白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2015/08/05(水)   CATEGORY: 未分類
五台山パノラマ地図の謎
 猛暑日が続き、環境破壊の果ての文明の滅亡がカウントダウンで感じられる今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は休みに入り研究三昧といいたいところですが、暑さと体調不良と雑務でいまいち研究が軌道にのっておりません。しかし、最近ちょっとおもしろいことが分かり、かつ、涼しいテーマであるので暑中お見舞いがてら漫談します。

 中国の山西省にある五台山という山は、美称を清涼山といい、古来聖地として知られる。古くは日本の様々な仏教の宗派の源流はここから発し、モンゴル帝国以後は、チベット仏教の聖地として、モンゴル人・チベット人の巡礼で栄えた。前のエントリーで扱ったように、1908年に亡命中のダライラマ13世が滞在して各国大使と謁見したのもこの地である。

 五台山がなぜ聖地なのかといえば、『華厳経』に記される、文殊菩薩の聖地、清涼山と同一視されてきたからである。文殊は東に位する菩薩であるため、インドからみて東方をすべる中国皇帝は、しばしば文殊菩薩の化身とみなされた。結果歴代の中国皇帝の信仰の対象となって五台山(清涼山)は栄えまくったのである。革命が起きるまでは。

 この五台山のパノラマ地図についてここ二~三日調べておもしろいことが分かった。
 一昨日、早稲田の図書館に民博からとりよせた本をみにいった。それはフィンランドの国立博物館で行われた1987年のチベット絵画の展覧会の図録「大円鏡智。フィンランド国立博物館の仏教美術(Mirrors of the void: Buddhist art in the National Museum of Finland)」である。

※最近は図書館間の連携により自分の所属する図書館にない本は、それを所有する図書館からかり出すことができるのだ。全国のどの図書館にあるかはnacsis検索で調べる。この図録はこの検索で調べても民博の図書館1館しかひっかからなかったので、レアである。

で、この図録の中に五台山のパノラマ絵図(五台山聖境全圖)をみつけた。そして、なにやら既視感があったので、自分の過去のノートを検索してみると、ちょうど10年前の2005年に東洋文庫の閲覧室で似たような絵を見てノートをとっていた。図の名前も、チベット語・モンゴル語・漢語の三体字で描かれた標題も一致する。
東洋文庫でみた地図は確か箱に入っていて、和碩博多勒口葛台親王之宝(ホショ・ボドルガタイ親王の宝)というハンコがオされていて、元朝のトゴンティムールの時代と記されていた。しかし、その地図はどうみても元末のものでなく、どちらかというと清末なので、どう扱って良いかわからず、結局論文にはならなかったのである。

で、フィンランドの図録の解説を読み進んでみると、このパノラマ地図は1909年にラムステッド伯爵によってウルガ(現ウランバートル)にある五台山工房から購入したものだという。1909年! ダライラマ13世が五台山に滞在した翌年だ。ラムステッド(1873-1950) は1920年、初代フィランド公使として東京にきて、東京大学で教鞭獲って金田一京助とかに影響を与えたアルタイ言語学者である。東京にくる前はモンゴルや東トルキスタンで学術探検隊に参加していたので、その頃のお買い物。

 さらに、フィンランド博物館所蔵版の地図の上部左上には、この地図が慈福寺(五台山中の寺の一つ)において道光26 年(1846)に開版されたことが記されている(東洋文庫版はこの部分文字がかすれて見えない)。えええ、じゃあ、東洋文庫版の元末って、さば読みすぎ(笑)。

 ちなみに、東洋文庫版におしてあった印のホショ・ボドルガタイ親王とは内モンゴルのホルチン左翼後旗のジャサクである。この人は東洋文庫にくる前の持ち主と思われるが、地図が元末ではなく道光年間成立した真実をしっていたのだろうか(笑)。いたとしたら悪質~。

 で、フィンランドと東洋文庫にあるなら他の場所にもあるだろうと、google様にお伺いをたててみたところ、アメリカの議会図書館Library of Congress とわれらがRubin Museumに同じ版の所蔵があることがわかった(以下写真はクリックすると大きくなります)。

※Wen-shing Chouの論文 Maps of Wutai Shan: Individuating the Sacred Landscape through Color の註7において、世界にこの他に14のコピーがあることを明らかにしている。これによると、東京のお茶の水のたぶん湯島聖堂?にもあるみたい。東洋文庫のものは触れられていない。

