白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2016/06/08(水)   CATEGORY: 未分類
分断を癒す「益習の集い」の活動 (鴨里シリーズ5)
 5月8日、「益習の集い」という歴史サークルが稲田騒動に関係した志士たちの足跡をたどる歴史散歩を企画し、そこに招待講師として参加させて頂いた。
 実は今年3月3日、四国大学太田剛先生にこのサークルさんを紹介いただき、その後「淡路の有名人子孫枠」で顧問を拝命させて頂いたのである。三月当時、まだ肌寒く、隣の家からかってにはいこんできたジャスミンの蕾はまだ堅く小さいものだった。 「この花が咲くときには私は淡路でご先祖のことをしる人たちとの交流が始まっている」と思うと何か大きなものにつながったような不思議な感動を覚えた。

 鴨里の資料のデジタル化を手伝ってくれたOS君は前日徳島に入り、当日は洲本で一緒に行動し、翌日は京都で賴山陽の史跡をみる予定で、私は翌日平日だし、四月以後体調がいまいちなので大事をとって日帰りする。

 「阿波踊り空港」(正式名称 笑)につくと、車の運転のできない私のために益習の集いの方が迎えにきてくださった。
 益習の集いの会名の由来から説明しておこう。
 江戸時代、淡路島はかつて徳島藩の領地で、七万石のうちの一万石は徳島藩の城代家老稲田家が治めていた。洲本には徳島藩の藩校である洲本学問所と稲田家の私塾益習館があり、うちのご先祖岡田鴨里は洲本学問所で、篠崎小竹などは益習館で教鞭をとり、それぞれ勤王の志士のサロンとなっていた。とくに益習館は賴山陽、木戸孝允も訪れていた。

 しっかーし! 明治の世になり、明治2年に淡路に禄制改革が行われた。武士は首になってみなが年金生活者になった時、稲田家の家臣は武士の家臣なので卒族となり、年金額が士族より少なくなった。稲田家が藩ととしてみとめられれば臣下は士族となることができる。このため、稲田は新政府に北海道開拓に協力するから稲田家を独立した藩として認めてくれとの分藩運動を始めた。これに対して徳島の藩士が怒った(くわしくは『洲本市史』をご覧あれ)。
 「新政府のお達しに従わず、パーソナルな理由で独立かあっ? 」というのが表向きな理由だけど、本当の理由はグローバル化した新しい世において元藩士たちが感じていたストレスが噴出したのであると思う。

 この独立運動は明治三年に徳島藩士が稲田方の屋敷を襲い17名の死者をだすという最悪の結末を迎え、益習館も炎上した。この出来事は稲田騒動、または勃発の年の干支によって庚午事変と呼ばれる。襲撃側の徳島藩士は切腹・流罪となり、稲田方も北海道へと転封を命ぜられ、淡路はその後、目と鼻の先にある徳島藩から切り分けられて兵庫県に属することとなった。この事変によって淡路と徳島は心理的にも制度的にも分断されたのである。

 「益習の集い」さんはこの時炎上した益習館の庭園(下の写真)を保存するために結成された団体である。会の名前からしても稲田に縁の人々の集まりと思われた。一方、私のご先祖の岡田鴨里は洲本学問處で思い切り徳島方である。で漢学者なので稲田騒動を調停しようとしたものの果たせず、あまつさえ嫡孫の真はつっぱしって騒動を煽ってしまった。つまり、私の置かれている立場は、被爆地を訪れるアメリカ大統領みたいな気分なのであった(そんな偉い立場じゃないけど)。正直緊張した。
 益習庭園

 そこで、迎えに来て下さった方におそるおそる「益習の集いさんって名前からして被害側の稲田方の中心になっていらっしゃいますよね。ぶっちゃけ、私暗殺とかされませんか」と聞いてみると、「もう時代が違いますよ」と笑い飛ばされた。ちょっとほっとする。

