白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2017/03/11(土)   CATEGORY: 未分類
国際会議のホストをやってみて
長く生きているといろいろな体験をする。小さいながらも国際会議のホスト役をし、ここ二三日はその後片付けとその間渋滞していた諸事をこなして、今、ようやく落ち着いた。
 
 開催を引き受けた一年前から、まず、お金の調達。助成金の申請を各所に行い、それから準備。会議室は早稲田のどこにするか、ホテルとレストランはどこにして、その際の移動をどうするか、これらを足で探して、大体目星がついたら実際そのレストランでランチたべるなどの下調べをして、「まあいっか」となったものを予約した。

 開催日が近づくと非常識な参加者の宿泊や夕食のドタキャンなどの対応にあたり、それと平行して自分の発表レジュメを英作文し、当日の進行表、連絡先を周囲に共有してもらい、いよいよはじまると、進行に目配りしで、もうほとほと疲れた。こんな日々が続いたら研究なんてとてもできん。脳みそを使う部分が全然違う。
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↑演劇博物館

 一応、参加者からは「素晴らしいオーガナイズだった」というメールがとどいているが、西洋にもお世辞や、招待された相手を面罵するのは失礼とする文化はあるので、真意については不明である。

 東洋学はじつは日本が一番進んでいる。今回、この会議をもちかけられた時、相手が議論を中心とした構成にしようとしていたので、私は「待て。欧米よりも日本の東洋学の方が圧倒的に進んでいるのだから、日本の発表者の発表内容を聞いて、質疑応答くらいにした方がいい。それに日本人はそもそも議論できるほどの英語力はない」と主張したのに、何ていったと思います?

「西洋人は20分以上人の話を座って聞けません。議論はハズセマセーン」

 「東洋と西洋は決してわかり合えない」と私はキプリングの箴言をつぶやいていた。
で、今回学会が終わってみてやっぱり私の言った通りだった。

 満洲語、モンゴル語、漢語がよめる日本人の発表ははばひろい領域の史料に基づき事実をつみあげ、実証的な研究を行うので、議論の余地のないものとなり、欧米人は実質質問しかできない。一方、欧米人の発表はそれぞれのケースによって異なる問題を自分のできる言語から概論的な祖述をするだけなので、つっこみどころは満載。

 それぞれのケースによって異なることを概説するから、日本人から「Evidence(証拠)は」とつっこまれたり、反証をだされると、答えられない。そこで結局欧米人同士が証拠不十分のテーマについて答えの出ない議論をするだけで、日本人は死んだ目をして聞くこととなった。

 そもそも、昔も今も東アジア研究は日本が一番なのじゃ。日本語はウラルアルタイ語だから、満洲語もモンゴル語もトルコ語も容易に習得できるし、漢字は書き文字に使うし、そのうえ仏教・儒教が伝統宗教だから、キリスト教をバックグラウンドとしている人々よりも東アジアの文化の諸側面についてははるかに理解がはやい。

 かつ、東アジアでもっとも早く近代化し、中共が破壊する前の文化遺産の調査・研究の蓄積もあり、かつ、戦後も民主化して学問の上でも政治の制約がないことから、国の政策やナショナリズムによって歴史研究がゆがむことはなかった(cf. 個人の能力によるゆがみはもちろんある)。結果として、日本で現代フランス思想を日本語に翻訳・紹介することで教授の地位を得る人がいるように、外国では日本の東洋学の研究を基礎に(ある時はパクって)自分の地位を築く人は結構多い。

 20世紀の70年代までは中国には西側欧米人の入国が難しかったので、東洋を研究する人はもっぱら日本に来て学び、日本語を理解できる西洋人は多かった。しかし、最近は直接中国に留学して東洋学を学ぶため、日本語をできる人は少なくなった。彼らは中国の学者を通じて日本人の研究のだしがらを味わい、それに基づいてざっぱな図式化を行う(やらないまじめな人もいる)。

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↑會津八一博物館

 このような現状を見ていると、世界の東洋学の発展のためには日本人が自分たちの業績を英語で発信することが必要であることは自明だが、いかんせん私を含めて日本人の大半には英語力がない。

 今回私が『会議英語』を片手に作文していたら、それを手にとった欧米人の研究者が、笑いながら「これはクラッシックですね。今時こんなもってまわった言い方しませんよ」と言われ、日本人同士はお互いのしゃべるヘタクソな英語を自虐で笑い合い、實に空しかった。

 それを象徴するエピソードがこれである。
 私は議論が盛りあがらないことを念頭におき、会議の合間に、大学内にある博物館の参観や図書館での関係古文書の閲覧を日程にいれた。具体的には会津八一博物館で一月三十一日までとされていたチベットの仏様の展示を無理矢理この時期まで置いてもらうこととし、図書館では大隈重信伯に寺本婉雅がおくった書簡の現物を閲覧するのである。ところが、図書館にいく時間が多少早まったので、一行を演劇博物館(著名なシェークスピア研究家坪内逍遙の時代からたつシェークスピア劇場つきの博物館である)で待っててもらって図書館に準備ができているか確認しに走った。確認が終わって演劇博物館に戻ると、みなが爆笑している。

 見ると「日本の民俗芸能」(Folk Art)を展示する部屋の説明プレートが、日本の「日本のフォーク芸能」(Fork Art)となっていた。

 つまり、図らずも日本人の英語力の低さを大学をあげて証明することとなってしまったのである。

 日本の東洋学の学威を海外に示すためには、まず英語での発信が必要。しかし、その英語力がないという悲しい現実がそこにはあった。
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