白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2013/01/26(土)   CATEGORY: 未分類
インディペンデンス100
 今年のバレンタインデーは百年前の1913年、ダライラマ13世が亡命先のシッキムから帰還して、チベット人に向けて布告をだした日にあたる。日本では↓この日を記念したイベントが新宿区のホールであり、そこにお呼ばれして講演することとなりました。布告100周年の記念の日であることから、百年前のダライラマ13世の時代のチベットについて、パワーポイントとかでお話いたします。



 もう一人の講演者である野口健さんは、七大陸最高峰を最年少で登頂した記録を持ち、その後は、ヒマラヤの清掃登山などの社会的な活動でも知られています。有名な方なのにチベットのためとなるとヴォランティア講演してくださるそうで、頭が下がります。

 画面をクリックすると詳細が分かります。 

※ちなみに、平日ということで会場設営・物販などのボランティアの人数確保が不安であるそうなので、もし会場に五時入りできる方がいらっしゃいましたら、SFTの方へご連絡ください(講演者も主催者もボランティア。後援なし。超クリーンです 爆笑)。

 さて、百年前の二月十四日、ダライラマ13世がどのような状況にあったかを簡単に説明しよう。1904年に英軍のラサ侵攻を受けて、ダライラマ13世はモンゴルに亡命した。ダライラマのモンゴル訪問は、ダライラマ三世以来であり、ハルハははじめてということもあり、三次にわたる迎接使に迎えられて、フレー(現在のウランバートル)に入城した。

 生ダライラマのご降臨とあって、モンゴルの大衆は大フィーバーし、数千人から時には万単位の群衆が集まってきて、ダライラマは毎日毎日祝福を授け続けた。

 しかし、面白くないのはモンゴル最高位の僧、ジェブツンダンパ八世。地方のスターの前に全国区の有名人がきたようなもので、人気を奪われて面白くないことこの上ない。各国の外交官の記録やダライラマ13世の伝記には、ジェブツンダンパが、ダライラマに対して非常に複雑な感情を抱いていたことが記録されている。

 とりあえずダライラマ13世伝にはこう書かれている。

 ハルハ(現在のモンゴル共和国のある地域に遊牧していた人々)の政府(khal kha gzhung)とガンデンポタン政庁(ダライラマをトップとするチベット政府)両者は、昔から高僧と施主として関係を結んできた。一切智者蓮華手(観音菩薩=ダライラマ)と歴代のジェブツンダンパは互いに師弟の清浄な関係があるのみであった。従って、この時にハルハのすべてのあらゆる人々が、〔私のもとに〕挨拶にきて、わたしの天幕をととのえ生活基盤を支えるなど、まっすぐな心に動かされて、政治と仏教の善なるものが一つになったごときであった。〔そのお返しとしてこちらから〕相手に対しても・・・下賜品を盛大に与え、前例を参照しながら相当の褒美をとらせた。

 しかし、『カーダム宝冊』に、「ああ、青空を翔る鵬を、鶏は家の中から中傷するように、智慧の領域に飛ぶ私を、怒りっぽいものは非難する」と言われているように、最高なる猊下(ダライラマ13世)を、この方面にいる全てのものが、ただ一人の應供僧ととらえて貴賤すべてが競って敬意を捧げ、教えや 指示(rjes bstan)を求めに来たりなどし、〔ダライラマ13世の〕令名が広がるにつれ、ジェブツンダンパ・フトクトは五濁の凡人と同じく、少しいやな態度をされ、信心深いふりをして御座を破壊したり、猊下の御前でタバコを吸われるなど、仏の教えに従わない様々な異端な振る舞いによって、三界の導き手をツタ国人※のように様々に中傷された。


※ 『サキャ格言集』の第三章の「礼儀を失ったものは、礼儀を守っている人を中傷する。一本足のツタ国の人は二本足を中傷する」という韻文に基づく。一本足のツタ国の人は堕落した人間、すなわちジェブツンダンパを、二本足はダライラマ13世をここでは指している。

 この時の、ダライラマ13世とジェブツンダンパ8世の地位を簡単に説明すると、ローマ教皇と各国の司教の関係のようなものであった。ローマ教皇の権威は国も民族もこえて大きな影響力を持つが、各教区の司教の権力はその土地限定である。これと同様にダライラマの権威はチベット仏教徒ばかりか、欧米諸国にもその名は知られていたが、一方のジェブツンダンパの権威はあくまでもモンゴル人に限定されたものであった。

 この事件の六年後、モンゴルは独立を宣言し、ジェブツンダンパ8世は国王として推戴されるが、この時のモンゴルはすでに、国民国家の建設に舵を切り始めていたため、ジェブツンダンパは自らの権威を損なうような危険はおかせなかった。

 もしジェブツンダンパ8世がダライラマ13世と公式に会見することになれば、彼の座席は確実にダライラマより低い位置にしつらえられる。ジェブツンダンパは第一世の頃からダライラマの弟子であるし、歴代ジェブツンダンパは妻帯をし戒律を守っていないため、師弟関係からいっても、仏教の教義の観点からいっても、さらに学識の点からいっても、あらゆる意味でジェブツンダンパはダライラマの下座に座るべき存在であるからだ。しかし、そのような姿をジェブツンダンパはモンゴルの衆目にさらすことはできない。

 また、17世紀にはダライラマの代理とジェブツンダンパ一世が同じ高さの座についたことが原因で、清朝をもまきこむ大戦争が十年にわたって続いたため、この故事を考えても、彼はダライラマと対等な席を要求する危険はおかせなかった。だから、ジェブツンダンパはモンゴルにきたダライラマと公式に会見することを避け、ひたすらひきこもり続けた。

 というわけで、ダライラマ13世はモンゴル人には歓待されたものの、ジェブツンダンパにはいやな顔をされたため、モンゴルの地を離れ、もう一人の施主満洲皇帝のもとに向かう。しかし、清朝宮廷もまたダライラマに対して冷たかった。ダライラマ13世は光緒帝との謁見にあたり皇帝の座より遠くかつ低い席につかされ、属国の長のような扱いを受けたのである。清朝もあいつぐロシアや西洋列強の進出を受けて、領域国家への転換をはかり、チベットを植民地化する方向に舵を切っていたのである。ダライラマ13世に随行した僧たちは伝統を無視した清朝皇帝の無礼に憤り、北京の日本公使館に相談に訪れた記録が残っている。

 つまり、1904年からはじまる行脚の中でダライラマ13世は、モンゴル人と満洲人はすでに施主として機能しなくなっていることに否応なしに気づかされた。

 こうして百年前の二月十四日、ひさかたぶりにチベットに帰還したダライラマ13世は、チベット人に向けて前々回のエントリーで翻訳した布告を行うことになるのである。

 ここでダライラマはチベット人に対して「もはや、モンゴル人も満洲人も施主ではなくなったこと、自分で食べていかねばならないこと、自力で国を護らねばならないこと」を宣言したのである。
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