白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/05/06(火)   CATEGORY: 未分類
東洋のラテン語--チベット文字--
 GWの前半はチベット文字草書体の修行にあてた (ちなみに後半は捻挫でひきこもった笑)。じつはチベット文字は歴史的文化的に非常に影響力をもった文字である。そもそも7世紀に仏典を翻訳するためにインドの文字をモデルに作られたもので、チベット仏教の伝播とともに広範な地域(ブータン、シッキム、ラダック、モンゴル、ブリヤート、カルムキア etc.)において、ヨーロッパの修道院内におけるラテン語のように僧侶の共通語として広く用いられた。
モンゴル最高位の僧ジェブツンダンパもその歴代の全集はすべてチベット語で木版印刷されている。チベット大蔵経を底本として、モンゴル語・満洲語の大蔵経も作られはしたが、象徴的な意味合いが強く、満洲人・モンゴル人の僧侶ももっぱらチベット語を用いて仏教の教授・ディベート・著作を行っていた(今もそうである)。

 チベット年代記によると、チベット文字は7世紀に開国の王ソンツェンガムポ王(七世紀)が貴族の子息トンミサンポータをインドに派遣してインドの文字を学ばせ、これを手本に作らせたものである。ソンツェンガムポ王も自らトンミに文字をならい、最初に書かれたチベット文字が、ラサの大聖堂トゥルナンに掲げられた有名な観音真言 オンマニペメフンである。ポタラ宮最上階には最古層の観音堂があり、ここにはソンツェンガムポと二人の妃が祀られ、三人の前にはガル大臣と経帙を手にしたトンミサンボータの塑像が控えている。チベット人が文字を覚える時、まず丸暗記するチベット文字の構造を示した30頌と呼ばれる短い著作もトンミサンポータの手になるものとされ、彼の名を知らないチベット人はいない。

この時に確定した字体が、この写真のウチェンである。
derge

木版印刷の経典などはこの字体なので、もっとも広く用いられかつ読まれている字体といえる。この字体は作成された時点からその形をほとんど変えていない。かつてチベット初の僧院サムエを訪れた際、門前に古代王朝期の王が、仏教を国教と宣言した旨の碑文が立っていたが、その字体があまりにも現代と変わっていないので、こりゃ文革で壊された後のなんちゃって再建なのかと疑ったくらいである。それくらい古代からチベット文字の形は変わっていない。

 なぜ変わらないのかといえば、チベット文字はチベット仏教とともにあったからであろう。チベット仏教の哲学と実践はインドのナーランダ僧院の伝統を引く者で、僧侶たちもそれを強く意識し、過去から伝えられてきたものを自分の愚見をさしはさまず、そのまま弟子へと伝えようとしてきた。先人のテクストは一字一句間違えずに注意深く引用されていくため、インドで失われたテクストがチベット語訳されていたためにその内容が分かるなんて場合も多く、チベット語習得はインド仏教の研究にも欠かせないものとなっている。

 さらにチベットで体系化された論理学、形而上学の思想内容の多くは、チベット語・文字を離れては正確には理解・実践できないものとなっているため、チベット仏教を受容しようとした人々は、どの地域の出身であろうが、どの民族であろうが必然的にチベット語を学ぶこととなる。チベット仏教の思想体系は極めて包括的かつ普遍的であるため、いろいろな地域に広がり、その結果、チベット語やチベット文字は変わらないままに広がっていったのである。

 ちなみに、チベット文字からは、モンゴル帝国内で使用される文字を音写するために使われたパスパ文字(HOR YIG)が生まれた。1260年、フビライ・ハーン (チンギス・ハンの孫) は中国を征服し、1264年(至元元年)にチベット僧パクパ(元史では八思巴)にこう命じた。

 朕、思うに文字は言葉をうつし、言葉は事件を記録する。これは古今かわらぬ制度である。しかし我が国家は北方に建国して以来、その風俗が簡単素朴を宗としていたため、文字を作成するいとまがなかった。今までは漢字の楷書やウイグル文字を用いていたが、遼・金〔といった北方民族の王朝〕や遠方の諸国の例を見ても、みな各々独自の文字を有しており、今、ようやく文治政治が始まったことを考えると、ここで文字がないというのでは完璧な制度とはいえない。従って、特に國師パクパに命じて新しいモンゴル文字を作成して、これによって一切の言語をうつす。今後は印章の印面や書面には必ずこの新しいモンゴル文字を用いて、土地の言葉をそれに副えるように」 ついにパクパを昇進させて大宝法王となした(『元史』釋老傳)。


 モンゴルに文字がないのは他の王朝と比べても情けないので、文字をつくれ、とチベット僧に命令したわけである。命令されたパクパは、古代チベットにさかのぼる名家クン氏の御曹司で、チベット仏教の一宗派サキャ派の座主であった。そのパクパが作るのだから、その文字はチベット文字そのままになった。
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チベット文字を四角い函にいれてぬいたような形である。チベット文字は横書きであるため、頭を揃えて足を流す書き方をするが、パクパ文字は縦書き用に作られたため、角張らされたのである。違いはそこだけ(笑)。このパクパ文字は元朝が滅びた後も印章や碑文などの典礼文字として用いられ続けている。

 このようにチベット文字はチベット仏教とともに、民族を越えて用いられた歴史ある文字であるものの、現在は存亡の危機にある。それは中国の同化政策も大きいが、チベット語文語が現代チベット人にとって難しい言語となってしまっていることも大きな理由の一つである。

