白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2013/08/14(水)   CATEGORY: 未分類
チベット人サイクリスト来日
 リンポヤクという名前のサイクリストが世界一周中に日本にくるという。で、原宿のウイメンズプラザで報告会をやるというので、夏なので旅行の話も聞けるしいいか~と思っていくこととする。

 しかし、暑かったので家をでるのをためらい一時間ほど遅刻した(オイ)。会場は会議室で、リンポはアメリカ国旗とチベット国旗をぬいつけ、Justice(正義) freedom (自由)のロゴのはいったバイクスーツをきて座っていた。
yajrinpo.jpg

 私は当然、サイクリング中の苦労話とか、政治的な妨害とか、素晴らしい出会いとか、彼の故郷の話とかまあ旅行かフリチベかどちらの話かは聞けるのかと思っていた。ところがなんかゆるく質問とか受けていて話をしていない。なので、Dくんに「もう話終わってしまったの? これまで走ってきた経験とか、苦労とか、故郷の状況とかそんな話はでたの?」と聞くと、

Dくん「今始まったばかりですよ(チベット時間っっ)。なんか質疑応答になっているみたいです。三月にブリュッセルから出発して、ヨーロッパをまわって、アジアはこの東京が最初みたいです。台湾、香港、韓国もまわる予定らしいですよ」とのこと。

というので、折角きたので、質問させて頂くこととする。

私「今までヨーロッパを回ってきたとのことですが、どのような〔肉体的・政治的〕苦労がありましたか。話せる範囲内で結構ですのでお願いいたします。」

リンポ「ブリュッセルから出発して、ある時は独りで、時には友達と走ってきました。どの国でも人の多い都市を選んで走りました。私は言葉はできないけど、みんなチベット国旗をみて、私がチベット人だと分かると、家に泊まっていけ。映画に行こう。ダライラマはいい人だ、といってくれて、楽しかった。自転車が壊れると、修理代は高価なんだけど、誰もボクからお金とらなかった。スペイン、イタリア、オーストリア、チェコ、ドイツ、デンマーク、ノルウエー、ベルギー、フランス、スイスなどにいった。何の苦労もなかったです」

あれれれ、この人、年はいっている(42才)だけど、自分探しの旅人みたいなこといってる。それに何の苦労もなく移動ができるって難民でもないし、中国籍でもないってこと?

 聞けば、彼はもうアメリカ市民権を得ているのだという。

 しかし、オダマコトとは異なり、背負っているものの重さがやはり違う。それは彼の続く発言からわかった。

「私は〔アメリカ国籍を取得した〕2007年以後、中国政府に拒絶されて、故郷(アムド)に戻ることはできなくなりました。あなたたちは自分がどんなに幸せか分かっていない。あなたたちは会いたいときに親や親戚に会うことができる。わたしは親戚に会いたくても会えない。五人死んだけど、誰にも会うことができなかった。あなたたちは行きたいところに行くことができる」

自分の欲望のままにふらふら旅行している某ゼミ生に聞かせてやりたい一言であった。

Dくん「生まれ故郷(アムド)の話をしてください」

リンポ「長い話になります。私は1972年生まれで今年42才です。〔中国では〕高校もちゃんと出ていません。叔父や父にビジネスを教わってラサで働いていました。〔具体的には〕ネパールのボードナートにいる友人四人とビジネスをやっており、法王がインドで行った法話などをCDにしてラサで売っていました。1997年のある日、叔父がやってきて、「法王のCDを売っていることがばれた。警察がくるからいますぐチベットをでるんだ」と言われたので、国境を越えてネパールに行きました。政治活動をした結果なので、アメリカの市民権が得ることができました。

そして、突然リンポの顔は暗くなった。

リンポ「私の母が死んだ時のことを思い出しました。〔チベットにいる頃、〕弟がすぐに帰ってこいというので、家に帰ると母もう死んでいました。土地の病院に薬を出してくれといったのに、薬を出してもらえませんでした。私の祖父はレコンの高僧であり、わたしも活動家だったので中国政府はうちの家族を憎んでいました。〔だから薬をだしてもらえなかったんです〕I had to bring back ・・・(私は取り戻さなければならない)」このあたりから声が小さくなってよく聞き取れない。しばらくしてから

