白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/11/27(火)   CATEGORY: 未分類
トンドゥプジャとツェリンウーセル
 最近、チベット人作家の本を相次いで寄贈していただいた。1冊はチベット現代文学の創始者トンドゥプジャ(don grub rgyal, 1953-85)の『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』(勉誠出版)。もう1冊は、チベット人反体制作家ツェリン・ウーセル (tshe ring 'od zer, 1966-)さんのエッセイ集『チベットの秘密』(集広舎)である。

 前者は青海を舞台にした小説や詩で、記された時期は文革直後、後者は中国人に抑圧されるチベット人のここ10年の姿を告発するエッセイである。つまり、両書は著作年代も異なり創作と実話の違いがあるのだが、共通点もある。支配された民族がもつ情感──自分が何者かわからないものになっていく苛立ち、不条理に対する怒り、そしてわずかな希望──である。

●●●『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』●●●

 トンドゥプジャの選集には、訳者の一人大川謙作氏によって現代チベット文学の歴史を解説した一文が寄せられている。また、ペマブム(NYのラツェ図書館館長)によるトンドゥプジャの伝記が付録に和訳されており、両方ともに非常に勉強になる。にしても、伝記にみるトンドゥプジャの人生はあまりに無頼。そこで、みなさんにもお裾分け。

 トンドゥプジャは16才(1968年)で青海のラジオ局に就職し、18才で再開された北京の中央民族学院(今は大学)に入学し、大学者ドゥンカル・ロサン・ティンレー(dung dkar blo bzang phrin las)についてチベットの歴史を学んだ。23才で民族学院を卒業し、青海のラジオ局に戻り、文筆活動を始める。

 時は文化大革命が終わった後の雪解けの時代。旧来の知識人たちがうちのめされてなかなか再起動ができなかったのに、トンドゥプジャはいちはやく現代チベット語で自由詩や小説を発表し始めた。そして、28才で中央民族学院、31才で海南チベット族自治州民族師範学校の教職をえた。

 彼の作品は人気を博したが、魯迅のように伝統的な社会の価値観に対して批判的であったため旧来の知識人層からは嫌われ、しかして、チベット人の誇りには満ちていたことから共産党からも危険視され、さらに言えば、「オレの文学は最高だ」的な高慢な性格で、上にかみつき、下をバカにしたため、孤独になっていき、かつ酒に溺れていたためあちこちで暴力事件を起こし、教員の職を失った。

 さらに言えば、女癖も悪く妻には手を挙げるというていたらくであったため、最初の妻は自分が愛人を作って離婚し、次の妻(モンゴル人)には逃げられた。妻と娘がさって数日後、トンドゥプジャは部屋で死んでいるのを発見された。煙突のない熱いストーブが側にあり、一酸化炭素中毒になったと見られている。享年32才。遺体の手はやけどしていたので、ストーブは自分で部屋に持ち込んだもので、自死と見られている。

 そして早すぎる死は彼を神話的存在におしあげていく。

 どうです、アプレゲールでしょう。

 さて彼の作品を読んでみよう。ふむふむチベット人としての誇り、郷土に対する愛とかは明かに見て取れる。それに当時のアムドの普通のチベット人の生活が描かれていて面白い。また、仏典を典拠とする修辞や言い回しも豊富なので、チベット人文学の特徴も意外とちゃんとでている。

 しかし、彼は伝統的な社会、とくに仏教的な価値観はあまり重視していないようで、作中にでてくる僧侶はインチキだったり、仕方がないから出家したような尼さんだったりで、きちんと修行した人格者の僧はでてこない。また、伝統文化は話の筋に肯定的には絡んでこない。

 一方、共産党に対しての目立った批判はない。たとえば、「ペンツォ」や「ドゥクツォ」などの作品で、主人公が「チベット人がチベット語で教育を受けられるようにしなければならない」と自分の考えを述べる際に、「我々は中華民族の一部なのであるから、〔チベット人の〕教育の遅れがこのまま続くなら、中華民族の体面を損なう」という共産党の論理をもってきたりする。

 チベット語が重要だと主張する際、ダライラマ法王は「チベット語はチベットの仏教文化を伝えるためにもっとも適した言語である」とチベット語の普遍的な価値を理由にあげる。 実際、チベットの論理学や中観哲学は、チベット語から他の言語に翻訳することは難しく、かつてチベット仏教を学ぼうとしたモンゴル人や漢人の僧侶たちは、みなチベット語を学ばざるを得なかった。モンゴル地域の僧院では学僧たちはチベット語で著作をしていたことはよく知られている。

