白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2013/01/05(土)   CATEGORY: 未分類
ダライラマ13世の国民への布告(1913年)
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今年はチベットにとって特別な年である。じつは今から調度100年前の1913年1月、ダライラマ13世は亡命先の英領シッキムからチベットに帰還し、二月に国民に向けて有名な布告文をだした。
 この年以後、中国共産党の侵略をうける1950年まで、チベットが事実上の独立国であったことは様々な人々の証言、史料によって証明されている。年頭にあたって、このダライラマ13世の百年前のチベット人への布告文をチベット語から和訳してみた。

 この文書はダライラマ十三世が「施主の満洲人もモンゴル人ももういない。だから、みなは自力更生し、僧侶は修行に、役人は職分に励み、国境地域の人々は外からの脅威からチベットを守れ。荒れ地を開墾せよ。」と呼びかけたもの。

 特に、五つの項目は、臣民への自力更生を説いているので箇条書きであげる。

(1) 仏教こそがチベットの根本であるため、僧院・僧団の維持を行うこと。
(2) 僧侶は修行に励んで、戒律・寺規を守ること。
(3) 役人は領民を重税によって苦しめないこと。
(4) 軍隊を編成して国境をパトロールし、中国軍とスパイの侵入を防ぐこと。
(5) 開墾の奨励

 ダライラマ13世は人々の圧倒的な支持を得ていたが、13世の言うとおりにする者は少なく、何とかなるだろう」「こんな高地まで中国軍はこないだろう」と思っていたら、どうなったかは歴史が教えてくれる。

 この布告文はチベット人によって「独立宣言」と言い習わされているけど、「独立」という言葉はどこかの支配に入っていたということを暗に示す言葉なのに、ダライラマは清朝皇帝を施主とは思っても主人とはさらさら思っていなかったので、これを独立宣言と表現するのはちょっと語弊がある。
1913年に布告されたので、とりあえず13年布告といっておく。

〔ダライラマ13世の1913年2月布告文〕


 〔詔勅の発信者〕 聖地(インド)から、仏の勅命。勝者王・三界の依怙尊・全ての時において地上の勝者の教え(仏教)の主たるもの・一切を知るもの「持金剛仏・海の高僧」(ダライラマ)*1と呼ばれるものの勅である。

*1(「」内より前はダライラマの尊称。「」内は1678年にモンゴルのアルタン=ハンがダライラマ三世に対して授けた称号。)

 〔詔勅の受取手〕 涼しき白き雪の柵によって囲まれた偉大なる薬草の園(チベット)*2に住む僧俗の貴き者・賤しきもの全てと、和平・戦争の使者として派遣されしもの全てに対して告げる。

*2(涼しき白き柵に囲まれたもの・薬草の園は、いずれもチベットの美称)

 〔チベットの守護尊は観音菩薩〕 聖地から発せられた我らが慈悲深き仏ご自身の預言の通りに、この涼しき薬草の園には、最も優れた聖者である世自在(観音菩薩)が化身の姿で、法王三祖*3以来、今にいたるまでずっと途切れることなく現れて、この地(チベット)を支配し、命あるもの達を様々な方策と偉大なる慈悲の心によって護ってきた。

*3(古代チベットを代表する三聖王、ソンツェンガムポ・ティソンデツェン・ティレルパチェンの三人)

 〔モンゴルと満洲は施主〕 かつて、チンギス=ハンやアルタン=ハン*4などのモンゴル王や、明王朝などの中国の王などが順次現れた。最も優れた勝者である偉大なる五世(ダライラマ五世)の御世に至った時、満洲の皇帝と「施主と高僧の関係」(mchod yon) を結び互いに護り合ってきた。

*4(モンゴルトゥメト部の王。1578年、ダライラマ号の起源となる称号をダライラマ三世に奉じた。)

 〔四川の役人の横暴〕 ところが、数年来、四川と雲南の中国の役人はチベットの地を蚕食せんとの心から、専制政治の苛政を計り知れず行い、そればかりか、条約によって開かれた交易場を監視するとの口実をもって、中央チベットに大規模な中国軍を、王都「仏の座」(ラサ)に送りこんできた。

 したがって私は中国とチベットの関係が「施主と高僧の関係」であるだけで、一方が他方に属する従属関係に基づくものではなかったことを明らかにするために、私と大臣は国境に行って北京に電信を通じて伝えようとした。しかし、私が出発した後に、生死に関わらず私を捕縛せよとの命令を受けた中国兵に追われて、余儀なく国境を越えた。インド到着後、私は何通かの電報を中国に向けて打電した。しかるに堕落した北京の官吏の妨害のために満洲皇帝の返答はなかなか来なかった。

〔清朝の崩壊・中国人の放逐・ダライラマ13世のチベットへの帰還〕
 欺くことのできない前世の業の力によってまもなく満洲皇帝の政は倒れた。
 チベット人の貴賤すべては自力で中国軍と戦い続け、ウ・ツァン(中央チベット地域)より中国人を放逐した。 私も自分の護るべき国・仏教の地(チベット)に無事に帰還し、現在カム(東チベット)より残留兵を一掃しつつある。今や「施主と高僧の関係」を口実にチベットを奴隷化しようとした中国の陰謀は、塵のごとく、または虚空の虹のごとくに消えた。命あるものが、再び仏教と富によって幸福な新たな黄金時代を享受し始めている。以下に述べたことを、汝ら僧俗貴賤のすべてが実行するべきこととして、〔以下の五条がある〕

