白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2015/08/15(土)   CATEGORY: 未分類
祝! ダツァン100周年
 今年は終戦70年なので、とくに終戦記念日のある八月は、東アジアの某国でナショナリズムの暴走の可能性が高い。従って、駐在企業もぴりぴりしているだろうなと思ったら、反日デモは勃発せず、天津大爆発で国籍関係なく多くの企業が被害をうけた。チャイナリスクも奥が深い。しかし、日本の桜島も噴火レベルがあがっているし、たしか九州の火山は噴火するとハンパない被害をもたらすので(鹿児島のあの湾は噴火口)、ジャパンリスクもハンパない。

 去年のお盆は大阪の清風学園ご一行様について南インドのギュメ大僧院を訪れていた。当時の僧院長は九月に任期を満了して、当時の副館長が今年館長に昇進されている。そして空席となった副館長の座に日本にもよくいらしてくださっているゲン・ロサン先生が即位されたことは、関係者の間では有名である。しかし、今ギュメに滞在中の平岡先生の話によると、ゲン・ロサン先生はご体調がよろしくなく、職を辞すことを申し出たという。一刻も早い快癒をお祈りします。

 去年、私がギュメに滞在していた際、クンデリン・リンポチェがいらしたのは、クンデリンの指導僧がゲン・ロサン先生であったため、師匠の就任に先駆けて先にギュメに移っていたらしい。あの時、名跡のラマと遭遇した私は、早速ずいずいインタビューにいき、リンポチェに「博士号をとると、海外での布教に入られる方が多いですが、リンポチェはそのような予定はありますか」とお伺いしたところ、リンポチェは「昔仏教国だったところに行きたい」とおっしゃっていた(過去のエントリーはここ)。
 で今年、「クンデリン・リンポチェはどうしているかな」と検索してみると、6月の末から8月の頭までロシア・ツァーをしていることがわかった。なんとゴマン学堂にはロシア語のサイトがあり、そこからクンデリンのロシアツアーの記事と日程をまとめるとこんな感じ(ロシア語わからないのでgoogleが訳してます笑)。


クンデリン・リンポチェはロシアにおいては、モスクワ、トヴァ、ブリヤート、カルムキアを訪れる予定。
モスクワにおいては無上ヨーガタントラの中の一尊形ヤマンタカの灌頂と法話を授ける。灌頂を授かったものは、日常の勤行を行うことが義務づけられる。
 クンデリン・リンポチェの前世はモンゴル人の精神的な指導者であったジェブツンダンパ9世(ハルハ・ジェツゥン・トンドゥプ)の師匠であった。現クンデリン・リンポチェは13世で、デプン大僧院ゴマン学堂においてもロサン・ツゥルティム博士(ゲン・ロサン先生のこと)の指導の下、学習期間を終えた。
ダライラマ14世のご意向により、クンデリンは博士の最高位(ゲシェ・ララムパ)をめざす6年の修行期間とギュメ大僧院における密教の修行を完成させることが決定された。

6/26~6/28 モスクワ滞在
7/3~7/8 カルムキア共和国滞在
7/10~7/13 トゥバ滞在
8/8~8/11 ペテルスブルグ滞在


そう、現在ロシアがある地はモンゴル人の居住域ともかぶっているため、カルムキア共和国、ブリヤート共和国、トゥバ自治国などにはチベット仏教徒がたくさんいる。かつてこれらの地の仏教は社会主義革命によって壊滅的な打撃をうけた。1991年のソ連の解体の後、ほそぼそと復興が始まっており、クンデリン・リンポチェはそのような地を選んで回っている、まさに「昔仏教国だった国」と去年おっしゃっていたのはこれかと思いあたる。

 で、なぜ今なのかを推測するに、それは丁度100年前の8月10日、ロシア帝国の首都サンクト・ペテルスブルグに初のチベット仏教寺院がドルジエフ(ダライラマ13世の側近)によって落慶したことと無縁ではないと思う。クンデリンのロシアツァーの8月10日を確認すると、ペテルスブルグでドルジエフがたてた寺で法要を行っている。おそらくはこのツァー、ペテルスブルグの寺院の100周年を祝う意図をもってくまれたのであろう(ダツァンを訪問して僧院長にただしたら違う、法話にこられたのだとおっしゃっていたが本当のところは分からない。)。

