白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/11/19(水)   CATEGORY: 未分類
京都ゼミ旅行(2) 日本文化の源を訪ねて
 龍谷ミュージアムから出ると、我々は薫玉堂に向かった。
この店は西本願寺前で16世紀から商いしている老舗で、香道を伝えている。日本に初めてお香が伝わったのは、推古天皇の御代と言われ、淡路島に流れ着いた香木を火にくべてみたらいい香がするので、仏の嗅覚を供養するべく香の使用がはじまった。後に聞香が貴族のエンターテイメントとして盛んになり、お寺から離れて香道が成立するに至った。
 日本文化というと、華道、茶道、香道、武士道などがあるが、これらの起源はたいがいお寺や仏教思想の中から始まっている。香道が仏の嗅覚を楽しませることを起源とするように、華道も仏様に花を供養したことに始まり、茶の飲用も中国の禅寺の中で精神集中のために飲用されていたものである。
電動印

 西洋において、音楽・絵画・哲学などが神を称える所作の中からはじまったのと等しく、日本においても仏の五官を供養するための所作一つ一つが芸術へと昇華していったのだ。

 薫玉堂の一階は伽羅、沈香といった高価な香木を原材料で販売し、二階はお土産用の匂い袋やインセンスを販売している。学生たちは五種類のお香を好きなように配合して自分専用の匂い袋にしたてるサービスを体験しつつ、桂皮の香をかいで、「シナモンみたいだ」という。
シナモンと桂皮は同じもんだよ・・・。

 香木の故郷はインドネシアなどの熱帯で、熱帯雨林の中で倒れた香木が微生物によって分解されて化石かして伽羅ができる。正倉院御物の薬物棚にも「蘭奢待」の雅名で呼ばれる有名な香木があり、この天下の香木をきくことができたのは織田信長などの天下人だけである。
 ところで蘭奢待の漢字は文字の中に東大寺の言葉が含まれているをご存じでした? 正倉院はもともと東大寺の倉だから。
 とかウンチク傾けているうちに、昼ご飯の時間もとおに過ぎたため、京都御所近くの宿に一瞬よって荷物をおき、南下して昼ご飯を食べる場所を探す。そして昼ご飯を食べ終わったらもう三時。予定がまったく消化できていない。
 そのまま歩いて茶道の祖、栄西が開いた建仁寺に向かう。オンシーズンの四条大橋と八坂神社前はすごい人混みで、早稲田祭のよう。橋をわたる時、O君が「あのかっこいい木の橋どこですか」というので、よく聞いてみると、嵐山の渡月橋のことだった。
ここは鴨川だよ。渡月橋は嵐山で桂川(笑)。
 なぜか場外馬券売り場のあるギオンを通って建仁寺についたら、もう四時半になっていた。五時に閉門なので三十分で俵屋宗達の「風神雷神」、本堂の天井の小泉惇の双龍、北野茶会の副席を駆け足でみる。ああ、拝観料がもったいない。

 「茶の飲用を庶民にまで広めた千利休は栄西を茶祖と仰いでいます。栄西は臨済宗の宗祖で、二回、宋にわたって禅を日本に導入しました。禅って一言でいえば瞑想です。中国の禅寺では、この座禅中眠気を防ぐために覚醒作用のある茶が飲用されていましたが、その習慣を栄西は禅寺の規則(清規)とともに日本に持ち帰ったのです。
 そして、茶の飲用を茶室、茶器、掛け物、振る舞いなどが一体となった総合芸術にまで高めたのは日本人です。」
建仁寺双劉
 
 そして、境内の茶碑と平成の茶苑で記念撮影。この時点で五時をとおにすぎ、すべての寺は拝観時間が終わっていた。そこでレンタカー屋に車を借りにいくことにする。ゼミ長がみつけた底値のレンタカー屋は羅城門をでた京都の外の十条にあり返すのもここまでこなければいけない。
 再び駅近くに戻り、有機京野菜のバイキングに夕食に入る。食べ放題・時間無制限であったため、学生はひたすら食べ続けた。明らかにこの子たちはもとをとりすぎている。来年この店はなくなっているかもしれない。

 レストランをでた後、紅葉のライトアップに行こうという話になり、折しも満月だったのでO君にモノホンの渡月橋を見せて、二度と世迷い言を言わせないという私の強い意志で、嵐山に向かう。
 ところが、ついてみると渡月橋は闇の中に沈んでおり、微塵もライトアップされていない。しかし、観光客がまったくいないので、河の音が耳に響き、嵐山から流れてくる気持ちのよい気を楽しむことができた。久しぶりにどす黒い心が洗われた(笑)。
ライトアップ嵐山
これを期待していったら・・・・
嵐山
こうだった(笑)。

