白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/10/21(日)   CATEGORY: 未分類
「事実」の重みを知れ
 九月から主任になったら雑務に脳内が占拠されるようになり、かつ学会の季節なので土日もなにげに予定がはいるし、研究以前にブログをかく心の余裕がなくなってしまった。震災の時だってこんなにエントリーの間があくことはなかったので、雑用というものは震災よりも破壊力があることが分かった。雑務をやる人が研究できなくなっていく理由が体でわかった。

 とくに人間関係が面倒臭い。文系の研究は一人でやるので心底マイウエイが身についているのに、会議では複数の人間の合意を形成しなければならない。しかしグチるのはやめよう。わたしに時間をとらしている懸案についてはいつか必ず落とし前をつけてやるとして、ここは平常心でブログを書く。

 さて、きょうは「アノ雑誌」について書評を書きたいと思う(以下雑誌の名前を特定しないのは、彼らの売り上げを邪魔しないためではなく、ハリーポッターにおけるヴォルデモートのようなものだから)。

 一月ほど前、某おしゃれな旅雑誌がチベットを特集した。チベット関係者にいろいろ取材がいったので、チベットを愛する人達はその発行を心待ちにしていた。発売日が決まるとみなでその日程を拡散してもりあげいった。しかし・・・・できあがったその雑誌を手にとってみなはドン引きした。そして、暗黙のうちに「買うな」モードがひろがっていった。

 発売直後、怒りにまかせて書評を書こうかとも思ったが、かえって注目度があがってしまうし、また、営業妨害と言われるのも心外なので、とりあえず沈黙を選択した。しかし、アマゾンの順位も順調に下がり、書店から平積みが消えてきた今、そろそろ語ってもいい時期がきたような気がする。

 これから無明の話をしよう(マイケル・サンデル風)。

 問題の雑誌のメイン記事は、旅雑誌ということもあり、チベット文化圏の旅レポートである。それに続いてチベット文化(医学・歴史・美術)の紹介にも多数のページが割かれ、チベットに関連する話題(チベットとカルト、チベット問題、フリー・チベット)も扱われている。かつてインドやトルコを特集した時の同雑誌のバックナンバーと比べても、この号に気合いがはいっていることは明かである(字の密度が違うし、レイアウトも凝っている)。

 しかしてその内容はあまりにも残念なものであった。

 とりあえず虚心坦懐にこの雑誌をめくって編集長が直接書いた、編集後記や紀行文の文章から、彼の見識をまとめてみよう。

「日本で出会ったチベットを愛する人々は自己陶酔していて何か苦手だった。そこで、私は本当のチベットを見に行った。するとチベット人はたくましく、明るい民族であった。チベット人を可哀想な民族と思うのは外国人の感傷である。チベット支援団体はCIAのまわしものである」
というもの。

 あまりにもひどいので、私を取材にきた編集者にメールをして真意をただしたところ、その人曰く、「編集長の命令で、亡命政府側とそれを批判するスタンスの両方向から取材をし、その両方をのせて、どちらにもつかないという姿勢をしめせば「中立」になると思っていた。」という趣旨であった。

 しかし見ればわかるが編集長の思想は、客観的にいってまったく中立ではない。

 彼のいう「本当のチベット」は、中国政府のプロパガンダとそれに影響を受けた日本の左傾評論家の語りそのまんまを継承している。まあとりあえず、文章を具体的に検証してみよう。

 冒頭の写真は、ダライラマ法王が「イー」をしたアップ写真。この聖性のかけらもないショットを選ぶことによって、キャプションについた「楽しいチベット」を象徴させようとしたものと思われる(法王事務所はこの写真にいやな顔をしていたので、揶揄されているのは分かった模様)。

 そして編集長自らが出御した東チベットの旅ルポ(pp.34-53)。彼の言葉を引用すると、
「旅の途上で悲哀に充ちたチベット人の姿は皆無だった。漢民族と同じ生活水準を! と叫ぶ人さえいた。ラサを物見遊山で訪れ、あるいはドキュメンタリー映画に感化され、フリーチベットと叫ぶ演歌にも似た哀愁が絵空事に感じる。」(p.54)

「アムド、カムのチベット人たちは、漢民族とのギリギリの境界線上で優雅にダンスを踊る。ときには政府の懐柔政策で支給される金を利用し、ときには観光客にチベット文化をうりつけながら。・・・彼らは強く楽しく現世を生き抜いている」(ibid.)

