白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/12/09(火)   CATEGORY: 未分類
神在月の出雲にて
 出雲の峯寺にお呼ばれしたので、今年の夏、ギュメ大僧院を訪問して、ガワン先生の生まれ変わりと会ったお話をさせて頂いた。

 十二月の出雲、とくに海近くにある出雲大社は寒いと聞いていたので、暖かさを重視した色気のない服装で飛行機に乗った。

 飛行機で隣になった会社の経営者だという方は、「よく飛行機と宿がとれましたね」と言うので、なんでと聞けば、「今は神在月だから、宿も飛行機も予約をとるのが大変ですよ」とのこと。
 そういえば、旧暦の十月を神無月というのは、全国の八百万の神様が出雲に会議をするために集まり、全国のお社から神様が不在となるからだった。出雲だけは神様がいるので神在月といわれることは聞いたことがある。そうか、旧暦の十月は今年は十二月なのか。

 調べてみたら、今年は十二月一日に神迎祭をして八日までが神在祭であった。つまり私はまさに神在祭のまっただ中に出雲に向かっていたのである。その方のお話によるとこの期間は「夜神楽」といって、六時半以後の夜に出雲大社に入って祝詞を授かることができる。なぜ夜なのかというと八百万の神様のよりあいは夜行われるので、夜が最も御利益があるからだそうな。

 出雲縁結び空港につくと峯寺の住職快遍さんが迎えに来て下さっていて、そのまま出雲大社に向かう。天気は悪く、途中から雹がふりだした。傘をもってきておらず、「この中お参りするのはきついな」と思っていると、お社に着く頃に雹は上がって、雲がきれて空が見えだした。しかし、雲が近い。チベット高原でも雲が近いと感じるが、出雲は高地でもないのになぜこんなに雲を近く感じるのだろう。やはり雲の湧き出るところ「出雲」だからなのか。

 明治の頭の神仏分離以来、お寺と神社は犬猿の仲となっているが、ここ出雲では和解が進んでおり、神社とお寺を両方結んで∞の形になる神仏霊場の巡礼を提唱している。峯寺のご住職もこの霊場に属しているので出雲大社についても詳しく、いろいろな話を聞かせて下さった。
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 ご住職「出雲大社は現在60年に一度の遷宮の最中で、ご祭神の遷宮は2008年に始まって去年終了しました。本殿は国宝に指定されているので伊勢神宮のように建て替えはせずに、屋根だけ新しくしました。ご祭神は神職の担ぐ神輿にのって本殿にお戻りになりました。その時担ぎ手の一人から聞いたのですが、ご祭神は重くて、「こんなに重くて神社の階段を上がれるのか」と心配していたら、本殿にあがる前に一度神輿をおいて、再び担ぎ上げた時はすっと軽くなっていたとのことです。

 私「この前ゼミ生と京都いったんですが、六角堂にいった時、ご本尊の如意輪観音様はあの地にきた時、動かなくなったので、あそこに六角堂が作られて祀られたとのことです。チベットの都ラサの中心にある釈迦殿のお釈迦様もあそこまで荷車にのってきたものの、あの位置に来たところで車がスタックして動かなくなったので、あそこにお寺が建ったので、どこも同じですね。本尊・祭神が自ら場所を選ぶんですね」

 ご住職「私たち今本殿にむかって北面していますけど、ご祭神はじつはこちらを向いていないんですよ

 私「どちらの方角を向いているのですか」

 ご住職「西です」
 なので、私は西面で一番気合いをいれて拝んだ。

 ダンナから「今日は満月に近い月がみえるはずだよ」というメッセージがきたので、空をみるが、まだ明るくて月は見えない。それから峯寺の向かう車の中で、ご住職は出雲大社にまつわる不思議な話を始めた。

ご住職「この前行われた高円宮の次女の典子様と出雲大社の宮司の息子さん千家国麿さんのご婚儀の際、直前まで嵐の予報だったのに、行列が始まる時にはぴたっと雨がやみました。

 私「あの時の天気図はすごかったですよね。全国が荒天だったのに出雲だけ晴れていた。」

 ご住職「遷宮が終わる日にも不思議なことがあったんですよ。朝からすごい雨なのに午後七時に儀式がはじまると雨があがり、本殿の扉を閉めた瞬間に突風がふき、九時に司会の人が「以上で終了します」といった瞬間に風がやんで大雨が降り始めたんです。