Rubin.jpg

 議会図書館には彩色前の地図もあるのでそれを二種類と数えると、東洋文庫バージョンを含めて現在5つの五台山聖境図が世界に確認できたことになる。

 議会図書館のサイトではこの地図の高画質のデジタル情報がダウンロードすらできる。サイトの情報によると、この地図は、ハンメル・アーサー・ウィリアム(Hummel, Arthur William, 1884-1975)が1934年に購入したものであるという。ハンメルは中国を布教の地とするアメリカ人の宣教師で、議会図書館のアジア部門のトップであり、中国で議会図書館のために多くのアジアの美術品を購入していた。

 しかし、話はそこで終わらない。高画質の地図を拡大してみてるとおかしなことに気付いたのである。チベット語の題字の下に月の絵が描かれていて、ていうか、月の絵の中に「月」て漢字が書かれている(笑)。
こんな感じ↓
タイトル

その横に近代的なスタンプが押されているのである。これ↓
スタンプ
 JAN 15 1905
と読み取れる。購入年の1934年と違うじゃないか。そこで、上下の英語を気合いで読み取ると、

Map Division
JAN 15 1905
Library of Congress


どうみても1905年1月25日に議会図書館の地図部門にこの五台山地図が納入されたってスタンプな気がする。でも、ハンメルはこの年学校卒業したばかりなので、中国で地図を買うのは無理(笑)。

 じゃこの地図の購入者は誰なのだろうか。推測にすぎないが、この時代、チベット関係で東アジアをうろうろしていたアメリカ人といえば、ロックヒルあたりが怪しい。彼は1988-89年までにチベット潜入を行おうとして失敗し、1908年には五台山でダライラマ13世と会見している。彼は時のアメリカ大統領ルーズベルトに、ダライラマのプレゼントともに感動の会見記をながながと書き送って、、それらは議会図書館に納入されているのである。

※てなこといってたら、前述のWen-shing Chou論文は、議会図書館には複数の五台山図が入っていて、1905年版はロックヒルによって入庫していることを指摘している。やっぱり。で、もう一方の彩色されていない版が1934年にハンメルによって購買入庫したとのこと。

 こういうわけで、東洋文庫版も議会図書館版もみな箱書きや、スタンプが怪しいものの、1906-1910年のダライラマが青海省・五台山に周辺に滞在していた時期に購入された感が満載なのである。

 20世紀の最初の十年間、ダライラマはまちがいなく東アジアに滞在していた帝国主義のプレーヤー(探検家・軍人・学者・宣教師)たちの台風の目であった。この五台山地図の謎の購入者たちも、五台山や北京やウルガですれ違っていたのであろう。

 そう考えたのも、8月3日に東洋文庫で開催された東洋学講座で、片山章雄先生のお話の中で、マンネルヘイムが1906-1908年の探検でもたらした断片的な資料は、同時期に新疆をうろうろしていた日本の大谷探検隊、ドイツの探検隊がそれぞれの自国にもたらした断片的な資料とつなげると、一つになるという話を聞いたから。
 
 確かに、私の前世が20世紀初頭、研究者ではなく、蘭州あたりで古物商やっていたとしたら、手元にある古代文献をびりびり四等分して、ドイツ人、フランス人、フィンランド人、日本人などの探検家に売りつけていたかもしれない。一枚なら一枚分の値段しかとれないが、四枚にちぎれば四倍の値段が受け取れるから。そして、版木でする地図なら何枚でもすれるから、そりゃ日本人にもアメリカ人にもフィンランド人にもせっせと刷って色をつけてうったかもしれない。

 研究者的にはありえない古物への態度であるが、紅衛兵のように破壊するよりゃいい。彼らが売りまくってくれたおかげで、こうして私は五台山パノラマ地図を目に出来たのだから。

 版木があったはずの慈福寺(かつてはチベット寺)はいまも五台山内にたっている。しかし、その寺のサイトには寺宝などは何ものっておらず、住職も今やモンゴル人やチベット人ではなく漢族がやっている。地図の版木はすでに失われているのだろう。古いものは外側の建物だけで、中身は人から儀式まですべて漢族のものに入れ替わってしまった。

 歴史を研究するものが記録しておかないと、かつての五台山の姿も忘れられてしまう。今度こそこれを何らかの形で紹介なり論文化なりしないといけないと切に思ったのであったった。
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