 紀行文の間には見開き一ページでチベットの風景を点描した写真がならび、真っ赤なバックを背景に何の解説もなく
「チベットは発展していないんですよ」
「貧乏ですよやっぱり」
「解放させてあげたんですよ中国政府は」
と白抜きの字がならぶ。

 この見識はチベットについて漢人が語るコメントの典型例である。 編集長のチベット認識が漢人のチベットイメージと共鳴していることは、周囲にいる中国人留学生にチベットのイメージについて聞いてみればすぐに分かる。

 まず彼らは一様にチベットの雄大な自然とヒマラヤの壮観を称え、信仰深い人々が住むエキゾチックな地などと旅情を述べる。しかし、チベット問題について水をむけると、必ず、
「共産党は漢人にはひどいことをしてきたが、少数民族や外国にはいい顔をした。文化大革命は内地のできごとで、チベットには被害はないだろう?」

「漢民族は厳しい競争にさらされているのに、チベット人は優遇されている」
と、つまり、彼らは「チベット人は中国政府をうまく利用してしたたかに生きている」と思っている。日本の一部のナショナリストが在日外国人が特権を享受している、と糾弾するのと似た構図である(チベット人は本来の自分たちの居住地で差別され、在日外国人は自分から日本にきたという違いはあるけど、多数が少数を「あいつなんか得をしている」と糾弾する構図が同じ。)。

 しかし、これは中国政府の情報統制と愛国教育によって植え付けられたイメージであり、戦中の日本人が植民地に対して抱いていたイメージとも面白いくらい似ている。

 そして、我々がチベットといえば思い出すダライラマも、中国人にとっては「ダライラマ? 興味ないですよ。チベット難民? 食うや食わずでキャンプにいるんですか? チベット政府? そんなものあったんですか?」とチベットの過去の歴史も今の歴史にもまったく無知、いや興味がない。愛の反対は無関心。そう中国人はチベットの風景は愛してもチベット人は嫌っている。いや恐れている。

 今、中国本土内のチベット人居住域は軍隊や警察によって監視下におかれ、チベット人には中国人に対する反感を表現する自由は全くない。さらに、漢民族は自国の欠点をまったく教えない愛国教育をうけて育つ。したがって、この編集長が漢民族のタクシーの運ちゃんやガイドとともに何日か東チベットを旅したからといって「本当のチベット」が分かるはずもない(というかこの人たぶん気づいていても書かなかった節がある)。

 さらにCIAうんぬんに至っては、半世紀前の話かというような内容である。私の知る限り、今のチベット支援者はみな善意のボランティアばかり。だいたいそんな怪しいお金があるなら、年のはじめにSFTがカレンダーうったり(写真提供者も一銭ももらっていない)、チベット人の歌手にチャリティ・コンサート頼んだりしないわ。ラジオ・フリー・アジアですらアメリカの資金難で打ち切りが議論される時代に何をいっているのやら。

 そもそも一つ一つの団体にウラとって書いているのだろうか? とってないだろうな。だって図の中には資金難でつぶれた支援団体まではいってるから。SFTが「自由チベットのための学生」というけったいな和訳で表記されていたので、このヘンな和訳でぐぐってみたら、チベット蜂起をアメリカの陰謀と主張するミシェル・チョスドウスキーのサイトがでてきた(http://chikyuza.net/modules/news1/article.php?storyid=364)。まさかこんな怪しいカナダのエコノミストの主張がこの雑誌の内容に影響してないですよね(このヘンな和訳が共通していることが関係を証明してるけど 笑)。

 編集長は「フリー・チベットはドキュメンタリーに感化されただけの、本当のチベットを知らない人たち」と決めつける。しかし、ドキュメンタリーって「事実の記録」なんですが。事実を演歌と蔑んで否定するのは、好き嫌い以上の理由を何かあげられるのだろうか。

 私は20代からチベットの歴史をずっと研究してきて、ダライラマ法王の法話も最近はほぼ毎年聞いていて、それでもチベットの哲学は一生かかってもその片鱗すら理解できないと思うのに、この編集長は数日間東チベットを旅行して「本当のチベット」が分かるというのだから彼は一切智者なのかもしれない。

