白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2015/05/25(月)   CATEGORY: 未分類
チベットの古典と現代小説の翻訳、続々刊行!
星泉先生 (東京外国語大学)と先生が主催する購読会から、古典『チベット仏教王伝』、チベット語現代小説『雪を待つ』、『ハバ犬を育てる話』の翻訳が立て続けに出版されたので、ご紹介(但し『チベット仏教王伝』は表紙にのる名前は監訳の今枝先生)。

 古典の方は歴史書なので比較的正確なコメントができるかと思うが、現代小説については専門外なので、単純に読んで見た「個人の感想」になります。
 そこのところよろしく!
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●ソナム・ゲルツェン著『チベット仏教王伝』(岩波文庫)
古事記・日本書紀に描かれる神話的な国の始まりと神々の子孫、すなわち天皇家のイメージが、日本史に歴史的な影響力を及ぼし続けてきたように、11世紀以後に成立したチベットの歴史書においても、チベットの国をひらいた観音菩薩のイメージはチベット史に大きな影響を与え続けてきた。具体的に言えば、チベット史に輩出した聖者や聖王は観音菩薩の化身とされ、現在チベット人の統合の要であるダライラマは観音の化身と崇められている。

本書は、14世紀にサキャ派のソナムゲルツェンによって著された『(原題)王統明示鏡』(rgyal rabs gsal ba'i me long)の翻訳である(全訳ではなく開国の王ソンツェンガムポ王の死のところまで)。本書のテーマは前出した「チベットを導くただ一つの神性 観音菩薩」をテーマにした、歴史物語であり、他の年代記とくらべても説話の部分が充実していて読ませてくれる。
 
あらすじについてざっくり話すと、このような感じである。太古の昔、観音菩薩は赤い丘(マルポリ)の上に出現し、そこから命あるものの苦しみをご覧になって、「私はすべての生き物、とくにチベットの人々を幸せにしよう。」と誓いを立てた。観音菩薩はチベットの岩猿とインドから修行にきた菩薩の猿の結婚を祝福し、この夫婦から生まれた小猿がチベット人の祖先となった。小猿は始めは毛深く尾もあったが、恐るべき早さで人に進化し、観音菩薩に文化を授けられた。そしてチベットの人々の精神が十分成熟してきたとみてとるや、観音菩薩は心臓と左右の目より光を放つと、心臓の光はチベット王妃の胎に入り、両目の一人はそれぞれネパールと唐の王妃の胎に入った。チベット王妃からは長じて後にソンツェンガムポ王と呼ばれる男児が生まれ、ネパールと唐の妃からは後に同王の妃に迎えられるティツゥン妃と文成公主が生まれた。男児は13才で即位すると、かつて観音が出現した赤い岡の上に宮殿を造営し、チベットを統一し、チベット文字を作り、ネパールと唐から妃を娶り、二人の妃はそれぞれの国からチベットへ仏教をもたらした。

早い話が、ソンツェンガムポ王は観音の化身、両妃はターラー菩薩の化身なのである。ここで描かれる、チベット人は観音によって祝福されて生まれ、観音によって文化を授けられ、観音によって導かれてきたという歴史観が観音菩薩の化身と崇められるダライラマの信仰へとつながっていく。
 本書に含まれる説話でとくに面白い箇所は、ソンツェンガムポ王がネパールと唐から妃を招く際に、舅から様々な謎かけをされて、それをといて他の求婚者たちを退けるシーンである。六字真言の由来、今もラサのチョカンやポタラ宮に祭られるさまざまな仏像の由来ももりだくさんなので、ラサ観光のお伴にもどうぞ。