 であるから、トンドゥプジャもチベット語に誇りを持っているのなら、「中華民族の体面」なんてプロパガンダをもちださず、チベット語・チベット文化自体に価値があることを主張した方がよほどすっきりすると思うのだが、それをしていない。それは彼が仏教をチベット文化の重要な構成要素とは認識していなかったからかもしれない。

 彼の作品の中で、チベットの伝統的な価値を象徴する僧侶や老人たちに存在感がないのとは対照的に、圧倒的な存在感と共感をもって描かれているのは、トンドゥプジャ自身をモデルにしたと思われる、若くて教育があり女にもてるチベット青年である(笑)。

 トンドゥプジャがチベット人として誇りを持ちつつも、具体的な誇りの内容を示せず、ただ「自尊」したことは、時代の趨勢として仕方なかった面もある。彼が人格を形成したのは文革期である。この期間、チベット文化の根本であり社会の要であった僧院はすべて破壊され、経典も歴史資料も文書類も多くが廃棄された。ラサの中心にあるトゥルナン寺(チョカン)ですら例外でなかったことは、ウーセルさんの出版したチベットの文革の写真集『殺劫』(集広舎)によっても証明されている。

 トンドゥプジャが世に出た時代は、ちょうど日本の終戦直後のような状態。伝統的な権威は失墜し、政府や親や教師はすっかり力を失い、歴史的な建造物は廃墟となっていた。目の前で多くのものを失って茫然自失していた老人たちとは違い、子供は何も失っていないから喪失感はない。このような状況で、無頼な若者たちがあらゆる価値観を否定して新しい文学を始めるのは当然のなりゆきだろう。

 というわけで、わたしは彼に「怒れるティーンエージャー」を見いだした。

 でも表題にもなっている、詩「ここにも激しく躍動する生きた心臓がある」には、心が揺さぶられた。これは死の二か月前に記されたもので、彼にしてはめずらしくインドの難民社会に、仏法に希望を求めている。この詩の末尾部分を転載しよう。

 ・・・前略・・・
 それでも
 民族の希望という熱気は確実に空にのぼり
 チベットの誇りという青雲も、南の地(インド)から確かにたちのぼってくる。
 亡命した者も、留まった者たちも立ち上がるだろう。
 絶望しないでほしい
 若人たちよ。
 「世の人の声には智慧の目がある」とはいうが
 われらにはいにしえより真実の仏法があるのだから
 落胆には及ばない
 傷つかないでほしい
     ああ、友よ
     雪の国(チベット)の若人たちよ
     新たなものを創り出す力がないのなら
     公正や真理など戯れ言
     因果の法則など空理空論
だが、
ぼくの目に映るのは
         幸福の甘露
ぼくの耳に今なお響き渡っているのは
         未来の生活
それは、ぼくの胸で激しく躍動する生きた心臓であり
それは、おそらく君たちの胸の中でも
         激しく躍動する
         生きた心臓
         であるに違いない。

 無職となり、親しいものが去りゆく孤独の中で、彼の耳になお響き渡っていたのは、チベット人が立ち上がり、結果もたらされる「未来の生活」だったのだ。

 哀しい・・・

●●●『チベットの秘密』●●●

 チベット語による表現を追求したトンドゥプジャとは異なり、ウーセルさんはチベット人の両親の元に生まれたものの(ただし父親は漢人とチベット人のハーフ)、中国語で教育を受けたたために、漢語で創作している。しかし、トンドゥプジャよりもはるかにはっきりと共産党を批判し、行動もしている。具体的には、漢人がチベット人を差別・弾圧・抑圧している現場の証言を集め、記録し、ネットを通じて積極的に海外へと発信している。むろん、ダライラマに対する尊敬の念も公言して憚らない。
 
 彼女の思想は1989年に東欧の共産党独裁を倒したあの市民的不服従・非暴力思想に則っており、夫は中国の民主化を唱える漢人の反体制派作家王力雄である。彼女がここまではっきりと共産党を批判しても生きていられるのは、この王力雄の母親が江沢民のダチだったため(Uさん談)、有名すぎて手が出せないからだという(あのアイウェイウェイも両親のご威光があるから無事らしい。血によって護られるとは中国らしい 笑)。

 2008年のチベット蜂起までのウーセルさんの詩には、植民者中国に対して召使いのように従う、ものいはぬ同胞に対するいらだちが感じられる。
 以下の詩なんかはわかりやすい例。

3.末日(この世の終わり)