 古代からまったくその姿を変えていないということは、話し言葉と書き言葉が乖離しつづけていることを意味し、その乖離は現在ではとんでもないレベルにまで達している。現在、文語と口語は完全ベツモノとなってしまい、僧侶でないチベット人はチベット語を正確に綴れず、文語を学んだ外人の方が正確に読み書きできるという悲しい状況なのである。

しかし、「古代言語は廃止してしまえ、その方が合理的だ」と一概にいえないことは今まで述べてきたことからも明かであろう。客観的にいって、チベット文化の中で世界に通用し、普遍的な価値があるとみなされているのはチベット仏教思想である。チベットという国が失われた今、人類の知的遺産を守るという意味でも、チベットのアイデンティティを維持するという意味でも、チベット仏教の維持とその維持に不可欠なチベット文語・チベット文字の存在は重要なのである。

 このようなありがたいチベット文字なのだが、自分はこれまで木版印刷に用いられる7世紀からの伝統的な書体を読むだけで満足していた。チベット学でも仏教学をやっていたり、写本を扱う人たちは、テクストほぼすべて筆記体なのでみな当然読めるようになっているが、ダライラマ政権が成立してからの歴史をやっている自分は、筆記体読めなくてもとくに不便を感じなかったからである。

 しかし、最近ダライラマ13世の時代の歴史を始めたため、なんぼなんでも筆記体・草書体も読めないとまずい空気が漂い始めた。筆記体はざっと8種類くらいあり、どの字体もトンミサンボータの作った文字がゲシュタルト崩壊して似ても似つかない姿になったミミズ文字である。そのうちよく用いられる筆記体がこの写真のようなもの。
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 かつてダライラマ政権が存在した際、官僚の登用試験には、これらの筆記体をいかに多くの種類、美しく書けるかが教養の一つとして問われていた。中央から政府の各部署や地方の行政機関に頒布する文書に美しい文字を記すことは政府の権威を保つためにも不可欠であったからである。余談だが、清朝末期になると、電報や公文書の漢字が誤字だらけになってきて、もうぼろぼろになるが、これは政府を構成する人員の中に教養ある人が少なくなっていることを示しており、亡国のフラグたちまくりである。
 美しい文章や文字をかける人材がいることは国家の存亡にとって非常に枢要であることはこの件からも分かるであろう。

 そこでこのGWはまず手元にある筆記体の教本の独学をはじめた。しかし、これらの教本は師匠がいるのが前提のテクストで、独学者に対する配慮はない。そこで限界を感じたので、、翌日、カワチェンのケルサン氏のところにいって、集中講義を受けた。まず、基本的な筆記体の書き順をならい、その文字をだんだん小さくしていって一筆で書くようにしていけば、もっとも崩れた文字も読めるようになるとのこと。

二日でそこそこ読めるようになったので、まあ何とかなるような気がする。最後まで読めない文字はさいあくチベット人に聞いてつぶしていこう。以下の写真はケルサン所蔵の、すべてチベット文字で書かれたチッタマニ・ターラー尊。なんとかアートというらしい(て説明になってない 笑)。

citamanitara
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COMMENT

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● 日本語の歴史
マサムネ | URL | 2014/05/10(土) 09:45 [EDIT]
東洋のラテン語とは、ご慧眼ですね。
下記の書籍も過去に拝読しましたが、今回の論述と共有できる論点があるように存じます。御紹介まで。
知らなかった! 日本語の歴史:著者: 浅川 哲也 東京書籍
http://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%81-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E6%B5%85%E5%B7%9D-%E5%93%B2%E4%B9%9F/dp/4487805376
● チベットの仏教世界 もう一つの大谷探検隊
マサムネ | URL | 2014/05/11(日) 10:04 [EDIT]
既に御存知とは思いますが、本日のNHK番組にて紹介あり、備忘方々コメントいたしたく存じます。
龍谷大学 龍谷ミュージアム
http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/sp.html

本日5月18日(日)は、以下の記念講演も企画されていた様子です。近傍であれば、拝聴したかったところです。
 「西域・宮沢賢治と多田等観」
講 師:高橋 信雄 氏 (花巻市博物館 館長)
● >マサムネさん
シラユキ | URL | 2014/05/11(日) 10:47 [EDIT]
『日本語の歴史』面白そうですね、手に入れて読んで見ます。
龍谷ミュージアムの紹介がおそらくは日曜美術館のコーナーで行われたのですね。この展示見に行きたいのですが、関西なので期間内に何かもう一つ仕事ができたらいってみたいと思っていました。まあ何かのついでだと寄る時間がないということになりかねないのですが。
なにはともあれありがとうございました。
● いつもブログで勉強してまーす
クンチョック・ランジ | URL | 2014/05/12(月) 21:07 [EDIT]
捻挫大丈夫ですか。ブログ大変参考になりました。ありがとうございます
私は勉強頑張り過ぎて免疫力が落ちたのか、ヘルペスになり六座グルヨガだけやってます。お身体ご自愛ください。
● >クンチョックさん
シラユキ | URL | 2014/05/12(月) 22:11 [EDIT]
ヘルペス大変ですね。病気が治るまではゆっくりしてください。おかげ様で捻挫はよくなってきています。17年前に一度ひどい捻挫をしましたが、その時に比べると今回はぜんぜん軽いので、楽です。ありがとうございました。

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