白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2016/08/13(土)   CATEGORY: 未分類
仕事をしながら仏教を実践するには(ギュメ法話)
 お盆になりましたので、つい二日前にギュメ密教大学で日本人が施主となって行われた法話会から、ぴちぴちとれたての説法をお届けします。
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 講師は セルナン=ロティ師。デプン大僧院ロセルリン学堂から数年前にギュメ密教大学に留学。通常留学は一年の期限で所属する僧院にもどりますが、講義がうまいということで期限をすぎてもギュメにとどまっている方です。

本日は仏教を勉強することにどういうメリットがあり、勉強しないとどういうデメリットがあるかについてお話しましょう。
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仏教では今生でどのような心の状態であるかによって来世が決まるとされます。今生、善業を積んで善い心をもつようになれば安楽な来世がありますし、悪業を積み悪い心になれば苦しい来世があります。

 仏教の研究は哲学(顕教)とその哲学を身につけるための実践行(密教)の二つからなりますが、その二つを兼ね備えているのがこのギュメ密教大学です。釈尊の説いた法の流れは大学者(パンディタ)や大行者(成就者)たちによって途切れることなく現在にまで伝わってきました。私たちが仏教に関心を持つことができたことは前世からの良い因縁があったからです。仏教に出会えた自分は非常に幸せだと思いましょう。

世俗にあって仕事をしながらでも仏教を活かしていくことはできます。たとえば、お医者さんの場合、ただ仕事として医療行為を行うのではなく、患者さんに対して慈悲の心をもてば、おなじ治療を行っても効果が違ってきます。死と病は苦しみの代表的なものですが、そのようなものに直面している患者さんに対して、慈悲の心をもって治療に臨むならば、もたない時よりもよい治療結果がでるはずです。

 もし教師であったなら、仏教で心をトレーニングした先生とそうでない先生とでは、生徒に現れる効果も変わります。子どもの心は真っ白なので、教える人によってよくも悪くもなります。慈悲の心や人の役に立ちたいという気持ちをもって生徒に接するならば、生徒にもその心が伝わっていき、親切な大人になり、彼らによって救われる人もふえます。
 仏教によって心を整えて仕事をする人は、長期的な視野をもち、ぶれない態度で仕事を行うことができるようになります。
 たとえば、レストランを経営している人が目先の儲けを考えるのではなく、レストランで過ごすお客さんのことを第一に考えて仕事をすれば、お客さんも幸せに感じられるし、レストランの経営者も善業が積めて、レストランも流行りいいことずくめです。仕事をしながらも仏教を実践することは非常に大切であるし、それができるのが仏教です。

 次に忍耐について話します。
 泥棒でないのに泥棒だと言われたとき、そこでカッとなるのではなく忍耐し、堂々としていれば、その人の信用も高まり、評価もよくなります。忍耐を修行すると、来世に美しい姿に生まれることができます。しかし、泥棒と言われて忍耐せずに怒ってしまったら、後で泥棒でないとわかっても、カッとなった時にさらした醜態に対する不信感は人々の中から消えないでしょう。腹をたてることを繰り返していると、憎しみが心の中でくせになって固定してしまいます。
腹が立てると、何度もそれを思い出してそのたびに腹が立ち、夜も寝られず、表情も醜くなり、悪い言葉を使うようになります。

 したがって、怒りはもっとも悪いものです。役に全く立たないし、マイナスにしかなりません。どんな仕事でも怒りを動機にして行えば、ろくな事にはなりません。怒りは全ての罪の中で最も悪いものです。怒りは大切なことを忘れさせ、大事なものを壊します。怒りを発散すれば後悔することになります。怒りは近視眼で長期的な思考に基づいていません。だから、怒りが心の中に生まれたら、その反対である忍耐の心を養いなさい

生きていれば思い通りにならないことはたくさん起きます。しかし忍耐を育むようになると量り知れないメリットが生まれます。怒っている人の周りには人は集まってこないので不幸になりますが、忍耐をもってやさしい心で人に接する人の周りには人が集まってきて幸福になります。

