白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2013/09/28(土)   CATEGORY: 未分類
チベット・ゼミ高野山にいく(前編)
 今年のゼミ旅行は高野山である。テーマは「仏教と巡礼」。昼は巡礼路を歩き〔のはずだった笑〕、道々仏様やお寺をお参りし、夜は阿弥陀様や大日如来についてのパワーポイント講義である。

 今年は距離があるので、東京から通しでバスでいくのは断念し、南海難波駅で現地集合。車で先にいくもの、終電で最後にくるもの、例によってゆるい。ちなみにゼミ長は突発的な事情で不参加。彼を信頼して、電車の時間とかタイムキーパーとかお願いしようと思っていたので先行き不安。案の定、旅程はひたすらグダグダになっていく・・・。

一日目

 出発日の早朝、2020年東京オリンピック開催が決まった。去年のゼミ旅行は中国の反日デモ、その一昨年前は尖閣船長の無条件帰国許可とかなんかどうしようもないニュースがかぶっていたが、今年は珍しく平和な船出である(笑)。

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 高野山は特急で行くと難波から一時間ちょっとなのだが、巡礼道をできるだけ歩きたかったので、途中九度山駅でおる。ところが、九度山は見事な無人駅。どちらの方角に歩き出すかも分からない。とりあえず、カンで歩きだすと、近くに真田幸村の父上の墓のある真田庵という尼寺があった。うっかり入ったところ、ここの尼御前が非常にお話好きかつ宿曜経好きな方で、今年は占いで「麺類がよい」とでたので、そば、うどん、パスタしか食べておらず、これで運が向いてくるばず、と力強くおっしゃっていた。

 パスタ御前の話がやっと終わったので、紀の川にそって慈尊院まで歩く。結構距離がある。やっとついたら、ご住職が「本堂に入れ」というので、国宝何か見せていただけるのかと思ったら、1998年になくなった当寺の名物犬「ゴンちゃん」の話がはじまった。巡礼者を導いた仏様のお使いのようなワンコであり、「映画化の話がでていて台本までできているのに、資金が集まらないので中断しているのだという。

 麺類の次はゴンちゃん。

仏教とか歴史の話をしてくれる僧侶はおらんのか。

脱力しながら、やっと慈尊院裏から始まる町石道に踏み分け入る。町石第一石(180町)の前にたち、ウンチクを傾ける。

私「高野山が2004年に世界遺産に登録された時、山上の伽藍だけではなく、巡礼道も一緒に登録されました。高野山には7つの登山道がありますが、上皇や天皇がかつて上った道はほぼここ慈尊院から始まる表参道です。ここから一町(110m)ごとに町石がたち、山上の根本大塔まで180町の石が並びます。山上に近づくにつれて一町ずつへっていき、山上の根本大塔につくとゼロになるので、いわば聖地はグラウンドゼロ。
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 町石の形は五輪塔で、仏教の世界のはじまりを象徴しており、下から順に地・水・火・風・空を示す石でできています。石には一つ一つマンダラの仏様を示す種字が彫り込まれており、一つ一つが仏様です。

 町石の下には護国経典の代表格金光明経の経石が埋められています。この町石ができたのは、鎌倉の弘安・文永時代、つまり日本がモンゴルの侵略を受けていた時代であることも影響しているのかもしれません。

 現代の旅は目的地に着くまで車や飛行機や電車を使い、いわば点から点へ移動しますが、これだとプロセスがありません。昔の人はみな歩きでした。京都から高野山にいくにも、一歩一歩踏みしめていかなければ、目的地に近づくことはできませんでした。しかし、このプロセスがあることによって、古い自分を新しい自分につくり替えるには一歩一歩の積み重ねが大事であることに気づくこともできます。

 たとえば、『こうなりたい自分像』があったとしても。それについて行動しなければ、何も変わりません。でも毎日、小さな努力を積み重ね続けていけばいつかは、その理想に近づいていくものです。だから巡礼は足で歩いて近づいていかないと、その聖地の持つ力をちゃんと吸収できません。


といって歩き出すと、

Hくん「先生、今駅に戻らないと宿に約束した夕食の時間に帰れません。」

 二町(220メートル)しか歩いてねえ! 

 私は民主的なので、夕ご飯と巡礼の感動を秤にかけて決を採ったところ、みなが「夕ご飯」というので、結局その二町で引き返すことになった。せめて丹生都比売神社までは歩きたかった。パスタ御前とゴンちゃん住職の話が余計だった。
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 さて、電車とバスをのりついでプロセスをかっとばして、さっき言っていたことと真逆のことをしながら高野山頂へ到着。お宿は平岡先生にご紹介いただいた普賢院さま。非常に大きな宿坊であり、ろくでもないグループであるにも関わらず、歓待していただく。普賢院特製クリアファイルにお加持つき五色線まで頂戴し、さらに精進料理もとても美味しいので、みなさん是非普賢院へ。

二日目

宿坊の朝は早い。六時半には本堂で朝のお勤めが始まる。学生は半分は起きて参加している。お勤めのあと、お坊さんがお寺の地下に案内してくださり、そこにはネパールから勧請したという舎利が小さなチベット式仏塔に安置されており、その周りはチベット仏教定番のマニ車が取り巻いていた。マニ車をまわしながら歩くと途中平岡先生のお父上の建立された金剛薩垂とかもあった。普賢院地下はリトル・チベットである。