 夜、私が学問的なクイズをだし、それをあてた人がブリの刺身を食べることができるという、わけのわからんゲームが始まった。ブリがかかっているせいか正答率が高く、彼らが人の話を聞いていないようで聞いていることに驚く。あまりにうるさくしたので宿の人に叱られて、二時近くに就寝する。

11月9日 

 朝八時起床。九時に出発。昨日いくはずだった六角堂に向かう。ここはかつて聖徳太子が物部守屋との戦の際に必勝祈願をした観音菩薩が祀られている。この池の畔には小野妹子の坊があったとされ、仏様に花を毎日供養していたことから、ここがいけばな=華道発祥の地とされる。池坊の「池」とはこの六角堂の池を指すのである。
 現在六角堂の北には池坊関連の高層建築がどばーんとたち、池はビルの一部でプールのようなコンクリート構造物になっている。どうみても自然の水ではない。聖徳太子ゆかりの古蹟がこんなになってていいのかい。

 この六角堂は親鸞聖人のエピソードでも名高い。彼が比叡山をおりて妻帯するか否か迷っていた際、この堂に参籠して聖徳太子様の夢のお告げを得て妻帯を決意したのである。チベットや東南アジアや中国・韓国の仏教界では僧侶は独身をまもり、妻帯は破戒とみなされる(もちろん妻帯が可能な宗派も中にはあるけど少数)。日本仏教はまず親鸞聖人が僧侶として初めて妻帯を公言し、以後明治の廃仏毀釈でお寺を維持するために妻帯が加速し、現在に至っている。仏教オタの私にとって京都は話題に事欠かない町である。

 六角堂での参拝をおえた後、下鴨神社に向かう。この日は天気は悪く小雨が降り続いていた。下鴨神社にきた目的は建築物としての神社がたつまえの原始的な聖地のあり方を知るためである。

 後からくる車を待っていると、学生がスマホをいじりだす。ケータイは別行動しているグループとすぐに連絡がとれ、GPSで自分たちがいる場所もすぐにわかるので、グループ行動するには必需品。人と人との間を近づけているが、隣にいる人が別の時空につながっているという意味では距離をとっているとも言える。

O君「えーっ。今ラインで友達が自殺したかもって流れきた。先生この記事しっていますか?」

見るとTBSでパワハラがあって新入社員が死んだという記事。

私「これ死んだ社員の名前書いていないじゃない。」

Oくん「いやでもみんなコイツと連絡とれていないって」

で、しばらくたつと、「今本人と電話しています。大丈夫です」
てな感じで、そこにいる子がまったく実の時系列につながっている。ちょっと寂しい。
しかし、
A君「おおおお、これ家族ラインなんですけど、羽生君がリハで中国選手とぶつかって流血したそうです!!!」
「羽生くん、出場したそうですよ!!」とか、実況してくれると、つまり、内容をシェアしてくれると、互いの孤立感が弱まるかんじ。

 下鴨神社は「糾の森」という原生林に囲まれており、そこにはカラスの縄手という古代の道が復元されている。「烏の縄手」の「カラス」とはもちろん下鴨神社の祭神の三本足のカラスをさし、「縄手」とはその烏を参拝する聖地につながる「縄のように細い道」を意味する。今、烏の縄手をたどると発掘によって復元された古代の祭祀跡につく。白い玉石がしきつめられており、説明書きによると、水に関する祭祀が行われていたという。

「沖縄の御嶽(ウタキ)を見たことある人? 伝統的なウタキもこういう露天の、ただ白い石をしきつめた聖地空間ですよね。聖地自体は神道よりも仏教よりも古くからあり、外から新しい思想や文化がはいってくるたびに、聖地の上に祠がたったり、神社建築がたったりして新しい解釈が加わっていったのです」

 「聖地」についての私の高尚な演説をよそに、学生たちは下鴨神社の七不思議の一つ「連理の賢木」の恋占いとか、お汁粉や団子をたべてはしゃいでいる。

 トータルにみて、とにかく買い食い、食事、トイレに時間がかかる。彼らは美味しいものとみればとりあえず買い食いし、コンビニをみればとりあえずトイレと脱線するため、遅々として前に進まない。昼過ぎたこの時点でやっと初日の予定をクリア。予定では今日は一日琵琶湖を一周して観音のお寺をまわるはずだったのだが、それを決行すると間違いなくレンタカーの返却時間に間に合わない。

 そこで、とりあえず琵琶湖畔に車をとめて歩いていける範囲内で昼ご飯を食べる場所を探す。結局ステーキ・ハンバーグの普通のファミレスに入ると、そこはごはんとサラダバーが食べ放題で、そのごはんにはカレーもついているので、男子は肉がくる前に何皿もカレーを食べて、肉がきたらば「もう入らない」と。当たり前だ!

