の悲劇に関心ある人々に予想以上の影響をもたらしてきたように思われる。1980年代にチベットの政治指導者たちは、中国占領開始以後の三十年間に、チベット人の死者が120万人を数えたと発表し、この数字がつねに引用されてきたからである。

 これはあらゆる感覚を麻痺させるキリの良い数字だ。この数字は、信頼性の低いランダムサンプリングによってひきだされているという事実にもかかわらず、厳として存在している。

 実際には、もっとも無知なチベット・ゲリラでも、この死者数を信じることはないだろう。もっとも客観的な観察者(それはチベットに同情的なことを隠さない多くの人々を含む)もこの死者数を否定するだろう。

 120万という数字は大まかには、亡命者からの聞き取り調査とともに、1979年から何回が行われた、ダラムサラから本土チベットに送られた視察団、とくに第一次視察団の概算から引き出されたものだ。

 視察団のメンバーは人口統計学データの取り方についての訓練は受けておらず、さらに言えば、たとえ、開かれた国で住人の数を数える時にもさまざまな困難があることを考えると、「閉じた国のある一時代にどれほどの人がなくなったか」という数を正確に数えることは、データをとる訓練を受けている受けていないにかかわらず非常に困難な作業であることは明らかだ。

 わたしがこのように発言しているのは、チベットでおきた大量虐殺の規模を過小評価するためではなく、根拠を示そうという真剣な努力なしに数字をただあげることはできないと指摘するためである。単純に数字をあげることは、百万人の死者を、単なる統計上の数字に凍り付かせることになる。

 では、120万という死者数は、却下されるべきなのか? その通り。その理由はチベット高原で恐ろしいことが起きなかったからではなく、この数字に信頼すべき根拠がないからだ。1950年から1975年までの期間に、チベットにおいて大量死があったことは論争の余地のないことである。しかし、120万人かといえば、今の時点ではイエスとは言い難い。

 実際の死者数はもっと少ないとしても、それは非常に多いことには変わりない。中国の記録にアクセスできない現時点では、単に正確な数字を知ることができないということだ。しかし、非常に大規模な虐殺が起こったという事実は疑う余地のないことである。

 チベットにおける大量死は、中華人民共和国では少なくとも公式には話題になることはなかった。話題になったとしてもそれは集団虐殺があったという主張に反駁するためのみである。

 そしてここ数年、チベット亡命政府の公式発表においてもほとんど死者数に言及することはない。その理由はたぶん、何年か前、共産党の統一戦線工作部が「チベット人は中国政府を攻撃してはならない」との禁止命令を出したせいであろう(私たちの知る限り、この禁令はダライラマの特使ロディ・ギャリに言い渡され、ダライラマによって公にされた。)。

 しかし、歴史の痕跡は、政治家の願いと常にうらはらである。
 
 ほんの数ヶ月前の五月、青海省玉樹チベット自治県のナンチェン地域で、建物の建築にあたって準備作業が行われていた。ナンチェンの一部は上カムのナンチェン王国の一部である。この地域はここ数年チベット全土と亡命社会で続いている焼身抗議が起きている地でもある。
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 家を建てるために地面を掘り返すと、地中から恐ろしい予測もしなかった招かれざるものが突然目の前に現れた。人骨が土の下から現れ始めたのである。

 過去は集団埋葬地の姿でやってきた。そして過去は中国政府を困らせることなどかまいはしないのである。
TBC-22-570x395.jpg画像は鮮明であり、土地の人々は「あそこは1958年に僧や俗人が殺された場所だよ。人のたくさん死んだ恐ろしい年だった」とささやきあった。
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 玉樹の他の場所、ペルタン近くの草原で、別の家屋建設計画が始まると、同じようなことがまたおきた。