 私「昔、秩父の夜祭りの際に、お水をとる井戸のある神社で同じような話を聞きました。本殿を新しくして、祭神をお戻しする時やはり突風がふいたそうです。どこも同じですねえ。直前まで荒れて、肝腎な時には雨があがるんですねえ」

 ご住職「不思議ですねえ
折しも雲の中から十四夜の月が顔をだし、斐伊川の川面に青白い月影をおとす。しかし、峯寺に近づくと再び天気が変わり、雨がぽつぽつふりだす。峯寺は160mの山の上にぽつんと鎮座しているため、山道を昇る。山道に入ると雨は雪に変わり、高度がますにつれ次第に雪の量も多くなっていった。

ご住職「明日万が一雪が積もって山道が通れなかったら除雪車を頼みます。積雪が15cmまでならスタッドレスタイヤがあれば上れますが

 大雪が降ったらチベフェス以前に、寺が孤立して我々は救援の対象となると思う。

 峯寺につくと、チベット・フェスティバル実行委員会という名の渡部秀樹さんの同窓会メンバーがすでに同窓会を始めている。

 私は「雪の峯寺」は初めてだったので、雪見キャンドルをしてみたくて、準備してきた。紙コップにアロマキャンドルをいれ、コップにはチベット旗、Long Live Dalai Lama、私利私欲に基づくMy bird forever!(笑)などを貼り付けると即席キャンドルのできあがり(ただ紙なので炎上に注意してね!)。
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 夜はみなで峯寺自慢の精進料理を戴きながらキャンドル鑑賞をした。雪の中のキャンドルは、思った通りに幻想的で、暖かい光を放ち、綺麗だった。

●12月7日

 明けて7日。雪はふっていないどころか、気温が上がって降った雪が溶け始めている。今日は満月である。ご住職は全く意図していなかったらしいが、神在月の出雲の満月で神仏霊場の一角をなす峯寺でお話をするとは実にもったいないシチュエーションである。
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 朝は本堂でお護摩が焚かれた。峯寺は大峯修験の寺なので、導師の周りを、先達と呼ばれる四人の山伏が取り囲んで護摩を焚く。法螺貝がプォプォーと吹かれ、山伏が斧をかかげたり、剣をぬいたりして口上を述べ、パフォーマンスが面白い。今は廃れた神仏混交・修験道の伝統が残っている。

 お護摩の最後には参拝者もお護摩の煙を頂戴して、山伏の方がわれわれの背中を錫杖で叩いてお祓いをしてくれる。咳が止まらないのでとまるかな~と期待したが、加持のあとも止まらなかった(笑)。

 そのあと、みなで精進料理とチベットのテントゥク(すいとん)をいただき、会場準備がはじまる。人出は足りているみたいなので、厨房に行くとチベット茶の準備をしている。咳の止まらない私がここにいてみなに風邪が蔓延するのもどうかと思い、邪魔にならない場所を探すうちに、良い場所を見つけた。庫裡の受付である。

 そこは一言でいえば玄関脇にある四畳半の事務所であるが、新聞が載ったこたつがある。こたつに手を入れると暖かい! 私はお寺に断ることもなく、迷わずこたつに入り、新聞の書評欄とかを読み始めた。時折、山門の雪が、下にとまったスタッフの車のボンネットの上にどかどか落ちていく。なごむ。客観的に考えてみると、皆が忙しく働く中、勝手に暖かいところを探して休んでいる私は、猫以外の何者でもない。

 しばらくすると、私を捜していたご住職が「あ、ここか」とやってきて、「能海寛研究会の岡崎さんがお見えになって、先生にお会いしたいとおっしゃっているのですが」

私「私の家ではありませんが、どうぞどうぞ」と岡崎さんにコタツをすすめる。猫よりずうずうしいかも。
 
 能海寛は1903年、チベットに潜入しようとして雲南で失踪した僧である。江本嘉伸氏の『能海寛チベットに消えた旅人』が最も手に入れやすい評伝であろう。彼の生地であるここ島根には能海寛研究会も存在している。私は最近ダライラマ13世の時代、すなわち能見が潜入しようとしていた時代のチベットの研究を行っているので、折があったらそちらの資料館にお邪魔させて頂きますと申し上げる。

 岡崎さんは「先生はいける口ですか」と聞かれたので、「たまに飲みますが」と言うと、アゴ(トビウオ)の燻製をお土産に下さった。キョーレツな臭いのする干物をいただくと、さらに猫のような気分になってきた。

