白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2016/03/10(木)   CATEGORY: 未分類
能登・金沢に卒業旅行
今年の四年生と一緒にいられるのもあとわずかなので、能登・金沢に一泊二日で記念の旅へ。歴史も自然もある楽しい旅だった。北陸新幹線で金沢にまでいき、そこからレンタカーを借りて、能登までいきまた金沢に帰って来るという行程。
 
 金沢と能登はかつては加賀藩と呼ばれ、「加賀百万石」と言われた非常に豊かな地域。歴史資源も多いことから、観光産業に力を入れている。駅でもらった無料パンフレットをみてみると、21世紀美術館、石川県立歴史博物館、加賀本多博物館などの大規模な施設に加え、24 にものぼる資料館・記念館などの教育・観光施設、昔の町並みを再現した茶屋街、武家屋敷など、想像以上に歴史の街をきちんと演出している。
つくばいjpg
 金沢市内は道が狭く入り組んでいて、車でまわるのはオススメできない。われわれのワゴン車は大きくかつ、金沢市内の道の複雑さにカーナビがない道を指示するためさんざん迷走した。
 そう、金沢市内は車よりレンタサイクルがおすすめ。30分以内にポートを乗り継いでいけば、一日200円で要所を自在に動き回れる。

 卒業する子たちが主役なので、どこにいくかのコース選定は基本的には彼らにしてもらい、とりあえず金沢が生んだ〔私にとっての〕二大巨頭、西田幾多郎哲学記念哲学館鈴木大拙記念館(1870-1966)をできたらコースに加えてと頼んだものの(二人とも奇しくも1870年生まれ)、惜しくも月曜日で休館。

西田幾多郎「人は人、吾は吾なり」

 代替にまずは、西田幾多郎(1870-1945)の母校であり、教鞭をとった金沢第四高等学校(現金沢大学)にいく。明治時代の建物がそのまま現在は石川四高記念文化交流館として内部公開されており、1階では四高の歴史が解説されている。
 教師時代の西田幾多郎の写真と『善の研究』などが展示されている。西田幾多郎は40才で京大に助教授として迎え入れられるまでこの高校で教鞭をとっていた。ステータス的にいえば彼の一番不遇な時代であったかもしれない。
 幾多郎が後に「人は人 吾は吾なり とにかくに 吾が行く道を 吾は行くなり」と言うたのもこのような不遇な時代に身につけた哲学であろう。
四高

 笑ったのが、四高の学生寮に上級生から下級生に語り継がれている怪談の原稿。
 あと、1941年におきた有名な琵琶湖遭難事故(内田康夫の『琵琶湖周航殺人歌』でもフィーチャリングされている)でなくなった11人の漕艇部員のうち8人がここ石川四高の生徒であったということ。琵琶湖だから関西の学生が犠牲になったのかと思っていたが、金沢の学生だったのか。
 
 西田幾多郎は京都大学を退官したあと、鎌倉と故郷のかほく市を行き来して過ごした。この二つの街の共通点は美しい海が目の前にあること。彼は海を愛していた。

 そこでというわけではないが、次に、海に向かう。金沢のすぐ近くには日本で三番目に大きい内灘砂丘がある。しかし、行ってみると風紋のついた広大な砂浜がひろがり丘はどこにもない。最近いろいろあってなくなってしまったのだそうな(笑)。 しかし天気はよく海も美しい。この海の向こうで北朝鮮が毎回「飛翔体」飛ばしていることさえ忘れれば、ロマンである。
能登海5

 『砂丘』の北から砂浜を固めて車が走れるようにした「千里濱なぎさドライブウェイ」がはじまる。海面に反射した太陽に逆行で照らされながら、波打ち際ぎりぎりを車で疾走すると、車の宣伝のようなカッコイイ絵面となる(え、ならない?)。

サンダーくん

そして、北上したところに、ゆるキャラ宇宙人サンダーくんがバイトをしている羽咋の街がある。ここがコースに加えられた理由は「このゼミは宇宙人が多いからいいんじゃないでしょうか」というA子ちゃんの所望による(爆笑)。

 ここ羽咋の観光の中心は1996年に開館したコスモ・アイル羽咋である。この地は昔からUFOの目撃談が多いため、日本のロズウェルにしちゃおうというわけだ。ゆるきゃらサンダー君は宇宙船が壊れて地球に不時着して船の修理がおわるまでコスモアイルでバイトをしているという設定である。
サンダーくん

 素晴らしい。

 しかし入ってみると意外に展示はまじめで、ソ連のヴォストークの帰還用カプセル、アメリカのマーキュリー計画の宇宙カプセルなど歴史的な宇宙計画で使用された本物がずらずら展示されている。月の砂もあるし、隕石をさわることもできる。「宇宙兄弟」の気分になって楽しい。

