白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/12/07(日)   CATEGORY: 未分類
ダラムサラ報告会で感じたこと
※ 出雲の話はこの次のエントリーで。

 11月30日に、都内某会議室でSFTによるダラムサラ報告会が開かれた。最近のダラムサラ事情がわかるかなーと思って軽い気持ちで参加して、何というかいろいろ考えさせられた。

 最初の報告者は比較的チベットについて知識がある方で、どことどこに行き、このような人と会って話を聞きました、という全体像を提起し、一つ一つの話の内容については客観的に簡潔に要約しているもので、聞いていてもあまり違和感は感じなかった。

 しかし、次の同じツアーに参加したチベットほぼ初心者という方の話に入ると違和感はいやましていく。あらかじめお断りしておくが、この方自身にはまったく問題はない。自分が感じたことを感じたままに話すので、こんな食事を食べましたとか、町の様子とかを聞かせていただく分には、ガイドブックのカラフルなコラム欄を見ているようで楽しい。

 しかし、「こういう人とあって話を聞きました」という件になると、TYC(チベット青年会議)の通称赤鉢巻テンジン・ツォンドゥーの「アツイ話」とか政治囚の語る悲惨な体験とかが中心になっていき、そこからは、チベット社会の大勢が目指している理念が見えてくることはなかった。

 赤鉢巻氏は遠路はるばるやってきた日本人に対して、「自分の気持ちにウソはつけないから中国に対する抗議活動をやっている。ダライラマも本音では独立を望んでいるが、国際社会の手前、自治だといっている。今、中国はインドの国境を侵していて、インドにも脅威となっている。インドと協力して中国と闘うのだ。これは民族と民族の戦いだ」みたいなことを言った。そりゃ初めての人が聞けば印象に残るだろう。
 しかし、この発言は良識あるチベット人にとって非常に違和感のある発言なのである。。

 わかりやすく説明しよう。

もし「天皇陛下は政治に介入できないお立場であるけど、本音では中国に対して不信感をもっていらっしゃる。だから代わりに私たちが声をあげねば」という人がいた場合、この人は本当に天皇陛下のことを思ってこういう発言をしていると思う人はいないだろう。「なんであなたに陛下の心内が分かるの。あなだか自分がやりたいことを天皇陛下の威を借りていってるだけだろう」、と普通は思うだろう。これと同じ。

 十字軍を始めた時、教皇ウルバヌスは「エルサレムの奪還を神が望んでいる、十字軍の先頭には神が立つ」と演説して人々を動員したが、「左の頬を打たれたら、右の頬を差し出せ。上着を取られたら下着もあげろ」といった神様が果たして本当に十字軍を望んでいたかどうか、誰でも胸に手を当てれば分かるだろう。神の意志を叫んでいるのは、あくまでもある立場にある人間だ。 なので、「ダライラマが本当はこう思っている」とかいう言い回しを使う時点でアウトなのは分かるだろう。

 ダライラマはそもそも慈悲の菩薩観音様である。彼は亡命以後、一貫してこう繰り返し述べてきた(もちろん87年までは当然の権利として独立とも言っていた)。

 敵を憎み、友を愛したとしても、一瞬後には友が敵になり憎む対象になり、敵が友になるのが世の常である。それなのに人はエゴにとらわれて、あるものに敵のレッテルをはり憎み、友のレッテルを貼り執着し、心の安定を欠いている。敵にも友にも永遠に変わらない実体はない。
 それなのに、人は自分、自分の家族、自分の宗教、自分の国など、自分(エゴ)の延長にあるものにこだわり、全体をみなくることから、あらゆる問題(民族紛争、戦争、環境破壊etc.)を起こしている。
 すべての敵が未来の自分の友であると考えなさい。あなたの最大の敵は外にあるものではなくあなた自身のエゴである。
 この世界から争いをなくすのはエゴを押さえる教育が一番大切である。


 以上のようなことを説いてきたダライラマが、敵の敵は味方、中国の敵はインドだからインドと共闘すべしとかいう考え方を推奨するかどうか考えたら、簡単に答えはでる。もちろん否である。ダライラマ法王はチベット難民を受け入れたインドをはじめとする諸外国には心からの感謝を捧げはするけど、それらの国に国益をおかしてまで中国と闘えと要請したことは一度もない。そんなことをしても根本的な問題の解決にはならないからである。

 今回のツァーではもちろんチベット亡命議会の議長さんのお話も聞いていて、彼はもちろん亡命社会のとる中道路線についての解説を行い、「中国に対して間違ったメッセージを送ってはならない」と何度もいって、最後に「それぞれの国にはそれぞれの事情があるのだから国益に反してまでチベットを支援してくれなくてもいい」とおっしゃっており、最初の報告者の方はこの言葉に一番感銘を受けていた。

 チベット人は難民だから、亡命者だから、もちろんどんなところからでも支援は欲しい。なのに、議長さんのような発言がでるのは、もちろん世界平和と長期的にみたチベットの未来のためにあえてこのように発言しているのだ。このような言動に感動して、チベット文化をこの世界からなくしてはいけないと感じる人がでてきて、結果、チベット文化は国際社会で存在感をもち、ここまで存続してきたのである。
 
 しかし、チベット初心者が赤鉢巻と議長さんの言葉を両方聞いた場合、何のレクチャーも受けていなければ、当然前者の言葉の方が印象に残る。今の日本人大多数にとってこちらの考え方が理解しやすいからである。しかし、翻ってダライラマ法王のおっしゃていることにどんな矛盾があるのかと考えてみると、まったく矛盾がないのである。彼が偉いから受け入れられてきた見解ではなく、この同じことをホームレスがいったって正論である。発言内容が妥当だから世界中で受け入れられてきたのである。

