白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2016/02/07(日)   CATEGORY: 未分類
D.ボウイの死を悼むチベット社会
ご存じのとおり、 デヴィッド・ボウイが亡くなった。

 あの70年代の近未来で両性具有なファッションは当時のイギリスのみならず世界のミュージック・シーンに影響を与え、ビジュアル系バンドを世界中で生み出した。彼の訃報に接して、世界中のミュージシャンが弔意を表明し、のみならずドイツ外務省まで、ベルリンの壁を崩した功労者の一人として彼に言及することにより、彼の影響力の大きさがいろいろなところで認知された。

 それは日本においても例外ではない。彼が歌舞伎ファンで京都に別荘があって大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」にでたりしていることもあって、日本にもファンが山のごとくおり、ある程度より上の世代の女性たちにとっては「私たちの王子様がなくなった」的な悲しみが共有された。

 で、彼の音楽と舞台の素晴らしさはそのような方々のブログや記事をご覧いただくとして、このブログではその偉大なるボウイがキャリアのスタート地点(1965)で、ビートニクの小説家ケルアック(1922-) に影響されてチベット仏教に出会っており、その後もずっとチベット問題について心をよせていたことについて述べる。

 チベット社会も彼の死を非常に悼んでいる。チベットのニュースサイトパユル(祖国)の訃報記事がまとまっていたので、以下に和訳してはります。

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ロックスターにしてチベットの友デヴィッド・ボウイが死去 2016年1月12日
Phayul(チベット・ニュースサイト)  テンジンタルポ(Tenzin Dharpo)

ダラムサラ 一月十二日 イギリスを代表する歌手、アーティスト、そしてチベットの友であったデヴィッド・ボウィ、本名デヴィッド・ロバート・ジョーンズが一月十日の日曜日に一年にわたるガンとの戦いの後にニューヨークで死去した。享年69才。

ボウイは仏教に興味をもっていたので、チベット問題とも関わるに至り、2001 年のニューヨークでの「チベット・ハウス」での資金集めのイベントその他にも参加した。アメリカのチベット・ハウスの代表であるロバート・サーマンは自分のフェイスブックの表紙に、「亡くなったデヴィド・ボウイに対する祈りと思い: チベット、ダライラマ、アメリカのチベット・ハウスの偉大なる友」と書いた。
Rod Meade Sperryは「獅子吼.com」(LionsRoar.com)に「若き日のボウイは仏教やチベットに対して興味をもち、一週間に四回ロンドンのチベット・ハウスを訪ねるほどであった」とのべている。

過去50年彼がきずきあげてきた音楽の素晴らしい業績の中でも、ボウイはハインリッヒ・ハラーの『チベットの七年』に触発されて書いたと言われる‘Silly Blue Boy,’のようなシングルと、彼の仏教の師に捧げた曲などを発表している。歌詞には「ラサの山々は雨を感じている。ヤクのバターで作った彫像が太陽の熱でとけていく」といった〔チベットをイメージさせる〕台詞がある。

「チベットの七年」という別の曲は
「大丈夫かい ? あんた、頭を打たれているよ? 私はあんたの脳みそを手にしているよ」といったなまなましい歌詞によって、中国に支配されたチベット人の感情を表現した。
 1997年のラジオのインタビューで、ボウイはこの曲についてこう述べている。
「私はチベット問題について非常によく知っていて何年も親しんできており、しかし、私はチベット問題についてどう感じているかについて実際に意見を表明したり、スタンスを明らかにしてこなかったことに罪悪感を感じていた。だから、私はこの「チベットの七年」がある意味、その補償になると思っている。」

 この曲に隠されているのは、若いチベット人たちの絶望と苦悩である。彼らは家族を殺され、自分たちの国の中で取るに足りない者として扱われてきた。ボウイはさらにこの曲についてこう言及した

「英雄達」(Heroes)、「トム少佐」(Major Tom厳密にいえばSpace Oditiy)といったヒット曲のシンガーソングライター(ようはボウイのこと)も60年代後半、仏教を学んでいて、ある時点では完全に僧となっていた。「1ヶ月間、ぼくは頭を丸めて、戒律を撮って、僧になったんだ」と僧になりかかっていたことを述べた。彼はチベットの〔カギュ派の導師〕チョギャム・トゥルンパとチメ・トゥルク・リンポチェのもとで仏教を学んだ。

 「再発明家」(reinventor)というレッテルを貼られた人は最後のアルバム「★」を発表した二日後に死去した。此処に輯録された曲の一つ「ラザロ」(イエスによって蘇る男の名)は「みるがいい。私は天にいる」という言葉ではじまっている。
ロックスターでありチベットの友であったデヴィッド・ボウイが死去した。


この記事にでてくるチメ・リンポチェ(1941-)は、東チベットのカムに生まれ、1959年の「チベット動乱」に18才でブータン経由でインドに亡命を余儀なくされた。1965年にイギリスの市民権を獲得し、ヨーロッパを説法してまわり、イギリスで最初のチベット仏教のセンターマルパ・ハウスを設立した。
ボウイの死を聞いてリンポチェは彼との出会いの思い出を語り、彼のための法要を行う映像をYoutubeに発表している。


大乗仏教保護財団(FPMT 欧米のゲルク派のネットワーク)の代表ソパ・リンポチェも法要を営んでいる

デヴィッド・ボウイ「チベットの七年」(Seven years in Tibet 1997)


デヴィッド・ボウイ「愚かな若者」(Silly Blue Boy 1967)
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COMMENT

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n. | URL | 2016/02/07(日) 18:26 [EDIT]
早く転生されたらいいなとお祈りいたします。
私も急性白血病の状態が出て、ソナム先生に健康祈願していただき、数値が安定したばかりでお休み中ですが、死を瞑想する良い機会になりました。世界中に仲間がいると知ると元気になりますね。ありがとうございます。
● 布施したからかな
n. | URL | 2016/02/10(水) 15:01 [EDIT]
補足すると、布施の行をしていて年収の2割は財施をしていて、行の布施を会社でやりはじめたらやり過ぎだったみたいで、真言入りのお塩いただき、少しずつ飲んで治りました。
● ご冥福祈念
マサムネ | URL | 2016/02/27(土) 10:26 [EDIT]
チベット社会の氏及び帰幽という事象に対する深い洞察、これに対する日本(マスコミ)の軽薄さには、文化界方面からも警鐘が響いているようです。
https://twitter.com/jp_nishi?lang=ja
これもまた葬送の譜の趣かと。

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