 さらにこの雑誌の中立性を疑わせるのは、チベットの歴史が丸川哲史氏によって監修されていることである。

 編集者のメールによると彼は「チベットの歴史を中立に記述できる人」と言うことで選ばれたのだという。しかし、丸川氏は法政大学の日本文学科で修士課程をでて、一橋大学で言語社会研究科で博士課程を受けた方で、チベットにも歴史にもまったく正規のトレーニングを受けていない人。ついでにいえば、この方「劉暁波へのノーベル平和賞は中国への内政干渉」と言っている。あの朝日新聞ですらダライラマの時とはうってかわってその受賞を喜んだというのに。

 このような中国政府の立場に理解のある方が「中立の立場」でチベットの歴史が記録できると編集部が判断したとすれば、その根拠は何なのか。それ以前にチベット語もチベットの歴史も専門でない人に事実がかけるのか。

 で、さらに痛いのは編集長はこの反米陰謀史観を本気で信じていたと思われること。雑誌がでた直後、ツイッターでこの雑誌への批判が述べられ始めると、編集長は「フリーチベットと叫ぶ国が過去に原住民に何をしたのか。そもそも誰が世界地図に線を引いたのか。」と、反米とんちんかん発言をして火に油を注いだ。

しかし、このようなはっきり言えば知的レベルの低さをさらした発言にたいしても、チベットファンはいつものように大人だった。以下、当時の記録より

「国家が叫んでいるわけではありません。叫んでいるのは一人一人の人間です。そもそも国家レベルで動いてくれていれば、今よりは状況は改善されています。」

「先祖に犯罪者がいれば、目の前で犯罪がおき、苦しめられている人がいても「私は犯罪者の子孫だから口を出す資格がない」と見過ごすべきだとおっしゃりたいのでしょうか」

ね、チベット・ファンってやさしいでしょ。CIAからお金もらってるってバカにされてもこんな大人な対応するんですよ。
 
 それにしても不思議なのは、編集長は重要な購買層である日本のチベットファンに喧嘩をうり、取材協力者をコケにして、本が売れるとおもったのだろうか。なぜあえて日本の購買層に喧嘩を売り、中国政府の見識を代弁したのであろうか(発売当時なんて反日暴動が起きていて中国政府かばう人なんか誰もいなかったのに)。

 この雑誌も今まで通りおしゃれにポップに空疎に上滑りしていれば、まわりにも迷惑をかけないし、彼らも本がうれて丸く収まったのに。なぜわざわざチベットをたたくようなことをあえてしたのだろうか。

 編集長の判断を狂わせた要因が一つ考えられる。それはこの雑誌が、トルコを特集した時にクルド難民を肯定的に扱ってトルコ大使館からクレームを受けたことである。編集部はこう考えたかもしれない。「もしチベットを肯定的に扱えば、中国大使館が抗議してくる。中国の抗議はトルコの比ではないであろう。」

 その結果が、これ。強い中国におもねり、中国の思惑どおりチベットを観光地としてもちあげても、チベットをめぐる人々--支援者と亡命社会--を貶めるという図となったものと思われる。

 情けない話である。

 編集長は報道の自由のある日本にいながら、事実を無視して中国政府の望むようなチベットイメージを代弁したのである。彼は事実を簡単にないがしろにし、自分にとって都合のいい話を本当のことであると強弁した。このような後付け思考がある限り、世界中が情報統制をやめても、チベット問題は解決しない。

 中国人も情報が統制されていない海外に留学していても、同国人どうしで固まって、中国政府の監視下にあるweibo(ミニブログ)につどい、自分がみにつけてきた価値観を疑いもしない。問題は情報統制・愛国教育だけではないのである。問題となるのは、事実を追求する姿勢をもたず、ただ自分の信じていること、信じたいたいものだけを事実としていくゆがんだ思考なのである。

 いたるところに検問がおかれ、監視カメラが設置され、焼身抗議の続く東チベットの現場を走っても、自分の都合で「楽しいチベット」という雑誌をつくってしまうその倫理性が問題なのである。

