白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
DATE: 2014/08/13(水)   CATEGORY: 未分類
ガワン先生の生まれ変わりに会った
 私は今インドで修行中である。今回の旅のメインの目的は元ギュメ管長ロサン・ガワン先生の生まれ変わりが正式にガンデンに迎え入れられたので、その子に会いにいくことであった。今日その童子とあったので、成田空港で借りたwifiの力をかりて速報する。

 輪廻転生が何となくあると思っている人でも、ある人が死んで「特定の人の生まれ変わりを探し出す」ということについては否定的な人が多いのではないか。

 しかしチベット仏教ではこの一見不可能な出来事を、「前代の遺言や遺志」と「生まれ変わりの幼児の前世の記憶」によって見極めようとする。

 チベットを研究していると、数々の不思議な認定譚を見聞きすることになる。今回はそれを実見できるチャンス! ガンに苦しむ最晩年のガワン先生は清風学園の平岡校長先生のご自宅で療養され、二人の間には強い絆がある。平岡先生にくっついて生まれ変わりに会いにいけば、チベット仏教世界名物、時を超えた再会の絵が見られるはず。

 ガワン先生の生まれ変わりの童子は平岡先生のことを覚えているだろうか。

 童子はすでに、先生と一番身近に接していたガンデン大僧院のチャンツェ学堂のファラ地域寮の僧侶たちからそうであると認定されており、もちろんダライラマ法王にも認定されている。チベット社会がホンモノと認定をだしたこの童子にあって、平岡先生も同じような確信を得るだろうか。私はただその一事を確認するために、インドへと飛ぶことにしたのであった。

 平岡先生と童子の対面はガンデンについた8月11日すぐに実現するはずであったが、今年はガンデン最寄りの空港フブリが滑走路のトラブルかなんかで機能せず、遠くのベルガオン空港から車で三時間かけて行くこととなったので、ガンデンについた時には深夜であった。

 童子はもうお休みになっていたのて、童子のお部屋の外にある仏間で、童子のお世話係(phyag mdzodといっていたのでガワン先生の居住区域(bla brang)や動産を管理する人)からお話を聞く。

 お世話係「童子はすでにdga' ldan lha brgya maを暗唱して、bla ma mchod paを半分覚えるなど、驚異のデキの良さである、先代の時のように当代と施主の方々の関係が続いていくといい」とのこと。童子との謁見は翌日12日の七時半に決められた。

 開けて翌日。私は五時からおきて、昨日の仏間において張り込みをする。目覚めた童子が、その同じ階にいる平岡先生とうっかり会ってしまったらその世紀の瞬間を見逃すからである (ストーカーか)。童子は何度も寝間から顔をだしたが、大人に止められているのか、恥ずかしいからか、平岡先生の近くに行こうとはしなかった。結局平岡先生と童子が直接顔を合わせたのは正式の謁見の時だった。
yangsrid.jpg

 時間になると、童子は先代の寝台(ガワン先生が亡くなられた部屋にある無くなられた際に持っていた寝台)の上に座って僧侶の姿で我々を待ち受けていた。まだ四つなのに謁見者からカターを受けて返すという一連の所作を完璧にこなしている。その場には多くの成人男性がいたが、童子は平岡先生にとくに興味を示すことはなく、他の多くの人達の一人と同じ接し方をしていた。

 先生の生まれ変わりは天使のように愛らしい子で(お世辞抜きで可愛い)、お世話係のお坊さんもガワン先生の側近も謁見者も彼に夢中であった。

 これで終わるのもなんなので、私が平岡先生を指指して、「この人誰か分かります?」と聞くと、童子は「顔は知っている(ngo shes kyi yin)」と応えた。そのあと奥様も童子に「私を覚えている?」と聞くと、童子はお付きの僧にこっそり耳打ちして、「弟子。だけど名前はしらない」と応えたそうな。

 そのあと我々はチャンツェの元管長からペルテンラモ尊の灌頂を授かり、昼食を食べた。その間童子はだんだん私たちになれてきて、私たちが食事をしている周りで走ったり遊んだりしはじめた。で、そのあとみなが各自の部屋に戻った後のことである。

 平岡センセは部屋で先代のガワン先生のお兄さん(僧侶だったが1959年に銃を取って闘ったため僧侶に戻れず、弟のお付きとなって寺で暮らしていた)と四方山話をしていた。この部屋は平岡ご夫妻がガンデンのにきた際の客間であるらしく、ガワン先生の居住域の中にあり(われわれは外)、例の仏間の三部屋先くらいの距離にあった。

 話を戻して、平岡センセと先代のお兄さんが話をしていると、部屋の入り口に童子が現れた。平岡先生の奥さんが写真をとろうとすると、いうことを聞かず、うろうろしはじめて、そのうち平岡校長のベッドの上に座って平岡校長の歯ブラシで遊びだし、つと立ち上がると、部屋に飾ってある写真のところに行って、手招きをした。平岡先生の奥様は最初、遊び相手の僧である8才のドルジツェリンを呼んだのかと思ったが、呼んでいたのは平岡センセであった。

 写真は1999年、ガンデン大僧院チャンツェ学堂を落慶した時にとられたもので、ダライラマ法王とガワン先生と平岡先生のスリーショットであった。

 平岡先生「クショー・ヤンスィー(生まれ変わり御前)はこれを『法王と私とお前だ』といったんですよ。」

 私「忘れないうちにチベット語で言って」

 平岡先生「rgyal ba rin po che dand nga dang khyod rang red」

 私「五時から張り込んでいたのに、なんで私のいない時にそうなるのよ」

 平岡先生「そいでね、そこには山村さんの書いた絵もあって、それは釈迦牟尼の手の上にガワン先生と法王様と私が描かれているんですがね、彼は『真ん中が法王様で右が私で左がお前。その手の形はお釈迦様』。だといったんですよ。」