 歴史ウォークの出発地点は益習館の故地にたつ洲本中央公民館前。敷地の隣にはこのサークルがまもった庭園がかなり整備されて古の姿を取り戻しつつある。
 公民館で会長の三宅玉峰さんに始めてご挨拶をし、先に到着していた四国大学の太田剛先生と合流する。一応私も歴史散歩の講師であるが、コース設定や解説のほとんどは太田先生が行われたため、私には岡田鴨里の子孫として「生きた展示品」としての役割があったものと思われる。
 2時間かけて幕末に活躍した儒者や志士の墓をまわり、稲田騒動で命をおとした人々の慰霊碑、稲田のお殿様のお墓など幕末の淡路を代表する人々の墓をめぐる。
志士の碑jpg

 私は遍照院の石濱純太郎先生のお墓のところで、儒学者たちの子孫が明治維新以後、どのような人生を送ったのかを語り、「私の曾祖父のお墓はここ遍照院におそらくはあったと思われますが、お参りの途絶えた幕末のお墓を整理してしまったそうで、今はないとのことです。万が一みつけてくださった方は私に通報してください」と支援を仰ぐ。
 そして、ご先祖と稲田騒動の関わりについて事実関係を述べる。
 岡田鴨里が大村純道とともに徳島藩士を説得して事変を防ごうとしたが、結局失敗したこと。まだ若い鴨里の孫真が純道の息子純安とともに檄文を書いちゃったこと、純安は襲撃の主犯であるため切腹となったが、真は儒者であるためか襲撃には加わらず、事変後も罰されることなく徳島藩の官僚になったことなどを語る。
 とにかく「本当にすいません」としか言いようがない。
 真実和解委員会にならって、事実を確認するという形にしてみたが、幸いなことに怒り出す人はいなかった。
 それどころか会の後発行されたニュースレターにこうあった。

「又、賴山陽の高弟で江戸時代の淡路を代表する学者である岡田鴨里の子孫である石濱裕美子早稲田大学教授の軽快でユーモラスを交えた話に参加者は引き込まれて笑みを浮かべ聞き入っていた。参加者の満足度は終了後のアンケートにも顕著に現れ、筆記しにくい屋外のイベントにもかかわらず80%を超える高いアンケートの回収率にも驚かされたが、設問の、とてもよかった85%、よかったが10%で、未記載5%、よくなかった0%というすべての参加者が満足したという驚くべき結果であった」(益習だより 14号)

 淡路の皆様やさしい・・・。本当にやさしい・・・。ありがとうございます。

 このあと、益習の集いの方々と懐石料理のお昼をいただき、そのあとは2014年に太田先生から「廃墟ですね」とバッサリきられた鴨里の生家に行く予定であったが、その前に蜂須賀桜の植樹会を行うという。

 蜂須賀桜とはかつて徳島城に植えられていた美しいヒカンザクラで、地元のロータリークラブがこの桜を日本全国、最近は世界にまででてバチカンとかにおいて植樹してまわっているそうだ。で、益習の集いさんは昨年、この蜂須賀桜の会の趣旨に賛同し淡路においてはじめてこの桜を植樹することに成功したという。これは、徳島と淡路の分断が長い年月をへて癒やされた、象徴的な出来事として報道された(よみうりの記事をここにつなぎます)。

 で、この日の植樹は、淡路十三仏霊場の第一番、先山千光寺の境内で行われた。聞けばそのお寺には秘仏の観音様が祀られており、植樹に参列すると秘仏が拝観できるとのこと。そこで食事を早々にきりあげて寺に向かうが、この寺が遠い。そして山奥。高野山ハイウエイのような道をあがって、車をおりてからも結構な石段をあがる。喘息で気管支が弱っている私はゼイゼイいいながら石段をよろよろ上がることになった。

 OSは若いので先にさくさくあがっていって、恋愛みくじとか引いている。私だって喘息でなければこの程度の石段なんてこたないのに・・・。法要はこのお寺の縁起を読み上げる部分が一番面白かった。観音様をお祭りする寺なので見晴らし抜群の清水の舞台もある。