 チベット人にとって世界の終わりはあらゆる恐ろしい大預言が現実となる日ではなく、 まさに今日なのです。つまり、表面では同情して金を与えて公平にみせ、そして多少の仁慈を帯びた専制政治というこの時代です。

 すでに「解放」が半世紀も続き、百万の「翻身農奴」が主人公となるという名目の下で、実際は緩慢に死へと導く毒薬が、少しずつ無数のチベット人の毛穴から肺腑へと深くしみこんで来ました。

 アルコールに似て、快楽の幻覚が引き起こされ、日に日に酔いしれ、日に日に自分を失い、日に日に我を忘れてきました。

 こうして、遙か遠くに自分にとって精神的に最も近しい者(ダライラマ)が自分の今生と来世の幸福のために、たくさんの年月を費やして奔走し、年を取り衰え、気も心も疲れ果てているのに、そのお方には無関心で、忘れてしまっています。

 実際、事実今日の無数のチベット人にとって、末日はすでに今日となっていて、まさに毎日毎日が末日なのです。チベット人は末日の中に暮らしていながら、それを知らず、末日を末日とも思いません。

 それは自分自身が常に既に末日の一部になってしまったからです!

 4.声

 そうです。私たちは自分の声を出すと、いつでも叱責されます。その叱責の中で、最も筋が通って説得力があるように聞こえるのは、"お前たちは、食べるものも飲むものも、みんなおれたちから提供されているのに、おれたちを攻撃する。お前たちの心は本当に陰険だ" という声です。

 さらに甚だしい場合は、"非常時になったら、さっさと逃げたらいいぞ。さもないと、やられるぞ" と威嚇します。明らかに植民者の口ぶりで、典型的なディスクールの暴力です。

 私たちは自分たちの土地で暮らしているのに、このように叱責されるのは、何を物語っているのでしょうか? 

  悠久の歴史や伝統のあるわが民族が、昔から他人の恩賜をいただいてやっと生き延びてきたというのでしょうか?

 事実がそうでないとすれば、一体いつから、隣に住む他人が家に入り、部屋に居すわり、主人へと変わり、叱責して教え諭す権力を握るようになったのでしょうか?

 "お前たちは、食べるものも飲むものもみんな、おれたちから提供されている" というのはいい加減な嘘です。しかし一方で、この論調は植民者に蠱惑された民衆には効果的です。・・・利益集団に吸収される人はみな、その生存形態が依存どころか、従属、さらには寄生になってます。そのためか細い声しか発していないのに、ご主人から厳しく譴責されると、ただただ赤面して恥じ入り、声をのむ以外、何もできないのです。


 この他にもダム建設のために遠い酒泉に強制移住させられたチベット人が、「ゴンパ(僧院)がなくなって、山の神様がいない所では、・・・私たちは次第に滅んで、最後は漢族に変わってしまう(pp.159-168)という証言。
 
 このようなウーセルさんのいらだちは、2008年を境に劇的に変わる。同年のチベット人蜂起を境に漢人によるチベット人への弾圧は急加速し、多くの人が逮捕され、殺された。チベット人社会にはその死を悼み、不当逮捕に抗議するため、自然と市民的不服従が広がりはじめたという。その内容とは、たとえば、当局が命令しても正月を祝わなかったり、種をまかなかったりである。これに対する当局のさらなる弾圧が今に至るまで続いている究極の非暴力運動、焼身抗議につながっていくのである(今日の時点で焼身抗議者は86人にのぼる)。

 チベットに山ほどいる中国の警察は、漢人のヤクザや無法者は取り締まらないのに、誰も傷つけずただ自分の身に火を放つチベット人は殴り倒して、袋だたきにしてひっぱっていく。
 
 チベット人が「ある言葉」(チベットに自由を! ダライラマのご帰還を!)を叫ばずとも、チベット人だというだけで逮捕されることもある。2008年には、夜踏み込んできた警官が背が高い(カムバの特徴)、坊主頭(僧侶の特徴)というだけで、何もしていないチベット人を拉致っていった。漢人の商人から不良品の圧力鍋を買ったチベット人が返金をせまると、金を返したくない漢人の商店主が一言「こいつは独立分子だ」と叫べば、そのチベット人は逮捕される。