 私「その写真と絵は前からそこにあったものですか。今回持ってきたものですか」

 奥様「前からありました。もちろん誰かから聞いて事前に知っていたからそう言ったとも考えられます。でも四歳ですよ。」

 奥様はケータイでとったこの間の二人の様子を示す一連の写真を見せてくれた。同じく記録を命としている伊藤先生もさぞや悔しい思いであったろう。

 私たちは諸般の事情でガンデンには一泊しかせず、その日のうちにバンガロールに戻る予定となっていた。空港に向かうバスに我々が乗り込もうとする時、お世話係の僧につれられて童子がお見送りにでてきた。彼は泣いていた。

 私「お母さんが帰る時にも泣かなかったのに、平岡先生が帰るのに泣くなんて」

 平岡先生「いや、彼は車に乗っていきたいいうて泣いているんです」

そうか。男の子だもんな。車は好きだよな。

 子供が泣き止まないので協議の上で、ほんの近くのムンドゥゴッドまで童子をのせていくことにした。お世話係の膝にのって童子は一番前の席にすわった。すぐにムンドゥゴッドにつき、三人の大人たちは童子をなだめて、バスをおろした。

 平岡先生「われわれを途中までお見送りしてくれましたねえ」

 童子が降りたあと、お世話係の僧と先代のガワン先生の側近のチューロリンポチェのお二人は伝統に則ってわれわれを遠い空港までお見送りに来て下さった。

 空港について飛行機が飛ぶまで一時間以上の時間があったので、私は平岡先生は何となく童子の未来について話し始めた。高僧の転生者は必ずしもすべてが伝統をになう高僧に育つわけではない。多くの大人に甘やかされてかしづかれ、山のようなおもちゃに埋もれてくらす内に勉強しなくなり、あげく還俗してしまう連中も結構いる。

 私「ガワン先生の生まれ変わり、ちゃんと育つといいですよね。でも、四歳なのに金時計していたし、ゲームボーイももっていましたよね。台湾かシンガポールあたりの施主が送ったんですかね。ちゃんと勉強させなきゃ中二病になってはては還俗僧になって、皆がっかりですよ。平岡先生は施主なんだから厳しく監督して勉強するようにしなければ」

 平岡先生「前世が師匠だからみな遠慮するんでしょうねえ。ガワン先生が私の家で療養中に、韓国に説法にきたリンリンポチェがお見舞いに寄って下さったんですよ。そしたらリンリンポチェに対しガワン先生は『若いうちは外国にいったりせずに、僧院にこもって勉強しろ』としかり飛ばしたんですよ。折角お見舞いにきくれたのに、リンリンポチェが可哀想になるくらいのケンマクでした。この話を大きくなったら彼にしないといけませんね。」

 私「今いいましょうよ。今」

平岡先生「厳しくして最初っから嫌われるのはイヤです」

 ここにまたひとり 甘甘の施主が誕生したのであった。
[ TB*0 | CO*5 ] page top

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する
● どうぞお気を付けて!
まこと | URL | 2014/08/15(金) 05:40 [EDIT]
刮目して拝読しました。ガンワン先生の転生僧の貴重なレポート、ありがとうございます。まさかインド現地でリアルタイム更新されるとは思っていませんでしたので、驚愕いたしました。先生の思いもよらぬIT技術力に完敗です。自分の凡夫さを痛感致しました。
● お久しぶりです
Kaz | URL | 2014/08/15(金) 22:58 [EDIT]
先生こんばんは。
だいぶ昔に地歴にいた学生、F脇です。お元気でしょうか。
卒業後いろいろありました。あんまりいろいろあって、社労士の受験を決意しました。法律の勉強などナッシングに等しい人生でしたが、困っている方々の力になりたいです。

s | URL | 2014/09/10(水) 21:09 [EDIT]
生まれて来てくださってありがたいです。早くダライ・ラマ法王さまをささえる僧侶になっていただきたいです。小さな頃から高僧なのですから、すぐに何でもできるはずですね。凡人の私でさえ一度読めばすぐ覚え、世界平和を知らずに祈っていました。ダライ・ラマ法王さまの祈りを聞いていたのだとご恩を感じています。今ならダライ・ラマ法王さまに直接教えをさずけていただけるから安心ですね。
● >Sさん
シラユキ | URL | 2014/09/14(日) 21:16 [EDIT]
とても賢い子ですよ。しかし、トゥルクは教育に気をつけないと、みなが甘やかすのでダメになることも多いんですよね。

s | URL | 2014/10/26(日) 20:14 [EDIT]
甘々なのですか?小さな子は自分の為に叱ってるとわかれば、素直に聞いてくれるのに…私は何を言ってるか誰のためにか、幼稚園前から見ていた記憶があります。赤ちゃんが産まれた時に、次に私を可愛がってと順番をまっていたと、父に言われました。ここ数日夢を見続けて、思ったより早死にする、とダライ・ラマ法王がおっしゃる夢を見て、私は早死にすると知人に怒っていたのです。私かなと早死にするのと思って、なんだか急いでいたのですが、ロチューリンポチェが他界してびっくりしました。ガワンラマはロチューリンポチェの為に勉強しないといけないと怒ってあげないといけないですよね。

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。