 そして、来年私のゼミにやってくる島根のお寺出身のWくんのお父さんが来て下さった。お父さんの大学時代の同級生が私の知っている方だったりして、不思議なご縁を感じる。お父さんのお土産は「アゴのかまぼこ」。さらに猫気分がもりあがる(笑)。

 チベフェスの最初のプログラムはドキュメンタリージクデル。詳しい内容は過去のエントリーを見てね。

 次が探検家・写真家の渡部秀樹さんのスライドトーク「山から見てきたチベット」。チベットでは山は神そのものなので、西洋のスポーツである登山は土地の方にとっては不敬な行為となる。渡部さんは東チベットの無名峯の調査をする中で得た、土地の人々が山に対してよせる思いや、山の名前を決定するに際して調べた山の神の名前などについてお話をされた。

 渡部さんはここ松江の出身で、高校生の夏休みに担任の先生に峯寺の観音堂につっこまれて合宿をしていた。その後、県外にでた渡部さんは、仕事の傍らチベットの山々を登っていたが、2008年にチベット蜂起がおきた。チベットに多少なりとも関わっている人はみな心を痛めていたあの時、渡部さんはいろいろ調べているうちに私のこのブログにいきついた。

そこで、峯寺とチベットの関係を知り、懐かしくなった渡部さんは、30年ぶりに峯寺の門を叩いた。紅顔の美少年がアフガンゲリラに変貌していたので、峯寺のご住職も奥様も当初誰か分からなかったそうだが、すぐに「ああ、あの・・・」となり、思い出話に花が咲いた。

 その中で衝撃の事実が明らかになる。先代の住職は三人の女の子に恵まれたのだが、寺を嗣ぐ予定の第三ご息女妃女さんが、大阪の平岡家に嫁いでしまったため、現在のご住職快遍さんをお迎えした。この快遍さんのお父上が高校生の頃の渡部さんを峯寺の観音堂にたたき込んで自分は海外旅行にでかけた担任だったのである(笑)。

 つまり私のブログが峯寺と渡部さんを30年ぶりに結びつけたのだ。渡部さんが松江のかつての同級生に声をかけてこのチベフェスが始まった。不思議なご縁である。私は両親も兄弟もいないが、何かよく分からないご縁でいろいろな方とつながっているのが感じられて、とても不思議であった。全く孤独な存在なんてこの世にはいないのだなあとしみじみ思う。

 そして、14:20分くらいから、私がガワン先生の晩年のご様子、亡くなられた際のエピソード、4才になった生まれ変わりが今回、前世の弟子である平岡先生と再会した時の様子などをとてつもなく濃いエピソードととも話す。この講演をするために日記を検索して時系列にまとめていく作業を行う内に自分でも面白いと思っていた内容だったので、やはり、来場者にもうけた。まあこの峯寺のお嬢さんが主人公の一人なんだからリアリティがあるよな。
 
 こうして、無事出雲チベフェスは終わった。飛行場の出発ロビーにはしまねっこという島根のゆるきゃらの像が置かれていた。出雲のお社を頭にかぶった猫で、名前はただの親父ギャグである。しかし何か親近感を感じ、ご住職に頼んでツーショット写真をとって頂く。島根といえば、出雲大社、竹島、ラフカディオハーン、能海寛、中村元記念館、古事記、と文化の香りが漂うイメージだが、このしまねっこはその全てを無力化する脱力キャラである。
 
 私もしまねっこのように、脱力キャラであると同時に文化の香り発信する高度な技を磨いていこうと出雲の空に誓ったのであった。
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● 近畿の社寺は
海野 | URL | 2014/12/10(水) 16:04 [EDIT]
法隆寺や東大寺、伊勢神宮をはじめ、近畿の著名な古社・古寺がゴッソリ参加している「神仏霊場会」という団体があって、積極的に「神仏同座」、「神仏和合」を推進しています。同会の現会長・石清水八幡宮の田中恆清宮司は、神社本庁の「総長」職も務めている方で、だから神道のメインストリームは「神仏和合」に舵を切っている、という印象をもっていました。
ただ、「御朱印集め」関係の情報を収集してみたところ、近畿の外側では、「寺院の印がある朱印帳への授与を拒否する神社があちこちにある」とも聞きました。
 実際には、まだまだ過渡期・・・・・・ということでしょうか。

※URLには「霊場会」の公式サイトのものを記入しました。

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