白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2016/05/10(火)   CATEGORY: 未分類
サカダワ月の朔日にゲン・ロサン先生逝く
五月七日の新月の日はチベット暦サカダワ月の一日である。このサカダワ月の間に行う善行はン万倍となるため、これから一ヶ月チベット人はせっせと善行に励む。とくに、サカダワ月の満月、今年の場合は5月22日はもっとも善行が効果的にふえるので、私は毎年この日に多めの寄付をする。

しかし、今年のサカダワ月は一日目から悲しい知らせがとびこんできた(文殊師利大乗仏教会の追悼ページ)。この日、デプン大僧院ゴマン学堂所属でギュメの副管長(ラマ・ウムゼ)をつとめていた、頻繁に日本にも来日されていたゲン・ロサン先生が遷化されたのである。
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 実は私が二年前の2014年8月に、ギュメ密教大学(ゲルク派密教の本山)に行った時、ちょうど若手のホープ、クンデリン・リンポチェがギュメに留学したばかりの時であった。クンデリン・リンポチェとはかつてはダライ・ラマの代替わりの際に摂政をつとめた非常に権威ある転生系譜の一つである。当代はまだ30そこそこで、博士の学位をとったぱかりで、その指導僧がゲン・ロサン先生であった。

 清風学園の校長平岡宏一先生は「クンデリンがギュメに来るのを前倒ししたのは、おそらくゲン・ロサン先生が次のギュメの副管長になるからですね」とコメントしたが、宏一先生のおっしゃる通り、それから一ヶ月後ゲン・ロサン師はギュメの副管長に就任した。つまり、二年後のギュメ管長が内定したのである。

 ところが、間もなくしてゲン・ロサン先生はこの人事を病により辞退したいと申し出た。あの見事な体格からは想像もつかないが、肝臓を病まれていたのである。ご病気は思いの外重かったため、今回の事態となった。

 ゲン・ロサン先生がギュメの管長になった姿を見たかったので本当に残念である。威厳のある方で彼の前にでると、チベットの普通のお坊さんたちは縮み上がっていた。日本で説法される際も、通訳の事を一顧だにせず、30分から40分ぶっとおしでチベット語でしゃべりつづけるのも大人物であった。ダライ・ラマも時間オーバーで語り続けるが、どうしてああなるのかというと、高僧が仏法をかたっている時、どんな理由であれ周りがさえぎることは恐れ多くてできないからである。
 
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今、学堂では葬儀としてシャーンティデーヴァの覚りへの道と中論を唱えている。写真はFacebookのGomang Ngariと文殊師利大乗仏教会から転載しました。

 ゲン・ロサン先生が所属していたデプン大僧院ゴマン学堂のがり(ラダック)の地域寮所属からの訃報を以下に転載する。
訃報
今日の夜明け、ギュメ副管長にしてみんなの師にしてクンデリン=リンポチェの師、ジェツゥン・ロサンツゥルティム・ペルサンポ猊下(ゲン・ロサン先生の本名)が遷化された。デプン大僧院ゴマン学堂ガリ地域寮の衆僧は非常にショックを受けており、冥福を祈るとともに、猊下の財産を管理する側近、有縁の弟子たちすべてに対して弔意を表します。

 ガリ地域寮全員がこの方の無上の慈悲とご恩を思い、〔肉体を離れた〕この方の深い御心が自然と完成し、仏教と有情の聖なる守護尊としてすみやかに再び生まれ変わられ、仏教の門に入られて地上のあらゆる大役をひきうけられることを、三宝と観音菩薩とグヒヤサマージャ尊に祈願を申し上げます。

 賢く・貴く・善良な三つの徳を備え、クンデリンの師であったジェツゥン=ロサンツゥルティム=ペルサンポ猊下は、ラダックのザンスカール地域のトンデ(stong sde)という谷に1953年にお生まれになり1973年頃にデプン大僧院ゴマン学堂に入門した。

 当時〔の難民社会の僧院は貧しく〕生活条件などが非常に厳しかったが、この方は求法の強い意志を持ち、するどい論理とくじけない勇気の力によって最悪の生活で満足しつつ、学習課程のテクストを聴聞し思弁し学習し教授することに通達されて、教授・ディベート・著作の三つ全部に比類ない方となり、1997年に博士の最高位(ゲシェ=ララムパ号)をえた。

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 仏教一般について、とくに最高なる依怙尊(ダライラマ)のご命令によって仏教の教育課程が崩壊していた学堂において聴聞・思弁・学問の基礎をつくられ、教授の旗をうちたてられた最高の方である。ダライラマのお考えにそって、学堂における説法、聴聞、学習、規律などの仕事に非常に貢献した。年々歳々多くの有縁ものに対して説法をしたご業績はそのご恩は深く、そのご事績は言葉を越えているのである。

 1993年に依怙尊ダライラマ法王の深慮によってクンデリン=リンポチェの師に就任された。この方がまだお若い頃から教師として傅き、亡くなる直前まで甚だしく深い仏法によって養育し、仏教の太陽の座におつけしたのである。

 ダライラマ法王の無上の慈悲によって加持されつつ、2014年にはギュメ学堂の副管長に推戴されて、仏教の大役をひきうけられ、雲一つ無い空の太陽のように輝いていらっしゃった。そのような時に、突然暗黒面のラーフラ(日食を起こす魔)に害されて、濁世の有情の少ない福徳の象徴に汚され、常見論者に正しい法を信じるように勧めるべく(仏は人々に無常を教えるために死ぬ)、サカダワ月の太陽がのぼるまさにその時に、デリーの病院において意識を法界にとけこませる様子を示された(亡くなられた)。この訃報を
 聖デプン大僧院吉祥ゴマン学堂ガリ地域寮が、サカダワの一日に献じた。
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● 帰幽に接して
マサムネ | URL | 2016/05/11(水) 07:25 [EDIT]
遺徳を継ぎ、法統伝承を絶やさぬ善行の意義を示されたのが、今回の帰幽において語りかけられているやうに思われつつ、故人を偲びたく存じます。
● >マサムネさん
シラユキ | URL | 2016/05/11(水) 20:06 [EDIT]
チベットでは弟子が仏教の実践をさぼると師が死んでしまうというのがあるのですが、高僧が死ぬのは仏教衰退の象徴でほんと暗い気持ちになります。
● 修行の最終段階たる帰幽
マサムネ | URL | 2016/05/12(木) 07:21 [EDIT]
御教示のチベット格言は詳しく存じませぬが、高僧だけでなく万人に等しく訪れる帰幽が、自身のみならず多くの方に積善の尊さを語られているものと愚考いたします。それ故にチベットは現代まで多くの積善の上に成立し、かつ世界の忘れざる存在たりえるのかと。
さて、今年はブータン関連行事が多いようです。積善となるかは兎も角寄与出来ることあれば、と愚考いたしております。
日・ブータン外交樹立30周年記念行事
http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/bt/page3_001533.html
5月9日~14日 埼玉県大里郡寄居町 ブータン王国オリンピックチーム受入・交流事業 埼玉県大里郡寄居町
5月21日~7月18日 上野の森美術館(東京都) ブータン しあわせに生きるためのヒント 
5月29日 早稲田大学 第6回日本ブータン研究会 日本ブータン研究所
7月30日~9月19日 愛媛県美術館 ブータン・しあわせに生きるためのヒント 愛媛県美術館,東映,愛媛新聞社
(注)各事業の認定は,日本政府又はブータン政府にて行っております。
(注)各事業の詳細は主催者にお問い合わせください。

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