 地球上のすべての70億の人は幸せを求めて、苦しみから逃れようと思っています。その幸せは外側にあるものよりも自分の心の状態によって決まるのです。五官を楽しませるもの(目で美しいものを見て、耳で綺麗な音を聞いて、鼻で善い匂いをかいで、舌で美味しいものを味わって、体でなめらかなものを触って)をいくら外側に集めても、これらによって我々が幸せに感じるのは一時のことです。旅に出てきれいな風景を見ても、帰ってきたらすぐにその感動や幸福感はなくなってしまうでしょう? 五官の楽しみは永続するものではありません。

しかし、内側において、心をやさしくしていき、忍耐を育くんでいけば、常に自分の心を幸せにすることができます。 臓器は移植できますが、慈悲心と忍耐力は外から移植することはできません。自分の中に育てていかなくてはなりません。しかし、慈悲心や忍耐力を育くむことができると、外側にある財産のように、人から取られる心配もなく、失う心配もありません。常に自分の心は安楽です。経典に書いてある通りに思考し実践すれば心は安楽になります。仏教は古いものを壊して新しいものをつくる刹那的なものではありません。よいものを積みあげ続けていくものです

 人の役に立ちたい気持ち(菩提心)と忍耐力の二つをまず心に育むことが幸せの入り口となります。あなたたちがどのような仕事をしていても、人の役に立ちたいと思って行えば、それを応援する人も集まってきます。人の役に立ちたいという気持ちと忍耐力は習慣化しないと育むことはできません。

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多くの人は幸せとは外からもたらされる何かだとと思っています。しかし、外からもたらされるもので五官を楽しませても、永続する安楽にたどりつくことはありません。そのようなものを追求しても、やがては苦しみに陥るだけです。自分の心を統御することを生活の中心に据えれば、永続する安楽を得ることができます。

 21世紀になって科学は発達し、経済は豊かになり、そのことによって人の生活はずいぶん楽になりました。しかし、人の苦しみはへるどころか、かえって大きくなっているのは、五官を通じてえられる安楽を楽だととらえているからです。大事なのは心の安楽であり、それは自分の心を統御してはじめて得ることのできるものです。
 
 科学の発展も、経済の発展も、それ自体が悪いのではなく、それをすすめる人の動機がよければよくなるし悪ければ悪い結果がでます。科学の発展により70億の人たちを一瞬に殺してしまう爆弾が開発されましたが、これは怒りという煩悩の発露によって生まれたものです。人の役立つことを考える科学者がそのようなものを作ることを思いつくはずがありません。
 科学の進歩は悪いことではありませんが、それ行うときの心構えが大事なのです。正しい動機をもって科学を発展させれば人に役に立つものが生み出されるはずです。これから先の未来を明るくしていけるかどうかは我々の心の持ちようによっています。なので仏教は21世紀の人々の役に立てる宗教です。

 心の苦しみを取り除くことができたら、体の苦しみも漸次解決していきます。法王様がかつて病気になって手術を受ける直前、病院の窓の外にいるかわいそうな動物を見て心を痛めていたら、自分の苦しみは忘れてしまったとおっしゃっていました〔これは人の苦しみを引き受けるトンレンのレンという修行〕。人に限らず動物を含めたすべての命あるものが苦しみから逃れるよう導くために、仏の境地をめざすのが、仏教を学び実践する際の正しい動機です。すべての命を対象としているので壮大な仕事です。

 経済を中心にものごとを考えてしまうと、家族なんかもたない方が好きに使えるお金はふえます。しかし、それでは家族の幸福はありえません。我々は動物よりは明晰な意識をもっていますが、心がけ一つで動物よりも愚かなことをしてしまいます。動物は一度に殺せるのは一匹ですが、人間は一人でも一度にものすごくたくさんの人を殺すことができます。煩悩(執着、怒り、愚かさなどの心の悪い性質)があるとこのようなことをしてしまいますから、怪我や病気を治すときに病院に行くように、この煩悩を仏教という薬で治していかねばなりません。
 教育がある人でも、煩悩のままにふるまっていれば、学んだことは人の迷惑になるものしか生み出し得ません。法王様(ダライ・ラマ)がたった一人で多くの人を幸せにできるのは、法王様が心に育くんできた慈悲の心によります。