 昨年ダライラマ法王が高野山にお出ましになられた際、ここ普賢院でお昼を召し上がられた。その時この舎利塔もご覧になったという。ありがたいのう。

 さて朝ご飯をいただいたあと、「あまちゃん」を見て「じぇじぇじぇ~」とかいう学生をひきつれて、高野山山の表玄関、大門に向かう。大門は五代将軍綱吉の寄進で作られた巨大な門である。実は昨日の巡礼道をそのまま上がったらここに出るはずであった。気持ちだけでも巡礼したことにするため、みなに数十メートル巡礼路を下ってもらって、方向転換して「いかにも今上ってきました」、という写真をとる。すると学生

「先生、服装が昨日と違うからつながりませんよ」

 そして、大門から改めて入門し、奥の院に向けて歩きだす。山上にも町石があり、これは根本大塔をゼロにして今度は奥の院まで30町を数えるようになっている(何にせよ根本大塔がグラウンドゼロなのである)。ケッサクなのが、山上の町石は車道にあるので、車につっこまれて五つに折れたのをつないで建てていたりする。

 仏教の哲学とか密教の思想とか話しながら歩くが、学生たちはグループに分かれてまんじゅうやとかで買い食いをしているので進まない。あとからきた学生に何をしてそんな遅いのか聞いたら、

 Eくん「90歳くらいのおばあさんに声をかけたら、おばあさんが「昔は高野山は夏でも涼しかったんだけど、今年は暑い。天気も若い人もどんどんおかしくなっている」といってました」と。

 私「うんうんおばあさんに完全に同意するね」といったら、

 E「でも90の人からみたら先生も『若い人』ですよ」

 おもしろかったのが、お寺の入り口で何かを手にしてる若いお坊さんに「何をしていらっしゃるんですか」話しかけると、そのお坊さん、手にした書状をみせてくれた。それは、その次の週に壇上伽藍金堂で行われる全山あげての土砂加持の法要への召喚状で、彼は使者となって、一つ一つのお寺をまわってこの書状に参加者の署名を集めていたのであった。なんかこういう昔ながらの伝統が残っているのっていいな。
 
 それから、国宝八大童子を特別展で公開中の霊宝館にいく。ここでマンダラや密教の諸尊についての解説をする。学芸員の方がなんと自分と同じ早稲田の文学部卒で仲良くなれそうな感じ。それから離れた谷にある金剛三昧院で国宝の多宝塔と祠を見て、そのあとビルマ日本兵遺骨収集展示寺に。ビルマ寺には胎内めぐりがあり、学生たちが暗闇でコーフンして奇声をあげるので「坊さんにツイッターに投稿されて炎上するぞ」としかる。

 そして、苅萱堂へ。苅萱堂は歌舞伎などで有名な石堂丸物語の舞台である。苅萱道心のお話はだいたいこんな感じ(→ここくりっく)。

 苅萱道心は愛人を作り、嫉妬した正妻が怒るので、嫌気がさして出家して高野山にいってしまった。愛人の子石堂丸は父を訪ねて三千里、母とともに高野山にやってきた。ところが、高野山は女人禁制なので、母は女人堂に残し、石堂丸は一人で父を訪ねて高野山に入る。

 奥の院の無明の橋のたもとで石堂丸はなんの因果か父親本人とばったりであう。しかし、父親は父だとは名乗らず「あなたの父は死んだ」とウソをいって石堂丸を母の下に帰す。父は俗世を絶つ誓いを立てたので、修行続行のために子供とよりをもどすわけには行かず、ウソをついたのである。

 泣く泣く高野の山を下り、女人堂に戻った石堂丸を待ち受けていたのは、母の死であった(唐突やな)。身寄りがなくなった石堂丸は再び高野山に戻り、先の僧(実は父)に願いでてて出家をする。こうして父子は名乗りを上げないまま師弟として暮らしたそうな。
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 学生たちは「道心って、愛人作って子供産ませて、その子供が訪ねてきたら死んだとウソいって追い返して、無責任だ。」という。そう、現代的に言えば石堂丸物語はどこも感動のポイントはない。扶養義務とかジェンダーの視点から見たら、道心の外道ぶりしか印象に残らない話である。
 
 しかし、かつてこの物語が感動話として受け入れられていた時代「俗世のだめなことを悟り、出家して仏教の修行を行うことはよいことだ」は社会通念であり、修行の世界の中でも、高野山はとくに厳しい修行の場と考えられていた。だから父が息子を追い返すのは修業者として立派な行動であり、でも、それは世俗的にいえば悲しい話。しかし、愛人が死んで、俗世の縁がきれたため、父子は再び法縁でつながることができた。ドロドロの人間関係は法の世界で浄化され、父子は形はどうあれ仲良く暮らしたのである。めでたし、めでたし、ほら、感動できるでしょ?

 今はそもそも僧侶が妻帯して、荒野の山上で子供育てているから、「厳しい修行の世界」という前提が崩壊しているので、わけわからん話なってしまったのである。

 そこで「史料批判を教えた時、『特定の時代に属するものをみる際には、現代の価値観を過去に持ち込んではならない、当時の価値観にのっとって理解するように』と教えてきたでしょう? だから、この石堂丸物語も当時のツボで理解する訓練教材とでも思うべし」と講義をたれる。

 「女人禁制」の崩壊で思い出したけど、高野山にはなぜか男性のカップルの旅行者が目についた。友達や兄弟とかいう感じでない。元女人禁制の山だから×イの聖地にでもなっているのかもしれない。現代の高野山はいろいろな意味で解釈がよれているのであった。

長くなったので残りは後半へ。
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