白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/12/09(日)   CATEGORY: 未分類
『ダライ・ラマ法王と日本人』と『伊東忠太』
今年も長野のリンゴ農家の方から、フリー・チベットリンゴをご恵送頂きました。ごろう様(オカメインコ)とのツーショット写真をとろうとしたら、下心がばれて逃げられました(しかし剥いたらショリショリ美味しそうに食べていました)。
131208るり
 そこで、ベッドで寝ているるり(猫)なら逃げないだろうとリンゴをいれたら、いやな顔をされたので、とりあえずこんなアングルになりました。

●●●『ダライ・ラマ法王と日本人』●●●
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 『ダライ・ラマと日本人』(徳間書店Mook)がでた。本書は、七つ前のエントリー「事実の重みを知れ」で扱った某オサレ旅雑誌(やはりMook本)とはあらゆる意味で対照的であった。

 某旅雑誌が中表紙にダライ・ラマ法王のお笑い写真をつかい、「楽しいチベット」と題して、チベット仏教自体にあまり興味を示さなかったこととは対照的に、本誌の表紙は品格あるダライラマ法王のご真影。
 キャッチは「人生のゴールは幸せになること ただ待っているだけでは幸せはやってきません。今すぐ『心の陶冶』をはじめなさい」。短い中にもチベット仏教の特徴をよく示す法王の言葉を引用している。

 オサレ旅雑誌が、チベット文化圏の美しい写真をちりばめ、チベット文化の紹介をしてはいても、チベット仏教の内容は具体的に述べられず、ダライ・ラマインタビューはもちろんなく、チベット人もチベット・ファンも揶揄されていたのに、一方、この『ダライ・ラマと日本人』は、美しい写真(しかもオフセット印刷でなくキレイ!)、紀行文、チベット文化の紹介に加えて、チベット仏教自体の説明が詳しい。

 しかもこの解説は専門家によってなされている (仏教は奥山直司先生、マンダラなどチベット密教美術は田中公明先生、歴史はインコ先生)。ダライ・ラマ法王についても、その半生が伝記からまとめられており、法王の日本での講演記録がふんだんに取り入れられている。高野山真言宗金剛峯寺座主・松長有慶先生によるダライ・ラマ法王とチベット仏教に関する原稿、日本大学の合田秀行先生によるダライ・ラマ法王と科学者との対話の解説などもあり、チベット仏教にずっと具体的に親しめる構成となっている。

 件の旅雑誌が専門家に原稿を依頼せず、編集が専門家を取材して作文していたことは、今思えば、依頼原稿にすると原稿料を払わねばならず(取材なら、専門家の知識をタダで使える)、さらに文章を自分の好きなようにかけないからだったと思い至る。それを思うと某旅雑誌は本当にんんんであった。

 そういうわけで、件の旅雑誌を手に取り、その美しい写真ゆえに「欲しい」と思い、しかしその内容をみて、またその値段を見て(1800円)「無理」と買うのをやめたアナタ。『ダライ・ラマと日本人』は美しい写真、紀行文はもちろんのこと、それに加えて専門家によるチベット仏教も文化の解説もついていて、お値段は860円。

 断然こちらの方がオトクでオススメ。

 『ダライ・ラマと日本人』の編集の方には二回しかお会いしなかったが、まだ構成もできていない最初の時点ですでに『新アジア仏教史』のチベット仏教の巻をちゃんと読んでいたし、法王の思想の枢要な部分は押さえていた。「この人はまあそんな変な仕事はしないだろう」と思ったその勘は当たった。

 この雑誌なら売れてもいい(笑)。

 以下、本誌の中にある法王来日講演の抜粋をご紹介。基本的なものが入っているでしょ。

ゆるしとは
 
 許しの気持ちを身につければ、その記憶にまつわる負の感情だけを心から手放すことができるのです。ゆるしとは
「相手を無罪放免にする手段」ではなく、
「自分を自由にする手段です」(2011年来日講演より)


慈しみの心とは
 慈悲とは自分の友人に親切にすることではありません。それは期待に基づいているので、執着です。慈しみの心とは、何の期待もなしに、そして他人がそれを知ることさえなしに、何かよいことをする心です。


絶望が無意味なこと
 難民であるというのは、本当に希望のない、危険な状況です。人々は現実に直面し『世の中は美しい』といっている場合ではないのです。経験しないと分かりません(そういえばこの言葉、複数のチベット難民の口から聞いた)。・・・危険な時期、激しい変化の時代にあっては「すべてがうまくいっている」というフリはできません。・・・もし問題が解決可能であり、それに対処することができるのであれば、心配することは何もありません。反対に解決不能の問題であれば、思い悩んでも仕方ありません。・・(2012年法王インタビューより)


死について
死について考えるのを避けるより、
死の意味について考えた方がよいのではないでしょうか。
遅かれ早かれいずれ死はやってきます。
死は人生の一部だ、という心構えが前もってできれていれば、死に直面するのも楽になるでしょう。