 と思ったこの違和感を、この旅行の企画者の一人に電話してぶつけてみた。すると、このような答えが返ってきた。

企画者「確かに、チベット初心者の方はそういうところしか印象に残らないかもしれません。」

私「ツアー内容見て気になったのだけど、どうしてチベット文化の中心である僧院や僧侶の訪問時間がないの?」

企画者「尼僧院には行ってますよ」

私「でも僧侶から話を聞く時間はとっていないじゃない。一般の僧でもいいのよ。チベット文化に通底する伝統的な考え方を無視して外国人が理解しやすい抗議運動だけみせても、広い意味でのチベット理解や支援にはつながらないよ」

企画者「我々は俗人の世界とやっていくので、仏教について語るのは荷が重すぎます」

私「荷が重いとかでなくて、チベットの社会と仏教文化から生まれるモラルは切り離すことができないんだよ。」

 何で分からないかなと思いつつ説明するが、伝わらない。

 そういえばこの企画者前に私が質問を受けた時、私の書いた~を読んで見て、と言ったら「ああ、あれは仏教の本だと思って読んでいませんでした」と言ってたので、チベット社会の根源にある文化を理解する気はあまりないようだ。この分だとこのブログのエントリーも仏教認定されてスルーされているかも。

 実はこの企画者の方は、在日チベット人の支援に熱心である。それ自体は良いことなのだが、チベット人にもいろいろな方がいて、たとえばお金の管理のできないチベット人が借金まみれになっていると、この方はお金を貸す。しかし、チベット人の借金は増え続ける。自分ももう貸せないところまで貸して、それでもそのチベット人の行いは改まらず、結局当事者以外の方達にも迷惑をかけることになった。また、とあるチベット人が日本人の誰が聞いても問題と感じる発言をした時にも、この方は問題発言をしたチベット人を庇い続けた。モラルもへったくれもなくチベット人の側にたつこの方の言動には多くの人々は違和感を感じていたが、被害を受けているのが主に本人であることと、チベット人のために何かしたいという気持ちは純粋なものなので沈黙していた (ちなみに、私は直言してきたが、無視されてきた 笑)。
 
 トータルにみれば分かるように、この方の問題点は仏教やチベット文化に根ざしていない、活動中心のものの考え方にある。
 どうしてこうなってしまうのか考えて見て、以下の考えに行き着いた。
 チベット人といっても一言でくくれるものではない。
 インドで再建された僧院で僧侶になりチベット文化を日々継承している人、俗人でも外の世界で成功している人つまり、自分の才能や生き方がチベット社会に貢献しており、周りからも尊敬を得られている人は、比較的安定した生活と精神を保っている。しかし、僧院から脱落した人、外の世界で成功できなかったり、あるいは思いが熱すぎて普通の生活を送ることができなくなり、活動に活路を見いだしたチベット人も数多くいる。後者のチベット人も大多数は善良で日々を正しく生きているが、その中のごく一部には中国や、自分がいま身を寄せている社会に対して、複雑な感情を醸成し、それを口にする者もいる。「どうしてこの国の人達は私たちチベットに対してもっといろいろ行動してくれないのか」と。

 もちろん彼らがそう感じるのは彼らの自由である。彼らの心は彼らのものだからだ。彼らが自分の感じたことを感じたままに話す権利を阻害する権利は誰にもない。日本人にいろいろな人がいて、いろいろなことを言っているように、チベット人はそれ以上にいろいろな人がいるのだから。

 私たちが脳内で考えるダライラマのような理想的なチベット人はもちろん沢山おり、彼らは社会の手本となっているけど、そうなりたいと思ってもなれないところにいる人も現実には沢山いる。

 この企画者の方はどちらかというと後者の方々によりそっていることから、いろいろと物議を醸しているのだと思い至る。
 
 私は経験則で、自分の感情に囚われて生きている人よりも、道徳的・利他的な生活を送っている人の方が幸せそうな顔をしている人が多いことを知っている。従って、できれば後者の中にいる怒れる方たちも、ダライラマの真意を勝手に推し量るなどして怒りをつのらせていくのではなく、ダライラマの言動そのままに模範的な人間になってその姿によって支援が集まるような行動をとってもらいたいと思う。

 前にギュルメワンダー氏が来日された際に、「私も若い頃には中国と闘おうと思っていたけど、あれは間違っていた。今は亡命社会に潜入するスパイが、私たちの生き方やダライラマ法王の話を聞いて、心を入れ替えてくれればいいと思う。とおっしゃって、亡命社会の養老院の建設に励んでおられた。議長の言葉ももワンダー氏の言葉も平和な社会で安穏として生きる我々には想像もつかないいろいろな感情をへた上でいきついたとても重いものである。だから我々はできるだけその考え方を理解した上で、自分の理解しやすいところだけつみとってつっぱしってはいけないと思う。

 最後に誤解なきように一言付け加えると、あの赤鉢巻も政治囚の方々もみななんであれ非暴力なので、「闘う」といったところで、インドやネパールの政府がここでデモやらないでください、というところで平和的なデモをするくらいの温和しい抗議しかしていない。別にテロに走るとかそういう話でないので、くれぐれも勘違いなきように。

 これは、ものすごく平和的なレベルでのささいな、しかし、非常に深い葛藤の話なのである(笑)。
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