白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/09/10(水)   CATEGORY: 未分類
ギュメ滞在記 (4) インタビュー点描
滞在記も四回目となりました。最後は灌頂編で終わる予定なので、今回は僧院内で行ったインタビューについて語りたいと思います。歴史学者なので例によって時系列順です。

 僧院学校を訪問

 ギュメの正門でて右手には、Gyumed Monastic School For Higher Studies and Practice in Sutra and Tantraという看板を掲げた近代的な建築物がある。直訳すれば「顕教・密教のより高度な哲学と修行のためのギュメ僧院学校」である。
 案内人のIさんが「ここは小僧さんの学校だ」とおっしゃるので、秘書官のニマさんにこの学校を取材させてくれないか御願いしてみた。
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 周知の事実であるが、中国政府は僧侶が尊敬を集めていた旧チベット社会を破壊して今のチベットを作った。従って、僧院や僧侶に対する警戒心は非常に強く、出家を妨害し、俗人の参加する法要も制限し、インドから名のあるリンポチェがチベット本土に入国することも阻止して、一言でいえば本土の僧院では正常な修行や研究ができない状況となっている。

 中でも、伝統的に行われていた幼年期の出家は気合いを入れて妨害しており「子供の人権を奪うものだ」というプロパガンダを流布している。チベット仏教は高度に論理的であるため、勉強は幼いうちにはじめるにこしたことはない。もちろん、一族の希望を担っての晴れがましい出家ばかりではなく、中には貧しい家の口減らしの場合もあろう。しかし、いったん僧院に入れば三度の食事も食べられ教育も受けられ、かつ還俗の自由もあるため、人権蹂躙の批判はあたらない。
  私が中国政府の批判をこのように話すと

 アリヤさん「チベット人にとって僧侶はあこがれの職業です。親から言い出すのではなく子供からなりたがるのです。私は男ばかりの三人兄弟で、お兄さんが僧侶になるといってなって、次のお兄さんも僧侶になるといってなって、私が僧侶になりたいといったら、両親が許してくれませんでした。本当は僧侶になりたかったんです」

 平岡校長「還俗の自由がありますから、人権蹂躙にはなりません。大体チベット本土では共産主義教育以外は受けられないんでしょう? そっちの方がよほど人権蹂躙でしょうが」

 「私に怒らないでくださいよ。言ってるのは×国政府です。」

 というわけで、8月14日学校を訪問することになった。
 学校の入り口でユンテンという名の僧侶の先生とばったり会う。このユンテンさん平岡先生が二十代の時ギュメに留学していた折、最初にチベット語を教わった方であり、今はこの学校で教師をしているという。毎年ギュメを訪問している平岡先生もずっと会っていなかったらしく楽しそうに旧交を温めていた。
 
 しかし、学校は何か閑散としている。聞けばその日はヤマンタカの法要の最中なので休校であった。しかし、学校の事務室に招き入れてくださり、時間表、教科書などを拝見させて戴く。小僧さんは15才にならないとギュメの本堂に入る資格がないので、それまではここで仏教や一般教養を学ぶ。事務室にはもちろん仏壇があり法王の写真もかかげられている。

 生徒のクラス分けは僧院内での仏教の勉強の習熟度で分かれており、時間割表には「般若 英語」とかあるのは、般若思想を学んでいるクラスの英語の時間という意味(笑)。
 そしてなんと、中国語のクラスまであった。英語の教科書はインドの英語教育で用いられているもので、中国語については、中国人がチベット人に漢語を教える教科書でイラストに中国の国旗とか入ってて吹いた。チベットの歴史・仏教の教科書(邦題『チベットの歴史と宗教』明石書店)も当然使われていた。先生は英語以外はお坊さんが担当しているそうな。生徒はもちろんギュメの若いお坊さんたち。
たくせる

 学校の校庭は、平日の夕方はディベート会場となる。博士を得る前の僧侶が集まって、二人一組でチベット仏教名物ディベートを行うのである。緑の芝にサフラン色の僧衣がはえて美しい。秘書官のニマさんは私たちをひっぱっていって、三歳くらいの子供が二人でディベートをしているところに連れて行ってくれた。かあいい。高僧になって寺を支えてくれよと祈る。

 雨の日はディベートができなくなるため、現在本堂の右手に屋根付きのディベート会場を建設中であるが、インド人作業員は三人くらしかいなくて、私の滞在中工事はまったく進んでいなかった。

 この学校の隣にある近代的な建造物は外国人向けに英語で密教を教える「密教学校」らしい。ダラムサラの図書館で行われている講座の密教版である。在籍しているのは台湾人三人のみで、彼らは瞑想ばかりしているという。みなさーんギュメに留学しませんかあ?