●●●雑誌『東京人 ---特集伊東忠太 アジアを生きる---』●●●
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 先月号の『東京人』は明治の日本を代表する建築家、伊東忠太(1867-1954)を特集していた。
 伊東忠太は1892年に26才で帝都工科大学(東大工学部)を卒業し、1901年(35才)に義和団であれた北京に出張し清朝末期の荒れ果てた紫禁城の貴重な姿を調査・撮影した。そして翌年、1902年から3年かけて、中国、インド、トルコ、エジプト、ギリシア、ヨーロッパ、アメリカなどを訪問し、忠太は世界の様々な建築物を目にし、この体験と帝国主義の時代相が、彼をして、近代ヨーロッパに対して抱く憧憬が漂いつつも、それを打ち消すかのように強烈に押し出されるアジア臭、しかして素材は近代的なコンクリートと鉄筋という何とも屈折した建築群を作らせることとなった。

 まあそのリストをごらんあれ。

神社系
 1890年、柏原神宮、1895年 平安神宮、1910年 樺太神宮(ユジノ・サハリンスク 今はない)、1920年 明治神宮、1925年朝鮮神宮(ソウル 今はない)、1930年 靖国神社遊就館

仏閣系
 1910年 二楽荘(大谷光瑞の別荘)、1918年 日泰寺仏舎利奉安塔、1934年 築地本願寺、1937年 善光寺毘沙門堂(新潟)・総持寺大僧堂・新勝寺太子堂 1942年 延暦寺内供養塔

 彼は神社仏閣、大学の校舎、セレブの豪邸と数知れない有名建築物を手がけている。

 しかし、私にとっての伊東忠太は、大陸のチベット仏教寺院を、チベット仏教を理解しない漢人が破壊する前に調査してその記録を残してくれたありがたい方である。

 たとえば、義和団事件の最中1901年、伊東忠太は西太后が逃げて空になった紫禁城を調査している。その時の写真集が『清國北京皇城寫真帖』 (中身はここで見られます。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846264)。写真を撮影した小川一眞って、あの有名な夏目漱石の肖像写真をとった小川一眞である。

 わたしはこの写真集のおかげで今はなきチベット寺、闡福寺と萬佛樓の旧観を知ることができた(いずれも乾隆帝が都城の鎮護のためにたてた巨大なチベット寺。今はない)。

 また、忠太が1909年にだした、満洲・モンゴルのチベット仏教僧院の調査報告書「満洲の佛寺建築」『東洋協会調査部学術報告』により、今はなき盛京(今の瀋陽)の東西南北にたてられた四つの寺、護国四塔寺の当時の姿や平面図の概要を知ることができた。

 ここに彼のフィールドノートが見られる場所がある(http://news-sv.aij.or.jp/da2/gallery_3_chuta1.htm)。ここにでてくる清朝末期の北京のチベット仏教の塔などのイラストが、チベット・オタクにはたまらんのだよ。

 君のおかげで私はずいぶん論文書かせてもらった。ありがとう忠太(ネズミか)。

 また、彼は西本願寺の法主大谷光瑞(大谷探検隊を組織した人)をパトロンとした。築地本願寺がアジャンターみたいなエキゾチックというにはあまりな姿になったのも、彼の別荘二楽荘がタージマハルになったのも(本当)、当時の日本仏教の源流たるインド仏教に対するリスペクトからである。

 大谷探検隊の発見したものは、大谷光瑞が大陸、朝鮮半島にもっていたいくつかの別荘、そして、この二楽荘などに保管されていたが、光瑞が破産したため、その遺産は現在かなりのものが散逸した。二楽荘もいまはない。敗戦による焦土化と戦後の大陸の混乱によって、忠太の多くの作品は今は写真によってしか知ることができない。

 いつも言ってるけど、戦争、共産(社会)主義、開発は歴史的遺物にとって三大疫病神である。この三つがなければ歴史家もっと仕事がやりやすい。

 本誌には大谷光瑞と忠太との関係を解説する、真名子晃征氏の文章が掲載されている。彼の建築作品に対する興味に編集が偏っていて、当時の日本のアジアに対する意識とか、大陸調査に関する分析が薄いのがちょっと寂しいが、伊東忠太の年譜も主な作品リストもあり、保存しておくにはよい史料と言える。

 最後に、もう一度、アジアのチベット仏教僧院を調査しておいてくれてありがとう、忠太。
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COMMENT

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はなちゃんのおばちゃん | URL | 2012/12/15(土) 18:58 [EDIT]
「ダライ・ラマと日本人」早速購入しました。
写真も美しく、記事の内容も分かりやすくとても勉強になりました。

シラユキ | URL | 2012/12/15(土) 23:28 [EDIT]
>はなちゃんのおばちゃんさん

ありがとうございます。半世紀も難民であることがどんなことか我々は推測するしかありませんが、本当にすごい人だと思います。

みーたんTIBET | URL | 2012/12/18(火) 18:09 [EDIT]
素晴らしい内容のブログ、感謝いたします。先の某雑誌には憤懣やる方なしでしたから。
奥山先生はよく存じております、通信教育で先生の科目をとって以来毎年講座に出かけています。
FC2の私のブログ、つれづれに、にも転載させていただきました。奥山先生もFC2なのでお知らせしました。

シラユキ | URL | 2012/12/19(水) 11:35 [EDIT]
>みーたんさん
拙ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
奥山先生は本当に早い時期にポタラ宮の調査に入られたりして、いろいろご活躍ですよね。

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