 これらのウーセルさんの記録は、中国における「民族の平等」が国家レベルはもとより、民間レベルでも全く実現していないことを明らかにしている。
 
 本書は歴史学者の目からみるともったいないと思う点が多々ある。

 それは、文学という形をとっているため、ある出来事について、それがいつ(あるいはいつからいつまで)、どこで、誰が、どのような理由で、行ったのかという情報、また、それを裏付ける証拠が、そろって提示されることがほとんどないことである。こうなると正式な歴史資料として用いることも、ここから具体的な情報をくみあげることも難しい。
 
 たとえば、チベット人が秘かに流行らせていた抵抗歌について記した「反動的な歌とはどういう意味ですか」というエッセイ。ここでいう抵抗歌とはダライラマを慕ったり、チベットの現状を嘆いたりといったおとなしいものであるが、当局は片っ端から発禁処分にしていくという話。きわめて面白い話だと思うが、どの歌が大体いつ頃流行って、いつ禁止されたのか、また、その歌のチベット語の原題、あるいはネットで検索する際のキーワードのようなものが提示されていないため、歌の詳細が分からない。この抵抗歌などは、証言者が逮捕されるというような内容のものではないから、もう少し細かい注記があってもよいと思う。

 しかし、夫君の王力雄も言うように、これらの事件がウーセルさんによって文学にされたことによって普遍を手に入れたという側面もある。具体的に証明された事件を羅列するよりも、純化された一片の詩の方がより多くを人に伝える場合があることを考えると、これはこれでいいのかもしれない。

 ウーセルさんは証言を集める際に、デマの介在を防ぐため本人が見聞きしたものを意識して集めているし、当局によって作成された報告書なども用いていることから、不完全ながらも本書の原書(ブログ)はある種の現代史史料たりうるであろう(和訳本は文学作品として読みやすくするために、いろいろな情報がぬかれている)。

 しかし回りくどいことを言わずとも、本書に書かれていることが、現実からそれほど離れた姿ではないことは、チベットを旅したものならすぐに分かるであろう。

 チベット人の住む場所には至る所に監視カメラが設置され、至る所に検問があり、配備された軍人も内地の警官と立ち姿からして違って緊張感にあふれている。ちょっと田舎に遊びにいくと、対向車線に延々とつらなる軍事車両の車列があらわれ、すれ違うのに十分はかかる。さらに、三月十日前後なら、どの僧院も武装警察祭りである。渡辺一枝さんも、15才くらいのお坊さんが理由なく漢人に殴られるのを目撃している。本書に書かれていることが、チベット人の被害妄想でデマと思う人がいるなら、それを口にする前に、チベット行って、チベット人に聞いてみてください。

 もうひとつ面白かったのは、本書の翻訳者である劉燕子さんの、チベットとの関わりの始まりについて述べた第四章「雪の花蕊」である。

 「漢人はチベット人を解放してやった、チベット人はそれを喜んでいる」と教えられてきた彼女が、チベット人の歴史をそして難民たちが置かれている苦境を知ったのは、2005年の夏、ストックホルムで天安門事件で亡命した傳正明が消息不明のチベット人の詩を朗読するのを聞いた時である。

 雪山(チベット)よ。
 もし君が人間のように立ち上がらなければ
 たとえ世界の最高峰でも
 ただその醜さをはっきりとさらすだけだ
 最高峰として寝ているよりも
 むしろ最底辺ですっくと立つべきだ
 兵士よ
 もしどうしてもぼくを撃たなければならないのなら
 ぼくの頭を撃ってくれ
 ぼくの心臓は撃たないでくれ
 ぼくの心には愛する人がいるから

 この詩を聞いた劉燕子さんは衝撃を受け、1959年以後、流浪の民となった亡命チベット人の悲劇を知る。そして彼女は

 「チベット人の苦境を知れば知るほど、私は悲しみで心が痛むとともに義憤を覚え、漢人の一人として良心の呵責に苛まれ、道義的な責任を感じた」

 多くの中国の民主活動家たちが、漢人の自由は説いても、チベット問題には沈黙するダブルスタンダードをとっていることに比して、劉燕子さんの言葉には際だった真実と良識がある。彼女が共産党の教育を抜け出して広い視野を持てたのは、地下文学や亡命文学の研究を通じてであろうか。ウーセルさんともども劉燕子さんも尊敬に値する方である。

 というわけで、本書は歴史資料でもあり、文学でもあるため、中国共産党の民族政策の成果を確認したい研究者やジャーナリストの方、また、抵抗文学の読者ならびに研究者の方、多くの方にこの『チベットの秘密』は参考になると思う。漢語を解すなら、漢語の原書・原ブログでこれらの事件の細かい時日を確認すること、ウーセルさんのツイッターをフォローすることをオススメする。
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