 秘仏は確かに拝観できた。笑ったのが、お経がはじまると電動カーテンがサーッとあいて、秘仏がライトアップされて、しばらくすると、さーっとまた閉まってしまった。写真をとっていいかどうか確認をとっていなかったため躊躇しているとサーッとしまったので、本当に秘仏であった。美しい千手観音様である。法要の後、境内で住職さまと植樹。みなでかわりばんこにスコップもって記念撮影。天気が良いので暑い。

 このあと、みなで車を連ねて鴨里の生家へ。2014年に太田先生とおとずれた時は中をみせて頂けなかったので、今回は益習の集いさんのお力で市役所の方にお願いして中をあけていただいた。レトロ体験村として長い間一般の宿泊施設になっていたので、トイレや流しが増設されており、いにしえの庄屋建築はみるかげもなくなっている。その上、阪神淡路大震災で壊れて、まあおっしゃる通りの廃墟ですよ。みなさんにこの惨状を見て頂くことが実は訪問の本当の目的であったりする(笑)。
廃墟2
生家廃墟jpg

 生家(廃墟)の中庭で六月八日から始まる立木兼善と岡田鴨里のパネル展の構成をみせていただく。太田先生が詳細な家系圖と人間関係図を作って下さっているので、それを指しながら、ご先祖の資料がどのような経緯で神奈川県立歴史博物館に入ったのかを私の知る範囲内でみなに語る。

 鍵を開けてくださった市役所の方も一緒に聞いてくださる。淡路市の財政は夕張市なみに苦しいという話を聞いていたので、もちろんこの状況が一朝一夕に解決できるとは思わないが、市の財産がこのようにむなしく朽ち果てていくのはもったいない、との認識はみなが共有してもよいと思う。

 帰りはOSは会長の車で高速バスの停留所におくってもらい本土に向かう。私は太田剛先生に阿波踊り空港へ送っていただく。何しろ幕末も日本史も漢学も基本的なところから知識がないので、「関所によって藩と藩が分断されて人の往来が厳しく制限されていた時代にも、儒者は自由に関所をこえて交流し、世界の情報をいちはやく長崎などから得ていた」などの話を興味深くうかがう。鴨里も江戸や現在の群馬や九州を歴訪して、二冊の紀行文を残している。太田先生には本当に感謝している。ご先祖と私の間をつないでくださるシャーマンのようなお方である(普通男女が逆な気がするが笑)。

 というわけで、本日から淡路市役所のロビーで、淡路市のうんだ偉人二人、立木兼善と岡田鴨里のバネル展が行われます。是非みなさん起こしください。私とOSが撮影した資料が提供されております。縁の地の写真は2014年、太田先生のご案内でまわった時、私がとったものです。

ここにバネル展について告げ神戸新聞の記事をあげておきます。
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COMMENT

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● ご生家再興祈念
マサムネ | URL | 2016/06/09(木) 21:08 [EDIT]
一度廃墟となると大変とは存じますが、何か良い方策あれば、と願わずにはいられません。
「淡路 寺 無住」で検索しますと、全国に二万軒といわれる無住寺院が、やはり淡路も多数と見受けます。
「みんなで住めるお家を作ろう!」みたいなアニメの舞台になったりすると、本当に建て直す有志義捐が忽ち届きそうではありますが。
福岡・鞍手町:廃校改めオタクの聖地…コスプレで町おこし - 毎日 mainichi.jp/articles/20160317/k00/00e/040/248000c
とりあえず「流転のテルマ」あたりで笑
ただ、古民家宿泊は結構な流れ来ているように思いますね、現在では。
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【古民家再生】全国の古民家を再生した宿泊施設の事例 ... - Naverまとめ
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● >マサムネさん
シラユキ | URL | 2016/06/12(日) 17:28 [EDIT]
タシテレにいらしたみたいで、ありがとうございます。
古民家再生っていうかんじで一時期体験施設になっていたので、これ以上どうにもならんと思いますよ。でも、今回市がこの惨状を知るに至ったため何かが変わるかも知れません。

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