 この寺の建立の経緯については、英語論文だとAlexander Andreyev によるThe Buddhist Temple in Petersburg and the Russo-Tibetan Rapporachmentを参照されたい。ウィキペディアはまあこの論文の情報をよく要約していると思うので以下にはっておく。
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グンゼチョイネイ・ダツァン(通称ダツァン)
1900年、チベット僧でブリヤート出身のアグワン・ドルジェフが首都に仏教寺院建立の許可を受け、ダライラマ13世より建設資金が提供された。建設委員にはニコライ・レーリッヒ、ウフトンスキー、オルデンブルクなどの東洋学の大家が名を連ね、設計はパラノフスキが行ない、純チベット様式のものが設計された。 1909年より建設が始まり、建設費用はロシア帝国内の仏教徒の浄財とドルジェフ、ダライラマ13世、ジェブツンダンパ8世からの寄付金で賄われたが、最終的な寄付額は予定額を越えたという。1913年に第一回仏教者会議がロマノフ王朝300年記念祝典とともに開かれ、弥勒菩薩像をタイのラーマ6世が寄贈し、1915年8月10日に開眼法要が行われた。このときの導師はドルジェフとイチゲロフであった。

 チベット寺が落慶した時、記念金貨が発売されているのでその写真もはっておく。
buddhisttempleCoin.jpg
チベット語とモンゴル語は完璧に逐語訳で、寺院の正式名称である「全てを愛する釈迦牟尼の正法の泉」をのせ、ロシア語はスペースの関係か「仏教の神殿」(笑)。
kun la brtse mdzad thub dbang dam chos 'byung ba'i gnas
bükün nigüleskügci burqan-u degedü nom γarγaqu yin oru

チベット・モンゴル・ロシア語三体字合壁であることは、ロシア皇帝ニコライ二世を施主と考えていたことを示していて興味深い。その後まもなくして社会主義革命により寺は機能停止し、ドルジエフは粛正の嵐の中で獄死した。ある意味この「ダツァン」は原爆ドームのような悲劇の目撃者である。

 そろそろ当代のジェブツンダンパ(クンデリンの前代が前代のジェブツンダンパの師匠)の認定が行われる時期なので、クンデリン・リンポチェはこのあとはモンゴルに向かい何らかの認定作業にたずさわる可能性もあり。クンデリンがこのように精力的にロシアやモンゴルでの活動を行ってているのは、彼の属するゴマン学堂が17世紀より伝統的にモンゴルを布教対象としていたこともあるが、彼が若手のトップだからでもある。

 転生僧が堕落することなく無事に成人し、その上学問もできるようになることはよくある話ではない(甘やかされて還俗とかいう目も当てられない例もあるある)。クンデリンはそのめったにない例である上、非常に名跡の転生僧である。ダライラマ14世は、復興した寺においてもチベット同様、戒律を守る僧が厳格な僧院生活を実現することを望んでいる(ロシアやモンゴルの僧は妻帯者が多く、勉強にもあまり力が入っていない)。従って、その手本を示すためにも戒律を保持して学業を完成したクンデリンは先頭にたつ意味があるのである(モンゴル、カルムキア、ブリヤートの僧侶たちはゴマン学堂に留学するのがならわしなので彼の一部はご学友でもある)。

 欲望全開の21世紀にあって僧院世界を移植する作業は困難を極めるだろう。しかし、現在の社会の諸問題はいうまでもなく人類が欲望を全開した結果の産物であり、これを解決しようとすれば、やはり欲望をコントロールするしかない。

 チベットの高僧たちは日本人の悩みに対して、つねに高次のレベルから明快な答えをだしてくれる。

彼らは「心を整えなさい。それを毎日続けなさい。そうすればいつかは必ず人格者になっていく。私は昔は怒りっぽかったが、毎日心を整えて、悪いところを反省しつづけたら、今はこんなだ、わっはっはっ」。とか言ってくれる。

 それを聞いても、納得できてしまう空気感を彼らはもっている(ダライラマをはじめとして壮絶な人生をおくっていても明るい)。欲望のコントロールを実際に行っている人々の存在に接することは、百万の空言をきくよりも励まされ、変わろうという決意を新たにさせてくれる。
 ロシアやモンゴルでの僧院復興事業が軌道にのることを祈ってやまない。
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