リンポチェ・インタビュー

 8月15日 秘書官のニマさんとアリヤさんとともに、クンデリン・リンポチェのお部屋を訪ねる (男性同伴者がいれば女が僧坊訪れても戒律違反にはなりません)。滞在記の1でも述べたように彼はダライラマにつぐ摂政位格式の転生僧である。しかし、そのような彼でも厳しいギュメでは特別扱いされず、午前二時からの法要でも問答無用で参加である(ただし部屋だけは一般の僧侶より少しいい)。

 「リンポチェの初代はパンチェンラマ一世ゲレクペルサンの弟で、第六代ガンデン座主のバソ・チューキゲルツェン(1402-73) ですよね。ダライラマ法王は苦労されたお若い頃は自分が観音の化身だと言われてもぴんと来ないと書いていらっしゃったけど、1989年頃になると「自分は祝福されたものの系譜につらなる」とはっきりおっしゃるようになりました。リンポチェも自分は生まれ変わり(トゥルク)だ、とか前世を感じることがありますか」

リンポチェ「小さい頃はよく分からなかったけど、法王が認定してくださっていますし、今から考えると、特別なのだと思えるので、責任を感じて今までがんばってきました。先代のやったことを続けてやっていきたいと思います。」

「ゲシェ(博士号)をとられたのはいつですか。僧侶は博士号をとると教育や布教にあたることが奨励されていますが、リンポチェはどこかに教えにでられる予定はありますか」

 リンポチェ「ゲシェになったのは2013年です。ダライラマ法王のご指示によって動くことが重要です。法王がセラ大僧院で『ラムリム』の教えを説かれた時、英語の勉強をしなさいと勧められました。また、時間のある時は中国語も勉強しています。昔仏教国であったところには行ってみたいと思います。」

 「日本仏教は廃仏毀釈以来衰退の一途をたどっています。正式な僧伽は、250戒(独身戒を含む)を守った僧が五人いてはじめて発足しますが、今の日本にはこの僧伽がありません。仏法僧の僧がいない状態なのです。可能であれば日本にお出ましください。先頃遷化したジェブツンダンパ9世 (1932-2012) についてお伺いしてもよろしいでょうか。」

 ※説明しよう。この前なくなった9世の先代ジェブツンダンパ8世は1911年にモンゴルが独立した時、モンゴル政教のトップの座に就任した。ようはジェブツンダンパはモンゴルもっとも権威ある転生の系譜である。初代と二代目はいずれもチンギス・ハンの子孫からでたが、権力の集中を恐れた清朝が、3世以後をチベットから選ばせていた。だから独立時の王様であるジェブツンダンパ8世もチベット人である。

 「ジェブツンダンパ8世がなくなる時、リンポチェがお側にいて『後を頼む』と言われたという話をもれ聞いているのですが、次代のジェブツンダンパはずばり聞きますがモンゴル人ですか?」

 リンポチェ「頼むといってもモンゴルやチベットの仏教を頼むという全般的な意味でです。法王は『ジェブツンダンパは今度はモンゴル人になる。でも〔生まれ変わりの〕探索にでるのは早い』とおっしゃっています。転生者の探索はガンデン大僧院が担当します。
 ジェブツンダンパ9世は1959年にダライラマ法王とともにラサからインドに亡命して、モンゴル民主化の直後の1991年に法王が話をつけてモンゴルに戻ることができました。2011年にはモンゴル国籍をとってモンゴル人になりました。」

 ということは、デプン大僧院ゴマン学堂のリンポチェが探索に加わることはないのか。でも先代は摂政レティンが認定したとおっしゃっていたし、それはやはり摂政位につく格式の僧が認定することもあるということだよね。
 
「去年モンゴルの首都ウランバートルのガンデンを訪れたところ、境内に集会殿が建設中でした。案内してくださった方によると、ダライラマ14世の寄付によるものだというのですが、モンゴル布教についてお聞かせください」

リンポチェ「ダライラマ法王は『モンゴルには戒律を護る僧がいないので、戒律を守る僧が集団生活する場が必要だ』ということで、集会殿を建てています。歴代ゴマンの管長の中にはモンゴル/ブリヤト人が8人います。モンゴルが社会主義だった頃はチベットとモンゴルの関係は途絶えていましたが、モンゴルが民主化した20年前からゴマン学堂への留学生の受け入れを再開しました。2013年までにモンゴル、カルムキア、内モンゴル、トゥバから300人は受け入れています。現管長も最近モンゴルに行きました。」
 
※ 取材メモに基づいて文を起こしていて録音にまでもどっていないので年号とか確認した方がいいかも。

ウムゼの亡命体験

 ウムゼは僧院の中で副管長につぐ重職である。現在33才のウムゼのAさんは11才で本土からインドに亡命した体験をもつというので、8月16日に彼にお話を伺った。
 Aさんは東チベットの某地区出身である。なぜ伏せ字にするかというと言えば、もちろん本土の家族が迫害されないようにである。
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ウムゼ「私の家は三人兄弟でした。上の二人は中国の上級学校に入ったのですが、祖母は末の子供である私を僧侶にしたいと思っていました。私はおばあちゃん子だったので、私も僧侶になりたいと思っていました。