 人間の遺骸でいっぱいの三つの大きな埋葬孔が現れたのだ。

 遺骸はすべてが分解しきっていなかったという。孔に投げ込まれた時、犠牲者が来ていた着物の残骸もあった。僧服の場合も俗人の服もあった。死者の長い頭髪はまだそのまま残っていた。年配の人の話によると、これらの孔は1958年から作られはじめ、1960年の飢餓の時代の死者の遺体も加わったものだという。何台ものトラックがこれらの遺品をもちさっていった。

 20世紀の歴史は集団埋葬地に事欠かなかった。ナチスに殺されたユダヤ人の埋まっているBabi Yar(33771人)、 ソ連によるポーランド将校の虐殺の場Katyn(22000人), ボスニア戦争時に殺された人々の埋まるSrebrenica(8373人)の地、集団虐殺の埋葬リストは長大である。戦後約70年の間、また一つまた一つと集団埋葬地が発掘されるたびに、そのようなものを引き起こした人の残虐さ、罪、弱さ、憎しみ、全体主義などを思い起こすよすがとなった。

 『ひどいことが起きてしまったことを自覚すれば、それが再び起きる可能性を減らすであろう』との希望の下、「流血の20世紀は誠実に記録され、未来の世代に伝えられていくべきだ」との議論がある一方、「中国はその過去、とくにチベットにおける過去によって苦しむべきではない」という無言の意見が明らかに存在している。

 また、共産党は中国人をリベラルな思考法から遮断しなければならないと考えているたため、チベットでの集団虐殺の証拠はとくに中国人にとって非常に害があるとし、それがチベットの虐殺に関心を薄くしているようにも見える。まことに、二十世紀の大量殺戮実行者の一人(毛沢東のこと)を崇拝することを命じる政治文化の中で、上品にもチベットの虐殺はまったく等閑に付されてきたようである。

 このような考え方に基づけば、チベットでおきた大量虐殺に対して偽装否定がなされることも驚くことではない。

 中国政府はこの数十年チベットで起きた事に関して、何らの記録の開示も行ってこなかった。これに対して、厳しい非難を行うどころか、一種迎合するような空気(それを神の摂理と言ってもよい)が生まれている。それは中国の行動は一種の天災であり、天災に対して裁いたり批判したりすることは想像もつかかないという反応である。

 裁かれるべきなのは、別の行為である。たとえば、利用可能な、しかし問題の多い中国の統計を選択的に利用したり、チベット地域における人口の減少の多くの原因(最大の原因ではないにしても)を、移住や亡命のせいにすることである。チベット亡命政府の情報は誇張されていて、信頼できないという、いつもの批判もある。

 基本的な事実を見つけるために誇張表現に向き合うどころか、この120万人という修辞的表現は、チベットから亡命したひとたちからの証言を単純に台無しにするように働いている。

 したがって、ソートマンの(Barry Sautman): 「120万という数字は生存者の目撃情報に基づく者でも、国家規模の統計にアクセスしたものでもなく、亡命者の報告も往々にして亡命政府を喜ばせるためにゆがめられている。」という発言がでるのである。

 この発言によれば、少なくともこの問題に関する中国の記録は存在していることになる。もしあまりすばやくこれらの記録が不問に付されるのであれば、読者はその記録に含まれている批判は、記録にアクセスすることを妨げる中国ではなく、その記録を用いないチベット人に向いているとは、思わないだろう。中国人もまじめな研究者もいずれも閲覧できない記録。

 そして、次のような正気とも思えない考え方がある:

(1) 目撃者も含めて亡命者の報告はすべて考慮しない。なぜなら、それはゆがめられているから。

(2) チベット人の大量虐殺の目撃証言はない。

 もちろん120万人という数はまったく信用できず、それはまじめな観察者の論争テーマとはならない。たとえば、ヒューマン・ライツ・ウォッチはすでに1988年にこの数字を信憑性がないと述べている。

 しかし、このことは中国共産党の支配した最初の数十年間に、チベットで大量虐殺があったという事実を却下するものではない。

 ダラムサラで2008年に出版された『ナクツァン・ヌブロの回顧録』は以上述べてきたような避難の類に耐えるものとなっている。(続く・・・)
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