白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/11/05(月)   CATEGORY: 未分類
文化と芸術の秋(但チベット絡み)
〔描かれた<滿・蒙〕

  土曜日に日大文理学部資料館「描かれた<滿・蒙--「帝国」創造の軌跡-->」(会期 10/1-11/4)にいってきた。毛沢東の破壊がはじまる前の、清朝の風俗が色濃く残る、つまりはチベット仏教の僧院がまだモンゴルや満洲のそこいらにあって、ラマとかがうろうろしていた時代の映像や写真が一杯あるのだ。

 入場料無料なのに、無料のパンフレットがついたりして「すごいサービス良い」と思ったら、なんか文部省のトクベツな科研をもらっているみたい。
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 まず目を引くのが、会場内で流れている1925年の記録映画「蒙古横断」。

 すべてを見たわけではないが、わたしがちょうど目にした場面はチベット仏教の僧院で僧侶が仮面舞踊を舞っているところ。それにその仮面舞踊を見物している聴衆は、男は弁髪、女もいわゆる清朝時代と同じチーパオ。あまりにも感動したので、受付の学生に頼んでこの企画の中心にいるM先生を呼んでもらう(実は昔からの知り合いなので、以下Mさんと表記)。

 Mさんによると、この「蒙古横断」は満鉄がとった最初の記録映画だったのだが、撮影者が満鉄と金額面でもめて、フィルム持って去っていったので幻のフィルムとなっていたそうな。ところがこれを名前忘れたナントカさんが発掘した。しかしフィルムは痛みが激しかったので、それを修復して今の120分の長さにまとめたのがこの資料館。復元ができなかった部分にはチベットの僧院とか仏教舞踊がうつっている部分が結構あるらしい。

 Mさん「日本が満洲国をたてた際、清朝の最後の皇帝溥儀を担ぎ出したことは一見唐突に見えますけど、こうして当時のフィルムみるとまだ庶民は清朝の風俗をこんなに残しているんですよね。この人たちにとっては〔溥儀の復辟は〕意外と抵抗なかったかもしれませんね。今、中国の国内のモンゴル人にこれをみせると、『文化大革命で壊れてなくなってしまった古いものが記録されている』とびっくりするんですよ」とのこと。

 このフィルムを見れば、伝統文化の破壊は、清朝の崩壊でも、帝国主義でもなく、共産中国の成立とともに完遂したことがよく分かる。

 ちなみに会場にある1894年の「日・清・韓三国地図」を見ると、当然のことながら「清」の領域にチベットまったく入ってない。今の中国は日本が尖閣を日清戦争後のドサクサに紛れてとったというけど、なら世界が疲弊しまくっていた第二次大戦後、東西冷戦期のドサクサに紛れてダライラマ政権下のチベットを占領したことも、世界にも自国民にもちゃんと周知させてほしい。
 
「この1931年の満州鉄道概見図(第十七版)。いいですね」(2メーター×1.5メーターの巨大なもので、興安嶺以東の満洲鉄道の路線図。)というと、
満鉄路線図

Mさん「分かりますか。この地図は統廃合の決まった愛知の資料館から寄贈されたものです。市町村の統廃合が進んだ数年前、地域の資料館もそれにあわせて統廃合されて、未整理の収蔵品は規定で廃棄処分にされるところでした。なので、ボクはそのような機関に70通くらい手紙を書いて、「満・蒙関係資料をひきとります」と表明したら、結構な数のものが集まってきました。これもその一つです。」

「この東蒙古一覧図もイケてますね」
Mさん「これイイでしょう。古本市で700円ででていたのを、ここでクリーニングして綺麗にしたんです」
「まさに掘り出し物ですね」

 その他にも満鉄の「アジア号」つかった旅行勧誘ポスターや、満鉄かるた(「匪賊」とかでてきて爆笑)、モンゴルの貴婦人をアールヌーボー風に書いたポスターなど、かつての日本には日常的に大陸の情報が目に触れる状態であったことを示す品揃え。この頃、大陸のチベット仏教は今よりももっと身近にあった。モンゴル人や満洲人の祭りや動向はほぼ普通に日本の新聞にのるものだった。

 われわれの国には文化大革命はなかったが、敗戦を境に古いものは否定対象となり、かつての時代について自由に語れない空気が生まれた。そしてフランス思想・アメリカ大衆文化に育てられた戦後生まれが大勢を占めていく中、かつての世相は忘れ去られていった。大陸側の民族文化が共産党の破壊によって過去ときれたように、日本も敗戦によって過去との連続性がなくなったことをしみじみと思う。