「ごめんなさい。私は1997年に海外に逃れてから自由があるけど、どこにいても幸せに感じたことはありません。少しでも休みがとれても働くようにしていまます。アメリカでは正月に休みますが、会社の仕事として正月を祝うことはあっても、心の底から正月をお祝いしたことはありません。チベット国内では今もたくさんの人が苦しんでいます。死んでいます。牢獄に繋がれています。私が今外国にいるからとといって、自分だけ楽しむわけにいきません。それは内地のチベット人が私がそのように思うように望んでいるのではなく、ただ私自身がハッピーになれないのです。」

最初は42才にして移動の自由をえたチベット人が、おくればせながら広い世界をみてやろう、そんな話かと思ったら違った。チベット問題は訴えている。アメリカでツーリングをやっていた際にはその出発日を今行方不明になっているパンチェンラマの誕生日にしていたそうだ。

 だったらちゃんと今までの旅路を示した地図なりプレゼン画面なりを準備して、チベットの現状、あるいはチベット・サポーターの世界的なひろがりとかを報告しなさい。

 すると世話人のNさんがこうきりだした。「実は私が彼の来日をしったのは三日前です。私は彼が報告会をしてくれるのかと思っていたのですが、彼は彼で私たちチベット人が何とかしてくれると思っていたんですね。つまり、この場でこれから彼が三週間の日本滞在をどうしたらいいかみなさんに話あってもらいたいのです」

え、彼って無計画に日本にきたの? でもって、チベット人もそれ知らなかったの? 今日って報告会でなくて、会議するため? 

そういえばここ会議室だった(笑)。

そして蘇る記憶。数日前Uさんのツイートに

「待ち人来たらず」という一行がながれた。後で聞くとこれリンポのことであった。突然の来日通告に成田に彼を迎えにいく人がおらず、Uさんはリンポに「新宿までリムジンでこい」、と指示したところ、どう彼の脳内で変換されたのか、「シンガポール」のチケットを買おうとして、当然そんなチケットは売ってないので、二時間空港内をさまよっていたのだという。

じつは難民・移民を受け入れる伝統のあるアメリカやヨーロッパには、どの国にも大規模なチベット人コミニュティーがある。彼がFacdbookで次の国に「行く」といえば、行った先のコミニュティーがまた動く。たとえば彼がイタリアにいった時は、たまたまあったチベット人女性(食事中)が現地の顔役で、有力者にいろいろ話をつないでくれて、売れている雑誌の表紙を飾ったのだという。

 そうはいっても、難民も移民受けいれていない日本にはたいした数のチベット人もいないし、ヨーロッパと同じに考えられても。これは・・・

というと、在日チベット人たちは数少ない日本人参加者に「何とかしてくれ」オーラをだす。
こりゃあかん。

 仕方ないので、サイクリストのDくんが、リンポの自転車行動計画をねる(たぶん彼は純粋にサイクリストとして彼の旅の話を聞きに来ていた 笑)。アピール史料はUさんが日本語に翻訳することになっているらしい。そしてプレゼンである。

 チベット人Aさんが「彼がこれまで旅してきた場所の写真とかビデオをつかってプレゼンをしたらどうか」と提案。そうそう、私もそう思うよ。

 しかし、リンポはFacebookにこれまでの軌跡をあげているのみで、一番まとまっているのはラジオ・フリー・アジアのインタビューだという。ラジオはチベット語だろう。そこで、フェイスブックをみてみると、投稿はチベット語でなされていて、日本人には読めない。唯一日本語でよめるプロフィールが出身校ワルシャワ大学、出身地バルセロナ、居住地ダラムサラとどこからつっこんでいいのか分からないめちゃくちゃなことになっている。

 チベット問題を訴えるならせめて英語で書いてくれ。

 私「これじゃ日本人にはわからないよ。だれかこのFacebookの写真でPowerPointつくったら?」といったら、チベット人、しーん。これも日本人がやるのかい!

 笑ったのはチベット人が「自転車で公道を走るのに許可は必要ないのか。二年前チベット人がバイカーが、日本でバイクにのれなかったけど」と質問した時、

Tくん(日本人が)「あ、あれ、バイクが税関でとめられたの。許可とか関係ない」

 どんだけチベット人無計画なんだ(笑)。下調べしろや。というわけで、これから三週間、リンポ・イン・ジャパンはどこへいくのか。今日の時点では、東京から長野の善光寺に向かい、中山道から名古屋、大阪に向かうような計画になったようです。しかし、中抜けしたので、ルートが決まったら報告します。
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