 あまつさえ、「センセー、ワッフルと綿菓子を自分で作って食べられるコーナーがあるんですよ」とワッフルとか焼きだして、綿菓子とかまきだして、結局その店で二時間以上、ひたすら炭水化物と油物とあまものを食べるのにつきあわされる。これ、わざわざ関西まできてやる意味があるだろうか。

 それから残された時間で行けるところについて協議(笑)。
K君が「去年は高野山いったから今年は比叡山に行きましょうよ」というので、私は「こんな短い時間で昇って降りても拝観料がもったいないんじゃないの?」と思いつつも、学生が行きたいいうならつきあうかと比叡山に登ることとする。

 しかし、これがまた微妙な判断だった。この日は雨が降ったりやんだりの生憎の天気で、高度があがるにつれ濃霧が立ちこめて、しまいには一寸先が見えなくなった
 まずい。
 事故とか起きたら大変なことになる。一応車もゼミ旅行自体も保険に入っているが、事故起こした学生に障害か何か残ったらお金の問題ではなくなる。何よりコワイのは対向車線に山内を走る大型バスが突然現れること。彼らの運転歴はまだ2年か3年なことを考えると、心底怖い。

 平地ではまだうっすら色づいていた紅葉が、高度があがると色濃くなっていくが、濃霧で近くのものしかみえない。琵琶湖が見渡せるはずの空間にもミルク色の濃霧が立ちこめている。昨日のライトアップなしの渡月橋につづき、印象に残る見えない紅葉狩りである。
 でも晴天の紅葉狩りより、こういう方が後々きっと思い出になる。

 山頂につくと少し霧が晴れ、若干紅葉が見えるようになった。そこで、天台宗の簡単な歴史と、織田信長の比叡山焼き討ち、天海上人による再興、江戸時代に皇族出身の輪王寺宮と呼ばれた天台座主が、日光、上野の寛永寺、この比叡山の三つの山をすべていたことを話す。

「じつは今あなたたちが目の前で見ている、この比叡の山の上にある、根本中堂、文殊樓、弁慶のにない堂などの建物は全部同じものが上野の寛永寺にもありました。嘘だと思ったら江戸名所図絵をみてください。輪王寺宮は皇室と幕府のツナギのようなポストだったから、戊申戦争の時、当時の輪王寺宮は官軍と幕府軍の間にたって調停したんだけど及びまんでした。上野はそういう理由で幕府軍が立てこもっていたから、やけちゃって今は見る影もなくなっているのです。今はその跡地に国立博物館とか美術館がたっています」。

 それにしても比叡山のぼったくりはひどい。東塔しか参拝できる時間しかないのに、全山拝観チケットしかおいてないし、普通車であの低い山をのぼっておりただけで1600円なにがしかの通行料を取られた。ただ、境内に入るだけ、道を通るだけで一律にお金を徴収するのだ。一応仏教の本山なのだから、巡礼とか信仰をもって入る人を前提とし、つまり、信仰の中心地には入場料なしで入れるスペースをつくり、お金をとるのは国宝とか建物内部とか、お庭とかを特別にみたい人のみにするべきだろう。比叡山の今の商売の仕方は信仰をもって山にくる人がいないことを自ら認めているようなものだ。

 それから、将門岩をみて、黒い気持ちになろうと思ったら、比叡山ガーデンミュージアムの中にあるとかで、そのミュージアムの入場料を払わなければみられないと。信仰の山になんで印象派の絵画をみせる美術館が必要か? こう思うと、前日訪れた西本願寺はまだ良心的だった。西本願寺の本堂は国宝であるが、誰もが無料でその建物内に入れてご本尊の前で称名念仏できる。

 まあでも、学生たちは「比叡山にのぼったー」とわけわかんない高揚感に包まれていたし、そして、とりあえず事故もなく山が下りられたので、まあよしとする。うちのゼミ旅行の成否の分かれ目は、死人・けが人を出さないことなので(ハードル低っ)、無事に帰れた時点で成功なのだ。
 
 楽しかったけどめちゃめちゃ疲れた二日間であった。
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