「11才というのはとても幼いですが、その年齢で両親と別れてインドにくるのは大変な決断だったでしょうね」

ウムゼ「両親は私の出家に乗り気ではありませんでした。しかし、我が家でおばあちゃんの言葉は絶対でした。そこで両親は『どうしても僧侶になりたいのなら、17か18才になってからにしなさい。もし今したいのなら地元の僧院で出家をすればいい』といいました。しかし、地元の僧院は活気がなく、ここに入っても仕方ないとおもいました。両親は最後は私の意志にまかせるといったので、私は『ダライラマ法王も尊敬する先生もみなインドにいる、だからインドに行きたい』といいました。チベット人は六歳くらいになるとダライラマに憧れるんです。両親は『インドは遠いし道は悪いし、病気になっても病院もないよ」と現実的な話をしましたが、自分は『インドは素晴らしいところだ』と思っていたので聞きませんでした。こうして亡命がきまりました。」

「わかるわあ。私もインドには素晴らしい僧侶がたくさんいると思ってやってきたけど、正直ここにつくまで大変だった」

平岡校長「何しみじみいっているんですか。苦しい思いをして到達するほど功徳があるんです」

「東チベットから南インドまで11才の子供が一人で踏破するのは不可能ですよね。「ヒマラヤを越える子供たち」で有名になった子供ばかりの一行をインド側のチベット人が手引きするというあのスタイルで亡命したのですか」

ウムゼ「私が加わった一行は全部で25人でした。子供が5-6人、18才と19才が二人。あとは法王様にあいにインドに巡礼にいく人とかで構成されていました。車でラサまで行って、ネパールの国境からはみなでお金を払ってやとったガイドのあとをついて一ヶ月半かけて歩きました。

 一行の中に地元からでたギュメ寺の僧侶が一人いました。この方は結核だったので途中で亡くなってしまいました。なくなったお坊さんは一人っ子でお坊さんの両親がとても悲しむと思ったので、私たちは死者の名前を口にしませんでした。その結果、『一行の中で死人が一人でた』ということだけが故郷に伝わりました。両親は誰が死んだのかわからないから私が死んだのではないかと心配しました。電話は中国政府が盗聴しているのでかけることはできません。そこで、インドのセラだったかデプンだったか思い出せないのですがそのどちらかで法王がナーガルジュナについて講義をなさる時、たくさんの人が集まるので、私を探すチャンスだと思い、両親は使いの者に私の写真を持たせて説法会にこさせたのです。両親は『私を見つけたら膝の上にのせて写真をとれ、そうしたら生きていることを信じることができる』とその人に言ったそうです。
 私の父は●×職についていましたが、私がインドに行ったことで、給料を下げられ、自己批判文をたくさん書かされました。もっと上までいける人でしたが、出世もしませんでした。私がインドに行ったからです。しかし、両親は私が一人前になるまでそのことについて一言も言いませんでした。」

アリヤさん「子供をインドから呼び戻さないと、給料をさげる、出世できないぞ、とかいろいろ圧力をかけるんですよ」

「数ある僧院からなぜギュメを選ばれたのですか。」

ウムゼ「我が家がB僧院の密教学堂の施主だったこと(ギュメは密教の総本山)、故郷からでてギュメで名を挙げていたC阿闍梨という方に憧れていたので、その方につくためにギュメに入門しました。ギュメには四つの地域寮があり、そのうちの一つテウ地域寮にはいりました。この四地域寮は今は形骸化していて年に一度の法要の時だけ復活します。C阿闍梨が素晴らしかったので、私の学業は順調で2006年には密教博士になり、今はウムゼです。」

「ウムゼはギュメに来た時、前にここにいたことがあると感じたといいますが、その時の体験を話してください」

ウムゼ「あの時私は12才の小坊主で、食事係になって食堂でごはんの準備をしていました。食堂の上には事務所があります。事務所は僧院の経理をあずかるチャンゾー(管財僧)などの役付きの僧が集う場所です。小僧が訪れる機会もありませんでしたが、食事係になってたまたま階段をあがって事務所を訪れ、ドアノブに手をかけた瞬間、『絶対ここに入ったことがある』と確信しました。その話をギュメの高僧のチメ・ドルジェに話したところ「12才で頭もはっきりしているので前世からの習気(じっけ)が現れたのだろう。」と言われました。

「今は何を目的に修行されていますか」

ウムゼ「もちろん一切智者(仏)になることです。」
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