チベット亡命社会で「事実」「真理」(truth / fact)といった言葉がよく言挙げされるのはまさにこの人間の業をうちやぶるためである。中国政府はチベット人の歴史を消し、チベット人の不満を力でおさえつけ、チベットをただの美しい観光地、資源の宝庫というイメージでみるようにすりかえている。

 しかし、中国がいくら大声で自らの主張をのべても、ダライラマ14世という彼らに国を追われた生き証人がいて、チベットの歴史を発信しつづける限り、中国政府がいくらチベット問題を無関心に誘導しようとしても、世界は中国のウソを信じない。ニセモノは、事実の反証をつきつければ崩れ去っていく。

 もちろん、客観的な事実をつきつけても考えが変わらない人は一定数いる(主観を客観にすりかえるという性癖は正常レベルから病気レベルまで様々な程度がある)。しかし、一つ言えることは、事実は多くの異なった集団の共感を得られるものの、自己に都合良くゆがめられた認知は、主観であるが故に他者との共有がなされず、結果、自滅していく運命にあるということである。

 この雑誌が事実を無視して主観に偏りすぎたが故に多くの読者を失っていることが、事実に基づかない主観は多くの人の共感を得られないことを裏書きしていよう。

 チベット人はチベットの現実を国際社会に提示し続けることによって、国際社会が外側から中国共産党に圧力を加えてくれるように願いつづけている。

 また、外国人がチベット支援に熱心なのは、チベット文化の精神性に共感していのことで、共産主義を倒すためにやっている人なんて、いたとしてもごく少数である。

 このようなチベット支援がチベットの文化をまったく理解もしていない通りすがりの陰謀論者に批判されたのだから、通り魔にあったようなものである。

 「ただの旅雑誌なのだから月刊ムーを見るくらいのやさしい目でみてあげろ」という人もいるかもしれない。しかし、よく考えてほしい。

 この雑誌は、チベット難民の子供の里親になったり、インドに再建されたチベットのお寺を支えたり、ダライラマ法王事務所のボランティアをやっているすべての善意のチベット支援者を、揶揄して貶めたのである。そして、報道統制下にあって逼塞しているチベット人を「彼らはたくましいのだから助けはいらない」とつきはなしたのである。

 ことは人の名誉と命にかかわる問題なので、これだけはきちんと事実を提示しておきたい。

 ちなみに、とばっちりは思想家にも及んでいる。本雑誌には中沢新一氏のインタビューものっているのだが、彼は結構誠実に興味深い受け答えしているにもかかわらず、編集部はただばっさり「チベットはニューアカデミズムに消費された。オウム事件の精算はすんでない」なカンジ。 

 それをいうなら、この編集長は高級旅用品を販売するために、チベットをファッションで消費したではないか。

 まとめると、この雑誌は、すべての価値観をななめうえからみおろすことを中立であると思っている通りすがりのバックパッカーが、中国ともめないために、現地できいた漢人の声を採用し、チベット人はたくましいからと意見を聞かず、既存のチベット論は本当のチベット知らないものと提示したもの。理論武装は反米左翼の陰謀論。購買層はクリエイターたち。こレに比べれば、かつての、Brutusや旅行人のチベット特集ははるかによくできた内容だった。

この雑誌がでた時、チベット関係者の間で話題になったのが、バックパッカーの質の低下である。猿岩石、ラブワゴンを経て、旅は外こもりとなり、いにしえの世界旅行者はどこかへいってしまった。今のバックパッカーにとって異文化は日本人の恋愛、日本人の休暇を演出するただの背景にすぎない。背景はきれいで楽しければいい。背景の事情なんて知る必要ない。

 編集長はフリー・チベットを演歌で外国人の感傷というが、この雑誌のコンセプトである「楽しいチベット」は、日本人(中国人)旅行者がチベットに求めている癒しや希望であり、「本当のチベット」ではない。

 最後に強調したいことは、チベット支援者の方が事実に基づいて行動している分、コンセプトで行動・発言した編集長よりははるかに誠実だということである。
[ TB*0 | CO*2 ] page top

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2012/11/03(土) 15:29 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます

シラユキ | URL | 2012/12/14(金) 00:02 [EDIT]
>玉尾さん
ご意見ありがとうございます。

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