 次に現代小説二冊の新刊をご案内。いずれも東北チベット(現青海省)出身の作家によって口語のチベット語で記されたものである。
 
タクプンジャ著『ハバ犬を育てる話』(東京外国語大学出版会)
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 著者のタクプンジャ(1966-黄南チベット族自治州出身)はチベットの人気作家である。本書に含まれる短編一つ一つの作品を一行で紹介すると、
「ハバ犬を育てる話」(2006)、愛玩犬(ハバ)の話かと思って読んでいくと実は阿諛追従で人にとりいっていく浅ましい「権力の犬」の話だったよ(笑)。
「犬」(1996)、犬の死体を隠そうとする男が、被害妄想に陥っていく話。
「罵り」(1993) 、タクプンジャの最初の妻が夫婦げんかの際になげかけた罵りがそのまま小説になったのか。
「一日の幻」(1990) 、遊牧民の老人が臨死で一瞬の中に一生を追憶・走馬燈しているような作品。
「番犬」(1990)、忠犬が飼い主を搾取するものたち(徴税人・ラマ)に食いつき続けて、社会はそう簡単じゃないので、結果犬が死に至ってしまう痛ましい話。
「貨物列車」(1988)、走る列車をみて喜ぶチベット人の子供。だけどチベットに行く貨車は空で北京に戻る貨車は満杯だよ。中国によるチベットの資源収奪を静かに告発。
「犬と主人、さらに親戚たち」(2002)、文革の頃の犬殺し運動が、あるチベット人の一族に残した深刻なトラウマを描く。現在起きている問題について高僧が「過去のカルマだから受け入れよ」ということによって、村人が納得することに、なんとなくほっとした。
「村長」(1999) 、私利私欲に走る村の書記を村長が長老的な手腕で改心させる話。
「道具日記」、職場の力関係 (笑)。

 彼の三期に画期される作風については星先生の解説に詳しいので、ご覧あれ。どの作品も非常にわかりやすい言葉で語られていて、チベットの牧民や役所つとめのチベット人の生活や心象風景がリアルに活写されている。彼の小説では、しばしば犬が重要なモチーフとなって現れるのだが、これはおそらくアムドの遊牧民にとって、犬は番犬であり、羊の群を狼からまもる牧羊犬であり、家族であり、ようは身近な存在であり、観察者にさせても、人になぞらえても、狂言回しとして使っても違和感がないからであろう。

 個人的には「村長」が一番面白かった。
 舞台となるのは税金も払えない、役人も接待できない、ないない尽くしの極貧のチベット村。村長と書記が二頭立てで村を経営しているが、この二人が対照的な性格であり、村長は昼夜村のことを考えて自分のことは後回しにして働き続け、結果体をこわして血を吐いているけど周囲に隠しているような利他的な人で、15キロもはなれた役所にせっせと通っては村のために陳情を行う日々。

 一方の書記は樹木の違法伐採によって私腹を肥やしているが、公益のためには一銭もださないケチ。会議にはでてこないし、ウソも平気でつくし、真っ昼間から若いモンを集めて賭博を開くという、一言で言えば人間のクズ。村の顔役たちはそんな書記を苦々しく思い、罰そうと思っているが、村長は人々に「そんなやり方ではダメだ。根本的な解決にならない」と押しとどめている。では、村長にとっての根本的な解決は何かと言えば、これ以上話すとネタバレとなるので、「村長の神対応」、とだけ言っておく。

 この小説で描かれている貧乏村の姿は、中国政府支配下のチベットの田舎のリアルな描写であると言われており、つまり公式文書では決して見えてこない部分を示してくれる、歴史的なテクストであるので、私的には面白かった。

ラジャムジャ著の長編小説『雪を待つ』(2012年 勉誠出版 星泉訳)
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 チベットの半農半牧のマルナン村の子供達四人の人生を描いた長編小説である。作者のラジャムジャ(1977-)は海南チベット自治区に生まれ、北京の中央民族大学で仏教を学んでいる。主人公となる四人の子供は、村長の息子のボク、洟垂れタルベ、長老の孫娘セルドン、転生僧のニマトンドゥプである。第一部は彼らが中学にあがるまでの子供時代の話、第二部は30代になった彼らのその後である。前半の時代は文革が終わり僧院復興する80年代で、伝統が蘇ると同時に村に小学校が建設され、電気が引かれるなど急速に現代化が進む時代であった。作者はこの時代を貧しいけれど美しい時代として描き、さながらチベット版「三丁目の夕日」である。

 そして、第二部は現代である。子供たちはそろって残念な大人になっており、それに比例して村も残念な状態になっている。まず初の知識人なのだから、村長あたりをやってなければいけない「ボク」は、町で研究者になって、漢語しか話さないチベット女性と結婚している。故郷のことを案ずるのに帰れない「ボク」に、妻は容赦ない批判をあびせるが、ボクは「チベット語もしゃべれないくせに。お前には分からない」とかいうから、喧嘩が絶えない。故郷と向き合っていない自分の後ろめたさを、妻にぶつけているのが明かで、見るに堪えない(笑)。

 で、ボクと結婚するはずだった美しい長老の孫娘、セルドンは大学におちて「ボク」と一緒に進学できなくなると、失踪し、ラサで風俗嬢(!)になる。ボクがだらしないからセルドンがこうなるのじゃ!