 〔藤田理麻個展〕

 そのあと新宿にいき、藤田理麻さんの個展を見に行く。藤田さんはニューヨーク在住の画家で、インドやチベットの影響を感じさせるスピリチュアルな絵柄で国際的に人気を博している。サインに並んでいる客層をみると女性に人気があるようである。
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 彼女はチベット・サポーターとして知られており、2001年、恵まれない国の子供達に絵本を創り、寄贈する組織「ブックス・フォー・チルドレン」を設立した。私のしるところでは、かつてダライラマ法王が拾ったわんこをテーマにした『ワンダーガーデン』という絵本をだしており、最近はヒマラヤの兄弟を主人公にした『藤田理麻の不思議な冒険』を出してヒマラヤの自然保護を啓蒙している。本書の序文はダライラマ14世とリチャード・ギアである。

 会場でかった絵葉書には、ヒマラヤを背景にチベットの民族衣装をきた女の子が羊を放牧していたり、仏様の手のひらや、チベットの経文などがテーマとなっている。ガンジス河を流れていく死んだ?女性の絵には、「ガンジス川にはマリーゴールドを流してお供えします、この聖なる河を流れたらどんなに幸せでしょう」みたいな解説がついている。耽美や。

 そして絵の隙間隙間に書き込まれた小さな文字を読むと

貧しいものが富を見いだしますように
  may the poor find wealth 
悲しんでいるか弱き者が喜びを見いだしますように
  those weak with sorrow find joy 
絶望している人が希望を見いだしますように
  May the forlorn find new hope
永続する幸福と繁栄を
  Constant happainess and prosperity

恐れているものが、恐れることをやめますように
  May the frightened cese ti be afraid
囚われている者が自由になりますように
  And those boudn be free
かよわきものが力をみいだしますように
  May the weak find power
彼らの心がむつみあいますように
  And may their hearts join in the friendship

智慧と慈悲を動機として
  Enthused by weisdom and compassion
今日仏陀のみまえで
  Today in the Buddha's presence
わたしはあらゆる命あるもののために
  I generate the Mind for Full Awakening
完全なる悟りの境地を求める心をおこします。
  For the benefit of all sentient beings

虚空が存在する限り
  As long as space remains
命あるものが存在する限り
  as long as sentient beings remain
わたしはこの世にとどまって
  Until then, may Itoo remain
世間の苦しみを取り除きましょう
  And dispel the misteries of the world.

 これらはみなダライラマが頻繁に引用することで知られている八世紀のシャーンティデーヴァ著『悟りへの道』の回向文中の一文である。会場には彼女が祈りをこめてつくったインド土産っぽいラッキーチャームも売っている。絵のお値段はお高くて、三十万くらいする。でも、1階下でマックスマーラのコートが「いいな」と思って値札みたら二十三万していたから、最近の物価はこうなのかもしれない。

〔北大で学会〕

 翌日曜日は横浜パシフィコのダライラマ法王の講演に参加といいたいところであるが、北大の学会にちょっとはずせない用があったので、北大にいく。東京は秋晴れだったのに、サッポロにつくと氷雨がふっており、時折突風も吹く困った天気。駅で傘かって北大まで歩く道のりの最中、壊れた傘がゴミ箱につっこまれていた。
 発表を聞いている最中。突風で窓がバーンと二ヶ所あいた時は、ホラー映画かと思ったよ。
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 多田等観の評伝をだしたことでここでも紹介した高本康子さんの発表は、戦前・戦中の日本による満・蒙における『喇嘛教工作』をとりあげたものだった。具体的には1942年満洲国のハイラルにおいて、日本がモンゴル人を懐柔するためにたてた時輪金剛仏曼荼羅廟についての話。この廟の本尊はカーラチャクラの立体マンダラなのだが、その由来が悲しい。

 1896年頃(発注の時期には所説り)、とある転生僧が「強力な敵が外からやってきて教えが滅ぼされる。カーラチャクラの立体マンダラを作らなければ、教えが滅びてしまう」というので、ブリヤート人たちは南モンゴルのチベット仏教センター、ドロンノール(多倫諾爾)に立体マンダラの鋳造を発注した。しかし、完成を待たずしてブリヤートは予言の通りにソ連の支配下に入ってしまった。宙に浮いてしまったこの立体マンダラを、日本が対モンゴル懐柔工作に利用したというわけ。

 発表者は満洲国がこのカーラチャクラ廟の建立のためにどれだけお金を使ったか、人を集めるために無理をして現地の反感をかっていたことなどを資料をあげて明らかにしていた。資料にあげられた式次第を見る限りでは分からなかったのだが、この落慶式は誰が導師となって行い、施主が誰だったのかが知りたいところ。もし施主も導師もいないのであれば、まったく伝統に則った儀礼ではなく、日本がいかにチベット仏教の作法にうとかったのかが分かる。そしてこの廟がモンゴル人にまったくうけなかった理由もよりはっきりしてこよう。

 ダライラマ法王の講演は7日に参加予定なので、そのレポートはあげますね!
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