 地球外生命体の探索についての世界的なプロジェクトについての説明も詳しく、日本国内のUFO目撃情報をデータベース化してもいる。ふまじめにしようと思えばいくらでもなるところをまじめにアプローチしている。
 クイズ問題を頭数でわって分担して答えたが、私が担当した部分がひっかけで全問正解ならず。すいません。入場券の半額クーポン頂いたので、この施設にいきたい方連絡ください。200円安くなります(笑)。

 そのあと、X-fileをコレクターズBoxでもっている私のたっての希望で、羽咋で昔からUF0がでたという眉丈山に向かう。折りしも日没となりUF0と誤認されることもおおい宵の明星のでる時間。I want to believeな雰囲気になってきた。そして、眉上山についてみると、それは横に長いなだらかな丘で、麓に古い集落がつらなるので、もしここに言い伝えでいうような「そうちぼん」(アダムスキー型UFO?)がとんでいたとしたなら、かなり近くで見ていたことになる。本当はなにを見ていたんだろう。

和倉温泉

 それから能登半島を横断して和倉温泉へ。知らなかったけど、この温泉、九世紀に傷ついた白鷺が羽を癒しているのを漁師がみつけて発見されてから1200年の歴史がある。あの「「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」」で日本一の旅館として君臨し続けている有名な加賀屋はこの地の発祥である。
 そういえば何年か前、やはり卒業旅行で台湾いった時、台湾の温泉街にも加賀屋が進出していた。温泉街の真ん中には、白鷺の像と熱い湯の噴き出すモニュメントがある。
 北陸の街は高層の建物などない風景が続くが、ここ和倉温泉には高層ビルが立ち並んでいる。いくら全国有数の歴史ある高級温泉街といっても、果たしてこれだけの宿泊施設をうめる観光客がくるのだろうかと疑問に思い、よくよく目をこらすと、暗闇の中に倒産したとみられる火の消えた巨大旅館の建物がごろごろ見えてくる。和倉温泉、景気で検索すると大型倒産の記事がいっぱいひっかかり、それを画像検索すると目の前の廃墟が営業していた時の姿がでてきて、寒い・・・。

 とまったホテルの部屋は海に面した五階で風光明媚。西田幾多郎になりきって能登の海をめでる。東日本大震災直後はこのようなオーシャンビューのホテルにとまると正直怖かったが、今は美しいと思う気持ちが先にたつ。つい昨日の出来事のようだが、幸か不幸か心は着実に変化し(たぶん直接の被害をうけていないからだろう)、今週の金曜日の震災以来五回目の311 がやってくる。

県立航空プラザ

 明けて、翌日は太郎くんの希望により、小松空港と航空自衛隊の小松基地横にある「石川県立航空プラザ」に向かう。能登半島を南下する間、カーナビにケータイをつなぎ好きな曲を流しながら、くだらない話をしながら海沿いを走り抜けていると、ロードムービーのよう。しかし、カーナビはサビのところにくると決まって「ウセツします」とか「分岐が続きます」とか言葉をはさんで分断し、空気を読まない。設定を変えようにもレンタカーのなのでよく分からない。
 そして食事処がない。
 関東近郊でこの景色だったらカフェとかファミレスとかわさわさあるのに、食事する場所がなく、結局羽咋にもどって「すしべん」という地元ファミレスに入る。
 食後ふたたび南下して小牧につく。ここでは航空機の歴史とともに、ANAの協力で飛行場の仕事についての詳細の紹介、自衛隊で実際に使用されていた戦闘機や観測飛行機などが展示されている。太郎くんは実際に航空機の操縦になれるためにつくられたフライト・シュミレーターを体験して喜んでいる。

 たろうくん「先生、御巣鷹山の事故機のボイス・レコーダーって聞いたことあります? あの機長の最後の言葉の背後でなっているビープ音が実際にシュミレーターでもなるんで、リアルなんですよ~。後ろに教官のおじさんが助けてくれないとまず離陸からしてできませんでした」と嬉しそう。

 ミュージアムショップには自衛隊限定グッズがならび、わらったのが「防衛省まんじゅう」「世界平和により役立つために」というキャッチコピーにいろいろ大変なんだろうなと思ふ。
防衛省まんじゅう

 航空プラザの近くには、あの勧進帳で有名な「安宅の関」があるので、日本文学ファンの方はこちらもどうぞ。

二十一世紀美術館

 このあと、金沢に向かい、二十一世紀美術館にいく。この美術館は何億もする古典的な名作をかうのではなく、現代美術や工業デザインのコレクションを安いうちに蒐集し、後世の参照に供することを目的としている。
 常に多くのセクションでいろいろな企画展をやっており、かつては東京五輪のエンブレム問題で有名になったS野研二郎の展覧会なども過去にはやったことがあるらしい。