第一条 〔仏法と僧伽の維持〕この世界において、すべての公共の福祉が生まれる基盤は、宝のごとき勝者の教え(仏教)が供養を通じて長く地上に留まることにある。したがって、ラサのトゥルナン寺、ラモチェ、タンドゥク寺、サムイェ寺などの聖地とラサの三大僧院*(セラ、デプン、ガンデン)などの、宗派を問わないあらゆる僧伽において、布施が途切れなく集まり、維持することができるように管理せよ。

第二条 〔僧院の綱紀粛正〕宗派を問わず各僧院の僧院長・阿闍梨・比丘たちは、自派の顕教・密教の新旧の清浄な修行が廃れないように、栄えるようにすること。廃れているなら回復すること。儀軌(式次第)・教授、聞・思・修 (三学) に勤しみ、護ると誓った寺規などを遵守することを第一とすべきである。

第三条 〔役人は良民を苦しめないこと〕すべての駅伝の差配をする人は、徴税し、法を執行する仕事すべてを、正しさを重視し、政府と臣民両者に益あるように怠りなくすること。ガリコルスム(西チベット)、ドメー(東北チベット)方面などここから遠くに行ったものに対して信じられない賦役をとり、押し売りをし、法で定めた制限をこえた馬・人・駄獣の三つを無数に徴発するなどして、臣下が生活することができないほどの損害を与え、ささいな罪で責めては土地や家屋を没収し、感覚器官や四肢を切断することをしてきた。これなどは、今生・来世の業果も〔悪く〕、何の名誉にもならない悪行の類である。これらは名前も残らないくらい無くさねばならないことである。

第四条 〔中国の侵入に備えて国境の守備をすること〕チベットは他の国のような経済・軍事力・機械は持たないけれども、仏法に則った平和な独立国家(rgyal khab rang dbang)であるので、今、外交・軍事のあらゆる事務において監督をいっそう強化することにより自分の土地を固守できる大規模な軍備を布くとすれば、すぐに兵を送る義務がある。カムの沿道にやや問題があるようなので、中国が不当な占領行為を前後に行ったという過去を思い、みなで言われなくとも実行することを通じて、自分の土地を自分で護り、自分の村を自分でまもる方策について、みなが真摯に責任を持たねばならない。それのみならず、東西南北の国境における巡回パトロールを怠りなく行い、外国人のスパイがやってこないように、厳しく締め付けること。もし少しでも疑わしい話があれば、すぐにすべての政府の領地の騎馬の使者を派遣して、昼夜兼行で王都に報告せよ。たるんでいることによっておきる、無意味な、原因は小さいが結果は大きいような争乱をとくに起こすようなことは決して許さない。

第五条 〔開墾の奨励〕このチベットは人口が少なく、人が住まない不毛の土地が非常にたくさんあるが、努力をする人が耕そうという心を起こしても、支配者が食料供出を求め、地主たちも自身で開墾することはできないのに、他人が開墾することは我慢できずに、嫉妬から様々な因縁を付けて、地域が発展する基礎を破壊し捨てる風潮がある。これらは自分にとっても他人にとっても益のないことであり、何もいいことがない。
従ってこれから以後、不毛な人の住んでいない山河などの共有地すべてについて、努力を厭わない奇特な俗人が、畑を耕すこと、柳を育てることなどの公共の利益となる植樹を何であれ行おうとするなら、その者に対して、政府の人間であれ、貴族であれ、僧院関係者であれ、決して妨げてはならない。
 開墾地は、3年の間無税で利用させ、その後に土地の広さと利用度を加味して、政府と地主の税を二年間課すことができる。開墾地の所有権は永遠に安堵して、政府・臣民両者に戻りがあるようにするべきである。

以上に述べたことを皆が実践するならば、政府に恩返しをする助けとなり、自分と他人、あらゆる地域において幸福の兆が大きくかつ自然に増えていくことは確実である。何が損で何が得かを考えて、仏教と人法の取るべきもの、捨てるべきものを間違えないこと、なすべき事は完遂せねばならない。以上の条文をすべての地域において、理解していない者、聞いない者がいないように宣告すること。複製したものを人の集まる場所、高位の人のいる地に張り出すこと、実際の政府の土地の帳簿に記録した上で、毎日の仕事について、ひき続き、正しく行うように。
以上のように理解すべき文書を、水の牛の年の神変月の吉日に*5、第二補陀洛の無量宮ポタラ*6で書いた。
*( ) 〔〕内は訳者の解説

*5(Zhva sgab paによるとチベット暦の水牛年一月八日=1913年2月14日)
*6(補陀洛は観音の聖地。第二とつくことで観音の化身ダライラマの住所ポタラ宮を示す。)
(Zhva sgab pa, bod kyi srid don rgyal rabs, pp.219-221よりチベット語から試訳。
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COMMENT

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starfield | URL | 2013/01/05(土) 21:19 [EDIT]
勉強になります。
また遊びにきます。

sachi | URL | 2013/01/07(月) 22:45 [EDIT]
チベットの認定したパンチェンラマさまは今なにをしているのですか?今度中国で聞いて来てください。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2013/01/13(日) 17:37 [EDIT]
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