 で、私が最も期待していた、転生僧のニマトンドゥプは衆僧に傅かれていたのに、修行に行った先の西寧のクンブム大僧院で世俗に接触して、僧院長の座をすててこれまた行方不明。クンブムはダメなんだよ、あそこに送るくらいなら、ラサの大僧院の学堂に留学させたら、彼の人生も多少は変わっていただろうに。

 私が最初から全く期待していなかった洟垂れタルベは、なんと村長になっている。しかし、小学校に通っても一文字も覚えられなかった素晴らしい頭脳であるため、近視眼で、隣村(遊牧村)との境界争いに明け暮れており、村の状況はどんどん悪化していく。

 このあたりまで読んでくると破滅の予感が満載で、巻をおくことができない(笑)。 仮に、知識人のボクが村にもどっていれば、「チベット人は同じ民族なんだから仲間割れをせず、団結しよう」とか言って事を収められるのに、洟垂れが村長だから、「土地を取られた」とか、「女を取られた」とかいう実に感情的な動機で、粗暴な争いを始めよとしている。
 もしニマトンドゥプがマルナン僧院でちゃんと僧院長を続けていれば、地域の争いなんがラマの一声で調停できる。なのに、ニマトンドゥプは失踪の後、還俗し、骨董品ブローカーになってチベット人の家々から古いものを二束三文で買いたたいては大もうけをしている。精神的に仏教を捨てたばかりか、その捨てたもので、商売をしている。爽やかなまでのクズっぷりである。

 ボクと結婚して村長夫人になるはずだったセルドンは、ラサで風俗嬢からバーのママに昇格している。思えばセルドンが一番可哀想。ボクが好きだったのに、ボクが優柔不断だから、この娘はこうなっちゃったんだよ。三人がこんなだから、器でないタルベが村長になって村はダメになっているんだよ!!!!

 村が隣村と一触即発の状態であるというのに、、ボクは相変わらず、故郷に戻る決心がつかずウジウジしている。このボクの心性はなんなとく、亡命チベット人が内地のチベット人に向ける複雑な思いに似ている。故郷から離れて、町中で異邦人と長く暮らしすぎた結果、大地と密着したアイデンティティを失い、何者でもなくなっていく。しかし、村の外にでたことによって、民族とか国家とかの広い視野から自分たちの故郷の生活や文化を見ることににより、そのがかけがえのなさも分かっている。故郷は恋しい。しかし、もはや故郷の一員ではない。ボクは複雑である。
 一方、一度も村からでたことのないチベット人たちは、確かにチベット人性を生きてはいるが、あまりにもローカルであるために、目の前のものしか見えておらず、チベット人同士で争っている。

 ラストは三人が故郷の村に帰るシーンで終わる。しかし、この三人が帰ってきたからといって、村に明るい未来はあるのだろうか。だって三人には紛争調停能力は皆無である。村長の息子なのに町にでた優柔不断男、美人なのにラサで春をひさいでいた長老の孫娘、僧院長の座を捨てた骨董品ブローカーってこの悪夢のトリオに何ができるだろう。できないでしょう。

 とくに腹が立ったのは、ラストのラストで元転生僧のニマトンドゥプが村に小学校を建てようとしたこと。これ、もし作者が明るい未来を暗示して入れた挿話なら、成功していない。だって小学校を建てるお金、ニマトンドゥプが村に伝わる古代の鐘を夜陰に乗じて盗み出し、売り飛ばして手に入れたものですよ。また、ニマトンドゥプは元僧侶なのに、寺院をたてるか、小学校をたてるかって時に、小学校を選んだのも、彼が二度チベットの伝統を踏みにじったことになり、不愉快。

 この三人には少し反省してもらいたい。三人とも、村からでた後、何者でもないものになって漂流して決して幸福ではなかったのだから、そこから少しは学びなさい。まず、ボクは村に戻って村長に就任し、セルドンと結婚しなさい。ニマトンドゥプはもう罪深い仕事はやめて速やかに次の生に向かいなさい。で、ボクとセルドンの間の子供として再生して、今度こそマルナン僧院の僧院長の座を全うしなさい(留学はできたらラサのゴマン学堂に入れ!)。こうすればすべてが丸く収まるんだよ、と叫んで本を閉じたのであった。

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| | 2015/05/30(土) 14:40 [EDIT]
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● お誕生日おめでとうございます
XYZ | URL | 2015/06/06(土) 20:37 [EDIT]
今日はせんせの誕生日でしたね
おめでとうございます
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| | 2015/06/08(月) 23:20 [EDIT]
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| | 2015/06/11(木) 21:45 [EDIT]
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| | 2015/06/12(金) 20:51 [EDIT]
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