 車を地下の駐車場において地上にでてくると、びっくり。現代美術の点在する芝生の中に、白を基調とした美術館本体がたつたたずまいが、去年ヘルシンキで訪れたキアズマ現代美術館を思い出させる。展示の仕方もいろいろ既視感があった。

 キアズマ現代美術館はヘルシンキ駅のすぐ隣にあったので、空き時間になにげによってみた。すると、エントランスで二人の男女がねころがってからみあってえんえんといちゃついている。どうもこれはパーフォーマンスで展示の一部? らしい?

 そしてその時のキアズマの企画展はカメラマンのロバート・メイプルソープ(1946-89)で、オノ・ヨーコやリチャード・ギアの肖像写真などがあった内はよかった。しかししばらく進んでいくと、男女の筋肉美を激写したヌード写真が並びはじめ、はては様々な人種の男×器だけを拡大してとった写真がいけどもいけども・・・。メイプル・ソープは×イだった。

 私は現代美術を評する能力は皆無なのでただ一般的な感覚でのべさせて戴くと、お金をもらってもみたくないものを、お金を払ってみさせられた。キアズマちょとあれだった。芸術とは日常に対する反乱で破壊なのかもしれないが、私は心穏やかに生きたいので、同じ美術館でもフィンランドの芸術家の作品をあつめたアンテキウム美術館にすればよかったと猛烈に後悔したのであった。
21世紀 (1)

 さて、二十一世紀美術館であるが、そこは日本。展示内容は大人しいもので、子供と一緒にいっても楽しめる。

前田のお殿様の庭園「兼六園」
 
 この美術館の向かいには金沢に来た者が必ず足を運ぶ前田のお殿様の美しい日本庭園、兼六園がある。金沢城に隣接する高台にあり、この庭園に大名たちが集まって行われた茶会などを、庶民は市内からまぶしくみあげていたことであろう。
 兼六園の入り口は21世紀美術館の前にあったのだが、地図を見間違えて遠い入り口までわざわざ外を歩き、時間をロス。その入り口についた時点で我々には40分くらいしか時間は残されておらず、「40分でみられる最低の見所おしえてください」と受付で情緒のない質問をすることになにる。そうして、今見頃の梅園の梅、ヤマトタケルの尊の像、蓬莱島の浮かぶ霞が池、撮影スポットのことじ灯籠、日本最古の噴水、ひさご池をなどのルートを急ぎ足で回る。
 今年の能登は暖かく、雪も少ないが、雪がふっても、新緑の頃も、紅葉の頃も四季折々に美しいであろう庭園である。

 金沢市内にはじつはJournal of Japanese Gardening のランキングで第三位になった前田家直臣加賀藩1200石の野村家の日本庭園もあり、これもここよりずっと狭いながらも谷をほりこみ、茶室を丘の上につくり、起伏を利用して奥行きをみせる美しい深みのある庭園で、おすすめ。茶室では実際にお茶もいただけるサービスがあります。

 このような日本文化の粋のあつまった金沢の藩医の家に生まれたからこそ、鈴木大拙は日本文化を世界に効果的に発信できたのがよく分かる。西田幾多郎も西洋哲学の輸入ではなく、東洋的な哲学を構築できたのは自らの生まれ育った文化をちゃんと身につけ誇りをもっていたからである。

 金沢市内にこれだけの歴史資産が残っているのは京都と同様金沢も空襲の被害が僅少だったことが大きい。東京だつてかつては徳川の都だったのに今はそのあとをしのぶべくもない。上野戦争、関東大震災、米軍の空襲と念入りに三回やかれて歴史あるお寺はみな再建である。チっ。

 兼六園をでた後、太郞くんとえっちゃんは車を返しにいき、残りは駅弁やおみやげをかう。二人からラインが入り、「死亡の可能性あり。駅弁の代金はかえって払う」と入る。結局まにあったが、ガソリンスタンドが意外に遠く、例によって迷走して時間がたりなくなったのだという。
 太郞くんは花粉症でこの二日間金沢におりたった瞬間から「つらい~つらい~」と目を真っ赤にしてくしゃみをしていたが、新幹線に入ってからもくしゃみをしている。

 私「密閉空間でどこに杉があるの?」と聞くと
太郞くん「乗車してくる人の服に花粉がついてるんですよ。軽井沢はひどかった」
そのあとはみな爆睡。お疲れ様でした。
 
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