 仏教を求めることは幸せを求めることです。五官の楽しみは刹那的な快楽をもたらしてくれても、煩悩があればそれも苦しみに変わります。怒ると寿命のルン(体質を構成する要素、ルン、ティーパ、ペーケンの三つのうちのルン)を使ってしまい、短命になります。怒ってばかりいる人は来世は醜い姿になると言われています。

 今生、あなたたちが幸せであるのは、長い前世の間に積んだ善業の結果です。あなたたちの前世の善行に感謝して、今生も来世のことを思い、心のありようを整えていかねばなりません。

 大乗仏教の普遍的道徳律である十善戒のもたらすメリットは来世に幸せになることです。動物とは異なり人間なのですから、今生のことだけを考えるのではなく、来世、来来世のことを考えて長期的にものをみて生きましょう。人生は短いですが、来世は長い。その先の生を考えることができるかどうかを仏教は求めています。

一つ例を挙げましょう。何を食べるか吟味せずに、ただ好きなものを毎日食べ続ければその人には100年の長寿はありませんが、これを食べていいかどうかを吟味して食べる人は長寿になります。これと同じように来世、来来世の心を考えて毎日の行いを正していくことは大事なことです。体は今生限りのものであっても、心は来世、來來世へとつながっていきます。健康に気をつけるのなら心にも気をつけるのは当然でしょう?
今日は最初なので、仏教を勉強する功徳のお話をしました。

聴衆からの質問。前世があるということはどう証明できますか?
師の応え: 以下の四つの根拠があります。
1. 前世を覚えている子どもがいます。
2. 生まれたばかりの子牛が母牛の乳をすうのは本能の力と言いますが、前世からの記憶によります。
3. 物質的なものからは心は生まれません。心は心からしか生まれません。
4. 生まれた時点で人に個性があるのは心が前世から続いており、前世の行為のいかんで多様な個性が生まれているからです。同じ親から生まれ、同じように育てられても、違う個性があるのは前世から引き継いだ心のくせ(習気)の結果です。勉強できる親から勉強できない子どもが生まれたり、その逆もあるのは前世からの結果です。心は前世から続いているのです。ですから、今から上手に心を整えて準備をしていけば、来世はもっと素晴らしい人生になります。今生全然勉強しなければ、来世は悲惨になりますよ。
 今日はこのくらいでお話を終わらせていただきます。
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COMMENT

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● 管理人のみ閲覧できます
| | 2016/08/14(日) 07:42 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● >MNさま
シラユキ | URL | 2016/08/14(日) 08:49 [EDIT]
FBを確認してみましたが、リクエストがきていないような。もう一度確認してみます
● 残暑御見舞い
マサムネ | URL | 2016/08/16(火) 12:38 [EDIT]
>地球上のすべての70億の人は幸せを求めて、苦しみから逃れようと思っています。その幸せは外側にあるものよりも自分の心の状態によって決まるのです。・・・ 五官の楽しみは永続するものではありません。

最近の寺社仏閣巡りの隆盛も、こうした根本の事象なのだろう、と得心です。講義の上手ということですが、見事な着眼です。

寺社巡りは観光誌だと美味美観を前面に紹介しておりますが、実際に巡っている方々の多くは、正に「法王様(ダライ・ラマ)がたった一人で多くの人を幸せにできるのは、法王様が心に育くんできた慈悲の心によります。 仏教を求めることは幸せを求めることです。」の通り、慈悲に触れることでしか得られない幸せを求めているように観えますね。

付言ながら、マクロスデルタなるアニメでは「ルン」という神秘的エネルギーが主題の一つとなっているようです。
五官が冴えすぎる内容でしたので、チョット観で終わり全容は理解しておりませんが。

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