白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/11/17(月)   CATEGORY: 未分類
京都ゼミ旅行 (1)龍谷ミュージアム 
 十一月の週末に一泊二日でゼミで京都を旅行した。京都駅に10時集合して、まずは龍谷ミュージアムの特別展「二楽荘と大谷探検隊」に向かう。
 このミュージアムは2011年に開業したばかりで、仏教伝播の歴史を通観する世界唯一の博物館である。今年は大谷探検隊の調査活動の終結から百周年ということもあり、四月~六月の特別展は「もう一つの大谷探検隊」という題名で大谷光瑞の命令でチベットに入った青木文教や多田等観について焦点をあてるなど、大谷探検隊を特集している。なので、今年中に一度訪問してみたかったのである。
 ミュージアムにつくと、館長の入澤崇先生自らが出迎えてくださり、館内を親しくご案内してくださった。

 館長先生「100年前探検に旅だった隊員たちは、ちょうどあなたたちと同じくらいの年の若者たちでした。特別展の入り口に当時彼らが使っていたトランクがあります。それをみて当時の若者たちの志を感じてください」

 トランクは箱形なので、カートになれた学生たちは 「これどうやって運んだんですか」

「昔は舟や汽車をおりたら、クーリーがおしよせてきてみなもってくれたのよ」

館長先生「写真にもあるように荷駄にくくりつけたんですよ。背景の写真ですが、これが第一次大谷探検隊(1902)のパミール高原越えの記念写真です。帽子をかぶっている3人が日本人の隊員です。」

「大谷光瑞はどれですか」

学生「先生がイケメンっていっていた人ですね」(そこまで言うな)

館長先生「この写真には写っていません。どうしてだと思います? おそらくはシャッターを押しているのが光瑞さんなんですよ」

一同「へえええ」

館長先生「第一次大谷探検隊は中央アジアからインドの仏蹟調査に向かいます。その時中心になったのは藤井宣正です。彼は詳細な記録を残したのですが1903年に帰国途中のマルセイユでなくなりました。その旅の記録は散逸して、彼の事績も埋もれていたのですが、それを再発見したのが島崎藤村の研究者グループです。島崎藤村はこの翌年、飯山の真宗寺で見た藤井宣正の絵はがきから『椰子の葉陰』を書き上たのです。」
「当時、英国人により、釈尊の生誕地がルンビニーであると判明したばかりで、その時大谷探検隊がとったアショーカ王柱の写真がこれです。これに触発されて森鴎外が1906年に『阿育王(アショーカ王)事蹟』を書いて、アショーカ王の碑文や詔勅などを訳出しました。」

 1906年といえば、丁度、森鴎外がイタ・セクスアリスとか書いて文壇で脚光を浴びだした頃。大谷探検隊の事績は当時の日本人の釈尊や仏教史のイメージをぬりかえる事業でもあったのだ。学生たちは島崎藤村、森鴎外といった明治の文豪たちの名前を聞いて感心しまくっている。

 橘瑞超と野村栄三郎による第二次大谷探検隊(1908-)はモンゴルと中央アジアに向かった。野村はトルファンのベゼクリク石窟(6世紀)を訪問した。このベゼクリクの石窟はミュージアムの常設展示として原寸大で復元されている。
館長先生
「当時、ベゼクリク石窟は、荒れ果てていて、土地の人は壁画に描かれた人が夜な夜な抜け出て人を襲うと恐れて、壁画を壊していました。そこで各国探検隊は壊されるよりはと切り取って持ち去った結果、現在ここには当時の壁画は残っていません。エルミタージュ美術館、インドの博物館などに細切れに保存されている壁画を、龍谷大学の理工学部の協力でコンピューター上でつなぎあわせて、この復元回廊をつくりました。
 ホンモノの回廊はコの字形なのですが、スペースがなくて鍵型になっています」

 「素晴らしいですね。ウチの大学はどこぞのOBが東京オリンピックまでに学内にスポーツ博物館をつくるとかいっていて、もう文化のかおりなんて微塵もありません。」

 それから館長先生は大谷光瑞の別荘二楽荘の展示を案内してくださる。二楽荘は六甲山中にある大谷光瑞の豪華別荘で、この敷地内で果樹園、学校、印刷所を経営していた。マイケル・ジャクソンのネバーランドなみに専用ケーブルカーがついている。斬新なお金の使い方である。

 「あ、チュータだ!」(※伊藤忠太)
 館長先生「雲南に向かった大谷探検隊は、伊東忠太とばったり出会い、そこから大谷光瑞と伊藤忠太の関係が始まります。」
 「あなたたち、築地本願寺みたことあるでしょ?あのインドの石窟寺院のようなデザインは忠太のものなの。二楽荘も、平安神宮も、このミュージアムでてすぐの伝道院も忠太の作品なの。彼は石とコンクリートとガラスで、西洋建築でも日本建築でもない、東洋建築を追求したのよ。だから、もうこの二楽荘もタージマハルがはいっているし、伝道院はサラセン様式でしょう?」

館長先生「伊藤忠太のフィールドノートも展示されていますよ。この雲南での大谷探検隊と伊東忠太の写真は初公開です。」

 こんな感じで館長先生自らが案内してくださったおかげで学生たちも真面目に耳を傾けてくれ、なんと自ら「映像もみたい」とかいいだしたので、シアターで10分に編集された大谷探検隊の映像をみる。開演をまつ間、館長先生のツイッターのアカウントをみなに教えると、みなスマホでチェックしだし

学生「館長先生は信念をもって仕事をしているって感じでかっこいいですよね。先生、昨日のツイートで『エネルギーが枯渇』とかつぶやいてますよ。その翌日僕たちにつきあわせてよかったんですか」

 実は、館長先生はそのあとすぐに講演を控えていらっしゃったのだ。それなのに、私たち一行のために貴重な時間を割いてくださった。お人柄である。

 映画が終わって、暗幕が自動であがると、目の前のパノラマ窓には西本願寺が借景になって現れ(階上からなので間にある道路が見えない)、非常に美しい。

 というわけで、みなさん龍谷ミュージアムはおすすめです。目の前の、西本願寺のお参り、伝道院、龍谷大学本宮キャンパスの明治時代にたてられた本館など周辺には見所も満載です。

  その夜、ライトアップしているかと思っていった嵐山の渡月橋は闇に沈んでいた(笑)。
そこで、とりあえずきたので橋を渡っていると、学生の一人が館長先生のアカウントをチェックし、

 学生「お、龍谷ミュージアムの館長さんが、「爽やかな学生さん」って僕たちのことほめてますよ!」

  実はミュージアムに入る前、一瞬不安がよぎり、「みんな早稲田大学の学生っていうのはね、一般的には優秀だと思われているの。くれぐれもそのイメージを壊さないように、可愛くふるまってね」と言っておいたのが、功を奏したか、あるいは本当に良い子なのかもしれない。

 よくやった、みんな !
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